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第7章
第46話 静寂の港、忍び寄る影
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港町に戻ったのは夜明け前だった。
廃坑からの山道は暗く、冷え切った空気が疲労した身体に容赦なく突き刺さる。足元の石ころが疲労で重くなった足に響き、一歩一歩が辛い道のりだった。遠く東の空がわずかに白み始め、港の灯台の明かりが霧の向こうにぼんやり浮かんでいる。
町はまだ眠りの中にあり、早朝の静寂が支配していた。漁師たちですら動き出すには早い時間で、街道には俺たち以外の人影は見当たらない。しかし、その静けさが逆に不安を煽る。黒羽同盟の影がどこに潜んでいるか分からない状況では、静寂も脅威に感じられた。
俺たちは宿の裏口から入り、人目を避けるように部屋へ直行した。
宿の廊下は古い木材が軋み、音を立てないよう慎重に歩かなければならない。他の宿泊客を起こさないよう配慮するのもあるが、何より黒羽同盟に居場所を特定されることを避けたかった。足を踏み入れた瞬間、全員の肩から力が抜ける。戦闘での緊張と夜通しの移動で、身体は鉛のように重かった。
部屋の中は薄暗く、外からの微かな明かりだけが差し込んでいる。俺は翼を畳んで床に座り込み、バルグは壁に背を預けて戦斧を横に置いた。リィナは疲労を感じさせずに荷物の整理を始めているが、その動きもいつもより緩慢だ。
「……とりあえず、座って。あなたたち二人、まだ毒の残留があるわ」
リィナが荷物から解毒用の粉末を取り出し、湯に溶かす。
彼女の薬師としての感覚は鋭く、微量の毒素も見逃さない。廃坑での戦闘中に吸い込んだ毒性の煙や、装置から漏れた化学物質が体内に残留している可能性があるのだ。湯気と共に立ち上る香草の匂いが、血と土と汗の混じった匂いを押し流していく。
バルグは豪快にその湯をあおり、俺は慎重に喉を潤した。
液体は苦く、薬草特有の強い味がするが、身体に染み渡る温かさは確実に疲労を和らげてくれる。胃の奥まで温かさが届くと、ようやく生き返った気がする。血行も良くなり、硬直していた筋肉が少しずつほぐれていく。
◆
「しかし……あの刺青の男、手ごわかったな」
バルグが腕を組み、険しい顔で言った。
俺も頷く。あの戦闘は、完全に相手の土俵だった。狭い坑道内では俺の飛行能力は制限され、敵の罠や武器によってさらに動きが封じられた。奴の武器も罠も、俺の動きを封じることを目的に作られていた。
「次は、もっと厄介な仕掛けを持ってくるわね。ああいう相手は、負けた分だけ必ず研究してくる」
リィナの言葉は淡々としているが、そこに含まれる危機感は重い。
廃坑を潰したことで、奴らの計画は一時的に後退したはずだ。しかし、黒羽同盟という組織の執念深さを考えれば、今回の敗北は次の攻撃への学習材料として活用されるだろう。だが、それは同時に、次の計画がより周到に準備されることを意味している。
俺の戦闘スタイル、バルグの武器、リィナの薬学知識――すべてが分析され、対策が講じられるはずだ。次の戦いは、今回以上に困難になることは間違いない。
「俺たちも戦術を変える必要があるな」
俺は翼の状態を確認しながら言った。戦闘で負った小さな傷はあるが、大きな損傷はない。しかし、相手が対策を立ててくる以上、こちらも新しい戦法を考えなければならない。
◆
少し休んだ後、港の衛兵隊本部に向かった。
朝の港町は徐々に活気を取り戻し始めている。早起きの商人たちが店の準備を始め、漁師たちが海の様子を確認している。しかし、港封鎖の影響で活動は制限されており、普段の賑わいには程遠い状況だった。
廃坑から持ち帰った証拠――薬品の残滓と黒羽同盟の印が刻まれた木箱の一部――を引き渡すためだ。
証拠品は慎重に梱包し、毒性の残留がないよう処理してある。これらは黒羽同盟の活動を立証する重要な物的証拠であり、今後の捜査にも役立つはずだ。
衛兵隊長は険しい顔でそれを受け取り、すぐに封印手続きを始めた。
「これで港の警備をさらに強化できる」と彼は言ったが、その声には安堵よりも警戒の色が濃かった。
隊長の表情を見ると、港の状況が依然として厳しいことが分かる。封鎖による経済的な損失も深刻で、市民からの不満も高まっている。しかし、黒羽同盟の脅威を考えれば、警備を緩めるわけにはいかない。
「……気をつけろ。今朝方、港の外れで妙な噂を聞いた。黒い外套の連中が夜明け前に荷馬車を三台も出していったそうだ」
俺たちは顔を見合わせた。
廃坑を潰した直後に別ルートの動き――これは偶然ではない。黒羽同盟は複数の計画を並行して進めており、一つが潰されても他で補完する仕組みを持っているのだ。
「三台ということは、相当な量の物資を運んでいるな」
バルグが眉をひそめる。荷馬車三台分の物資といえば、小規模な軍隊を装備できる量だ。それが黒羽同盟の手に渡ったとすれば、事態は深刻だ。
「行き先の心当たりはあるか?」
俺が隊長に尋ねると、彼は首を振った。港の外れから出発した荷馬車の行き先を追跡するのは困難で、既に手遅れかもしれない。
◆
宿に戻ると、テーブルの上に小さな包みが置かれていた。
部屋に入った瞬間、俺たちは警戒した。誰も入った形跡はないのに、確かにそこにある。窓は閉まっており、鍵もかかっている。ドアも俺たちが出る時と同じ状態だった。
包みは黒い布で丁寧に包まれており、見るからに不吉な雰囲気を醸し出している。大きさは手のひら程度で、中に何が入っているかは外からでは分からない。
包みを開くと、中には黒い羽根と短い文――
> 「港は安全だと思うか? 次は、お前たちの背後から。」
文字は丁寧な筆跡で書かれており、急いで殴り書きしたものではない。計画的に準備された挑戦状のようなものだろう。黒い羽根は本物のカラスの羽根で、黒羽同盟の象徴として使われているものだ。
冷たい殺気が紙面から立ち上り、部屋の空気が重く沈んだ。
この脅迫状は、俺たちの居場所が完全に把握されていることを意味している。いつでも攻撃できる状況にありながら、あえて警告を送ってきたのだ。
報復はもう始まっている。
廃坑での戦いは終わったが、それは新たな戦いの始まりでもあった。港町が眠りから覚める頃、すでに影は背後に迫っているのだ。
「宿を変えるべきかもしれないな」
バルグが提案したが、リィナは首を振った。
「場所を変えても、連中は必ず見つけ出す。それなら、ここで迎え撃った方がいい」
彼女の判断は的確だった。逃げ回るよりも、準備を整えて戦いに臨む方が賢明だろう。
俺は窓の外を見ながら、港町の風景を眺めた。平和な朝の光景だが、その下に暗い影が蠢いているのを感じる。次の戦いは、これまで以上に厳しいものになるだろう。
しかし、仲間がいる限り、どんな困難も乗り越えられるはずだ。俺はそう信じて、新たな戦いへの準備を始めた。
廃坑からの山道は暗く、冷え切った空気が疲労した身体に容赦なく突き刺さる。足元の石ころが疲労で重くなった足に響き、一歩一歩が辛い道のりだった。遠く東の空がわずかに白み始め、港の灯台の明かりが霧の向こうにぼんやり浮かんでいる。
町はまだ眠りの中にあり、早朝の静寂が支配していた。漁師たちですら動き出すには早い時間で、街道には俺たち以外の人影は見当たらない。しかし、その静けさが逆に不安を煽る。黒羽同盟の影がどこに潜んでいるか分からない状況では、静寂も脅威に感じられた。
俺たちは宿の裏口から入り、人目を避けるように部屋へ直行した。
宿の廊下は古い木材が軋み、音を立てないよう慎重に歩かなければならない。他の宿泊客を起こさないよう配慮するのもあるが、何より黒羽同盟に居場所を特定されることを避けたかった。足を踏み入れた瞬間、全員の肩から力が抜ける。戦闘での緊張と夜通しの移動で、身体は鉛のように重かった。
部屋の中は薄暗く、外からの微かな明かりだけが差し込んでいる。俺は翼を畳んで床に座り込み、バルグは壁に背を預けて戦斧を横に置いた。リィナは疲労を感じさせずに荷物の整理を始めているが、その動きもいつもより緩慢だ。
「……とりあえず、座って。あなたたち二人、まだ毒の残留があるわ」
リィナが荷物から解毒用の粉末を取り出し、湯に溶かす。
彼女の薬師としての感覚は鋭く、微量の毒素も見逃さない。廃坑での戦闘中に吸い込んだ毒性の煙や、装置から漏れた化学物質が体内に残留している可能性があるのだ。湯気と共に立ち上る香草の匂いが、血と土と汗の混じった匂いを押し流していく。
バルグは豪快にその湯をあおり、俺は慎重に喉を潤した。
液体は苦く、薬草特有の強い味がするが、身体に染み渡る温かさは確実に疲労を和らげてくれる。胃の奥まで温かさが届くと、ようやく生き返った気がする。血行も良くなり、硬直していた筋肉が少しずつほぐれていく。
◆
「しかし……あの刺青の男、手ごわかったな」
バルグが腕を組み、険しい顔で言った。
俺も頷く。あの戦闘は、完全に相手の土俵だった。狭い坑道内では俺の飛行能力は制限され、敵の罠や武器によってさらに動きが封じられた。奴の武器も罠も、俺の動きを封じることを目的に作られていた。
「次は、もっと厄介な仕掛けを持ってくるわね。ああいう相手は、負けた分だけ必ず研究してくる」
リィナの言葉は淡々としているが、そこに含まれる危機感は重い。
廃坑を潰したことで、奴らの計画は一時的に後退したはずだ。しかし、黒羽同盟という組織の執念深さを考えれば、今回の敗北は次の攻撃への学習材料として活用されるだろう。だが、それは同時に、次の計画がより周到に準備されることを意味している。
俺の戦闘スタイル、バルグの武器、リィナの薬学知識――すべてが分析され、対策が講じられるはずだ。次の戦いは、今回以上に困難になることは間違いない。
「俺たちも戦術を変える必要があるな」
俺は翼の状態を確認しながら言った。戦闘で負った小さな傷はあるが、大きな損傷はない。しかし、相手が対策を立ててくる以上、こちらも新しい戦法を考えなければならない。
◆
少し休んだ後、港の衛兵隊本部に向かった。
朝の港町は徐々に活気を取り戻し始めている。早起きの商人たちが店の準備を始め、漁師たちが海の様子を確認している。しかし、港封鎖の影響で活動は制限されており、普段の賑わいには程遠い状況だった。
廃坑から持ち帰った証拠――薬品の残滓と黒羽同盟の印が刻まれた木箱の一部――を引き渡すためだ。
証拠品は慎重に梱包し、毒性の残留がないよう処理してある。これらは黒羽同盟の活動を立証する重要な物的証拠であり、今後の捜査にも役立つはずだ。
衛兵隊長は険しい顔でそれを受け取り、すぐに封印手続きを始めた。
「これで港の警備をさらに強化できる」と彼は言ったが、その声には安堵よりも警戒の色が濃かった。
隊長の表情を見ると、港の状況が依然として厳しいことが分かる。封鎖による経済的な損失も深刻で、市民からの不満も高まっている。しかし、黒羽同盟の脅威を考えれば、警備を緩めるわけにはいかない。
「……気をつけろ。今朝方、港の外れで妙な噂を聞いた。黒い外套の連中が夜明け前に荷馬車を三台も出していったそうだ」
俺たちは顔を見合わせた。
廃坑を潰した直後に別ルートの動き――これは偶然ではない。黒羽同盟は複数の計画を並行して進めており、一つが潰されても他で補完する仕組みを持っているのだ。
「三台ということは、相当な量の物資を運んでいるな」
バルグが眉をひそめる。荷馬車三台分の物資といえば、小規模な軍隊を装備できる量だ。それが黒羽同盟の手に渡ったとすれば、事態は深刻だ。
「行き先の心当たりはあるか?」
俺が隊長に尋ねると、彼は首を振った。港の外れから出発した荷馬車の行き先を追跡するのは困難で、既に手遅れかもしれない。
◆
宿に戻ると、テーブルの上に小さな包みが置かれていた。
部屋に入った瞬間、俺たちは警戒した。誰も入った形跡はないのに、確かにそこにある。窓は閉まっており、鍵もかかっている。ドアも俺たちが出る時と同じ状態だった。
包みは黒い布で丁寧に包まれており、見るからに不吉な雰囲気を醸し出している。大きさは手のひら程度で、中に何が入っているかは外からでは分からない。
包みを開くと、中には黒い羽根と短い文――
> 「港は安全だと思うか? 次は、お前たちの背後から。」
文字は丁寧な筆跡で書かれており、急いで殴り書きしたものではない。計画的に準備された挑戦状のようなものだろう。黒い羽根は本物のカラスの羽根で、黒羽同盟の象徴として使われているものだ。
冷たい殺気が紙面から立ち上り、部屋の空気が重く沈んだ。
この脅迫状は、俺たちの居場所が完全に把握されていることを意味している。いつでも攻撃できる状況にありながら、あえて警告を送ってきたのだ。
報復はもう始まっている。
廃坑での戦いは終わったが、それは新たな戦いの始まりでもあった。港町が眠りから覚める頃、すでに影は背後に迫っているのだ。
「宿を変えるべきかもしれないな」
バルグが提案したが、リィナは首を振った。
「場所を変えても、連中は必ず見つけ出す。それなら、ここで迎え撃った方がいい」
彼女の判断は的確だった。逃げ回るよりも、準備を整えて戦いに臨む方が賢明だろう。
俺は窓の外を見ながら、港町の風景を眺めた。平和な朝の光景だが、その下に暗い影が蠢いているのを感じる。次の戦いは、これまで以上に厳しいものになるだろう。
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