虚映ノ鏡は真を映さず ─神気宿す少女と、月詠む死神審問官─

あさとゆう

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第2章 藍の眼と月詠の探偵

第20話 月詠は記憶の彼方に

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 ゆっくり目を開くと、視界に飛び込んできたのはクリーム色の天井だった。右の隅に小さなシミ。ここは自分の部屋だ。

 どうしてここに?

 藍良の胸に疑問がよぎる。静かに息を吐きながら今日のことを思い返した。いつも通り学校へ行き、体育の授業中に倒れて、保健室に運ばれて。寝ていたときに突然、大蛇にさらわれて……。

ここまで思い出したところで、藍良はハッと息を呑んだ。

 ──黒標対象“ユエ”。

 そうだ。あいつと会った。

 ユエは自慢げにひとしきり語ったあと、自分を殺そうとした。だがそのとき、颯爽と千景が助けに来た。強く抱き寄せられ、放たれた月詠の光。その記憶が鮮やかに蘇り、藍良の心臓はトクンと鳴った。そして、起き上がろうとした次の瞬間、異変に気付く。身体が動かないのだ。

 藍良は目だけで周囲を探る。すると、ベッドの傍らに目を閉じて片手を掲げる千景の姿があった。低く、微かな呟きを繰り返しているようだが、聞き取れない。

 その横顔を見つめながら、藍良の心にふと温かな思い出が蘇った。

 似た光景を、見たことがある。

 ずっと忘れていた。今から十一年前。母──梓と買い物帰りに、襲われたのだ。助けてくれたのは、黒装束の男だった。彼は怪我をした梓にてのひらをかざし、淡い光でその傷を癒した。どうして今まで忘れていたのだろう。

 ──会いに来るよ、必ず。だからそのときまで、今日のことは藍良の心の中に仕舞っておいてね。

 あれは千景?そういえば、その言葉のあと、男はわたしへ掌を掲げた。
 月詠の力で、記憶を消したのだろうか。

 藍良はさらに思いを巡らせる。十一年前に出会った男の口調やまとう雰囲気は、今目の前にいる千景そのものだ。違うのは顔だけ。その男は眼光が鋭かったのだが、千景は違う。細目で目が合うとふにゃりと笑う千景とは似ても似つかない。

 ここまで思い至ったところで、藍良はハッとする。
 それは、千景が顔を変えているということ。

 千景は死神界の“幻顔士げんがんし”に頼んで変えたのだ。確か、自分の顔が好きじゃないとか、そんな理由だったはず。

 けれどもし、本当の理由が別にあるとしたら?
 たとえば、顔を勘付かれないため。
 昔、わたしと会っていたことを隠すため──?

「……藍良?」

 静かな声が耳に届き、藍良は視線を上げた。バッチリ目が合う藍良と千景。思いがけない距離に戸惑い、藍良は思わず視線が泳ぐ。

 すると、千景は驚くべき行動に出た。そのまま迷うことなく、彼女におおい被さってきたのだ。

「ヒ、ヒィ!」

 藍良は短い悲鳴をあげる。だが、千景はなんら気にも留めず、柔らかな手で藍良の頭をそっと撫でた。

「よかった!ちゃんと起きて」

 千景の行動に、藍良の頬は一瞬で熱を帯びる。心臓が跳ね、言葉が出ないほどに。気付いたときには、反射的に身体が動いていた。

 ──ドスッ。

「ぐふっ……!」

 藍良の膝蹴りが炸裂し、思わずうめき声を上げる千景。そのまま力なく床に尻もちをつくと、両腕で腹を押さえながら悶絶もんぜつした。それを見下ろす藍良の胸に、ちょっぴりよぎる罪悪感。けれど、そんな思いよりも先に口から飛び出したのは──。

「千景!ユエは!?」
「お、落ち着いて、藍良……」
「落ち着いてなんかいられない!あの自分語りのナルシスト野郎……」

 そう言いかけたとき、視界がふっと霞んだ。ぐらりとなったところで、すぐさま千景が腕で支える。

「無理しない、無理しない。まだ大蛇の毒が抜けきれてないから」
「毒?」
「あの毒は遅効性ちこうせいなんだ。さっきは動けたかもしれないけど、無理は禁物。動くともっと毒が回っちゃうからね」

 千景は再び静かに掌をかざした。柔らかな光がじんわりと藍良を包み込む。そのとき、ふとさっきの夢が藍良の脳裏のうりによぎった。十一年前、自分と母を助けてくれた黒装束の男。顔は違う、けど、声も、雰囲気も……。

「千景」
「ん?」
「あのさ、もしかして十一年前……」

 と、そのとき。

 ──ボテッ。

 気の抜けた音が天井から降ってきた。音の方を同時に見る二人。そこにいたのは、上目遣いでにゅるりと視線を送るタマオだった。

「藍良!無事じゃったか!まっこと災難じゃったのォ~」
「タ……タマオぉぉぉ~~」

 今度は藍良が間抜けな声を上げた。
 さっき自分を襲ってきた大蛇。あの蛇の不気味さと身体に巻きつかれたときのあの感触、一生忘れないだろう。それに比べたら、目の前のタマオのなんと愛らしいことか。初めてタマオと会ったとき“薄気味悪い”と思ってしまったのだが、それも今では霞んでしまう。

 タマオは得意げに口を大きく開くと、ボンッと音を立てて袋を吐き出した。藍良が目を丸くする間に、タマオは尾を使って、器用に袋の中身をひょいひょいと取り出していく。

「なにそれ?」

 藍良の問いかけに、タマオは意気揚々と答える。

「証拠品じゃ!千景に頼まれて持ってきたんじゃよ。見ろ、これを!」

 タマオが尾でくるりと巻き上げて見せたのは、干からびた皮のようなものだった。

「……皮?」
「うむ!あの大蛇が脱ぎ捨てた残骸ざんがいじゃ。あやつめ、藍良をこんな目に遭わせておきながら、呑気に脱皮に勤しむとは……なんたる不届きもの!許すまじ!」

 タマオはそうぷんすか怒ると、皮をポイっと雑に放り投げる。その様子に藍良は思わず吹き出した。胸の奥が少しだけ、軽くなるのを感じる。

「証拠品集めなんて、頼んでたんだね、千景」
「うん。警察が来る前に確保しておきたくて」
「警察?」
「教室の窓を割ったり、ちょっと派手に暴れちゃったからね。あれで少し騒ぎになっちゃって、今ごろあの旧備品室は警察が調べてるよ。多分、不審物の爆発ってことで落ち着くと思うけど」

 そのとき、千景の掌からふっと光が消えた。

「はい、これでもう大丈夫。手、動かしてみて」

 藍良は小さく頷き、ぎゅっと拳を握った。さっきよりも、確かに力が戻っている。その仕草を見て、千景は安堵したように目を細めて優しく微笑んだ。

「あ、ありがとう」
「どういたしまして」

 千景は姿勢を正して、袋に向き直る。指先が袋に触れたそのとき、「カシャン」と小さな音が鳴った。そこにあったのは……。

 ──虚映ノ鏡きょえいのかがみ

 あのとき、ユエが足で踏みつけた鏡は、無残に砕けていた。藍良はそっと、千景の様子をうかがう。そして見てしまった。彼の表情が一瞬曇ったのを。途端に藍良の胸はきゅっと締め付けられる。

 ユエが鏡の存在に気付いたのは自分のせいだ。

 虚映ノ鏡は神気を宿す者を映さない。普通の人間は映るが、神気を宿す千景やユエは映らないのだ。それを試したくて、藍良は深く考えずに咲に貸した。まさか、その光景をユエが見ていたとは知らずに。

「ごめん、千景。わたし……」
「藍良のせいじゃない」

 言い終わる前に、千景はそう告げた。彼は振り返り、いつものように穏やかに微笑んだ。

「藍良のせいじゃないよ。無事で良かった」

 藍良の気持ちを察したのか、千景はそう言葉を繰り返した。その真っ直ぐな声に、藍良は小さく頷くしかなかった。きちんと謝りたい。でも、どんな言葉も薄っぺらく感じてしまう。

 “虚映ノ鏡”が千景にとってどれほど大切なものか、藍良は知っていた。物置で見つけたとき、彼はまるで最愛の人と再会したかのように、鏡を抱きしめていたのだから。
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