空を翔ける鷲医者の異世界行診録

川原源明

文字の大きさ
53 / 102
第7章

第53話 孤島の牙

しおりを挟む
 島の輪郭が近づくにつれ、潮風の匂いに混じって異質な臭気が漂ってきた。

 最初は潮の匂いに紛れて気づかなかったが、島に近づくほどその異様な匂いは強くなっていく。あの樽から感じたものと同じ、鼻を刺す薬品と腐敗の混じった匂いだ。

 自然の海の匂いとは明らかに異なり、人工的で不快な臭気が立ち込めている。これほど広範囲に匂いが広がっているということは、相当な量の汚染物質がこの島から海に流出していることを示している。

 海面近くを旋回して島の外周を探る。

 島は思っていたより大きく、複雑な地形をしている。表向きはただの岩場と小さな入り江しかないが、潮の流れが不自然に分かれている場所があった。

 波の形からして、岩陰に何か人工構造物――おそらく桟橋や船着き場が隠されている。自然の潮流ではありえない水の動きで、明らかに人の手が加わった証拠だった。

 上空からそっと高度を下げ、岩場の影を覗くと……そこには木造の桟橋と、黒羽同盟の旗を掲げた小型船が数隻並んでいた。

 桟橋は巧妙に岩陰に隠されており、海上からは発見困難な構造になっている。海水の色は港で見た濁った緑に近く、周囲には沈んだ樽がいくつも漂っている。

 船の数から判断すると、かなりの人数がこの島を拠点として活動していることが分かる。しかも、船は皆軍用に近い装備を持っており、ただの隠れ家ではなく本格的な軍事拠点のようだった。

(……やはりここだな)

 さらに島の内陸に目を向けると、険しい崖の上に石造りの建物が並んでいた。

 建物群は要塞のような堅固な造りで、攻略は容易ではなさそうだ。塔のような施設からは白い蒸気が立ち上り、潮風に乗って甘ったるい匂いが漂ってくる――甘味好きの俺でも食欲を失うほど不自然な匂いだ。

 化学的に合成された人工的な甘さで、自然な甘味とは全く異なる不快感がある。あれが魔術汚染の製造工房か。

 施設の周囲は木柵で囲まれ、見張り台には弓兵と魔術師が交互に配置されている。

 警備は厳重で、侵入は困難を極めるだろう。しかも崖下には潮の流れを利用した水車のような仕掛けがあり、そこから海へ汚染液が流れ込んでいた。

 継続的に汚染物質を海に放出する仕組みで、港の汚染が止まらない原因がここにあることは間違いない。

(あれを止めれば港の汚染は大幅に減る……)

 だが今は位置と構造を確認するのが最優先だ。

 正面から突っ込んでも、過去の「強制着水」みたいな結果になるのは目に見えている。敵の準備も万全で、単独での攻撃は自殺行為だろう。

 ……いや、あれは墜落じゃない。繰り返すが戦術的着水だ。

 この期に及んでも、その件だけは譲れない。プライドの問題である。



 島の反対側に回り込み、背後から工房の内部を覗ける場所を探す。

 島の地形は複雑で、様々な角度から観察することで全体像を把握できる。幸い、崖の中腹に開いた洞窟の入り口を見つけた。

 洞窟は自然のもののようだが、入り口付近が人工的に拡張されている。波が打ち寄せては引く度に、洞窟の奥から金属音と人の声が響く。

 作業の音が規則的に聞こえており、かなりの規模で製造活動が行われていることが分かる。

 ほんのわずかな隙間から中を覗くと――そこでは黒外套たちが樽を組み立て、水晶板をはめ込み、液体を注ぎ込んでいた。

 作業は流れ作業になっており、効率的に大量生産を行っている。注ぎ込まれる液体は青白く発光し、魔術師が呪文を唱えると、色が徐々に緑色へと変わっていく。

 魔術的な変化により、液体の性質が変化しているのだろう。製造工程は複雑で、高度な技術と知識が必要なことが分かる。

(あれが汚染液の完成工程……)

 詳細な製造手順を記憶に刻み込み、対策を考える材料とする。目に焼き付け、戻って仲間に報告しようと翼を広げた、その瞬間。

「――上だ! 翼の奴だ!」

 不意に鋭い声が響き、洞窟の奥から黒羽同盟の弓兵が飛び出してきた。

 俺の存在に気づかれてしまった。見張りが交代で配置されており、警戒も厳重だったのだ。矢が数本、岩壁をかすめて飛ぶ。

 射撃の腕は確かで、飛行中の俺を正確に狙ってきている。慌てて上昇すると、今度は崖上から魔術師が詠唱を開始。

 手の中で光の網が広がり、空中の俺を絡め取ろうと迫る。魔術攻撃は物理攻撃よりも回避が困難で、非常に危険だ。

(やっぱり罠か!)

 翼をひねり、網の縁をかすめる形で急旋回。

 魔術の網は予想以上に大きく、回避するのがやっとだった。背後では魔力の網が海面に落ち、バチバチと水飛沫を上げた。

 もし直撃していたら、そのまま強制――いや、本当に墜落していた。今度は間違いなく墜落になるところだった。

「逃がすな! 海に落とせ!」

 矢と光弾が雨のように降り注ぐ。

 島全体から攻撃が集中しており、滞空していれば確実に撃墜される。だが、俺はあえて低空へ潜り込み、波間すれすれを飛んで死角へ消える。

 海面の反射光と波のうねりを利用して、敵の視界から消える戦術だ。低空飛行は危険だが、高空にいるより生存率は高い。



 追手を引き離すため、海面の反射光で姿を紛らわせながら遠ざかる。

 太陽光の反射を利用した擬態で、敵の追跡を困難にする。追撃はしばらく続いたが、やがて視界から島が小さくなっていった。

 島からの攻撃は射程外になり、ようやく安全な距離まで離脱できた。しかし、敵も俺の調査を察知しており、対策を講じてくる可能性がある。

 胸の鼓動がまだ早い。

 戦闘による興奮と緊張で、心拍数が上がったままだ。しかし、工房の位置、警備の様子、そして製造工程の一部――必要な情報は得られた。

 危険な任務だったが、得られた情報は作戦立案に十分役立つだろう。敵の規模と能力も把握でき、今後の戦いに活かせる。

(次は……仲間と一緒に、あそこを潰す)

 単独での攻撃は無謀だが、リィナとバルグと連携すれば勝算はある。それぞれの特技を活かした作戦を立て、確実に敵拠点を制圧する必要がある。

 俺は風を切り、港へ向けて飛び続けた。

 帰路は往路よりも緊張が解けており、飛行も安定している。背後にはまだ冷たい視線を感じる気がしたが、それを振り払うように翼を強く羽ばたかせた。

 港町の明かりが遠くに見えてきた時、俺は安堵のため息をついた。無事に帰還でき、重要な情報を持ち帰ることができた。

 仲間たちが待っている港へ、俺は急いで向かった。今夜は重要な作戦会議になるだろう。黒羽同盟の本拠地を攻略するための、最後の準備が始まる。

 島での発見を詳細に報告し、三人で綿密な計画を立てる必要がある。今度こそ、黒羽同盟の計画を完全に阻止してみせる。

 港の明かりが近づくにつれ、俺の決意も固まっていく。仲間と共に戦い、必ず勝利を収める。港町の平和を取り戻すために、最後の戦いに臨む準備をしよう。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

薬漬けレーサーの異世界学園生活〜無能被験体として捨てられたが、神族に拾われたことで、ダークヒーローとしてナンバーワン走者に君臨します〜

仁徳
ファンタジー
少年はとある研究室で実験動物にされていた。毎日薬漬けの日々を送っていたある日、薬を投与し続けても、魔法もユニークスキルも発動できない落ちこぼれの烙印を押され、魔の森に捨てられる。 森の中で魔物が現れ、少年は死を覚悟したその時、1人の女性に助けられた。 その後、女性により隠された力を引き出された少年は、シャカールと名付けられ、魔走学園の唯一の人間魔競走者として生活をすることになる。 これは、薬漬けだった主人公が、走者として成り上がり、ざまぁやスローライフをしながら有名になって、世界最強になって行く物語 今ここに、新しい異世界レースものが開幕する!スピード感のあるレースに刮目せよ! 競馬やレース、ウマ娘などが好きな方は、絶対に楽しめる内容になっているかと思います。レース系に興味がない方でも、異世界なので、ファンタジー要素のあるレースになっていますので、楽しめる内容になっています。 まずは1話だけでも良いので試し読みをしていただけると幸いです。

異世界に移住することになったので、異世界のルールについて学ぶことになりました!

心太黒蜜きな粉味
ファンタジー
※完結しました。感想をいただけると、今後の励みになります。よろしくお願いします。 これは、今まで暮らしていた世界とはかなり異なる世界に移住することになった僕の話である。 ようやく再就職できた会社をクビになった僕は、不気味な影に取り憑かれ、異世界へと運ばれる。 気がつくと、空を飛んで、口から火を吐いていた! これは?ドラゴン? 僕はドラゴンだったのか?! 自分がドラゴンの先祖返りであると知った僕は、超絶美少女の王様に「もうヒトではないからな!異世界に移住するしかない!」と告げられる。 しかも、この世界では衣食住が保障されていて、お金や結婚、戦争も無いというのだ。なんて良い世界なんだ!と思ったのに、大いなる呪いがあるって? この世界のちょっと特殊なルールを学びながら、僕は呪いを解くため7つの国を巡ることになる。 ※派手なバトルやグロい表現はありません。 ※25話から1話2000文字程度で基本毎日更新しています。 ※なろうでも公開しています。

[完結]異世界転生したら幼女になったが 速攻で村を追い出された件について ~そしていずれ最強になる幼女~

k33
ファンタジー
初めての小説です..! ある日 主人公 マサヤがトラックに引かれ幼女で異世界転生するのだが その先には 転生者は嫌われていると知る そして別の転生者と出会い この世界はゲームの世界と知る そして、そこから 魔法専門学校に入り Aまで目指すが 果たして上がれるのか!? そして 魔王城には立ち寄った者は一人もいないと別の転生者は言うが 果たして マサヤは 魔王城に入り 魔王を倒し無事に日本に帰れるのか!?

【幸せスキル】は蜜の味 ハイハイしてたらレベルアップ

カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
僕の名前はアーリー 不慮な事故で死んでしまった僕は転生することになりました 今度は幸せになってほしいという事でチートな能力を神様から授った まさかの転生という事でチートを駆使して暮らしていきたいと思います ーーーー 間違い召喚3巻発売記念として投稿いたします アーリーは間違い召喚と同じ時期に生まれた作品です 読んでいただけると嬉しいです 23話で一時終了となります

オバちゃんだからこそ ~45歳の異世界珍道中~

鉄 主水
ファンタジー
子育ても一段落した40過ぎの訳あり主婦、里子。 そんなオバちゃん主人公が、突然……異世界へ――。 そこで里子を待ち構えていたのは……今まで見たことのない奇抜な珍獣であった。  「何がどうして、なぜこうなった! でも……せっかくの異世界だ! 思いっ切り楽しんじゃうぞ!」 オバちゃんパワーとオタクパワーを武器に、オバちゃんは我が道を行く! ラブはないけど……笑いあり、涙ありの異世界ドタバタ珍道中。 いざ……はじまり、はじまり……。 ※この作品は、エブリスタ様、小説家になろう様でも投稿しています。

異世界遺跡巡り ~ロマンを求めて異世界冒険~

小狸日
ファンタジー
交通事故に巻き込まれて、異世界に転移した拓(タク)と浩司(コウジ) そこは、剣と魔法の世界だった。 2千年以上昔の勇者の物語、そこに出てくる勇者の遺産。 新しい世界で遺跡探検と異世界料理を楽しもうと思っていたのだが・・・ 気に入らない異世界の常識に小さな喧嘩を売ることにした。

知識スキルで異世界らいふ

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
他の異世界の神様のやらかしで死んだ俺は、その神様の紹介で別の異世界に転生する事になった。地球の神様からもらった知識スキルを駆使して、異世界ライフ

【完結】転生したら最強の魔法使いでした~元ブラック企業OLの異世界無双~

きゅちゃん
ファンタジー
過労死寸前のブラック企業OL・田中美咲(28歳)が、残業中に倒れて異世界に転生。転生先では「セリア・アルクライト」という名前で、なんと世界最強クラスの魔法使いとして生まれ変わる。 前世で我慢し続けた鬱憤を晴らすかのように、理不尽な権力者たちを魔法でバッサバッサと成敗し、困っている人々を助けていく。持ち前の社会人経験と常識、そして圧倒的な魔法力で、この世界の様々な問題を解決していく痛快ストーリー。

処理中です...