虚映ノ鏡は真を映さず ─神気宿す少女と、月詠む死神審問官─

あさとゆう

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第3章 心に棲む者と審問の楔

第69話 気配なき殺人

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 その日の夜、藍良は千景、兼翔、そして慈玄とともに食卓を囲んでいた。
 兼翔はいつも以上に腕を振るい、この日の晩御飯はいつもに増して品数が多かった。メインはボリューム満点の生姜焼き。具だくさんの味噌汁に大盛りの白ごはん。さらに、ひじきの煮物とだし巻き卵。料理からはホカホカと湯気が立ち、見ているだけで喉が鳴る。

 慈玄は「いただきます」と言うや否や、生姜焼きを豪快に頬張った。噛みしめるたびに幸せそうに目を細める様子を見て、藍良も思わず箸を伸ばす。狙いは同じく、生姜焼きだ。パクリと口に入れると、醤油と砂糖、そして生姜の香りがふわりと広がった。続いて、味噌汁をひと口。出汁の効いた優しい味わいに頷きつつ、白ご飯が盛りつけられた茶碗へと手を伸ばした。

 そして藍良は、ゆっくりと千景を見た。彼の目は確かに食卓の料理を捕えてはいるものの、視線は一切動かず、まるで時間が止まっているかのようだ。真剣な表情のまま、ただ一点を見つめ続けている。

 その様子に、藍良は持っていた茶碗をそっと下ろした。事情を知らない慈玄も、異変を感じ取ったのか、千景を見ながら首を傾げる。

「……千景君?どうしたの?冷めちゃうよ」

 だが、その声にも千景が反応することはなかった。どうやら彼の意識は、完全にここにはないらしい。不安に駆られた藍良は、もう一度声をかけようと身を乗り出す。

 と、そのとき。

「……ふご!!」

 唐突に飛び出した、千景の奇声。
 兼翔が有無を言わせぬ勢いで、千景の口に生姜焼きを突っ込んだのだ。この兼翔の行動に、藍良と慈玄は目を丸くして、同時に箸をカランと落とす。だが、当の兼翔は涼しい顔のまま、淡々とこう言い放った。

「食え。冷める」

 千景は驚きに目を大きく見開いたまま、観念したように生姜焼きを頬張った。喉仏がぴくりと動き、肉が飲み込まれる。すると、間髪入れず、続いて兼翔は白米を千景の口に押し込んだ。

「……うぐっ」
「……まったく、ボサっとしおって。いいから今はさっさと食え」

 千景は目をパチパチとさせながら兼翔の手を押さえ、奪うように箸を受け取った。白米を飲み込むと、ようやく並べられた料理をまじまじと見渡す。

「……千景?大丈夫?」

 藍良の控えめな声に、千景はハッとした表情を浮かべた。そして、いつものように穏やかな微笑みを向ける。

「うん」

 短く応えたあと、千景は自分の箸で食事を再開した。一方の兼翔は、何事もなかったかのように黙々と箸を進めている。その様子を見て、藍良はくすりと笑った。やはりこの二人の間には、藍良が思っている以上に深い絆があるらしい。

 食事が終わり、慈玄が寝室で休んだあと、藍良たちは千景の部屋に集まった。ここからはタマオも合流。藍良たちは千景が淹れた紅茶を、そしてタマオは和食を頬張りながら話し合いを始めていた。

「花倉先生の胸に、ナイフが突き刺さってた。直接の死因はそれだね」

 千景の報告に、兼翔が低く問い返す。

「人間界での殺人で月詠を使うわけにもいかんからな。それで“闇属性”の気配は?」
「それが……」

 千景は一瞬言葉を詰まらせたあと、息を吐くように小さく呟いた。

「……どこにも……なかった」

 力なく声が落ちる。この状況は、千景にとっても完全に想定外だったのだろう。兼翔はしばらく考え込むように顔を伏せたあと、改めて千景を見る。

「相手は曲がりなりにも黒標対象だ。普通に考えれば、奴の死には黒標対象クラスの死神が絡んでいるはず。……だが、気配がないのは妙だな」
「うん。死神が殺したなら、気配が残っているはず。それもまったくなかった」

 そのとき、和食をモグモグと頬張っていたタマオが顔を上げた。

「……気配が残る?どういうことじゃ?」

 兼翔が答える。

「死神が花倉を殺したなら、邪気か神気――どちらかの気配がその場に残るはず。ユエがかつてそうだったように。あいつは、自殺に見せかけて人間を殺していたが、被害者たちには、うっすら邪気が残っていた。だからこそ、千景はこの学園を辿ることができたのだ。今回はなぜか、それがない」

 藍良とタマオは顔を見合わせ、小さく頷く。間髪入れずに、兼翔が続ける。

「それを踏まえると、考えられる可能性は二つ。一つ目は、花倉を殺したのがただの人間だった場合。人間なら、邪気や神気は残らないからな。そして二つ目は……」

 藍良の喉が無意識に鳴った。張り詰めた氷のような空気が、静かに部屋を満たしていく。

「花倉を殺したのは“化身”という可能性だ。闇の気配を持つ“化身”は花倉本人ではなく、奴の中に潜んでいた。“化身”は内側から花倉を殺したあと、奴の身体にナイフを突き立てた。内側から殺せば、邪気も神気も残らない……かもしれない」

 藍良は深く息を吐いた。これは先ほども兼翔から聞いた推測。確かに可能性は二つ。藍良の脳裏のうりに、再び廊下の窓越しに向けられた、あの不気味な笑みが蘇る。あれはやはり花倉本人ではなく、彼女の“化身”だったのだろうか。

 すると、タマオがしゅるりと藍良の隣へ移動し、座卓にちょこんと顔を乗せた。

「じゃが、仮に花倉に潜んでいた“化身”が犯人だとするなら、宿主を殺して生きていられるものなのじゃろうか……」

 藍良は小さく頷く。まったく同じ疑問を、今朝すでに藍良も兼翔にぶつけたばかりだったのだ。すると、兼翔が静かに口を開く。

「さっき水無瀬にも話したが、“化身”の存在は稀だ。宿主なしで生きられるかどうかは、俺にも――」
「いや。“化身”は宿主がいなくても生きられる」

 兼翔の言葉を、千景が遮った。その断言に、全員が押し黙る。兼翔は目を細め、僅かに身を乗り出した。

「どういうことだ?なぜ、言い切れる?」

 千景は答える前に、ほんの一瞬だけ藍良を見た。そして、逡巡するように視線を戻し、兼翔を真っ直ぐに見据える。

「詳しいことは、ここでは言えない。でも、そうなんだ。宿主がいなくても、化身は意思を持ち、存在し続けることができる。もしかしたら、“化身”は他の人間に宿ることができるのかもしれない。それを、確かめられたらいいんだけど……」

 千景はそう言うと、誰にも見えないようにそっと藍良の右手を握った。それはいつもより静かで、どこか意味を含んだような触れ方だった。

 藍良はハッとした。どうして気付かなかったのだろう。

 片寄藍良が死んだあと、真白は消えなかった。だから今も、藍良の心の中にいる。千景の言う「“化身”は宿主がいなくても、生きられる」とは、真白の存在に気付いた千景だからこそ出た言葉なのだ。

 そして、そのあとの千景の言葉……。

 ――もしかしたら、“化身”は他の人間に宿ることができるのかもしれない。それを、確かめられたらいいんだけど……。

 そう言って藍良の手を意味深に握ったのは、藍良への合図だ。

 ――“化身”は他の人間に宿ることができるのか。“彼女”に確かめて欲しい。

 千景はそう伝えたいのだ。
 藍良はその想いに応えるように、千景の手をいつもより少し強く、握り返した。
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