空を翔ける鷲医者の異世界行診録

川原源明

文字の大きさ
45 / 102
第6章 ヴァルメリア

第45話 坑道の闇を裂く

しおりを挟む
 バルグの一撃で戦場は完全に混乱した。

 石床を砕く轟音と共に、坑道内の空気が一変する。松明の炎が揺れ、影が壁を這うように走る。破片が四方に飛び散り、作業していた黒装束たちが慌てて身を伏せる。黒装束たちは即座に武器を構え、広間の至る所から怒号が上がった。

 精製作業は完全に中断され、装置から立ち上る蒸気も一時的に止まった。しかし、敵の反応は素早く、訓練された部隊であることが分かる。

 俺は天井すれすれまで舞い上がる――が、すぐに違和感を覚えた。

 視界の端で、複数の縄が垂れ下がっている。最初は単なる古い鉱山設備の残骸かと思ったが、その配置が意図的すぎる。次の瞬間、その縄が引かれ、天井近くの小石や木材が一斉に落下してきた。狙いは空を飛ぶ俺。翼を狭め、わずか数寸の距離で回避する。

 落下物は予想以上に多く、回避するのがやっとだった。石の破片が翼を掠め、羽毛が数本舞い散る。

「チッ……罠か」

 敵は俺の飛行能力を完全に計算に入れていた。天井に沿って張られた縄網や重石は、飛行経路を制限するだけでなく、急降下や上昇を阻害する。狭所での機動力が奪われた。

 これまでの戦いで俺の戦術を分析し、対策を講じてきたのだ。地上戦での経験しかない敵ではない。



 バルグは正面突破を試みるが、坑道脇から新手が飛び出す。

 側道の奥に潜んでいたらしく、火薬を詰めた小樽を転がしてきた。樽は坂道を勢いよく転がり、バルグの足元を狙っている。火花が散る――

「下がれ!」

 俺は翼で強い風を起こし、火花を吹き消す。火薬に引火すれば、坑道内の狭い空間では全員が危険にさらされる。爆発を未然に防ぐことができたが、煙の匂いが鼻を突き、坑道内に焦燥感が広がった。

 敵は火薬という危険な武器すら躊躇なく使用する。自分たちも巻き込まれる可能性があるにも関わらず、それだけ追い詰められているということだろう。

 リィナは装置に向かおうとするが、その前に盾を持った二人組が立ちはだかる。

 盾兵は重装備で、薬剤の投入を阻止するために配置されているようだ。毒物の拡散を防ぐための薬剤を持つ彼女を、敵は最優先で阻止している。彼女の薬学知識が、敵にとって最大の脅威であることを理解しているのだ。

「どけぇっ!」

 バルグが戦斧を振り回し、盾兵を弾き飛ばす。しかし、その隙をついて、刺青の男が動いた。

 男の動きは静かで計算されており、混乱の中でも冷静さを保っている。明らかに指揮官としての経験と能力を持った相手だ。



 奴はゆっくりと、しかし迷いなく歩み出てくる。

 肩から腕にかけて黒い羽根の刺青が浮かび、松明の光を受けてうねるように揺れる。刺青は単なる装飾ではなく、黒羽同盟での地位を示すものでもあるようだ。その目は獣じみた冷徹さを帯び、まっすぐに俺を射抜いた。

「……翼持ち。港で見かけたな」

 声は低く、抑揚が少ない。だが、その一言に嘲りが混じっているのを感じた。俺への敵意というより、単純な職業的な関心のようにも聞こえる。

 奴は長柄の鉤爪武器を構える。穂先が曲がり、絡め取るための返しが幾重にもついている――明らかに飛行する相手を地に引きずり落とすための武器だ。

 武器の造りは精巧で、翼を持つ敵との戦闘を前提に設計されている。俺のような存在と戦った経験があるか、少なくとも対策を十分に研究している証拠だ。

 俺は急降下し、鋭い爪で奴の肩を狙う。しかし、刺青の男は身体をわずかに傾け、鉤爪で俺の足首を引っ掛けた。

 反応速度が異常に速い。俺の攻撃を予測し、カウンターを仕掛けてきた。

「ぐっ……!」

 視界が傾き、石床が迫る。寸前で翼を広げ、衝撃を殺す。だが、足首に絡む鎖が俺を地面へ縛り付ける。鎖は鉤爪武器に接続されており、一度絡まれると簡単には外れない仕組みになっている。



 「お前の機動力が無ければ、ただの獣だ」

 刺青の男が鎖を引き、俺を自分の間合いに引きずり込む。

 間合いの内側は鉤爪の世界。受け流せば鎖が絡み、踏み込めば返しが肉を裂く。武器の特性を熟知した戦い方で、俺の動きを完全に封じようとしている。

 バルグが割って入ろうとするが、奥の坑道から増援が押し寄せてきて足止めされる。リィナも再び盾兵に阻まれ、装置への接近が遠のく。

 状況は刻一刻と悪化している。時間が経てば経つほど、敵に有利になっていく。

 その時、精製炉の管の一部が赤く染まり始めた。

 金属が熱で変色し、危険な状態に達している証拠だ。装置は限界を超えて稼働しており、いつ暴走してもおかしくない。

「……加熱しすぎだ!」

 リィナの叫びで、状況の危険度が跳ね上がる。過熱によって薬液が変質し、毒霧が発生する危険がある。あと数分で、坑道全体が地獄になる。

 毒霧が発生すれば、敵も味方も関係なく全員が犠牲になる。これは戦闘の勝敗を超えた緊急事態だった。



 俺は全力で翼を広げ、鎖を引きちぎる。

 翼の筋肉に激痛が走るが、この状況では贅沢は言っていられない。鱗の下で筋肉が悲鳴を上げ、鉄が軋む音と共に繋ぎが外れた。鎖の一部が切れ、ようやく自由を取り戻す。

 刺青の男が再び構えるが、俺は距離を取り、リィナの進路を開くよう敵の頭上を風圧で薙ぎ払う。

 翼を大きく羽ばたかせ、坑道内に突風を起こす。粉塵と煙が舞い、敵が視界を奪われた一瞬――リィナが薬剤を装置に投げ込んだ。

 彼女の投擲は正確で、薬剤の小瓶が装置の中央部に命中する。ガラスが砕け、薬液が混ざる。化学反応で白煙が立ち上り、毒液は無力化されていく。

 装置の温度も急速に下がり始め、危険な状態からは脱した。リィナの薬学知識が、最悪の事態を回避してくれた。



 しかし、刺青の男は余裕を失わない。

 装置の無力化を確認しても、慌てることなく冷静に状況を判断している。そして、何かを決断したような表情を浮かべた。

「……今回は見逃してやる」

 奥の坑道からの増援に合流し、そのまま暗闇の奥へ消えていった。

 撤退の指示は的確で、部下たちも迷いなく従う。訓練された部隊としての統制を保ったまま、闇の中に姿を消していく。追うこともできたが、装置の冷却が最優先だ。俺たちは深追いを諦めた。

 廃坑には複数の出口があり、追跡は困難だろう。また、罠が仕掛けられている可能性もある。

 金属音が遠ざかり、坑道内に静寂が戻る。だが、その静けさは勝利の証ではない。

 装置は破壊できたが、肝心の敵は逃がしてしまった。奴は逃げた――そして必ず、次の脅威を持って戻ってくる。

 俺は歯を食いしばり、消えた坑道の闇を睨み続けた。

 バルグとリィナも同様に、完全な勝利ではないことを理解している。今回の戦いは一つの毒物製造施設を破壊しただけで、黒羽同盟という組織自体は健在だ。

「装置は破壊できた。でも、これで終わりじゃない」

 リィナが装置の残骸を確認しながら言った。彼女の表情には安堵と共に、新たな懸念も浮かんでいる。

「ああ。奴らは必ず別の場所で活動を再開する」

 バルグも同意見だった。黒羽同盟の執念深さを考えれば、この程度の敗北で諦めるはずがない。

 俺たちは坑道を出て、夜の山道を港町へ向かった。今夜の戦いは終わったが、本当の戦いはまだ続いている。次はどこで、どのような形で敵が現れるのか――それを考えると、安らかな眠りは遠いものに感じられた。

 しかし、今夜は確実に多くの人命を救うことができた。それだけでも、戦い続ける価値はあるのだろう。仲間と共に歩く帰路で、俺はそう自分に言い聞かせていた。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

薬漬けレーサーの異世界学園生活〜無能被験体として捨てられたが、神族に拾われたことで、ダークヒーローとしてナンバーワン走者に君臨します〜

仁徳
ファンタジー
少年はとある研究室で実験動物にされていた。毎日薬漬けの日々を送っていたある日、薬を投与し続けても、魔法もユニークスキルも発動できない落ちこぼれの烙印を押され、魔の森に捨てられる。 森の中で魔物が現れ、少年は死を覚悟したその時、1人の女性に助けられた。 その後、女性により隠された力を引き出された少年は、シャカールと名付けられ、魔走学園の唯一の人間魔競走者として生活をすることになる。 これは、薬漬けだった主人公が、走者として成り上がり、ざまぁやスローライフをしながら有名になって、世界最強になって行く物語 今ここに、新しい異世界レースものが開幕する!スピード感のあるレースに刮目せよ! 競馬やレース、ウマ娘などが好きな方は、絶対に楽しめる内容になっているかと思います。レース系に興味がない方でも、異世界なので、ファンタジー要素のあるレースになっていますので、楽しめる内容になっています。 まずは1話だけでも良いので試し読みをしていただけると幸いです。

異世界に移住することになったので、異世界のルールについて学ぶことになりました!

心太黒蜜きな粉味
ファンタジー
※完結しました。感想をいただけると、今後の励みになります。よろしくお願いします。 これは、今まで暮らしていた世界とはかなり異なる世界に移住することになった僕の話である。 ようやく再就職できた会社をクビになった僕は、不気味な影に取り憑かれ、異世界へと運ばれる。 気がつくと、空を飛んで、口から火を吐いていた! これは?ドラゴン? 僕はドラゴンだったのか?! 自分がドラゴンの先祖返りであると知った僕は、超絶美少女の王様に「もうヒトではないからな!異世界に移住するしかない!」と告げられる。 しかも、この世界では衣食住が保障されていて、お金や結婚、戦争も無いというのだ。なんて良い世界なんだ!と思ったのに、大いなる呪いがあるって? この世界のちょっと特殊なルールを学びながら、僕は呪いを解くため7つの国を巡ることになる。 ※派手なバトルやグロい表現はありません。 ※25話から1話2000文字程度で基本毎日更新しています。 ※なろうでも公開しています。

[完結]異世界転生したら幼女になったが 速攻で村を追い出された件について ~そしていずれ最強になる幼女~

k33
ファンタジー
初めての小説です..! ある日 主人公 マサヤがトラックに引かれ幼女で異世界転生するのだが その先には 転生者は嫌われていると知る そして別の転生者と出会い この世界はゲームの世界と知る そして、そこから 魔法専門学校に入り Aまで目指すが 果たして上がれるのか!? そして 魔王城には立ち寄った者は一人もいないと別の転生者は言うが 果たして マサヤは 魔王城に入り 魔王を倒し無事に日本に帰れるのか!?

【幸せスキル】は蜜の味 ハイハイしてたらレベルアップ

カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
僕の名前はアーリー 不慮な事故で死んでしまった僕は転生することになりました 今度は幸せになってほしいという事でチートな能力を神様から授った まさかの転生という事でチートを駆使して暮らしていきたいと思います ーーーー 間違い召喚3巻発売記念として投稿いたします アーリーは間違い召喚と同じ時期に生まれた作品です 読んでいただけると嬉しいです 23話で一時終了となります

オバちゃんだからこそ ~45歳の異世界珍道中~

鉄 主水
ファンタジー
子育ても一段落した40過ぎの訳あり主婦、里子。 そんなオバちゃん主人公が、突然……異世界へ――。 そこで里子を待ち構えていたのは……今まで見たことのない奇抜な珍獣であった。  「何がどうして、なぜこうなった! でも……せっかくの異世界だ! 思いっ切り楽しんじゃうぞ!」 オバちゃんパワーとオタクパワーを武器に、オバちゃんは我が道を行く! ラブはないけど……笑いあり、涙ありの異世界ドタバタ珍道中。 いざ……はじまり、はじまり……。 ※この作品は、エブリスタ様、小説家になろう様でも投稿しています。

異世界遺跡巡り ~ロマンを求めて異世界冒険~

小狸日
ファンタジー
交通事故に巻き込まれて、異世界に転移した拓(タク)と浩司(コウジ) そこは、剣と魔法の世界だった。 2千年以上昔の勇者の物語、そこに出てくる勇者の遺産。 新しい世界で遺跡探検と異世界料理を楽しもうと思っていたのだが・・・ 気に入らない異世界の常識に小さな喧嘩を売ることにした。

知識スキルで異世界らいふ

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
他の異世界の神様のやらかしで死んだ俺は、その神様の紹介で別の異世界に転生する事になった。地球の神様からもらった知識スキルを駆使して、異世界ライフ

【完結】転生したら最強の魔法使いでした~元ブラック企業OLの異世界無双~

きゅちゃん
ファンタジー
過労死寸前のブラック企業OL・田中美咲(28歳)が、残業中に倒れて異世界に転生。転生先では「セリア・アルクライト」という名前で、なんと世界最強クラスの魔法使いとして生まれ変わる。 前世で我慢し続けた鬱憤を晴らすかのように、理不尽な権力者たちを魔法でバッサバッサと成敗し、困っている人々を助けていく。持ち前の社会人経験と常識、そして圧倒的な魔法力で、この世界の様々な問題を解決していく痛快ストーリー。

処理中です...