空を翔ける鷲医者の異世界行診録

川原源明

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第6章 ヴァルメリア

第45話 坑道の闇を裂く

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 バルグの一撃で戦場は完全に混乱した。

 石床を砕く轟音と共に、坑道内の空気が一変する。松明の炎が揺れ、影が壁を這うように走る。破片が四方に飛び散り、作業していた黒装束たちが慌てて身を伏せる。黒装束たちは即座に武器を構え、広間の至る所から怒号が上がった。

 精製作業は完全に中断され、装置から立ち上る蒸気も一時的に止まった。しかし、敵の反応は素早く、訓練された部隊であることが分かる。

 俺は天井すれすれまで舞い上がる――が、すぐに違和感を覚えた。

 視界の端で、複数の縄が垂れ下がっている。最初は単なる古い鉱山設備の残骸かと思ったが、その配置が意図的すぎる。次の瞬間、その縄が引かれ、天井近くの小石や木材が一斉に落下してきた。狙いは空を飛ぶ俺。翼を狭め、わずか数寸の距離で回避する。

 落下物は予想以上に多く、回避するのがやっとだった。石の破片が翼を掠め、羽毛が数本舞い散る。

「チッ……罠か」

 敵は俺の飛行能力を完全に計算に入れていた。天井に沿って張られた縄網や重石は、飛行経路を制限するだけでなく、急降下や上昇を阻害する。狭所での機動力が奪われた。

 これまでの戦いで俺の戦術を分析し、対策を講じてきたのだ。地上戦での経験しかない敵ではない。



 バルグは正面突破を試みるが、坑道脇から新手が飛び出す。

 側道の奥に潜んでいたらしく、火薬を詰めた小樽を転がしてきた。樽は坂道を勢いよく転がり、バルグの足元を狙っている。火花が散る――

「下がれ!」

 俺は翼で強い風を起こし、火花を吹き消す。火薬に引火すれば、坑道内の狭い空間では全員が危険にさらされる。爆発を未然に防ぐことができたが、煙の匂いが鼻を突き、坑道内に焦燥感が広がった。

 敵は火薬という危険な武器すら躊躇なく使用する。自分たちも巻き込まれる可能性があるにも関わらず、それだけ追い詰められているということだろう。

 リィナは装置に向かおうとするが、その前に盾を持った二人組が立ちはだかる。

 盾兵は重装備で、薬剤の投入を阻止するために配置されているようだ。毒物の拡散を防ぐための薬剤を持つ彼女を、敵は最優先で阻止している。彼女の薬学知識が、敵にとって最大の脅威であることを理解しているのだ。

「どけぇっ!」

 バルグが戦斧を振り回し、盾兵を弾き飛ばす。しかし、その隙をついて、刺青の男が動いた。

 男の動きは静かで計算されており、混乱の中でも冷静さを保っている。明らかに指揮官としての経験と能力を持った相手だ。



 奴はゆっくりと、しかし迷いなく歩み出てくる。

 肩から腕にかけて黒い羽根の刺青が浮かび、松明の光を受けてうねるように揺れる。刺青は単なる装飾ではなく、黒羽同盟での地位を示すものでもあるようだ。その目は獣じみた冷徹さを帯び、まっすぐに俺を射抜いた。

「……翼持ち。港で見かけたな」

 声は低く、抑揚が少ない。だが、その一言に嘲りが混じっているのを感じた。俺への敵意というより、単純な職業的な関心のようにも聞こえる。

 奴は長柄の鉤爪武器を構える。穂先が曲がり、絡め取るための返しが幾重にもついている――明らかに飛行する相手を地に引きずり落とすための武器だ。

 武器の造りは精巧で、翼を持つ敵との戦闘を前提に設計されている。俺のような存在と戦った経験があるか、少なくとも対策を十分に研究している証拠だ。

 俺は急降下し、鋭い爪で奴の肩を狙う。しかし、刺青の男は身体をわずかに傾け、鉤爪で俺の足首を引っ掛けた。

 反応速度が異常に速い。俺の攻撃を予測し、カウンターを仕掛けてきた。

「ぐっ……!」

 視界が傾き、石床が迫る。寸前で翼を広げ、衝撃を殺す。だが、足首に絡む鎖が俺を地面へ縛り付ける。鎖は鉤爪武器に接続されており、一度絡まれると簡単には外れない仕組みになっている。



 「お前の機動力が無ければ、ただの獣だ」

 刺青の男が鎖を引き、俺を自分の間合いに引きずり込む。

 間合いの内側は鉤爪の世界。受け流せば鎖が絡み、踏み込めば返しが肉を裂く。武器の特性を熟知した戦い方で、俺の動きを完全に封じようとしている。

 バルグが割って入ろうとするが、奥の坑道から増援が押し寄せてきて足止めされる。リィナも再び盾兵に阻まれ、装置への接近が遠のく。

 状況は刻一刻と悪化している。時間が経てば経つほど、敵に有利になっていく。

 その時、精製炉の管の一部が赤く染まり始めた。

 金属が熱で変色し、危険な状態に達している証拠だ。装置は限界を超えて稼働しており、いつ暴走してもおかしくない。

「……加熱しすぎだ!」

 リィナの叫びで、状況の危険度が跳ね上がる。過熱によって薬液が変質し、毒霧が発生する危険がある。あと数分で、坑道全体が地獄になる。

 毒霧が発生すれば、敵も味方も関係なく全員が犠牲になる。これは戦闘の勝敗を超えた緊急事態だった。



 俺は全力で翼を広げ、鎖を引きちぎる。

 翼の筋肉に激痛が走るが、この状況では贅沢は言っていられない。鱗の下で筋肉が悲鳴を上げ、鉄が軋む音と共に繋ぎが外れた。鎖の一部が切れ、ようやく自由を取り戻す。

 刺青の男が再び構えるが、俺は距離を取り、リィナの進路を開くよう敵の頭上を風圧で薙ぎ払う。

 翼を大きく羽ばたかせ、坑道内に突風を起こす。粉塵と煙が舞い、敵が視界を奪われた一瞬――リィナが薬剤を装置に投げ込んだ。

 彼女の投擲は正確で、薬剤の小瓶が装置の中央部に命中する。ガラスが砕け、薬液が混ざる。化学反応で白煙が立ち上り、毒液は無力化されていく。

 装置の温度も急速に下がり始め、危険な状態からは脱した。リィナの薬学知識が、最悪の事態を回避してくれた。



 しかし、刺青の男は余裕を失わない。

 装置の無力化を確認しても、慌てることなく冷静に状況を判断している。そして、何かを決断したような表情を浮かべた。

「……今回は見逃してやる」

 奥の坑道からの増援に合流し、そのまま暗闇の奥へ消えていった。

 撤退の指示は的確で、部下たちも迷いなく従う。訓練された部隊としての統制を保ったまま、闇の中に姿を消していく。追うこともできたが、装置の冷却が最優先だ。俺たちは深追いを諦めた。

 廃坑には複数の出口があり、追跡は困難だろう。また、罠が仕掛けられている可能性もある。

 金属音が遠ざかり、坑道内に静寂が戻る。だが、その静けさは勝利の証ではない。

 装置は破壊できたが、肝心の敵は逃がしてしまった。奴は逃げた――そして必ず、次の脅威を持って戻ってくる。

 俺は歯を食いしばり、消えた坑道の闇を睨み続けた。

 バルグとリィナも同様に、完全な勝利ではないことを理解している。今回の戦いは一つの毒物製造施設を破壊しただけで、黒羽同盟という組織自体は健在だ。

「装置は破壊できた。でも、これで終わりじゃない」

 リィナが装置の残骸を確認しながら言った。彼女の表情には安堵と共に、新たな懸念も浮かんでいる。

「ああ。奴らは必ず別の場所で活動を再開する」

 バルグも同意見だった。黒羽同盟の執念深さを考えれば、この程度の敗北で諦めるはずがない。

 俺たちは坑道を出て、夜の山道を港町へ向かった。今夜の戦いは終わったが、本当の戦いはまだ続いている。次はどこで、どのような形で敵が現れるのか――それを考えると、安らかな眠りは遠いものに感じられた。

 しかし、今夜は確実に多くの人命を救うことができた。それだけでも、戦い続ける価値はあるのだろう。仲間と共に歩く帰路で、俺はそう自分に言い聞かせていた。
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