空を翔ける鷲医者の異世界行診録

川原源明

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第7章

第81話 道筋

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分析室の空気は、濃密な薬品の匂いで満ちていた。化学薬品特有の刺激臭と、薬草の甘苦い香りが混ざり合い、独特の学術的な雰囲気を醸し出している。器具を煮沸消毒する蒸気が立ちこめ、金属と硝子がぶつかる軽い音が絶え間なく響く。

 俺とリィナは、港町で手に入る全ての器具と薬草を駆使し、サンプルの解析を進めていた。限られた設備の中で最大限の研究を行うため、創意工夫を重ねている。時には漁具を実験器具として転用し、食器を培養容器として利用することもあった。

 培養皿の中で、緑色の病原体が複製を繰り返す。顕微鏡越しに見えるそれは、まるで小さな鎧をまとった兵士のようだ。二重膜の防御層が薬剤の浸透を防ぎ、殺菌処理すらものともしない。

 その構造の精巧さに、改めて敵の技術力の高さを思い知らされる。自然界には存在しない、明らかに人工的に設計された生物兵器だった。

「この層を破る方法を見つけなきゃ、どんな薬も意味がない」

 俺は顕微鏡から目を離さずに呟く。病原体の防御機構は想像以上に堅固で、通常の抗菌薬では全く歯が立たない。

 リィナは別の机で薬草を粉砕し、抽出液を滴下していた。彼女の手つきは正確で無駄がなく、長年の薬学研究の経験が活かされている。

「この植物由来の代謝経路……刺激が強すぎれば自壊を始める。うまく条件を整えられれば――」

「病原体が自ら壊れる」

 二人の声が重なった。治療法の基本的なアプローチが固まった瞬間だった。敵が利用した植物成分の特性を逆手に取り、病原体自体に自己破壊を誘発させる戦略だ。



 試作薬の調合は、失敗の連続だった。新しい治療法の開発は常にトライアンドエラーの繰り返しであり、一朝一夕で成功するものではない。

 第一号は、培養皿の中で全く反応せず。薬剤の濃度が不適切だったのか、あるいは化学反応自体が起こらなかったのかもしれない。

 第二号は反応したが、毒性が強すぎて細胞ごと破壊してしまった。健康な細胞まで損傷を与えるようでは、治療薬として使用できない。

 三度目でようやく、防御層に細かな亀裂を生じさせることに成功した。顕微鏡で観察すると、病原体の表面に筋状の損傷が見える。まだ完全な破壊には至らないが、確実な進歩だった。

 俺は特殊能力で試作薬が細胞に与える影響を直接"見る"。顕微鏡の像とは別に、細胞の内部構造や代謝の変化が、感覚として脳に流れ込んでくる。この能力により、通常の研究では数日かかる分析を数分で完了できる。

 亀裂の広がり方、膜の透過率、代謝停止までの時間――全てが、治療法の設計図となる。特殊能力による情報収集は、薬剤設計の精度を飛躍的に向上させていた。

「……いけるかもしれない」

 小さく息を吐く。しかし同時に、副作用のリスクも見えた。人間の細胞の一部も、同じ代謝経路を持っている。投与量を誤れば、健康な組織まで破壊しかねない。

 新薬開発における最大の難題は、効果と安全性のバランスだった。病原体を死滅させる力が強すぎれば、患者自身の生命も危険にさらされる。

 リィナも表情を引き締める。彼女も同様の懸念を抱いていることが、表情から読み取れた。

「これを患者に投与するなら、量とタイミングを正確に管理しなきゃ危険よ」

「……わかってる。だが時間がない」

 患者の容態は刻一刻と悪化している。完璧な安全性を確保する時間的余裕はない。ある程度のリスクを承知で、臨床試験に踏み切る必要があった。



 最初の臨床テストは、病状が最も進行した患者から始めることにした。医学的には逆説的だが、回復の見込みが最も低い患者であれば、実験的治療のリスクも相対的に低くなる。

 選ばれたのは、初期感染者の一人である若い漁師だった。年齢は三十代前半で、家族もいる働き盛りの男性だ。彼は高熱と呼吸困難で意識が朦朧としており、もはや通常治療では回復の見込みはない。

 家族に事情を説明し、同意を得る。実験的治療であることの危険性、成功の保証がないこと、副作用の可能性など、全てを包み隠さず説明した。

「……もしこれで助かるなら、お願いします」

 妻の震える声が、胸に刺さった。その言葉には、絶望的な状況の中でも希望を諦めない強い意志が込められていた。医者として、この信頼に応えなければならない。

 俺は慎重に薬液を注射器に吸い上げ、患者の静脈に針を刺す。手に持つ注射器の重さが、患者の生命の重さと重なって感じられた。

 特殊能力で、薬液が血管を流れ、肺へ、そして全身へ拡散していく様子を"視る"。薬剤の分布、細胞との相互作用、病原体への影響など、全てがリアルタイムで把握できる。

 防御層を持つ病原体が、次々と自壊していくのが見えた。薬剤の作用により、病原体の代謝システムが暴走し、自己破壊を始めている。理論通りの効果が現れていた。

 だが同時に、肝臓の代謝負荷が急激に上昇している。大量の病原体が死滅することで、その破片や毒素が血中に放出され、解毒器官に負担をかけていた。

 俺は即座に解毒用の補助薬を追加投与し、臓器の損傷を抑える。この対応の速さは、特殊能力による実時間監視があってこそ可能だった。

 数分後、漁師の呼吸がわずかに安定し、顔色が改善した。体温も徐々に下がり始め、意識レベルも向上している。薬剤の効果が確実に現れていた。

 妻が泣きながら手を握る。喜びと安堵の涙が、彼女の頬を流れている。

「……生きてる……!」

 その言葉に、俺たちも深い安堵を感じた。小さな勝利だったが、この一例が町全体の希望になる。治療法が実際に効果を発揮することが証明されたのだ。

 リィナも安堵の表情を浮かべながら、患者の生命兆候を詳しく記録している。この成功例を基に、より安全で効果的な治療プロトコルを確立する必要がある。

「副作用は予想範囲内ね。肝機能のサポートを強化すれば、より安全に投与できるわ」



 だが、安堵している時間はない。港町全体で感染者は増え続けている。一人の成功例だけでは、全体の救済には程遠い。大量生産と投与体制の整備が急務だった。

 そして俺は直感していた――敵は、治療法の開発を阻止しに来るだろう。これまでの黒羽同盟の行動パターンを考えれば、重要な拠点の破壊や治療法の完成を黙って見過ごすはずがない。

(この薬が完成すれば、あいつらの計画は終わる。なら、黙っているはずがない)

 俺の予感は的中する可能性が高い。治療法の完成と量産化を急ぐと同時に、敵の妨害工作に対する警戒も怠れない。

 研究は続く。時間も、敵の妨害も、全てとの競争だ。しかし、今回の成功により確信が生まれた。必ず全ての患者を救ってみせる。港町の平和を取り戻すまで、俺たちは戦い続ける。

 窓の外では、夜明けが近づいていた。新しい一日の始まりと共に、希望の光が港町に差し込もうとしている。この光を全ての住民に届けるために、俺は医者として最後まで責任を果たす決意を新たにした。
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