空を翔ける鷲医者の異世界行診録

川原源明

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第7章

第50話 海上の追撃戦

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 潮風が顔を打つ。

 港の外縁へ向かって高度を上げると、町の喧騒が遠ざかり、波と風の音だけが耳に残った。翼を大きく広げて上昇気流を捉え、海の上を滑るように飛んでいく。水平線の先には朝の光を反射する海が広がり、一見すれば穏やかな光景だ。だが、この下には港を脅かす"何か"が潜んでいる。

 海鳥たちも普段より少なく、いつもなら賑やかな海上が妙に静まり返っている。動物の本能が危険を察知しているのかもしれない。

 港の水面は所々に不自然な色の濁りが浮かんでいた。

 潮流が作る自然な渦ではなく、まるで何かを大量に溶かし込んだような鈍い緑色だ。その色合いは見るからに不健康で、海水特有の透明感が全くない。魚の姿はほとんどなく、時折水面に上がっては弱々しく跳ねるだけ――生き物たちが海を避けている。

 いつもなら魚影で賑わう港の海が、今は死の海のような様相を呈している。汚染の深刻さを物語る光景だった。

 高度を落として匂いを嗅ぐと、やはり昨日の樽の臭いが微かに漂っていた。

 海面に近づくほど臭いは強くなり、鼻を突く刺激臭が立ち込めている。この匂いの広がり方からすると、感染源は一点ではなく複数。しかも潮流を利用して町へ向けて拡散させている。

 風向きと潮流を計算すると、汚染物質は確実に港の奥へ流れ込んでいる。計画的に配置された感染源が、時間をかけて港全体を汚染しているのだ。

「……面倒なことをしてくれる」

 と、その時、視界の端で水面に小さな波紋が広がった。

 最初は大きな魚の動きかと思ったが、波紋のパターンが不自然だ。漁船ではない。もっと低く、平べったい船影が、波の下に沈んで進んでいる。

 あれは――小型の半潜航船だ。甲板がほとんど水面下にあり、遠目には波と見分けがつかない。軍事用の特殊船舶で、密航や秘密工作に使われる代物だ。黒羽同盟がこのような船を持っているとは、組織の規模と技術力を過小評価していたかもしれない。

 船尾からは樽状の物体が次々と海へ落とされ、重りで沈んでいく。

 一定の間隔で投下を繰り返しており、計画的に汚染を拡散させているのは明らかだった。――やはり感染源はこれだ。

 船は港の封鎖を巧妙にすり抜け、継続的に汚染物質を投下している。これでは封鎖の意味がない。



 俺は一度港へ戻り、バルグとリィナに報告する。

 両手に戦利品を抱えて降り立つと、二人は即座に状況を理解した。事態の緊急性を察して、すぐに対策会議が始まる。

 バルグはすぐさま武器を構え、「沈めちまえば早え」と言い放ったが、リィナが眉をひそめた。

「闇雲に沈めても、中身が漏れれば海全体が汚染されるわ。まずは回収して無害化しないと」

 彼女の判断は的確だった。半潜航船を破壊すれば、中に積んでいる汚染物質が一度に海に流出し、被害は甚大になる。慎重な対処が必要だ。

「じゃあ……どうやって?」

「回収は私と衛兵たちに任せて。あなたは船を追って、投下を止めて」

「追跡と威嚇は得意だ。噛みつきは……まぁ必要なら」

「……鳥だからって本当に噛まないでね」

「鷲だ。間違えるな」

 場の空気が少し緩む。

 緊迫した状況でも、こうした軽口を叩ける余裕があることが、仲間の絆を示している。だが俺たちの目は真剣だった。黒羽同盟の作戦は、もう町の喉元まで迫っている。

 リィナは既に衛兵たちを召集しており、海上での汚染物質回収の準備を進めている。彼女の指揮能力は高く、緊急事態でも的確な判断を下せる。

「船の阻止は任せろ。これ以上の投下は絶対に阻止する」

 俺は決意を込めてそう言い、再び海へ向かった。



 再び海へ飛び出す。

 港から離れるにつれて、汚染の臭いは薄くなるが、それでも海の異変は続いている。目標の半潜航船は潮流に乗ってゆっくりと西へ進んでいた。

 船は巧妙に波の間に隠れており、発見するのは困難だろう。しかし、空からなら船の航跡を追うことができる。

 上空から急降下すると、船上に数人の黒外套が見え、そのうちの一人がこちらを指差して叫ぶ。

「来やがったぞ! 翼の奴だ!」

 敵も俺の存在を警戒しており、対空兵器を用意している様子だった。船尾の機械が回転し、細い銛のようなものが空へ撃ち出された。

 飛行生物を狙うための特殊なワイヤー付き銛――以前坑道で使われた鉤爪の海上版だ。

 やはり俺の戦術を研究し、対策を講じてきている。銛にはワイヤーが付いており、命中すれば海中に引きずり込まれる仕組みのようだ。

 俺は翼をひねってそれを回避し、海面すれすれまで高度を落とす。水しぶきが頬を打ち、視界が狭まるが、船の進路は完全に読めていた。

 低空飛行で船の死角に回り込み、攻撃の隙を狙う。海面の反射で相手の視界も悪くなり、有利に戦える。

「投下はもう終わりだ!」

 急上昇し、翼の風圧で船上の敵を薙ぎ払う。

 翼を大きく広げて強い風を起こし、船上の黒装束たちを吹き飛ばす。数人が踏ん張りを失い、海へと転げ落ちた。

 海に落ちた敵は必死に泳いでいるが、汚染された海水の中では長時間の遊泳は危険だろう。自業自得とはいえ、早めに引き上げる必要があるかもしれない。

 半潜航船は蛇行して逃げようとするが、上空からはその軌跡が丸見えだ。

 船の操縦者は慌てており、不規則な動きで追跡を振り切ろうとしている。しかし、水中の船は空中の俺ほど機動性がない。

 ――これ以上、町を汚すことは許さない。

 俺は決意を新たにし、半潜航船への攻撃を続けた。船上の敵は減ったが、まだ抵抗を続けている。投下装置も稼働しており、完全に阻止するまでは気を抜けない。

 海上での戦いは陸上とは勝手が違うが、俺の飛行能力は絶対的な優位を提供してくれる。敵の逃走を許すことなく、汚染の拡散を食い止めてみせる。

 港町の平和を守るために、この戦いに勝利しなければならない。住民たちの命がかかっている以上、妥協は許されなかった。

 翼を広げて風を切り、俺は海上の敵との戦いを続けた。太陽が昇る中、決戦の時が迫っていた。
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