虚映ノ鏡は真を映さず ─神気宿す少女と、月詠む死神審問官─

あさとゆう

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第3章 心に棲む者と審問の楔

第50話 審問官・兼翔の推論

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「何してんの?あんた」

 藍良は叫びもせず、冷静にツッコんだ。目の前に立つ兼翔は、料理をしていたのだろうか。ピンクの花柄エプロンを着け、チラチラと何かを気にかけるように台所へと視線を移す。

「悪いが、今手が離せない。説明はあとだ」

 兼翔はそう短く言うと、奥へと姿を消した。ぽつんと取り残された藍良と千景は、手に下げた買い物袋を見つめ、揃って深いため息を吐く。

 数秒後。沈黙を破ったのは千景だった。

「……せっかく今夜は藍良の麻婆豆腐が食べられると思ってたのにぃ」

 …………いや、気にするところはそこかよ!?

 と、藍良は心の中でツッコむ。そして、買い物袋の口を広げ、中に潜むタマオをキッと睨んだ。

「タマオ!どういうこと!?なんであんなに焦ってたの?」
「当たり前じゃろう!今夜の晩御飯は、兼翔が和食を作ってくれておるのじゃ!」
「和食……?」
「この匂い、間違いないぞ。あの神々しいだし巻き卵じゃ。わしのだーいすきな、キラッキラで、ふわふわで、そんでもってとろけるような……アレじゃ!」

 全身で語るタマオを見て、藍良はがくりと肩を落とす。深刻な事態かと思いきや、だし巻き卵の気配を感じ取って、テンションが爆上がりしていただけらしい。

「もおお~~!ビックリするじゃん!お父さんに何かあったのかと思ったんだから!」
「そうだよ、タマオ。よりにもよって兼翔の和食なんてさ。藍良の麻婆豆腐と比べてごらん?価値は歴然だよ」

 珍しくタマオにツッコむ千景。どうやら今回ばかりは彼も文句を言いたくて仕方ないらしい。すると、タマオはうるうると瞳を潤ませ、二人を見上げた。

「だって……だし巻き卵おいしいんじゃもん。二人も絶対喜ぶと思ったんじゃもん!」

 タマオのブリブリ声に思わず苦笑する藍良。そして、いつぞやの夜を思い出す。タマオは初めてだし巻き卵を食べたとき、ひと口で目を輝かせた。感想のあまり体をクネクネさせて、喜びをあらわにしていた。そのおいしさに感動したからこそ、千景の黒標対象探しにも付き合ってくれたのだ。

 そんな純粋極まりないタマオをこれ以上責めても仕方がない。藍良は気を取り直し、うなだれる千景を軽く引っ張って台所へと向かった。そして、入るなり思わず固まる。

 兼翔は無駄な動きひとつなく、まるで「この台所は十年前から俺の持ち場だ」と言わんばかりの精密な動きで料理をしていた。

 まず目に飛び込んできたのは、コンロの上に鎮座ちんざする土鍋。ほわりと立ちのぼる湯気。立ち込める香りで、藍良は察した。

 ──タケノコの、炊き立ての、炊き込みご飯……!

 どうやら、あの土鍋でタケノコご飯を仕上げているらしい。さらに横のコンロでは、兼翔が手首を鋭く返し、卵をくるり、くるりと重ねていく。液体は層になり、ふんわりとした黄金色の塊に。その光景を見て、タマオはキラキラと目を輝かせた。

 すると次の瞬間、兼翔の右手がスッと天へ伸びた。指の隙間から白い粉が粉雪のようにさらさらと降り注ぐ。

「見よ!あれこそ、だし巻き卵の旨みの神髄しんずい──甘味調味料じゃ!」
「つまり、砂糖ね」

 千景が静かにツッコむ。すると、兼翔は振り向きもせず、背中で笑った。

「これだから素人は困る」
「な、何!?どういう意味じゃ!?」
「これはただの砂糖じゃない……和三盆わさんぼんだ」

 その言葉に、藍良と千景、そしてタマオは顔を見合わせた。

「わさんぼん……?何それ。千景、知ってる?」
「聞いたことないな」
「なんじゃ?盆祭りの出し物か?」

 すると、兼翔は声を出して笑った。

「まさか、和三盆を知らぬ者がいるとはな」
「何よ!」
「どういう意味じゃ!?」

 兼翔はくるりと卵を返しながら、淡々と言い放つ。

「和三盆とは和菓子に使われる上質な砂糖だ。普通の砂糖以上に角のない、まろやかな甘みが特徴で、口溶けが抜群にいい。甘さが控えめな分、卵の旨み、そして出汁の香りをしっかりと引き出してくれるのだ」

 詳細な説明に、藍良たちはぽかんと口を開ける。すると、兼翔は冷蔵庫を開け、器を取り出した。どうやら、すでに別の料理も作っていたらしい。

「それ……茄子?」
「茄子の揚げ浸しだ。あとは薬味を入れるだけ。汁物もできてるし、さわら西京焼さいきょうやきも焼き上がった。さあ、そろそろ晩飯だ」

 言いながら、兼翔はふっと藍良に笑みを向けた。その自然すぎる笑顔に、藍良は思わず瞬きを忘れる。だが、その一瞬の空気を断ち切るように、千景が割って入った。

「どうしてここに?」
「あ?」
「もうユエは捕えた。君は早く死神界に──」
「そういうお前こそ、なぜここに?」

 ピタリと固まる千景。藍良は二人の間に走った緊張を察して、そろそろっと視線を行き来させる。

「お前こそ、もうここにいる理由はないだろ。それなのに、どうして頑なにここから離れようとしない?」

 兼翔のひと言に、空気が重く沈む。すると、彼は視線だけを動かして藍良を見た。

「千景の行動、お前もおかしいと思っているだろう?なあ、藍良」

 ──片寄藍良

 虚を突かれた藍良は動揺し、思わず肩を震わせた。その名は藍良の前世であり、曾祖母そうそぼの名。どう答えて良いかわからず、藍良は目を伏せた。その視界の隅で、千景と兼翔、タマオの視線が突き刺さる。

 心臓が跳ねたそのとき、千景が一歩、兼翔との距離を詰めていく。

「君、ここ最近ずっと藍良のことを見張ってるよね。昼休憩中も、掃除中も。挙句、家にまで押しかけてくるなんて度が過ぎてる」
「どうだか。お前も何かおかしいと思っているから、この家に居座っているんじゃないのか」

 兼翔は料理を盛りつけながら、淡々とした声を崩さない。

「結論から言う。ユエとの一戦で俺たちが駆けつけたとき、ユエはすでに満身創痍まんしんそういだった。つまり、俺たち審問官ではない“誰か”が、最警戒レベルの黒標対象、ユエを追い詰めた。それができたのは、そこにいる水無瀬藍良しかいない。その証拠に、その女の首元には“月印”まで浮かんでいるしな」

 千景の肩がぴくりと動く。

「見方によっては、水無瀬藍良はユエ以上の力を持った人物。光属性のユエを追い詰めたということは、水無瀬藍良の属性は光か闇。もし闇なら──黒標対象候補になる」
「やめろ」

 千景の鋭い声が空気を斬った。藍良が顔を上げると、彼の目は、今までに見たことがないほど鋭く光っていた。だが、兼翔は怯まず、僅かに微笑むと諭すように言葉を落とした。

「……片寄藍良の一件から、お前は随分この女に肩入れしてるな。惚れた弱みか」
「兼翔、その名前は……」
「お前は、この女を──水無瀬藍良を見くびっているんだよ」

 その瞬間、千景の言葉が止まった。兼翔の視線が再び鋭く、藍良を射抜く。

「俺は二度、水無瀬藍良の前で『片寄藍良』の名を出した。一度目はユエの禁術……空間転移に行ったときだ。あのときの反応はあっけらかんとしたもので、不自然ではなかった」

 兼翔の声が静かに台所に響く。そのたび、藍良の背筋に冷たい汗が伝った。

「だが、今は違う。今、水無瀬藍良は“片寄藍良”と呼ばれて明らかに動揺した。ユエと対峙したあの夜、俺たちが目を離した数時間、決定的な何かがあったのだ。それを、この女は隠している。お前も気づいているはずだ」

 図星だ。すべてではないが、兼翔はやはり、核心に近づいている。そしてきっと千景も。気にはなっていたが、強く聞いてこなかっただけなのだ。押し黙る千景をよそに、兼翔は続ける。

「俺の推測では、“片寄藍良”が自分にとってどういう存在なのか、すでにこの女は理解している。だから今、動揺した。誰から聞いた?そしてあのとき、俺たちが目を離した“あの時間”に何が起きた?」

 藍良は完全に頭が真っ白になっていた。兼翔からいつ何を聞かれてもいいように、頭の中で問答を何度もシミュレーションしていた。だが、まさか突然「片寄藍良」の名を出されるとは思わなかった。そして、結果的に動揺してしまった。

 油断した。まさかこのタイミングで、兼翔がここまで踏み込んでくるとは思わなかった。探ってくる角度も深さも、藍良の想定より遥かに“上”だったのだ。

 ──どう答える?真白の存在を知られれば、わたしは黒標対象扱いになる。どうすればいい──?

 焦る気持ちが胸の奥で糸のように絡まっていく。「もうだめだ」と俯いた瞬間、視界がふっと霞んだ。胸の奥で何かが跳ね、頭がふらりと揺れる。意識はあるのに、自分の身体から遠ざかっていくような浮遊感。すると、藍良の口から静かな“声”が漏れた。

「……実は、思い出したことがあるの」

 すると、千景と兼翔の視線が、一瞬にして藍良に向けられる。正確には藍良ではなく、彼女の奥底から顔を出した──真白に。
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