84 / 102
第7章
第84話 港町防衛線
しおりを挟む
港町の空気は、いつになく張り詰めていた。普段は穏やかな海風も、今日ばかりは不穏な気配を運んでくる。診療所の裏手にある小広場には、防衛隊の兵士と志願した町民が集まり、それぞれ武器や即席の防具を手にしている。
漁師たちは銛や包丁を、商人たちは金槌や斧を握りしめていた。子供たちは安全な場所に避難させられているが、大人たちの表情は一様に緊張と決意に満ちている。海からの風は潮の匂いだけでなく、火薬と焦げた油の臭いを運んできていた。
港の向こうで何かが燃えているのだろう。煙の匂いが戦闘の激しさを物語っている。住民たちは皆、この匂いが何を意味するかを理解していた。
リィナは薬研を置き、額の汗を拭った。長時間の薬剤抽出作業により、彼女の顔には疲労の色が濃く表れている。机の上では、抽出途中の薬液が小さな炎の上でゆっくりと色を変えている。
その色は予定よりも遅く、焦りが胸を締め付けた。薬草の成分抽出には時間がかかり、急かしても品質が落ちるだけだ。しかし、外の状況はそんな悠長なことを言っていられない。
「……あと二時間。だけど、そんな時間……」
リィナの呟きには、薬師としての責任感と現実への焦燥感が混じっていた。治療薬の完成が遅れれば、より多くの患者が犠牲になる。しかし、手を抜けば薬の効果が期待できない。
外では怒号が響き、遠くで金属のぶつかる音がした。剣と剣、槍と盾がぶつかり合う戦闘の音だ。北の森側から煙が上がり、港へ向かって移動しているのが分かる。
その動きはまるで毒蛇のように町を包囲しようとしていた。敵は戦略的に港町を孤立させ、逃げ道を断つつもりなのだろう。
「リィナさん、前線からの伝令です!」
若い兵士が診療所に駆け込んできた。息を切らし、顔には焦りの色が浮かんでいる。戦況の悪化を示す表情だった。
「敵は二手に分かれてます! 一隊は港口へ、もう一隊は南の橋を渡ろうとしています!」
その報告を聞いて、リィナの表情が一瞬にして険しくなった。敵の戦術は明確で効果的だ。
港口を突破されれば船着き場が制圧され、補給も避難もできなくなる。住民の脱出ルートが断たれ、外部からの援軍も期待できなくなる。南橋を取られれば、町は完全に包囲される。
二正面作戦により、防衛側は兵力の分散を余儀なくされる。敵の指揮官は、港町の地形をよく理解している。
リィナはすぐに判断を下した。薬師としての本来の役割を一時的に放棄し、戦闘員として前線に出る決断だった。
「港口は防衛隊に任せて。南橋には私が行くわ」
薬師のはずの彼女が自ら前線へ出る決断をしたのは、背後に守るべき患者たちがいるからだ。薬の完成を急ぐ一方で、物理的な防衛がなければ何も意味がない。
患者たちは今も診療所で治療を受けており、避難は困難だ。この場所を守り抜くしか、彼らを救う道はない。
腰に小さな袋を下げる。中には数種類の薬草粉末と即席の投げ薬瓶が入っていた。治療用ではなく、敵の動きを鈍らせたり、煙幕を作るためのものだ。
薬学知識を戦闘に応用した、リィナ独自の戦術装備だった。直接的な殺傷力は低いが、戦況を有利に導く効果は期待できる。
「リィナさん、危険です!」
若い兵士が心配そうに声をかけるが、リィナの決意は揺らがない。
「分かってる。でも誰かが行かなきゃ、町が終わるのよ」
彼女の声には、医者としての使命感と、港町への愛着が込められていた。この町で多くの人々を治療し、信頼関係を築いてきた彼女にとって、住民を見捨てることはできない。
南橋に向かって走る途中、町民たちがバリケードを作っているのが見えた。樽や木箱、漁網まで動員されている。老人から若者まで、皆が協力して防御陣地を構築していた。
しかし、敵が持つ武器や汚染液の脅威を考えれば、心許ない防御だ。通常の武器なら防げても、化学兵器に対しては無力に等しい。
橋の向こう側には、既に黒い影がちらついていた。敵の先遣隊が橋の反対側に到達し、渡河の準備を進めているようだ。陽光を受けて鈍く光る金属の筒――散布装置だ。
あの液体が橋を越えれば、南地区は一瞬で地獄に変わる。住民たちの避難は間に合わず、多くの犠牲者が出るだろう。
リィナは深く息を吸い、腰の瓶を一つ握り締めた。この瓶には、煙と強烈な刺激臭を発する薬草粉末が詰められている。直接的な殺傷力はないが、敵の視覚と呼吸を奪い、前進を止めるには十分だ。
「よし……来なさい、あんたたち」
リィナの表情には、普段の穏やかな薬師の顔ではなく、戦士としての鋭さが宿っていた。知識と技術を武器として戦う覚悟を決めている。
その時、海風を切る羽音が頭上から近づいてきた。力強く規則正しい羽ばたきの音は、聞き覚えのあるものだった。影が差し、リィナは思わず顔を上げる。
霧の向こうから、大きな翼と共に聞き慣れた声が響いた。
「リィナ! 下がれ!」
彼が帰ってきた。最も頼りになる仲間の帰還に、リィナの心に安堵が広がる。背後にはバルグと採集班、そして命よりも重い薬草と汚染液のサンプルがあった。
薬草は治療薬の大量生産を可能にし、サンプルは敵の弱点解明に役立つ。この二つが揃えば、港町の救済に大きく前進できる。
港町防衛戦――その決戦が、今まさに始まろうとしていた。住民の生命、治療薬の完成、そして港町の未来、全てがこの戦いにかかっている。
空からの視点で戦況を把握し、地上では仲間たちが連携して戦う。これまで培ってきたチームワークを発揮する時が来た。
リィナは薬瓶を構え、上空の仲間に向かって叫んだ。
「薬草は無事?」
「ああ! 全部揃ってる!」
その確認により、リィナの心に新たな希望が生まれた。治療と防衛、両方を同時に成功させる可能性が見えてきた。この戦いを乗り越えれば、港町に真の平和が戻るはずだ。
漁師たちは銛や包丁を、商人たちは金槌や斧を握りしめていた。子供たちは安全な場所に避難させられているが、大人たちの表情は一様に緊張と決意に満ちている。海からの風は潮の匂いだけでなく、火薬と焦げた油の臭いを運んできていた。
港の向こうで何かが燃えているのだろう。煙の匂いが戦闘の激しさを物語っている。住民たちは皆、この匂いが何を意味するかを理解していた。
リィナは薬研を置き、額の汗を拭った。長時間の薬剤抽出作業により、彼女の顔には疲労の色が濃く表れている。机の上では、抽出途中の薬液が小さな炎の上でゆっくりと色を変えている。
その色は予定よりも遅く、焦りが胸を締め付けた。薬草の成分抽出には時間がかかり、急かしても品質が落ちるだけだ。しかし、外の状況はそんな悠長なことを言っていられない。
「……あと二時間。だけど、そんな時間……」
リィナの呟きには、薬師としての責任感と現実への焦燥感が混じっていた。治療薬の完成が遅れれば、より多くの患者が犠牲になる。しかし、手を抜けば薬の効果が期待できない。
外では怒号が響き、遠くで金属のぶつかる音がした。剣と剣、槍と盾がぶつかり合う戦闘の音だ。北の森側から煙が上がり、港へ向かって移動しているのが分かる。
その動きはまるで毒蛇のように町を包囲しようとしていた。敵は戦略的に港町を孤立させ、逃げ道を断つつもりなのだろう。
「リィナさん、前線からの伝令です!」
若い兵士が診療所に駆け込んできた。息を切らし、顔には焦りの色が浮かんでいる。戦況の悪化を示す表情だった。
「敵は二手に分かれてます! 一隊は港口へ、もう一隊は南の橋を渡ろうとしています!」
その報告を聞いて、リィナの表情が一瞬にして険しくなった。敵の戦術は明確で効果的だ。
港口を突破されれば船着き場が制圧され、補給も避難もできなくなる。住民の脱出ルートが断たれ、外部からの援軍も期待できなくなる。南橋を取られれば、町は完全に包囲される。
二正面作戦により、防衛側は兵力の分散を余儀なくされる。敵の指揮官は、港町の地形をよく理解している。
リィナはすぐに判断を下した。薬師としての本来の役割を一時的に放棄し、戦闘員として前線に出る決断だった。
「港口は防衛隊に任せて。南橋には私が行くわ」
薬師のはずの彼女が自ら前線へ出る決断をしたのは、背後に守るべき患者たちがいるからだ。薬の完成を急ぐ一方で、物理的な防衛がなければ何も意味がない。
患者たちは今も診療所で治療を受けており、避難は困難だ。この場所を守り抜くしか、彼らを救う道はない。
腰に小さな袋を下げる。中には数種類の薬草粉末と即席の投げ薬瓶が入っていた。治療用ではなく、敵の動きを鈍らせたり、煙幕を作るためのものだ。
薬学知識を戦闘に応用した、リィナ独自の戦術装備だった。直接的な殺傷力は低いが、戦況を有利に導く効果は期待できる。
「リィナさん、危険です!」
若い兵士が心配そうに声をかけるが、リィナの決意は揺らがない。
「分かってる。でも誰かが行かなきゃ、町が終わるのよ」
彼女の声には、医者としての使命感と、港町への愛着が込められていた。この町で多くの人々を治療し、信頼関係を築いてきた彼女にとって、住民を見捨てることはできない。
南橋に向かって走る途中、町民たちがバリケードを作っているのが見えた。樽や木箱、漁網まで動員されている。老人から若者まで、皆が協力して防御陣地を構築していた。
しかし、敵が持つ武器や汚染液の脅威を考えれば、心許ない防御だ。通常の武器なら防げても、化学兵器に対しては無力に等しい。
橋の向こう側には、既に黒い影がちらついていた。敵の先遣隊が橋の反対側に到達し、渡河の準備を進めているようだ。陽光を受けて鈍く光る金属の筒――散布装置だ。
あの液体が橋を越えれば、南地区は一瞬で地獄に変わる。住民たちの避難は間に合わず、多くの犠牲者が出るだろう。
リィナは深く息を吸い、腰の瓶を一つ握り締めた。この瓶には、煙と強烈な刺激臭を発する薬草粉末が詰められている。直接的な殺傷力はないが、敵の視覚と呼吸を奪い、前進を止めるには十分だ。
「よし……来なさい、あんたたち」
リィナの表情には、普段の穏やかな薬師の顔ではなく、戦士としての鋭さが宿っていた。知識と技術を武器として戦う覚悟を決めている。
その時、海風を切る羽音が頭上から近づいてきた。力強く規則正しい羽ばたきの音は、聞き覚えのあるものだった。影が差し、リィナは思わず顔を上げる。
霧の向こうから、大きな翼と共に聞き慣れた声が響いた。
「リィナ! 下がれ!」
彼が帰ってきた。最も頼りになる仲間の帰還に、リィナの心に安堵が広がる。背後にはバルグと採集班、そして命よりも重い薬草と汚染液のサンプルがあった。
薬草は治療薬の大量生産を可能にし、サンプルは敵の弱点解明に役立つ。この二つが揃えば、港町の救済に大きく前進できる。
港町防衛戦――その決戦が、今まさに始まろうとしていた。住民の生命、治療薬の完成、そして港町の未来、全てがこの戦いにかかっている。
空からの視点で戦況を把握し、地上では仲間たちが連携して戦う。これまで培ってきたチームワークを発揮する時が来た。
リィナは薬瓶を構え、上空の仲間に向かって叫んだ。
「薬草は無事?」
「ああ! 全部揃ってる!」
その確認により、リィナの心に新たな希望が生まれた。治療と防衛、両方を同時に成功させる可能性が見えてきた。この戦いを乗り越えれば、港町に真の平和が戻るはずだ。
1
あなたにおすすめの小説
薬漬けレーサーの異世界学園生活〜無能被験体として捨てられたが、神族に拾われたことで、ダークヒーローとしてナンバーワン走者に君臨します〜
仁徳
ファンタジー
少年はとある研究室で実験動物にされていた。毎日薬漬けの日々を送っていたある日、薬を投与し続けても、魔法もユニークスキルも発動できない落ちこぼれの烙印を押され、魔の森に捨てられる。
森の中で魔物が現れ、少年は死を覚悟したその時、1人の女性に助けられた。
その後、女性により隠された力を引き出された少年は、シャカールと名付けられ、魔走学園の唯一の人間魔競走者として生活をすることになる。
これは、薬漬けだった主人公が、走者として成り上がり、ざまぁやスローライフをしながら有名になって、世界最強になって行く物語
今ここに、新しい異世界レースものが開幕する!スピード感のあるレースに刮目せよ!
競馬やレース、ウマ娘などが好きな方は、絶対に楽しめる内容になっているかと思います。レース系に興味がない方でも、異世界なので、ファンタジー要素のあるレースになっていますので、楽しめる内容になっています。
まずは1話だけでも良いので試し読みをしていただけると幸いです。
異世界に移住することになったので、異世界のルールについて学ぶことになりました!
心太黒蜜きな粉味
ファンタジー
※完結しました。感想をいただけると、今後の励みになります。よろしくお願いします。
これは、今まで暮らしていた世界とはかなり異なる世界に移住することになった僕の話である。
ようやく再就職できた会社をクビになった僕は、不気味な影に取り憑かれ、異世界へと運ばれる。
気がつくと、空を飛んで、口から火を吐いていた!
これは?ドラゴン?
僕はドラゴンだったのか?!
自分がドラゴンの先祖返りであると知った僕は、超絶美少女の王様に「もうヒトではないからな!異世界に移住するしかない!」と告げられる。
しかも、この世界では衣食住が保障されていて、お金や結婚、戦争も無いというのだ。なんて良い世界なんだ!と思ったのに、大いなる呪いがあるって?
この世界のちょっと特殊なルールを学びながら、僕は呪いを解くため7つの国を巡ることになる。
※派手なバトルやグロい表現はありません。
※25話から1話2000文字程度で基本毎日更新しています。
※なろうでも公開しています。
[完結]異世界転生したら幼女になったが 速攻で村を追い出された件について ~そしていずれ最強になる幼女~
k33
ファンタジー
初めての小説です..!
ある日 主人公 マサヤがトラックに引かれ幼女で異世界転生するのだが その先には 転生者は嫌われていると知る そして別の転生者と出会い この世界はゲームの世界と知る そして、そこから 魔法専門学校に入り Aまで目指すが 果たして上がれるのか!? そして 魔王城には立ち寄った者は一人もいないと別の転生者は言うが 果たして マサヤは 魔王城に入り 魔王を倒し無事に日本に帰れるのか!?
【幸せスキル】は蜜の味 ハイハイしてたらレベルアップ
カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
僕の名前はアーリー
不慮な事故で死んでしまった僕は転生することになりました
今度は幸せになってほしいという事でチートな能力を神様から授った
まさかの転生という事でチートを駆使して暮らしていきたいと思います
ーーーー
間違い召喚3巻発売記念として投稿いたします
アーリーは間違い召喚と同じ時期に生まれた作品です
読んでいただけると嬉しいです
23話で一時終了となります
オバちゃんだからこそ ~45歳の異世界珍道中~
鉄 主水
ファンタジー
子育ても一段落した40過ぎの訳あり主婦、里子。
そんなオバちゃん主人公が、突然……異世界へ――。
そこで里子を待ち構えていたのは……今まで見たことのない奇抜な珍獣であった。
「何がどうして、なぜこうなった! でも……せっかくの異世界だ! 思いっ切り楽しんじゃうぞ!」
オバちゃんパワーとオタクパワーを武器に、オバちゃんは我が道を行く!
ラブはないけど……笑いあり、涙ありの異世界ドタバタ珍道中。
いざ……はじまり、はじまり……。
※この作品は、エブリスタ様、小説家になろう様でも投稿しています。
異世界遺跡巡り ~ロマンを求めて異世界冒険~
小狸日
ファンタジー
交通事故に巻き込まれて、異世界に転移した拓(タク)と浩司(コウジ)
そこは、剣と魔法の世界だった。
2千年以上昔の勇者の物語、そこに出てくる勇者の遺産。
新しい世界で遺跡探検と異世界料理を楽しもうと思っていたのだが・・・
気に入らない異世界の常識に小さな喧嘩を売ることにした。
知識スキルで異世界らいふ
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
他の異世界の神様のやらかしで死んだ俺は、その神様の紹介で別の異世界に転生する事になった。地球の神様からもらった知識スキルを駆使して、異世界ライフ
【完結】転生したら最強の魔法使いでした~元ブラック企業OLの異世界無双~
きゅちゃん
ファンタジー
過労死寸前のブラック企業OL・田中美咲(28歳)が、残業中に倒れて異世界に転生。転生先では「セリア・アルクライト」という名前で、なんと世界最強クラスの魔法使いとして生まれ変わる。
前世で我慢し続けた鬱憤を晴らすかのように、理不尽な権力者たちを魔法でバッサバッサと成敗し、困っている人々を助けていく。持ち前の社会人経験と常識、そして圧倒的な魔法力で、この世界の様々な問題を解決していく痛快ストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる