空を翔ける鷲医者の異世界行診録

川原源明

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第7章

第51話 海を裂く翼

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 半潜航船はなおも西へ逃げようとしていた。

 船は水面ぎりぎりの低い姿勢で波を切り、普通の船では追跡困難な動きを見せている。しかし、上空からの俺には全ての行動が丸見えだった。しかし、俺は船首の進路を何度も塞ぎ、低空からの急襲で投下作業を完全に中断させる。

 翼を大きく広げて船の前方に回り込み、進路を妨害する戦術を繰り返している。残った黒外套の一人が舵を握って必死に方向を変えるが、その動きは素人に近かった。操舵手は既に海へ落ちたらしい。

 船の動きは不安定で、半潜航船の特殊な操縦技術を持った者がいないのは明らかだった。

「おっと、そっちは行き止まりだぞ」

 船が進んだ先は浅瀬と暗礁の入り組む海域だった。

 この辺りの海は複雑で、地元の漁師でも注意深く航行する必要がある場所だ。航路を知らない者が突っ込めば、船底を削って終わりだ。俺は高度を下げ、翼の端で船首にぶつかる潮風を逆流させる。進路を塞がれた船は大きくきしみ、やがて止まった。

 船体が浅瀬の岩に軽く接触し、それ以上の前進は不可能になっている。完全に行き止まりだった。

 その瞬間、海面から複数の小舟が現れた。

 港から出た衛兵たちだ。計画通りの連携で、俺が船を誘導している間に包囲網を完成させていた。バルグの姿もあり、こちらに向かって戦斧を振り上げる。

「おせーぞ! もう全員海に放り込め!」

 彼の豪快な声が海上に響く。半潜航船の甲板で、最後まで抵抗を続けた黒外套が短剣を抜く。

 だが、上からの急降下でそれを弾き飛ばし、翼の風で相手を転倒させた。あとはバルグが海へ投げ込む。

 バルグの腕力は凄まじく、大の男を軽々と海に放り投げてしまう。黒装束の男は水しぶきを上げて海に落ち、必死に泳いで逃げようとしたが、衛兵たちが網で捕獲した。

 こうして船は無傷で確保された。

 半潜航船の中には重要な証拠が残されている可能性があり、破壊せずに確保できたのは大きな成果だった。



 同じ頃、港の外縁ではリィナが回収作業を指揮していた。

 彼女の指揮能力は戦闘時だけでなく、こうした緊急作業でも発揮される。衛兵たちを的確に配置し、効率的な作業を進めている。

「そこ! 樽は網で引き上げて、絶対に割らないで!」

「ちょ、隊長! これ重すぎます!」

「文句を言わない! 落としたら一週間口きかないわよ!」

 衛兵たちが青ざめた顔で海面から樽を引き上げる。

 リィナの威厳は絶大で、屈強な衛兵たちも彼女の指示には逆らえない。漂流していた樽は予想以上に多く、引き上げるたびに鼻を突く匂いが辺りに広がる。

 作業用の手袋をしていても、液体が染みてくるような気がして誰もが落ち着かない。

 樽の表面には不気味な粘液が付着しており、触れるだけで皮膚がかゆくなるような感覚がある。明らかに普通の液体ではない代物だった。

「……ん? これ、ただの樽じゃないぞ」

 一人の衛兵が声を上げた。樽の内側に金属製の二重構造があり、その間に小型の水晶板が組み込まれている。

 水晶板には、流体に触れると自動で何かを発生させる魔術刻印が刻まれていた。複雑な文様が刻まれており、素人目にも高度な魔術技術が使われていることが分かる。

「魔術仕掛け……感染源を増幅するための装置かも」

 リィナの顔が険しくなる。単なる液体汚染ではなく、海中で作用が変化する仕組みらしい。

 魔術によって病原体の活性が高められたり、増殖速度が加速されたりしている可能性がある。自然界では起こりえない現象を人工的に引き起こしているのだ。

「これは……想像以上に厄介ね」

 リィナは水晶板を詳しく観察し、刻印の意味を解読しようとしている。魔術の知識も豊富で、危険性を正確に把握しようとしていた。



 港へ戻った俺たちは、拿捕した半潜航船と樽の中身を合わせて確認した。

 船の積み荷にはまだ十数個の未使用樽が残っており、それぞれが同じ魔術仕掛けを持っていた。統一された設計で、大量生産されたものであることが分かる。

「こいつは……ただの病原体じゃねえな。魔術で進化させてやがる」

 バルグの言葉は大げさではなかった。

 樽の中の液体は自然界に存在しない反応を起こしており、普通の海水では決して発生しない異臭と色を放っている。魔術的な処理によって、病原体の性質が変化させられているのだ。

 液体の色も時間と共に変化しており、まるで生きているかのような不気味さがある。

 リィナは慎重に一つを密封し、衛兵たちに研究所への搬送を指示した。

 安全な場所で詳細な分析を行い、対策を立てる必要がある。魔術的な汚染に対しては、通常の医学的手法だけでは対処できない可能性もある。

「港の水はまだ安全とは言えないわ。引き続き監視が必要よ」

「じゃあ俺は港の上空から警戒を――」

「待って。あなたは休憩。徹夜明けでまた墜落されたら困るわ」

「……墜落じゃない、あれは強制着水だ」

「はいはい、鷲さん」

 言い返す間もなく、干物をくわえた猫のように宿へ押し戻される俺。

 確かに疲労は限界に近く、判断力も低下している可能性がある。飛行中の事故は命に関わるため、リィナの判断は正しいのだろう。

 作戦は成功したが、黒羽同盟がこの魔術汚染を仕掛けてきた意味はまだ不明だった。

 単純な攻撃ではなく、何か別の目的があるのかもしれない。港を機能不全に陥らせることで、より大きな計画の一部を実行しようとしている可能性もある。

 ――これは港を狙った攻撃の一部に過ぎないのかもしれない。

 俺は宿へ戻りながら、黒羽同盟の真の狙いについて考え続けていた。魔術まで使った大規模な作戦の背後には、さらに大きな陰謀が隠されているような気がしてならない。

 部屋に着くと、俺は翼を畳んで床に横になった。身体は疲労困憊だが、頭は冴えている。次の攻撃はいつ来るのか、そしてそれはどのような形を取るのか――考えるべきことは山積みだった。

 しかし、今は仲間を信じて休むことも重要だ。リィナとバルグが港の警備を続けてくれているのだから、俺も体力を回復させなければならない。

 窓の外を見ると、港では衛兵たちが警戒にあたっており、住民たちも徐々に日常を取り戻しつつある。感染症の拡大は食い止めたが、完全な解決にはまだ時間がかかるだろう。

 俺は目を閉じ、束の間の休息を取ることにした。次の戦いに備えて、今は力を蓄える時だった。
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