空を翔ける鷲医者の異世界行診録

川原源明

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第7章

第94話 敵前哨戦基地潜入

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 巨大生物との戦闘から二日後――海の色が変わり始めた。これまで美しい深い青色を湛えていた水面が、どこか濁った緑色を帯び、自然の美しさを失っている。潮の匂いに鉄錆のような異臭が混じり、海洋汚染の深刻さを物語っていた。

 波は穏やかなのに、空気には張り詰めた緊張感が漂っていた。船員たちも普段より無口になり、海の異変に不安を感じている様子だった。海鳥の姿も少なくなり、海洋生物への影響が懸念される状況だった。

 船員の一人が、遠くの海面を指差す。彼の表情には、発見の興奮と警戒心が混じっている。

「……あれ、見えるか?」

 水平線の向こうに、小さな島影が浮かんでいる。岩肌むき出しの荒れた海岸線と、わずかな木立――自然の要塞のような地形だった。そして、その中央には木造と石造りを組み合わせた要塞のような建物が見えた。

 高い見張り台と、波止場には武装した人影。規模は小さいが、明らかに軍事拠点としての機能を持っている。あれが、地図に記されていた「赤印」の場所――黒羽同盟の補給拠点の前哨地だ。

 俺は鷲の視力で島の詳細を観察し、戦略的な情報を収集する。敵の配置、建物の構造、そして周辺の地形など、作戦立案に必要な要素を把握していく。



 船を正面から近づけるのは自殺行為だ。見張り台からは遠距離でも船影を確認でき、迎撃準備の時間を与えてしまう。俺たちは島からかなり手前で帆を下ろし、潮の流れに合わせて静かに接近する方法を選んだ。

 バルグは船首で双眼鏡を構え、敵の動向を監視している。彼の戦闘経験により、警備の隙を見つけ出すことができるだろう。リィナは船尾で海水を採取して何やら調べている。

 彼女の薬学知識により、海洋汚染の程度と汚染源の特定が可能だ。小さな試験管に海水を入れ、試薬を加えて化学反応を観察している。

「やっぱり、港町で見つかった毒と同じ成分が微量に混じってるわ。多分、ここで汚染液の一部を保管してる」

 リィナの声は冷静だが、その眉間は僅かに険しい。科学的分析により、この島が単なる物資補給だけでなく、化学兵器の中継地でもあることが判明した。

 海洋汚染の源が特定できたことで、今回の作戦の重要性がさらに高まった。この拠点を無力化できれば、周辺海域の汚染拡大を防げるかもしれない。



 日没を待ち、偵察を開始する。夜の闇に紛れることで、発見される危険性を最小限に抑えることができる。俺は空高く舞い上がり、鷲の優れた夜間視力で島の構造を俯瞰した。

 見張り台には交代制の兵士が二人、波止場には武装した四人が常駐している。警備は厳重だが、完璧ではない。そして要塞の裏手――崖の中腹に、波しぶきがかかる洞窟の入り口を発見した。

(……あそこなら、見張りの死角になる)

 洞窟は海からしか入れない位置にあり、小舟か泳ぎでしか接近できない。地上からの警備では発見しにくい、絶好の侵入ルートだった。

 俺たちは船員数名と共に小型ボートを下ろし、音を立てぬよう櫂を漕いだ。月明かりに照らされた海面を静かに進み、島の岩壁に近づいていく。

 波の音に紛れて接近することで、敵に気づかれることなく洞窟に到達できた。

 月明かりに照らされる洞窟の中は、海水で湿った匂いと、かすかな薬品臭が混じっていた。自然の洞窟に人工的な施設が作られており、黒羽同盟の隠密性の高い運営方法が窺える。

 進むにつれ、木箱や樽が乱雑に置かれ、同盟の黒羽紋章が刻まれているのが見える。中には未使用の毒物樽もあった。これらの物資が各地に運ばれ、テロ攻撃に使用されるのだろう。

 俺は特殊能力で樽の内容物を分析し、毒性の程度と種類を把握する。この情報は、今後の対策立案に重要な役割を果たすはずだ。



 さらに奥――

 岩壁に沿って造られた小さな作業場が現れる。そこでは二人の作業員が、液体を小瓶に詰める作業をしていた。彼らの動作は慣れたもので、日常的にこの作業を行っていることが分かる。

 鼻を突く刺激臭と、足元に積まれた無数の木箱。全てが、港町を襲った汚染液と同じものだった。ここが汚染兵器の中継拠点であることが、完全に確認された。

 俺は翼を小さく広げて合図を送り、バルグが静かに前へ出る。彼の巨体にも関わらず、隠密行動での動きは驚くほど静かだった。

 しかしその時、奥の通路から別の兵士が現れ、こちらに気づいた。警備の交代時間だったのかもしれない。

「……侵入者だ!」

 洞窟内に警鐘が響く。もはや隠密行動は不可能になった。俺たちは一気に行動を切り替えた。

 バルグが前方を制圧し、リィナが薬液の入った瓶を布で覆って封鎖、俺は天井近くを飛び回って敵の動線を塞ぐ。チームワークによる迅速な対応で、敵の抵抗を最小限に抑える。

 混乱に乗じ、作業員を拘束し、毒物の在処と運搬経路を吐かせる。尋問により、重要な情報を入手することができた。

 奴らの話では、この前哨地は「本拠地」への中継にすぎず、本命はさらに北にあるという。組織の規模は想像以上に大きく、この島は氷山の一角にすぎないことが判明した。



 外に出ると、夜の海は静かだったが、島全体が騒然としていた。警鐘により全体に警戒態勢が敷かれ、兵士たちが慌ただしく動き回っている。

 俺たちは証拠となる地図と物資の一部を持ち帰り、小舟で本船へ戻る。作戦は成功し、重要な情報と証拠品を入手できた。

 船上で皆が集まり、次の目的地を示す新たな地図を広げた。拘束した作業員から得た情報と、押収した地図により、敵の本拠地の位置が特定できたのだ。

「北……本拠地はもっと寒い海域か」

 バルグが低く呟く。寒冷地での作戦は、これまでとは異なる困難が予想される。

 リィナは地図を見つめながら、唇を引き結んだ。薬学的知識から、寒冷地での化学兵器製造の利点を理解している。

「寒冷地なら、毒の保存もしやすいわ。製造規模も大きいはず……」

 温度管理が化学兵器の品質に与える影響を考えれば、寒冷地は理想的な製造環境と言える。敵の本拠地は、想像以上に大規模な施設である可能性が高い。

 帆を張る音が夜風に混じる。俺たちは再び、未知の海へ舵を切った。そこには、黒羽同盟の核心が待っている。

 これまでの戦いは前哨戦にすぎず、真の決戦はこれから始まる。しかし、仲間たちとの絆と、これまでの経験があれば、どんな困難にも立ち向かえるはずだ。

 北の海に向かう船上で、俺たちは最終決戦への準備を整えていた。港町の平和と、世界の安全を守るための、最後の戦いが近づいている。
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