虚映ノ鏡は真を映さず ─神気宿す少女と、月詠む死神審問官─

あさとゆう

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第2章 藍の眼と月詠の探偵

第19話 追憶

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 夏の空 月影ゆらぐ 茜色
  君を照らせり 藍のまなざし──

 夕焼けに染まった横断歩道を、六歳の藍良は母と手を繋ぎながら歩いていた。右手をグンと上に掲げて、はにかむような微笑みを母──梓へ向ける。藍良の視線に気付いた梓は、にっこりと応じた。

「良かったねえ、藍良」

 梓はそう言うと、左手に持った小さな袋を掲かかげてみせた。袋には景品が入っている。警察官である梓は、この日は非番。休日に母娘で訪れたのは、近所にできたばかりの大型スーパーだった。スーパーは開店イベント中で、輪投げや射撃といったお祭りイベントを店先で開催していた。

 イベントを見るなり、意気揚々と藍良も参戦。射撃はあっけなく撃沈したものの、輪投げは奇跡の一等賞。景品は、藍良の大好きなアニメキャラクターのフィギュアだった。それを手にして鼻歌混じりに歩く藍良を、梓は愛おしそうに見つめていた。

 だが、平穏な時間から一転、突如とつじょとして空気が変わる。次の瞬間、六人組の男が行く手を阻むかのように道を塞ふさいだのだ。

 男たちは十代後半。皆ガラが悪く、服をだらしなく着ている。汚れたズボンに胸まで開いたシャツ。サングラスをかけた者や、タバコを咥くわえた者が、ニヤつきながら藍良と梓を見る。当時六歳の藍良も、目の前にいる男たちが危険だということを肌で感じた。案の定、男たちは梓を睨むとこう言い放ったのだ。

「お前……あの日にいた婦警だよなァ?お前のせいで、おれらの仲間はムショ行きだ。ちょっと面貸せや」

 梓は青ざめ、藍良の手を引いて走る。が、藍良の足が遅いせいですぐに追いつかれてしまった。梓は慌てて藍良を抱きかかえ、再び走り出そうとするが、遅かった。男たちは梓の肩や腕を乱暴に掴み、数メートル先にあった人気のない雑居ビルへ連れ込んだのだ。

「お母さん!」

 藍良の叫びが雑居ビルに響いた。誰か助けに来て、そんな思いを込めて声を張り上げたが、誰も来なかった。よく考えてみたら、夕方で陽が落ちてきているのに、照明も点かず、人の気配もない。もしかすると、ここには誰もいないのではないか。藍良はなんとなく、そんなことを思った。

 梓は隙をついて、肩に触れていた男に関節を極きめる。男が喚わめく中、藍良をそっと地面に座らせ、すかさず雑に転がっていた錆さびたモップを手に取り、構えた。梓は剣道三段だった。六人組の男を見渡しながら、素早く110番を押し、スマホを肩で支えながら耳に当てる。

「東園署の水無瀬梓です。現在暴行を受けています。一週間前に摘発した暴走族グループで、人数は六人。場所は東園市三丁目の雑居ビル内、至急応援を──」

 ここまで言ったところで、男のひとりが梓に殴りかかった。攻撃を避けた拍子で、梓のスマホが地面に落ちる。男はスマホを取るなり通話を切り、思いきり蹴り飛ばした。そして、梓に向かってにやりと笑うと、一斉に襲い掛かったのだ。

「危ない、お母さん!!」

 梓は冷静だった。剣道は間合いが命。冷静に距離を取ると、剣道仕込みの気合を腹の底から放った。怒号のような気合は、男たちを、そしてその場の空気を震わせた。男たちが一瞬怯んだ隙に、梓は踏み込み、モップを振るう。

 狙うのは相手の手足だけ。無闇に打ち込まず、間合いをとりながら威嚇いかくするように牽制けんせいしているのだ。場所は伝えた。応援は来る。そう思って最小限の攻撃に留めていたのだろう。だが、状況は唐突に一変する。男のひとりが突進し、藍良を力任せに掴み上げたのだ。

「こいつに手ェ出されたくなかったら大人しくしろ!」

 男の声に梓は目を見開いた。その表情は明らかに動揺している。

「藍良!」
「お母さん!」

 藍良は、泣きながら男の手を振りほどこうとするが、ビクともしない。梓はモップを下ろして、藍良に駆け寄ろうとする。だがそのとき、男のひとりが梓の腕を掴んだ。そしてそれを振りほどこうとした彼女を、思いきり平手打ちしたのだ。

 衝撃的な光景に、藍良は顔を歪ませた。震えながらも、声の限り、叫ぶ。

「お母さんに触るな!お母さんを離せ!」

 藍良はそう叫んで暴れるが、腕を捕まえている男はせせら笑うだけだった。そのとき、ひとりの男が梓の腹に正拳を入れた。梓は膝をつき、うずくまる。男たちは梓を取り囲むと、そのまま暴行を加え始めた。

「お母さん!お母さん!お母──」

 続けて泣き叫ぶ藍良の目に、とんでもない光景が飛び込んで来た。薄暗かった空間を切り裂くように、梓のいた場所から閃光が迸ほとばしったのだ。瞬きをする間もなく、梓を取り囲んでいた男たちは次々と音を立てて倒れていく。一方の梓は気を失ったのだろう。ぐったりとして動かない。だが、そんな梓は黒装束の男に抱きかかえられていた。暴行を加えていた男とは違う。見たことがない男だ。

 細身で長身。黒髪が夕陽を浴び、茜色に揺れている。

 男はそっと、梓を地面に寝かせた。そして、藍良を掴む男へと歩を進めた。

「な……なんなんだ!?てめぇはよぉ!!」

 恐怖と驚きが混じった声が響く。黒装束の男はその場から動かず、ただ真っ直ぐ手を掲げてこう言葉を紡いだ。その言葉はとても厳かに、静かな空間に響き渡った。


──

我が身の影よ 虚ろを纏え
道阻む者よ 眠りに沈め

──

 その言葉が放たれた瞬間、藍良を掴んでいた男は声も上げずに、ゆっくりと崩れ落ちた。藍良が目を腫はらしながら見下ろすと、男は完全に気を失っているようだった。

 安堵する間もなく、藍良はギョッとする。黒装束の男が、今後は梓へと掌てのひらを突き出していたのだ。藍良は反射的に駆け出し、小さな拳で男の背中をポカッと叩いた。そして、涙混じりの声を張り上げる。

「お母さんに触るな!お母さんを離せぇ!」

 気付くと、藍良は両手をグーにして黒装束の男をポカポカと叩いていた。このとき起きたすべてのことが、恐ろしかった。母を守れるのは自分しかいない。必死だったのだ。

 すると、男はそっと藍良の拳を握った。男の顔を見て、藍良は再びギョッとした。漆黒の瞳を携えた男は、今まで見た誰よりも眼光が鋭かったのだ。

 真っ黒な服に鋭い目つき。
 こいつはさっきの変な力でお母さんを殺すつもりだ。
 こいつはきっと悪魔なんだ──。

 そんな絶望的な気持ちになったところで、ふわりとあたたかい温もりが頭に触れた。男の手だった。男はぎこちなく藍良を撫でると、そっと微笑んだ。その顔はどこか無理をしているようにも見えたが、さっきよりはずっと優しく見えた。

「怖がらせてごめんね。僕は絶対に、藍良のお母さんを傷付けたりしないよ。今のはね、傷を治そうとしただけなんだ」

 男はそう言うと、再び梓に向き直り、そっと手を掲げてなにやら難しい言葉を唱えた。藍良がきょとんとする間もないまま、男の掌から眩い光が放たれる。その光は梓の傷に染み込むように広がると、ゆっくりと傷を癒した。殴られて赤らんだ頬も、腫れが収まっている。

 光が収まると、男は振り返り、藍良を見て微笑んだ。

「……ね?」

 気付くと、藍良の涙は止まっていた。この人は一体なんなのだろう。突然現れて、魔法を使ったこの人は一体誰なのだろう。それに、藍良にはもうひとつ不思議なことがあった。それはこの男がさっき、自分の名を──藍良の名を呼んだことだ。

「お兄さんは誰?どうしてわたしを知ってるの?」

 この言葉に、男は押し黙った。藍良は続けて言葉を重ねる。

「今の力はなに?魔法を使ったの?」

 男は一瞬、困惑したような表情を浮かべたあと、柔らかく微笑み、口を開こうとする。だが、藍良の方が早かった。藍良は男に向かって、畳み掛けるようにこんなことを口走った。

「どうしてそんなに目つきが悪いの?悪魔なの?」

 しばしの沈黙。

 数秒後、男はがくりと頭を垂れた。藍良は訳もわからず、男の腕を掴み、答えを促す。男はそっと顔を上げ、苦笑いを浮かべると、藍良の頭を撫でた。

「藍良のことは、ずっと昔から知ってるよ」
「どうして?」
「それは、秘密」
「なんで?どうして言ってくれないの?」
「君に思い出して欲しいから」

 この言葉に、今度は藍良が押し黙る。この人は一体なにを言っているのだろうか?思い出して欲しいということは、もっと前に会ったことがあるのだろうか?藍良は、男の目を覗き込むようにじっと見つめた。

「お兄さんは、悪魔じゃなくて王子様?」

 すると、男は数回瞬きをして、照れたように笑った。

「そうなれたら、いいな」

 すると、警察のサイレンが響き渡る。さっき梓が呼んだ応援が来たのだ。男はスッと立ち上がる。

「そろそろ行かないと」
「また会える?」

 藍良は男の手を掴んだまま尋ねる。男は小さく頷くと、今度はその掌を藍良へ向けた。

「会いに来るよ、必ず。だからそのときまで、今日のことは藍良の心の中に仕舞っておいてね」

 男はそう言って、また静かに言葉を紡いだ。一音一音、言葉が放たれるたびに、藍良の視界は不思議と淡く揺らいでいく。そしてそのまま、藍良の意識は光に包まれていった。
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