虚映ノ鏡は真を映さず ─神気宿す少女と、月詠む死神審問官─

あさとゆう

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第2章 藍の眼と月詠の探偵

第38話 月印の覚醒

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 胸ぐらを掴まれた藍良の鼓動は、荒れ狂うように速まっていた。

 ──虚映の世界で放たれた“炎の月詠”。あの術者はお前だ。

 ユエの言葉に、藍良は息を呑む。確かに、あのとき響いた声は、千景でも、兼翔でもなかった。聞き慣れた、自分自身の声だったのだ。

 だが、自分の意思で発したものではない。何かの間違い、幻聴かと思っていた。けれど、ユエがここまで取り乱しているということは、本当にあの声は自分のものだったのか。

 でも、いったいなぜ。
 なぜ自分が“炎の月詠”を放つことができたのか。

 藍良が戸惑っていると、突如ユエの左手が動いた。胸ぐらを掴む右手の隙間から、左手が藍良の首を捕える。

 ぎり──。

 喉の奥に響く、骨がきしむような音。
 痛い。まるで喉が燃えるようだ。息ができない。

 次の瞬間、視界が反転した。藍良の身体は廊下に叩きつけられ、激しい衝動が背中を突き抜ける。

 痛みに顔を歪めながら、藍良はユエを見上げた。だが、ユエは彼女を見もせず、自らの手を凝視していた。

「どういうことだ……。今は何も……神気を感じない。こいつはただの人間のはずなのに」

 かすれるユエの声には、焦りと困惑が滲んでいる。藍良が神気を宿していると、疑っているのだ。

 確かに、千景から何度か聞かされたことがある。

 ──藍良にはやっぱり、神気が宿ってた。

 ユエにさらわれたあと、千景が口にした言葉。
 千景の話では、藍良のひいおばあさんが巫女で神気を宿していた。それをどういうわけか藍良も継承していた、それはとても珍しいこと……そんな話だったような気がするが。

 沈黙を破るように、ユエが低く呟く。

「盲点だったよ。まさか虚映の世界から抜け出してくるなんて。それに俺の正体にも気付いていたなんて。やっぱりさっきの千景か?わざとらしく鏡なんか持って来て探ってたんだな」

 以前よりも言葉に鋭さが混じる。
 完全に冷静さを失い、怒りが剥き出しになっている。それとも、これが本来のユエの性格なのか。

「本来なら、敵は千景だけのはずだった。それがまさか……こんな小娘に……くそ生意気な小娘なんかに、俺の術が解かれるなんて」

 怒りが圧となって藍良に伝わる。それに耐えながら、藍良はユエを睨み返した。

「藤堂先生も……あんたの思い通りにさせない!」

 藍良は声を震わせながら、叫んだ。

「あの人には警察に行ってもらう。この国の法律で裁いてもらう!死神が偉そうに、人間界に首突っ込んでくんじゃねえっての!」

 その瞬間、ユエが静止した。一拍の沈黙のあと、甲高い笑い声が響く。

「……藤堂?あんな男、もうどうだっていいんだよ」

 声色が軽くなる。まるで壊れたおもちゃを放り投げるように。

「あいつほどの邪気を逃すのは惜しいけど、そんな人間、他にもいる。カグヤ様に捧げる邪気は、他の人間でいくらでも補える。この学園じゃなくてもね」
「でも、あんたはわざわざこの学園を選んで来たじゃない!」

 藍良はピシャリと言い放つと、ゆっくり立ち上がった。

「千景に……復讐したかったんでしょ?」

 ユエの口元が緩む。乾いた笑いが静寂を裂いた。

「そうだよ。ここにはお前がいるからね。ここを狙えば、あの審問官は絶対に現れる。予想通り来て笑っちゃったよ。あいつ、いけしゃあしゃあとお前の家に下宿までして隠す気もない。こんなだらしない審問官にカグヤ様が封じられたと思ったらイラついてイラついて……俺はあの方に会いたくても会えないのに……」

 ユエは頭を掻きむしり、うめくように吐き出した。その姿に藍良の胸にわざついた違和感が走る。今感じたユエの感情。これはまるで──。

 ──嫉妬?

「どうすればあいつを一番苦しめられるか、そればかり考えてた。答えはいつも同じだった。お前をなぶり殺すところを見せること。そのために俺は……」

 ユエの話をさえぎるように、藍良が言葉を紡ぐ。

「あんた、もしかして……そのカグヤ神って死神のこと、好きだったの?」

 ハッとユエの瞳が大きく見開かれる。彼は驚いたように藍良を見つめると、唇を微かに震わせた。その反応が、すべてを物語っていた。

「だから余計に許せなかったんだね。千景が学園に来て、うちで下宿始めてさ。楽しそうにしているのが心底気に食わなかったんでしょ?愛する死神を封じた張本人が、ニコニコ幸せそうにしてるんだもん。そりゃあ、腹立つよね」

 ユエの身体が震え始める。

「あんたの行動見てると、まるで待ってるみたいだった。千景がもっともっと幸せになるのを。そういうときを見計らって、わたしを殺すつもりだったんじゃない?その方が、千景が傷付くもんね。だけど……あんたには致命的な欠点がある」

 ピクリと、ユエの眉が動く。

「……欠点?」
「さっきも言ったでしょ。あんたは喋るとボロが出るタイプだって。わたしたちがあんたの正体に辿り着いたのは、全部あんたの言動のおかげ。口を滑らせたり、ちょっとした行動に違和感があって、その一つひとつから、千景はあんたに辿り着いた。つまり何が言いたいかっていうと──」

 藍良は真っ直ぐユエを見つめ、ビシッと人差し指を突きつけた。

「あんたは自分で、自分の正体はユエだって言ってるようなもんだったの!」

 その瞬間、空気がぜた。ユエは怒りの眼差しを向け、藍良へと突進する。

「ふざけたことを……人間ごときが!」

 藍良は咄嗟とっさに足蹴りをするが、ユエの方が速かった。藍良は首を掴まれ、床に叩きつけられる。

「うるさい!あんたなんか、千景が……すぐに倒してくれる!!」
「馬鹿が!助けに来られるもんなら来てみろってんだよ!」

 ユエの手が、藍良の首を締め上げる。

 ぎり……ぎり……。

 骨がきしむ音が、頭蓋骨の奥に響く。藍良は必死にユエの両手を掴んで抵抗するが、力の差は歴然だった。数秒も経たないうちに視界が滲み、世界がゆっくりと遠ざかっていく。

 ユエは、藍良の呼吸が途切れたのを確認し、ようやくその手を離した。

 目の前の女は、もう動かない。
 それなのに、動悸も怒りも、まるで収まらなかった。
 まさか、こんな女に自分の心の奥底を見抜かれるなんて。

 ──屈辱だ。

 ユエは爪を立て、頭を掻きむしった。

 本当は、もっと時間をかけて、残虐に殺すつもりだった。生きたまま手足を斬り落として、目玉をくりぬいて……痛みに叫ぶ姿を、断末魔を、千景に聞かせてやろうと思っていたのだ。その恐怖と絶望を、あいつの耳に刻み込むつもりだったのに、こんなあっさりと殺してしまった。

「何をやってるんだ、俺は」

 自嘲じちょうのような声が漏れた。怒りが、悔しさが、胸の奥で渦を巻く。気付けば、一筋の涙が頬を伝っていた。ユエは震える手で自らの身体を抱きしめる。そしてそっと、心の中で呟いた。

 ──カグヤ様、カグヤ様。

 愛している。そう伝えたとき、柔らかく微笑んでくれたあなた。
 俺の頬にそっと触れて、愛おしそうに唇を寄せてくれたあなた。
 そんなあなたにいま、とてつもなく会いたい。

 ユエは震える唇を強く噛んだ。血の味がゆっくりと、口いっぱいに広がる。胸の奥は、いつまでたってもざわついたままだった。

 落ち着け。計画は多少狂ったが、千景のもっとも愛する女──水無瀬藍良が死んだ事実は変わらない。これからこいつの身体を細切れにして、踏み潰す。そうしてボロ雑巾のようにしてから、千景の前に差し出してやる。魂ごと奪い取って、冥界にも行かせない。そうすれば、千景は冥界でも、この女と二度と会えなくなる。

 想像がユエの胸を満たす。千景の顔が歪み、絶望に沈む様を反芻はんすうして、唇がほころんだ。

 復讐が終わったら、ようやく、あなたを迎えに行くことができる。
 千景への復讐を優先したのは、合わせる顔がなかったからだ。
 千景を討てば、きっと俺をゆるしてくれる。
 あのとき、あなたを守れなかった俺を──。

 そのとき、背後から今まで感じたことのない気配が流れ込んだ。
 ユエは一瞬、天敵の審問官が来たのかと身構える。だが、直感がそれを否定した。同時にユエは、無意識に一歩後ずさった。

 そこに立っていたのは──ありえない人物だった。

 水無瀬藍良。

 顔を伏せたまま、静かに、しかし確かに立っていたのだ。

 ユエはすぐに異変に気付いた。彼女の身体に何かがまとっている。あれは神気だ。

 ユエの背筋に冷たいものが走る。やはり、この女は神気を宿していた。だが、ありえない。確かに首を絞めて息の根を止めたはず。それが……なぜ、生き返る?

 ユエは目を細め、藍良の首元を凝視した。すると、淡い光の帯が首周りを静かに覆っていく。その光は滑らかな流れとなって、圧迫痕を癒していった。

 ──癒しの……光の属性か?

 ユエは息を呑んだ。傷を癒すことができるのは、「光」の属性の術者だけ。だが何かが、おかしい。神気の色がいやに複雑だ。赤、青、緑、白……それらすべての色が、渦を巻くように混ざり合っていく。まるでこれは──。

 ──虹色?

 次の瞬間、ユエの目が大きく見開かれた。藍良の首筋に、月印が浮き出ていたのだ。

 月の契約を結んだ者にしか現れない印。
 一定以上の位階を持つ者だけが持てる証。
 それがいったい、なぜ人間に……。

 ユエは、恐る恐る、絞り出すように呟いた。

「お前……何者だ?」

 その瞬間、少女はゆっくりと顔を上げた。身体に光をまとい、藍色の瞳がユエを真っ直ぐに射抜く。

「……藍良」
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