空を翔ける鷲医者の異世界行診録

川原源明

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第7章

第48話 二つの脅威

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 翌朝、港町は異様な空気に包まれていた。

 いつもなら活気に満ちているはずの港町だが、今朝は住民たちの表情に不安の色が濃く浮かんでいる。街角では人々がひそひそ話をしており、昨夜から今朝にかけて複数の住民が体調不良を訴えているという噂が広まっていた。市場に並ぶ魚の匂いの中に、微かに腐敗と薬草が混じったような臭気が漂っている。昨日の樽と同じ匂いだ。

 風向きによってその臭いの濃度が変わり、海からの風が強いときほど強く感じられる。明らかに海が感染源になっており、港全体が汚染されつつあることを示している。

 港の桟橋近くでは、立て続けに三人の漁師が倒れたという報せが走り、衛兵と町医師が慌ただしく駆け回っていた。

 倒れた者は皆、発熱と呼吸困難、そして皮膚に小さな紅斑が現れている。症状は昨日の男と同じで、感染症であることは間違いない。しかも、症状の進行が早く、適切な治療を受けなければ命に関わる状態だった。

 町医師は感染症の専門知識に乏しく、対処に苦慮している様子だった。薬も限られており、根本的な治療法が見つからない状況が続いている。

「……間違いない。感染症よ」

 リィナの声は低く、しかし確信に満ちていた。

「症状が進めば命に関わるわ。今すぐ隔離を始めないと」

 彼女の薬師としての知識が、事態の深刻さを正確に把握している。このまま放置すれば、港町全体が感染症で壊滅する可能性もある。

 だが、港町の構造は感染対策には向かない。家々は密集し、井戸水や市場の共同施設を多くの住民が共有している。

 古い港町の特徴として、建物が密集しており、住民同士の接触も頻繁だ。隔離施設も限られており、感染拡大を防ぐのは非常に困難な状況だった。たった数日で町全体に広がる危険があった。

 水源の管理も難しく、井戸水が汚染されれば一気に感染が拡大する恐れもある。



 その時、港の西門から衛兵が駆け込んできた。

「西の防波堤で火事だ! 倉庫が燃えている!」

 衛兵の声は緊迫しており、火災の規模が大きいことが分かる。しかし、このタイミングでの火災は偶然とは思えない。

 俺たちは顔を見合わせる。

 火事は明らかにこのタイミングを狙った陽動だ。港の警備力を分散させれば、敵は別の場所で好きなように動ける。感染症対応で手一杯の状況に、さらに火災という新たな危機を加えることで、町の対応能力を完全に麻痺させる狙いだろう。

「どうする?」とバルグが低く問う。

 俺は一瞬だけ迷い、すぐに答えた。

「リィナは港の中心に残って感染源を封じろ。俺とバルグは火事の現場を押さえる」

 分かれて行動するのは危険だが、両方を放置すれば港は壊滅する。

 リィナの薬学知識は感染症対策には欠かせないし、俺とバルグの戦闘力は黒羽同盟の動きを阻止するのに必要だ。苦渋の選択だが、他に方法はない。

「気をつけて。これは連中の仕掛けた罠よ」

 リィナの警告を背に、俺とバルグは火災現場へ向かった。



 火事の現場はすでに炎に包まれていた。

 倉庫の建物は古い木造で、火の回りが早い。炎は屋根を突き破り、黒煙が空高く立ち上っている。風下には民家があり、このままでは延焼は避けられない。消火活動も困難で、衛兵たちが必死に周辺住民の避難誘導を行っている。

 だが、火の勢いに不釣り合いなほど、煙の中から人影が走り回っているのが見えた。

 普通なら火災現場から逃げるはずだが、その人影たちは逆に建物の中に入っていく。明らかに不自然な動きで、何かの目的を持っている。

「……荷物を運び出してやがる」

 バルグが戦斧を握り直す。

 炎の陰で、黒羽同盟の黒外套がちらついた。奴らは火を陽動に使い、港に残された何かを奪って逃げようとしている。恐らく隠していた物資か、重要な証拠品を回収しているのだろう。

 俺たちは煙を突き抜け、逃走経路を塞いだ。

 炎と煙で視界は悪いが、敵の動きは予測できる。建物の裏手に回り込み、逃走ルートを遮断する作戦だ。

 だが、その瞬間、港の中央方向から鐘の音が鳴り響く。

 ――緊急警報だ。町のどこかで新たに人が倒れたという合図。

 鐘の音は町全体に響き渡り、住民たちの不安を一層高めている。感染症の拡大が加速しているようで、リィナ一人では対処しきれない状況になっている可能性がある。

 俺は煙と炎の中で息を呑む。

 港町は今、二つの脅威に同時に晒されている。どちらか一方を取り逃がせば、壊滅は免れない。

 感染症が拡大すれば住民の命が危険にさらされ、黒羽同盟の工作を阻止できなければ更なる攻撃を受ける恐れがある。しかも、人手が不足している状況では、両方に完全に対処するのは不可能に近い。

 そして、黒羽同盟はそれを計算ずくで仕掛けてきているのだ。

 敵の戦略は巧妙で、港町の弱点を的確に突いている。感染症という見えない敵と、火災という目に見える脅威を同時に仕掛けることで、守備側の対応能力を超える攻撃を展開している。

「バルグ、俺は空から敵を追う。お前は地上で挟み撃ちにしろ」

 俺は翼を広げ、煙の上に舞い上がった。上空からなら敵の動きが把握しやすく、逃走を阻止できる可能性が高い。

 しかし、港の中央から響く警報の音が気になって仕方がない。リィナが一人で感染症に立ち向かっている状況で、果たして大丈夫なのだろうか。

 時間との勝負だった。一刻も早く火災現場の敵を制圧し、感染症対策に戻らなければならない。港町の運命は、この数時間で決まるかもしれなかった。

 炎と煙の中で、新たな戦いが始まろうとしていた。これまでで最も困難な戦いになることは間違いない。しかし、住民の命を守るために、俺たちは戦い続けるしかなかった。
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