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第7章
第52話 潜む波の向こうに
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数時間の仮眠で体力はある程度戻った。
深い眠りではなかったが、戦闘で消耗した体力は回復している。翼の筋肉痛も和らぎ、再び飛行することも可能だろう。しかし、部屋の扉を叩く音がその回復を待たずに俺を現実に引き戻す。
扉を叩く音は緊急性を帯びており、ただ事ではないことが分かる。
「起きて! 緊急事態よ!」
リィナの声だ。
彼女の声には普段の冷静さはなく、明らかに動揺している。これまでの経験から、相当な事態が発生したことは間違いない。
慌てて外に出ると、港の西側から衛兵が樽を一つ抱えて走ってきた。
衛兵は息を切らしており、かなりの距離を走ってきたようだ。それは先ほど拿捕した半潜航船の物と同じ形だったが、外板は焼け焦げ、内部の液体は半分以上が海水に混じって薄まっている。
樽の状態を見ると、海中で何らかの変化が起きていることが分かる。単純に漂流していただけではない異常さがある。
「今朝、沿岸警備隊が沖で発見したんです。沈んだはずの樽が潮に乗って戻ってきたと」
衛兵の報告は深刻だった。昨日回収したと思っていた汚染源が、まだ海に残っているということになる。
リィナが素早く検分する。
彼女は手袋をはめて慎重に樽を調べ、液体の状態や魔術刻印の活性を確認している。液体の匂いは薄れているものの、魔術刻印はまだ生きていた。魔力を帯びた淡い光が水晶板の縁を走り、何かを呼び起こそうとしている。
海水で薄まっても魔術的な効果は持続しており、これが海に拡散すれば広範囲の汚染につながる恐れがある。
「……これは回収しきれていなかった分ね」
「つまり、まだ海のどこかに残ってるってことか」
バルグが唸る。
半潜航船の拿捕で全て回収したと思っていたが、現実は違った。敵の作戦は俺たちの想像以上に大規模で、複数のルートで汚染物質が散布されていたのだ。
一隻の船だけで全てを運んでいたわけではなく、他にも汚染源が存在することが明らかになった。
◆
同じ頃、港の北側で別の異変が起きていた。
海鳥の群れが一斉に飛び去り、水面に何か黒い影が浮かんでいるという報告が入った。普段なら海鳥で賑わう海域が、今は不気味な静寂に包まれている。動物の本能が危険を察知しているのだろう。
「調査に行くわよ」
リィナは即座に衛兵を数名引き連れ、港を出た。
彼女の判断は迅速で、事態の重要性を即座に理解している。このような異常事態では、迅速な調査と対応が被害拡大を防ぐ鍵となる。
俺も上空からついていくと、やがて視界に黒い浮遊物が現れた。
最初は大きな海藻の塊かと思ったが、近づくにつれてその正体が明らかになる。それは樽ではなく――沈没船の残骸だった。
舷側には黒羽同盟の紋章があり、船体の半分は破壊されている。木材は海水に浸かって黒く変色し、帆は破れてぼろぼろになっている。しかし、船体の構造から判断すると、比較的新しい沈没のようだ。
残骸の隙間からは、例の魔術樽がいくつも見えていた。
船の貨物室に積まれていた樽が、沈没後も船体に引っかかって残っているのだ。潮流でゆっくりと漂っており、時間が経てば港に流れ着くのは確実だ。
「こりゃ……沈んだフリして捨てやがったな」
バルグの言葉通り、これは意図的な廃棄だ。拿捕を免れたもう一隻が、追跡を振り切るために物資を切り捨てたのだろう。
船の破壊状況を見ると、爆薬で意図的に沈没させた可能性が高い。証拠隠滅と追跡妨害を兼ねた狡猾な手段だった。
◆
回収作業の最中、リィナが一つの水晶板を取り出し、魔術の光を読み取っていた。
彼女は魔術についても相当な知識を持っており、複雑な魔術刻印の意味を解読することができる。水晶板に刻まれた文様を注意深く観察し、その機能を分析している。そして、眉をひそめる。
「……これ、位置情報を発してるわ」
「位置情報?」
「樽同士が魔術的に同期してる。発信源を辿れば、製造拠点が分かるかもしれない」
それは大きな手がかりだった。
魔術的なネットワークで樽同士が連携しているなら、その大元を突き止めることで黒羽同盟の拠点を発見できる可能性がある。黒羽同盟がこの魔術樽をどこで作っているのかが分かれば、根本的に計画を潰せる。
単発的な対処ではなく、根本解決への道筋が見えてきた。
「ただし、発信源は沖のさらに向こう……島か、沿岸拠点の可能性が高いわね」
リィナの視線が俺に向く。
「……飛ぶしかないでしょ?」
確かに、海の向こうの拠点を調査するには俺の飛行能力が必要だ。船では時間がかかりすぎるし、敵に察知される可能性も高い。
バルグがにやりと笑う。
「おい、また強制着水するんじゃねえぞ」
「だからあれは墜落じゃないって言ってるだろ!」
こんな緊迫した場面でも、なぜか俺だけ事故扱いされるのは納得いかない。
あの時は戦術的な着水であり、決して操縦ミスではない。それなのに仲間たちは揶揄することを忘れない。だが、冗談を交わせるのも、仲間がいるからだ。
この軽口の裏には、互いへの信頼と心配が込められている。緊張した状況だからこそ、こうしたやり取りが心の支えになる。
◆
こうして、俺は再び海へ飛び立つことになった。
今度は単なる偵察ではなく、敵の本拠地への潜入調査だ。危険度は格段に高いが、港町を守るためには避けて通れない任務だった。
目的はただ一つ――黒羽同盟の拠点を見つけ出し、汚染計画を根こそぎ潰すことだ。
翼を広げて上昇気流を捉え、高度を上げていく。眼下の港町が小さくなり、広大な海原が視界に広がる。
水平線の向こうに、薄く影のような陸地が見えた。
距離感から判断すると、かなり遠くにある島のようだ。あれが目的地なのか、それとも罠か……。黒羽同盟なら、俺たちの行動を予測して待ち伏せを仕掛けている可能性もある。
港の上空で一度振り返る。
リィナとバルグがこちらを見上げ、頷いた。
二人の表情には不安もあるが、それ以上に信頼が込められている。俺の無事帰還を信じて、港の守りを任せてくれているのだ。
俺は翼を強く羽ばたかせ、未知の海域へと向かった。
波間の風は冷たく、しかし俺の胸は熱かった。仲間への想いと、港町を守る決意が俺を支えている。
――黒羽同盟の牙城に、風穴を開けてやる。
海風に乗って飛び続ける俺の前に、次第に島の輪郭がはっきりと見えてきた。岩だらけの険しい地形で、人が住むには適さない場所のようだ。しかし、だからこそ秘密拠点には最適なのかもしれない。
警戒を怠らず、俺は目標の島へと向かった。この先に待ち受ける危険は予測できないが、仲間を信じて任務を遂行する。港町の平和を取り戻すために、俺は戦い続ける。
深い眠りではなかったが、戦闘で消耗した体力は回復している。翼の筋肉痛も和らぎ、再び飛行することも可能だろう。しかし、部屋の扉を叩く音がその回復を待たずに俺を現実に引き戻す。
扉を叩く音は緊急性を帯びており、ただ事ではないことが分かる。
「起きて! 緊急事態よ!」
リィナの声だ。
彼女の声には普段の冷静さはなく、明らかに動揺している。これまでの経験から、相当な事態が発生したことは間違いない。
慌てて外に出ると、港の西側から衛兵が樽を一つ抱えて走ってきた。
衛兵は息を切らしており、かなりの距離を走ってきたようだ。それは先ほど拿捕した半潜航船の物と同じ形だったが、外板は焼け焦げ、内部の液体は半分以上が海水に混じって薄まっている。
樽の状態を見ると、海中で何らかの変化が起きていることが分かる。単純に漂流していただけではない異常さがある。
「今朝、沿岸警備隊が沖で発見したんです。沈んだはずの樽が潮に乗って戻ってきたと」
衛兵の報告は深刻だった。昨日回収したと思っていた汚染源が、まだ海に残っているということになる。
リィナが素早く検分する。
彼女は手袋をはめて慎重に樽を調べ、液体の状態や魔術刻印の活性を確認している。液体の匂いは薄れているものの、魔術刻印はまだ生きていた。魔力を帯びた淡い光が水晶板の縁を走り、何かを呼び起こそうとしている。
海水で薄まっても魔術的な効果は持続しており、これが海に拡散すれば広範囲の汚染につながる恐れがある。
「……これは回収しきれていなかった分ね」
「つまり、まだ海のどこかに残ってるってことか」
バルグが唸る。
半潜航船の拿捕で全て回収したと思っていたが、現実は違った。敵の作戦は俺たちの想像以上に大規模で、複数のルートで汚染物質が散布されていたのだ。
一隻の船だけで全てを運んでいたわけではなく、他にも汚染源が存在することが明らかになった。
◆
同じ頃、港の北側で別の異変が起きていた。
海鳥の群れが一斉に飛び去り、水面に何か黒い影が浮かんでいるという報告が入った。普段なら海鳥で賑わう海域が、今は不気味な静寂に包まれている。動物の本能が危険を察知しているのだろう。
「調査に行くわよ」
リィナは即座に衛兵を数名引き連れ、港を出た。
彼女の判断は迅速で、事態の重要性を即座に理解している。このような異常事態では、迅速な調査と対応が被害拡大を防ぐ鍵となる。
俺も上空からついていくと、やがて視界に黒い浮遊物が現れた。
最初は大きな海藻の塊かと思ったが、近づくにつれてその正体が明らかになる。それは樽ではなく――沈没船の残骸だった。
舷側には黒羽同盟の紋章があり、船体の半分は破壊されている。木材は海水に浸かって黒く変色し、帆は破れてぼろぼろになっている。しかし、船体の構造から判断すると、比較的新しい沈没のようだ。
残骸の隙間からは、例の魔術樽がいくつも見えていた。
船の貨物室に積まれていた樽が、沈没後も船体に引っかかって残っているのだ。潮流でゆっくりと漂っており、時間が経てば港に流れ着くのは確実だ。
「こりゃ……沈んだフリして捨てやがったな」
バルグの言葉通り、これは意図的な廃棄だ。拿捕を免れたもう一隻が、追跡を振り切るために物資を切り捨てたのだろう。
船の破壊状況を見ると、爆薬で意図的に沈没させた可能性が高い。証拠隠滅と追跡妨害を兼ねた狡猾な手段だった。
◆
回収作業の最中、リィナが一つの水晶板を取り出し、魔術の光を読み取っていた。
彼女は魔術についても相当な知識を持っており、複雑な魔術刻印の意味を解読することができる。水晶板に刻まれた文様を注意深く観察し、その機能を分析している。そして、眉をひそめる。
「……これ、位置情報を発してるわ」
「位置情報?」
「樽同士が魔術的に同期してる。発信源を辿れば、製造拠点が分かるかもしれない」
それは大きな手がかりだった。
魔術的なネットワークで樽同士が連携しているなら、その大元を突き止めることで黒羽同盟の拠点を発見できる可能性がある。黒羽同盟がこの魔術樽をどこで作っているのかが分かれば、根本的に計画を潰せる。
単発的な対処ではなく、根本解決への道筋が見えてきた。
「ただし、発信源は沖のさらに向こう……島か、沿岸拠点の可能性が高いわね」
リィナの視線が俺に向く。
「……飛ぶしかないでしょ?」
確かに、海の向こうの拠点を調査するには俺の飛行能力が必要だ。船では時間がかかりすぎるし、敵に察知される可能性も高い。
バルグがにやりと笑う。
「おい、また強制着水するんじゃねえぞ」
「だからあれは墜落じゃないって言ってるだろ!」
こんな緊迫した場面でも、なぜか俺だけ事故扱いされるのは納得いかない。
あの時は戦術的な着水であり、決して操縦ミスではない。それなのに仲間たちは揶揄することを忘れない。だが、冗談を交わせるのも、仲間がいるからだ。
この軽口の裏には、互いへの信頼と心配が込められている。緊張した状況だからこそ、こうしたやり取りが心の支えになる。
◆
こうして、俺は再び海へ飛び立つことになった。
今度は単なる偵察ではなく、敵の本拠地への潜入調査だ。危険度は格段に高いが、港町を守るためには避けて通れない任務だった。
目的はただ一つ――黒羽同盟の拠点を見つけ出し、汚染計画を根こそぎ潰すことだ。
翼を広げて上昇気流を捉え、高度を上げていく。眼下の港町が小さくなり、広大な海原が視界に広がる。
水平線の向こうに、薄く影のような陸地が見えた。
距離感から判断すると、かなり遠くにある島のようだ。あれが目的地なのか、それとも罠か……。黒羽同盟なら、俺たちの行動を予測して待ち伏せを仕掛けている可能性もある。
港の上空で一度振り返る。
リィナとバルグがこちらを見上げ、頷いた。
二人の表情には不安もあるが、それ以上に信頼が込められている。俺の無事帰還を信じて、港の守りを任せてくれているのだ。
俺は翼を強く羽ばたかせ、未知の海域へと向かった。
波間の風は冷たく、しかし俺の胸は熱かった。仲間への想いと、港町を守る決意が俺を支えている。
――黒羽同盟の牙城に、風穴を開けてやる。
海風に乗って飛び続ける俺の前に、次第に島の輪郭がはっきりと見えてきた。岩だらけの険しい地形で、人が住むには適さない場所のようだ。しかし、だからこそ秘密拠点には最適なのかもしれない。
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