空を翔ける鷲医者の異世界行診録

川原源明

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第7章

第95話 北海の気象兵器

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 北へ向けて航海を始めてから五日目――海の色は再び変わっていた。汚染による濁りから一転して、今度は透き通った蒼が、底知れぬ冷たさを秘めている。海水の透明度は増したが、その美しさには不気味な静寂が漂っていた。

 空気は肌を刺すように冷たく、吐く息は白くなり、甲板の手すりには氷の粒がこびりついていた。気温の急激な低下により、船体の各部に霜が形成され始めている。

 船員たちは厚手の外套を着込み、帆の結び目を凍りつかせぬよう頻繁に手入れしている。寒冷地での航海経験が豊富な者でも、この気温変化の速さには戸惑いを隠せずにいた。

 リィナは甲板の一角で薬箱を毛布で包み、試薬が凍結しないよう温度を保っていた。薬学的知識により、化学物質の温度管理の重要性を誰よりも理解している。

「気温はもう氷点下……これ以上下がると薬の成分が変質しかねないわ」

 その声に、バルグが大きく息を吐いて笑う。白い息が立ち昇り、彼の豪快な性格は寒さにも負けていない。

「なら早く目的地に着くしかねぇな」

 彼の楽観的な言葉が、船上の緊張した空気を少し和らげてくれた。



 やがて、北の水平線に暗雲が立ち込め始めた。雲の動きは自然な気象変化とは明らかに異なり、まるで人工的に操作されているかのような不自然さがあった。

 風は急速に強まり、海面に白波が立つ。その速度は異常で、数分のうちに突風が帆を煽り、船体が大きく傾いた。船員たちが必死にバランスを取ろうとしているが、風の強さは想像を超えている。

「嵐だ! 全員、甲板に出ろ!」

 船長の声が響き、船員たちが一斉に動く。長年の経験により培われた連携で、各自が持ち場に向かっていく。

 俺は空へ飛び立とうとしたが、突風が翼を叩き、すぐに海面近くまで押し戻された。鷲としての飛行能力をもってしても、この異常な風には対抗できない。

 視界の先には、氷塊が点在する海域が迫っている。氷山は黒い海に巨大な影を落とし、その間を波が激しく打ち付けていた。氷と海水の衝突音が、雷鳴のように響いている。

(この嵐……自然じゃない)

 風の流れが不自然に一点へ集まり、まるで進路を塞ぐように吹き荒れている。気象パターンの異常さから、人為的な操作であることは明らかだった。

 俺は鷲の視力で雲間を見上げた――そこに、黒羽同盟の旗を掲げた小型船が、氷山の陰に潜んでいた。船上には見慣れない装置が設置されており、それが気象操作の源だと直感できた。



 嵐は天候ではなく、魔術と装置を組み合わせた気象兵器によるものだった。黒羽同盟の技術力は、自然現象すら兵器として利用できるレベルに達している。

 甲板の上、リィナが叫ぶ。薬学的知識により、風に含まれる異物を即座に検出したのだ。

「この風……毒素を含んでる! 吸い込みすぎると呼吸器がやられるわ!」

 気象兵器に化学兵器が組み合わされており、単なる物理的攻撃以上の脅威となっている。船員たちが布で鼻と口を覆い、毒素の吸入を防ごうとしている。

 バルグが帆柱にロープを巻きつけながら、俺に怒鳴る。

「お前、上空からあの小型船を潰せるか!?」

「……直接は無理だ、でも誘導ならできる」

 この突風の中では、小型船への直接攻撃は困難だ。しかし、船を危険な位置に誘導することなら可能かもしれない。

 俺は嵐の中を低空飛行し、氷山と氷塊の配置を確認した。鷲の優れた空間認識能力により、複雑な氷山群の中でも正確な位置把握ができる。

 小型船の進路上に、今にも崩れ落ちそうな氷壁がある。風化と波の浸食により、構造的に不安定になっている巨大な氷の塊だった。

 俺は何度も急降下と上昇を繰り返し、あえて自分を狙わせて小型船をその氷壁の近くまで誘導した。敵の注意を引きつけ、危険地帯まで船を移動させる作戦だ。

 次の瞬間――

 バルグが甲板から投げた錨鎖が氷壁の根元に絡みつき、船員たちが一斉に引き寄せる。彼の怪力と船員たちの連携により、巨大な氷の塊が崩れ、小型船を直撃した。

 氷の崩壊音と共に、気象操作装置も破壊され、不自然な嵐が急速に収まっていく。



 嵐は徐々に収まり、空には冷たい星々が顔を出した。自然な風が戻り、海面も穏やかさを取り戻している。リィナが毒素の残留を確認し、安全が確保されたことを報告する。

 帆を張り直すと、再び北への航路が開けた。星明かりが氷山を照らし、幻想的な美しさを見せている。

「……やっぱり、奴らは俺たちの進路を読んでる」

 俺の言葉に、バルグも険しい顔で頷く。敵の迎撃が段階的にエスカレートしており、組織的な対応であることは明らかだった。

 氷海の先にある黒羽同盟本拠地――そこは、気象兵器や海洋生物兵器、そして化学兵器までも組み合わせた要塞だという予感があった。これまでの攻撃が全て異なる手法だったことを考えれば、本拠地はさらに多様で強力な兵器を保有しているはずだ。

 だが、今さら引き返す理由はない。港町の平和と、世界の安全を守るために、この戦いを完遂しなければならない。

 冷たい星明かりの下、船は静かに、しかし確実に敵の牙城へと進んでいった。氷山の間を縫って進む船の航跡が、月光に照らされて銀色に輝いている。

 最終決戦の地が、もうすぐ見えてくるはずだ。これまでの戦いで培った経験と絆を武器に、俺たちは最後の戦いに挑む準備を整えていた。

 北極海の厳しい環境の中でも、仲間たちとの信頼関係は微塵も揺らいでいない。むしろ、困難を共に乗り越えることで、より強固な結束が生まれている。

 海風が頬を刺すように冷たいが、心の中には熱い決意が燃えている。この先に待つどんな困難にも、俺たちは必ず打ち勝ってみせる。
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