空を翔ける鷲医者の異世界行診録

川原源明

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第7章

第85話 三方同時防衛線

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 翼をはためかせながら、俺は南橋上空に降り立った。風圧で砂埃が舞い上がり、下方の戦場を一望できる位置を確保する。眼下には、すでに防衛線の手前まで迫っている黒ずくめの兵士たちの姿がある。

 その編成は極めて組織的で、金属の筒を抱えた者は後方に控え、前衛が大型の盾を並べて亀甲陣形で進軍している。盾の表面には黒羽同盟の紋章が刻まれており、統制の取れた軍事行動であることが分かった。

 上空から見てわかる――これは素人の動きじゃない。明らかに訓練された部隊が、隊列と役割を分担して進んでいる。指揮系統も明確で、各兵士が自分の任務を正確に遂行している。

 この規模と練度の部隊を維持するには、相当な資金と時間が必要だ。黒羽同盟の組織力と執念の深さを改めて思い知らされる。

「バルグ、港口の様子は?」

 俺が空中から叫ぶと、通信役の衛兵が息を切らして叫び返す。

「敵が十数人! 港口の防衛隊が応戦中ですが、突破されるのは時間の問題です!」

 二正面からの圧力は予想以上に速い。敵の進軍速度は、防衛側の対応を上回っている。俺は一瞬で判断し、上空から全体の地形を確認した。

 敵の進軍ルート、町の通路、避難民の位置――全部を頭の中で地図に重ねる。医師時代に培った空間認識能力と、鷲としての俯瞰視点が組み合わさり、戦況の全体像が立体的に把握できた。

「リィナ、南橋は煙幕と薬草粉で遅滞戦術だ! 直接突っ込むな!」

「了解!」

 彼女は腰の瓶を取り出し、橋のたもとに力強く投げつけた。瓶が石に当たって砕け、白い煙と共に、鼻を突く薬草の刺激臭が風に乗って広がる。

 煙幕の成分は、リィナが独自に調合した特殊なものだった。視界を奪うだけでなく、呼吸器に軽度の刺激を与えて敵の行動能力を低下させる効果がある。

 敵の前衛が咳き込み、涙を流して盾の列が乱れた。訓練された兵士でも、化学的な攻撃には完全に対応できない。

 その隙を逃さず、町民たちが長い漁網を投げかけ、橋上で敵兵を絡め取る。直接の殺傷ではなく、進行を止める――リィナの意図を理解した動きだ。

 港町の住民たちも、いざという時には結束して戦える力を持っている。漁師としての技術が、戦闘でも威力を発揮していた。



 俺は次に港口の方角へ飛ぶ。翼を大きく羽ばたかせ、最短ルートで移動する。港では、防衛隊が必死に船着き場を守っていた。

 敵は桟橋に設置された木製の防壁を破壊しようと、火矢と斧で攻め立てている。木材が燃える匂いと、金属がぶつかり合う音が戦場に響いていた。その後方には、南橋と同じ金属筒を構えた兵士の姿があった。

(やっぱり両方で汚染液を使うつもりか)

 敵の作戦は明確だ。港町を物理的に制圧すると同時に、化学兵器で住民を無力化する二段構えの攻撃だった。

 俺は急降下し、翼で海面近くの水を巻き上げる。大量の海水が空中に舞い上がり、霧状になって敵陣に降り注いだ。飛沫が弓兵の視界を奪い、火矢の狙いが逸れた。

 その間に防衛隊が桟橋上の敵を押し返す。港町の兵士たちも、地の利を活かして善戦している。

 だが、敵も黙ってはいない。後方の指揮官らしき男が手旗で合図を送り、港口の敵兵たちが急に二方向に分かれた。一隊は防衛線に正面から圧力をかけ続け、もう一隊は裏路地を通って診療所方面へ向かおうとしている。

 この動きは明らかに計画的で、港町の地形を熟知した者の指示によるものだった。敵の指揮官は、事前に詳細な偵察を行っていたに違いない。

 診療所には重症患者と治療薬の試作品、そしてリィナの抽出装置がある。そこを攻撃されれば、これまでの努力が全て消える。医療拠点の破壊は、港町の希望を完全に断つことになる。

「南橋防衛隊! 橋の半分まで後退しろ! 港口の一部兵力を診療所防衛に回す!」

 俺は空中から叫び、全体の指揮系統を修正する。空からの視点により、地上では見えない敵の動きを把握し、適切な対応指示を出すことができる。

 防衛隊員たちは俺の指示に従い、迅速に陣形を変更した。港町の兵士たちとの信頼関係が、この緊急事態でも威力を発揮している。



 再び南橋に戻ると、煙幕は薄れつつあった。風の影響で煙が散り、敵の視界が回復し始めている。リィナが追加の薬瓶を投げ込もうとしたその時、敵後方から一人だけ軽装の兵士が駆け出してくる。

 その兵士の動きは他の者とは明らかに異なり、特殊な任務を帯びているようだった。手には散布装置ではなく、見慣れない小型の筒――火薬か化学反応を利用した爆薬の可能性が高い。

 俺は即座に翼を傾け、強風で足元の砂利を巻き上げてそいつの視界を奪う。砂嵐が敵兵を包み込み、一時的に行動を阻害した。

 だが完全には止めきれない。その兵士は煙幕を突き抜け、橋板に筒を押し付け――何らかの起爆装置を作動させようとしている。

 俺は必死に阻止しようとしたが、距離が足りない。

 轟音と共に、橋板の一部が吹き飛んだ。爆発の衝撃で石と木片が宙を舞い、橋全体が激しく揺れる。幸い崩落までは至らなかったが、橋は片側が大きく傾き、防衛側も足場を奪われる。

 敵はその隙を狙い、再び盾列を整えて突進を開始した。橋の損傷により、防衛側の陣形も乱れており、敵にとっては絶好の機会だった。

(この押し方……時間稼ぎじゃない。本気でここを突破するつもりだ)

 敵の攻撃は、これまでの陽動とは明らかに異なる本格的なものだった。港町の完全制圧を目指す総攻撃の開始だ。

 俺は上空から港全体を見渡した。南橋、港口、診療所――三方向で同時に火の手が上がりつつある。煙が立ち上り、戦闘の音が町全体に響いている。

 黒羽同盟の残党が、町を一気に呑み込もうとしていた。これまでの小規模な攻撃とは規模も戦術も全く異なる、全面戦争の様相を呈している。

 本当の防衛戦は、まだ始まったばかりだった。この戦いの結果が、港町の運命、そして治療薬の行方を決定することになる。

 俺は翼を強く羽ばたかせ、次の行動を決断した。三方向同時攻撃に対抗するため、俺自身が移動拠点となって各戦線を支援する戦術を取る必要がある。

 仲間たちとの連携、住民たちの結束、そして医者としての使命感。全てを総動員して、この困難な戦いを乗り越えなければならない。港町の平和と患者たちの命を守るため、俺は最後まで戦い続ける決意を固めた。
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