空を翔ける鷲医者の異世界行診録

川原源明

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第7章

第83話 山間戦闘と緊急帰還

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霧を切り裂くように、敵が一斉に駆け出した。訓練された兵士の動きで、統制の取れた攻撃隊形を維持している。散布装置の先端から、液体が今にも噴き出そうとしているのが見える。金属筒の内部で液体が渦巻き、圧力が高まっているのが分かった。

 もし一滴でも町へ届けば、これまでの努力が水泡に帰す。患者たちの治療も、薬の開発も、全てが無意味になってしまう。絶対に阻止しなければならない。

 俺は翼を大きく広げ、最大限の力で突風を巻き起こす。鷲としての身体能力を限界まで使い、強烈な風圧を生成した。砂と枯葉が宙を舞い、敵の視界を奪う。突然の砂嵐に敵兵たちが目を細め、一瞬動きが止まった。

 その間にバルグが右から回り込み、一人の腕を斧の柄で叩き折った。骨の折れる鈍い音と共に、敵兵が悲鳴を上げる。金属製の筒が地面に落ち、中身の液体が少量こぼれて草を枯らしていく。

「一本確保!」

 彼の豪快な声と同時に、別の敵が俺の懐に飛び込んできた。素早い動きで距離を詰め、鋭い短剣が胸を狙う。刃の輝きが朝日に反射し、殺意を込めた一撃だった。

 俺は翼で刃を受け流し、相手の顎に膝を叩き込む。鳥類の脚力を活かした攻撃により、敵兵は意識を失って倒れた。しかし、まだ複数の敵が残っている。

 散布装置の噴出口が何度もこちらを向きかけるが、そのたびに俺は風で軌道をずらす。液体の散布を防ぐため、敵の狙いを定めさせないよう妨害を続ける。しかし全員を相手にするのは厳しい。

 残った二人が、丘の下へと走り出した。その方向――港町だ。もし彼らが町に到達すれば、住民たちが直接的な危険にさらされる。

「バルグ! あれを止めろ!」

「任せとけ!」

 巨体が唸りを上げて突進する。バルグの重量感ある走りは、まるで巨大な岩が斜面を転がり落ちるかのような迫力だった。重い足音と共に、敵が次々と吹き飛ばされていく。

 彼の戦闘スタイルは豪快だが、同時に計算されている。敵の動きを先読みし、最小限の動作で最大の効果を上げていた。長年の戦闘経験が、この緊急事態でも威力を発揮している。

 やがて霧が晴れ、丘の斜面に散らばった黒ずくめの影が、動かなくなった。戦闘は短時間で終結し、敵の散布作戦は完全に阻止された。

 俺は周囲を確認し、落ちていた散布装置を慎重に回収する。内部にはまだ汚染液が残っており、取り扱いには最大限の注意が必要だ。この液体は研究用の貴重なサンプルにもなるが、取り扱いを誤れば即死に至る毒物でもある。

 特殊能力で装置を触診すると、内部構造の詳細が把握できた。圧力機構、噴射システム、そして液体の組成まで、全てが精密に設計されている。敵の技術力の高さを改めて思い知らされる。

「……こいつら、完全に破壊工作だな」

 バルグが息を整えながら呟く。彼の分析も俺と同じ結論に達していた。これは単なる偶発的な遭遇ではなく、計画的な妨害工作だった。

 採集班の仲間たちが駆け寄ってきた。戦闘の音に驚いていたが、皆無事だった。背中の籠には薬草が詰められており、採集作業は順調に進んでいたようだ。

「目当ての薬草は全部揃いました!」

 その報告に胸を撫で下ろすが、すぐに別の不安が頭をよぎる。今回の作戦は成功したが、何かが引っかかっている。

 敵の人数にしては、動きがやけに限定的だった。まるで時間稼ぎのためだけに動いていたような印象がある。本気で汚染液を散布するつもりなら、もっと大規模な部隊を投入するはずだ。

 その時、山道を駆け上がってきた斥候が息を切らして叫んだ。

「北の森に別動隊! 港のほうへ向かっています!」

 その報告を聞いた瞬間、全ての謎が解けた。俺とバルグは視線を交わし、互いの考えが一致したことを確認する。

 つまり、この散布班は囮――本命は港町への奇襲だ。俺たちを山間部に引き付けている間に、本隊が港町を攻撃する作戦だったのだ。

 敵の戦術は想像以上に巧妙で、俺たちは完全に策略にはまってしまった。重要な薬草採集という任務を利用し、守備の手薄になった港町を狙う周到な計画だった。

 薬草と汚染液のサンプルを背負い直し、俺は短く息を吐く。成果は得られたが、代償も大きい。港町の安全が脅かされている状況で、のんびりしている時間はない。

「全員、全速で戻るぞ!」

 俺の指示に、採集班全員が即座に行動を開始した。薬草の価値は理解しているが、それ以上に港町の人々の安全が重要だ。

 朝霧の中、俺たちは山を駆け下りた。足場の悪い山道を、可能な限りの速度で下っていく。背後では、倒れた敵の通信筒が、低く不気味な音を響かせていた。

 その音は、仲間への合図なのか、それとも作戦成功の報告なのか。いずれにしても、良い知らせではないだろう。

 俺は空中に舞い上がり、港町の方角を見渡した。遠くに煙が上がっているのが見える。既に戦闘が始まっている可能性が高い。

(間に合ってくれ……)

 心の中で祈りながら、俺は最大速度で港町へ向かった。翼を激しく羽ばたかせ、風を切って飛んでいく。仲間たちとリィナの安全、そして患者たちの命が気がかりだった。

 山間部での戦闘は勝利したが、真の戦いはこれからだ。敵の本隊との決戦が、港町で始まろうとしている。俺たちの帰還が、戦況を左右する鍵となるかもしれない。

 風が強まり、雲が流れていく。その向こうに見える港町が、いつもより小さく、か細く見えた。大切な人々が待つ故郷を守るため、俺は全力で飛び続けた。
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