空を翔ける鷲医者の異世界行診録

川原源明

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第7章

第96話 黒羽同盟本拠地潜入

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嵐を越えて二日目――北の空は曇天に覆われ、鉛色の雲が重くのしかかっている。海は凍りつくような冷気を放っていた。海面には薄氷が張り始め、船の進行とともに砕ける音が響いている。

 氷山が林立する海域に足を踏み入れると、船底を擦る氷の音が低く響き、全員の神経を研ぎ澄ませる。この海域は まさに氷の迷宮であり、一歩間違えば船体に致命的な損傷を与えかねない。船員たちも普段以上に警戒を強め、氷塊の動きを注意深く観察している。

 やがて、霧の向こうに黒い影が現れた。それは海に突き出した巨大な岩山で、まるで海から突き出た牙のような威圧感を放っている。その上に築かれた要塞は氷と石を組み合わせた異様な構造をしていた。

 自然の岩盤を活かしつつ、人工的な建造物が複雑に組み合わされており、美しさと恐ろしさを併せ持つ光景だった。塔の上には黒羽の旗がはためき、港には数隻の武装船が停泊している。

(……あれが本拠地か)

 ついに辿り着いた敵の中枢拠点は、想像を遥かに超える規模と要塞化の程度を示していた。

 俺は空へ舞い上がり、鷲の視力で全体像を捉える。高度を上げることで、要塞全体の構造と配置を詳細に観察することができる。

 外周には氷壁と防御柵、巡回兵が一定間隔で配置され、氷海側にも見張り小屋があった。警備は極めて厳重で、どの角度からも死角を作らない完璧な配置となっている。

 さらに、港湾入口には鎖と氷塊で構成された水中防壁――大型船は正面から侵入できない。この防御システムにより、海からの大規模攻撃は完全に封じられている。

 要塞の規模から、相当数の人員が駐留していることも推測される。これまで戦ってきた敵とは比較にならない戦力が待ち受けているはずだ。



 甲板に戻ると、バルグが唸るように言った。戦闘経験豊富な彼の目にも、この要塞の攻略は困難に映っているようだ。

「正面突破は無理だな。港に入る前に蜂の巣だ」

 バルグの判断は的確だった。あの防御力に対して、正面から攻撃を仕掛けるのは自殺行為に等しい。

 リィナは観測した排煙の色を見て、険しい顔をした。薬学知識により、煙の成分から内部で行われている作業を推測している。

「化学薬品を精製してる……しかも相当な量よ。ここで作って、各地に送ってるのね」

 煙の量と色から、大規模な化学工場が稼働していることが分かる。これまで各地で発見された汚染液は、全てここで製造されていたのだろう。

 俺は頷き、地図に要塞の防備と動線を書き込む。空中偵察で得た情報を正確に記録し、作戦立案の基礎資料とする必要がある。

 最も警備が薄いのは、北西側の氷壁に面した崖下――そこからは海蝕洞窟が本拠地内部へ続いているのを確認した。自然の地形を利用した隠密侵入ルートとして活用できるかもしれない。

「……侵入するなら、あそこだ」

 俺の提案に、リィナとバルグも同意の表情を見せる。正面突破が不可能な以上、奇襲作戦に賭けるしかない。



 夜まで待ち、氷壁の陰を利用して小型ボートで接近する。夜の闇に紛れることで、発見される危険性を最小限に抑えることができる。

 波音に混じって、氷が割れる微かな音が響き、緊張感が増していく。極寒の海での隠密行動は、体力的にも精神的にも過酷だった。

 洞窟内は暗く、冷気と薬品臭が入り混じっていた。自然の洞窟に人工的な設備が組み込まれており、長年にわたって使用されてきた痕跡が見受けられる。

 奥へ進むと、氷を削って作られた通路と作業場が広がっていた。氷の壁面は滑らかに加工され、まるで氷の宮殿のような美しさを見せている。しかし、その美しさとは裏腹に、ここで行われている作業は極めて危険なものだった。

 黒羽の紋章が刻まれた樽や箱が積まれ、その中には見覚えのある毒物樽もある。俺は特殊能力で成分を分析し、港町で見つけたものより高濃度の汚染液だと判別する。

 濃度の高さから、ここが汚染液の原液製造拠点であることが確認できた。各地に送られる前の、最も危険な状態の化学兵器がここに大量保管されている。

「……これを海に放てば、数百キロ四方が死の海になる」

 リィナの声は低く、しかし震えてはいなかった。事態の深刻さを理解しつつも、医師としての使命感が恐怖を上回っている。彼女も覚悟を決めている。

 この汚染液の量を考えれば、黒羽同盟の最終目標は単なるテロではなく、海洋全体の汚染による大量殺戮である可能性が高い。



 その時、通路の奥から金属靴の音が近づいてきた。規則正しい足音から、訓練された兵士の存在が察せられる。数名の黒羽兵が現れ、先頭の男は銀の飾りをつけた防具を着ている――明らかに高位の指揮官だ。

 その装備の豪華さと、部下たちの統制の取れた動きから、相当な地位の人物であることが分かる。

「侵入者か……ここまで来た勇気は称えるが、ここで終わりだ」

 鋭い声と同時に、背後からも足音が響く。完全に包囲された。敵は俺たちの侵入を事前に察知していたのかもしれない。

 バルグが戦斧を構え、俺は翼を広げる。リィナは素早く布包みから小瓶を取り出し、敵の進路を塞ぐ煙幕を準備していた。

 これまでの戦いで培った連携により、劣勢な状況でも最適な対応を取ることができる。

 氷海の闇の中、最終決戦前の戦いが、静かに幕を開けた――。

 洞窟内の冷気が一層厳しさを増し、吐く息が白く舞い上がる。しかし、俺たちの心には熱い決意が燃えている。

 港町の平和と、世界の安全を守るため、この戦いに全てを賭ける時が来た。どれほど強大な敵であろうとも、仲間との絆があれば必ず勝利できるはずだ。

 氷の通路に響く足音が、運命の戦いの始まりを告げていた。
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