虚映ノ鏡は真を映さず ─神気宿す少女と、月詠む死神審問官─

あさとゆう

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第2章 藍の眼と月詠の探偵

第39話 黄金を喰らう虚映

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 突然の出来事に、ユエは言葉を失った。目の前に立つ女の名は、水無瀬藍良だったはず。それなのに今、この女は自らを「片寄藍良」と名乗った。いったい、どういうことだ?頭が追いつかない。理解を拒むように、思考が空転する。

「お前が口を滑らせてくれて、助かった」

 不意に女の唇が動いた。響く声は、低音と高音が不自然に入り混じり、まるで二つの魂が同時に語っているかのようだった。気づけば、ユエはじりじりと後ずさっていた。

 自分は、恐れている。目の前の人間を。非力だと思っていた小娘に、なぜ自分が追い詰められているのか。

 すると、女が小さく笑った。その笑みには僅かに、余裕が滲んでいた。

「虚映の世界など、わたしも知らぬ術。あれも禁術かな?堕ちぶれた死神らしいといえばらしい。どうやって現実世界に戻ればいいのか考えあぐねていたが……お前が致命的なミスを犯してくれたおかげで助かった」
「致命的なミス?」
「虚映の世界は神気を宿すものは入れない。つまり、神気を宿せば、虚映の世界はその者を拒む。現実の世界に戻れるということだ。それを水無瀬藍良に伝えてしまったことだよ。意気揚々とね」

 ユエは眉をひそめた。まるで、水無瀬藍良と自分は別人であるかのような口ぶりだ。

「そういえば、さっきも言ってたな」

 女がぽつりと呟く。

「……は?」
「『あんたは喋りすぎてボロが出るタイプ』──わたしも、そう思う。お前は喋りすぎだ」

 次の瞬間、空気が震えた。
 水無瀬……いや、片寄藍良の身体から溢れ出した神気が、まるで意志を持っているかのように形を変えたのだ。ふわりと漂っていた虹色の粒子はひとつとなり、眩い光の塊となって彼女の全身を包み込む。

 ──何か、くる。

 ユエは即座に反応し、自らの神気を解き放つ。黄金の奔流ほんりゅうが、閃光のようにほとばしった。それはかつて、彼がカグヤ神に認められた特別なものだった。はじめてこの光を見せたとき、彼女は微笑んでこう言ったのだ。

 ──綺麗な色……光の属性か。それを、わたしのために使ってくれるのか。

 死神の中でも、これほど純粋な金色の光を放つ神気は珍しい。まるで月光のようにきらびやかで、けがれを拒むような色。それなのに、自分の心はこんなにも濁っている。それが嫌で放つたび身が震えていた。自分には、眩し過ぎるのだ。けれどこの光を、彼女は愛してくれた。

 ユエは掌を強く握りしめた。

 あなたにもう一度、会う。
 そのためには、こんな小娘に負けるわけにはいかない。

 ユエの指先から溢れる光が、空気を震わせる。そしてそのまま、ユエは藍良へと手を突き出した。静かに、そして確かな意志を宿して、ユエは詠う。

 ──

 我が月影よ 黄金に染まれ
 穢れを断ちて 深淵へ還せ
 輝く光よ 天より堕ちて
 抗う愚者の 魂を撃て

 ──

 詠唱が終わるのと同時に、ユエの身体に宿った神気が弾けた。黄金の粒子が天へ舞い上がり、刃のような光へ姿を変える。瞬く間に生まれた数十の黄金の刃は、雨のように藍良へと降り注いだ。

 閃光が走り、その場が白に染まる。すると、藍良の周囲に炎が舞い上がった。紅蓮の炎は渦を巻き、黄金の刃を焼き尽くしていく。しかし、すべては防ぎきれなかったようだ。数本の刃が彼女の右腕と左足をかすめ、血が地面へと散った。

 藍良はわずかに顔をしかめ、傷口を見下ろす。その一瞬の隙を、ユエは逃さない。再び黄金の刃が、今度は嵐のように降り注いだ。

 ──やはり、こいつの属性は“炎”だ。

 ユエは確信する。虚映の世界でも……そして今も。彼女は“炎の月詠”の術者だ。ならば、勝負はすでについている。

 ユエは静かに息を吐き、肩を落とした。

 月詠の属性は炎・風・水・土……そして、それらを凌駕する“光”。
 “光”はすべての根源。光の奔流は空間を照らす。熱となって炎となり、対流となって風を生み、蒸発となって水を運び、命となって土を育む。光は存在の定義。自然現象はその影でしかない。

 つまり、自然の属性を扱う術者は、格上の光の月詠を扱う術者には決して勝つことはできない。

 ユエはほくそ笑むと、掌を振りかざした。黄金の光が再びほとばしり、刃となって放たれる。轟音ごうおんとともに閃光が弾け、視界が真っ白に染まる。音も、風も、すべてを飲み込むほどの光が、その場を埋め尽くした。

 ──勝った。

 そう確信した次の瞬間、白い光の中から、聞き覚えのある月詠が響いた。

 ──

 我が身の影よ 刃となれ
 力を纏い 空を舞え
 月の光よ 我が手に集い
 虚ろの者に 裁きを与えよ

 ──

「馬鹿な……月詠の模倣など……!」

 ユエは舌打ちをしながら数歩後退した。死神界にも稀にいるのだ。二つの属性を扱える者が。この女が、その“例外”であることは間違いない。だが、おかしい。他の死神の月詠を模倣できる者など、一度たりとも出会ったことがない。なぜなら、月詠の模倣は──。

 思考を巡らせている最中、閃光が収まり、女の姿が露わになる。制服は焦げ、腕や足には傷が増えていた。確かに攻撃は届いている。

 閃光が収まり、女の姿が露わになる。制服は焦げ、腕や足には傷が増えていた。確かに攻撃は届いている。

 ユエは再び黄金の刃を放つため、掌に力を込める。

 藍良とユエの刃。
 “黄金”と“光”──二つの月詠が、真正面からぶつかり合う。

 数秒の拮抗。ユエの頬を、一筋の汗が伝う。だが次の瞬間、ユエが放った黄金の刃が押し勝ち、藍良の光の刃を貫いた。そしてそのまま、彼女の太ももや腕を次々と斬り裂いていく。

 ──力はこちらが上だ。

 ユエの唇がわずかに吊り上がる。確信とともに、ユエの“黄金の月詠”が再び空間に響いた。

 時間はかけない。これでとどめだ。この黄金の刃で今、とどめを刺す。

 ユエの掌から放たれたのは、先ほどよりもさらに大きく、鋭い黄金の刃だった。刃は轟音ごうおんを伴いながら、藍良へと降り注ぐ。土埃が巻き上がり、視界が再び白く染まった。音は消え、静寂が場を支配する。ユエは静かに息を吐き、土埃を睨むように見つめた。

「死んだ、か……」

 ようやく終わった。散々な一日だった。土埃が晴れたら、死体を切り刻む。それを千景に見せてやる。

 ……そう思った瞬間、ユエの表情が凍りついた。

 土埃の中に、静かに立つ人間の足が見えたのだ。血に染まり、傷だらけ。それでも確かに立っている。

 ──まだ、生きている。

 ユエが身構え、再び黄金の刃を繰り出したその刹那、土埃の奥からおごそかな声が響いた。

 ──

 顕現けんげんせよ 虚映ノ鏡
 我が魂を礎に
 真なる術を 虚へと転じよ

 ──

 すると、放たれた黄金の刃は藍良の身体を貫くことなく、小さくしぼみ、消えていった。ユエは目を細める。すると、藍良の手の中に、あの「虚映ノ鏡」があった。ひび割れた鏡面は僅かに光り、一部の欠片がまるで呼吸をするように、黄金の刃を吸い込んでいく。

「……これはいったい……何をしている?貴様……?」

 呆然と呟くユエ。先ほどの月詠。こんな術は知らない。どの属性にも当てはまらない。光でもなければ、炎でも水でもない。まるであれは……

 ──“鏡”の月詠。

 藍良は顔色ひとつ変えず、血に濡れた足を前に出した。

 一歩、また一歩。

 歩むたび、空気が張り詰め、鏡面が不気味に光る。そして、藍良の唇がゆっくりと動いた。

 ──

 我が月影よ 黄金に染まれ
 穢れを断ちて 深淵へ還せ
 輝く光よ 天より堕ちて──

 ──

 ユエは唇を震わせた。それは、紛れもなく、自分が口にした月詠だった。黄金の月詠を、この女は平然と、己の術のように口にしている。

 恐怖が全身を駆け抜ける。どういう理屈かはわからない。だが、ユエは直感した。この女はただ術を模倣もほうしたのではない。奪ったのだ。

 ユエは後ずさりながら、鏡を見る。鏡に吸い込まれた黄金の光は闇に喰われ、虫のようにうごめいていた。月詠の最後の一節を、自分は知っている。あの方が認めてくれた、黄金の月詠。それが今、絶望的な響きとなって、自分に迫って来る。

 ユエは現実を拒むように目を閉じた。まぶたの裏に広がるのは一面の闇。そこへ女の声が響く。静かに、そして断罪のように。

「抗う愚者の──魂を撃て!」
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