そとづら悪魔とビビりな天使〜本音を隠す者たち〜

エツハシフラク

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真黒 燈(マクロ アカシ)

8:決壊と覚悟

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 夜十時。あいつの家に着いた。やはり急ぎ過ぎたようで呼吸が乱れている。
 どうにか整えチャイムを押す。


 十数秒後、パタパタと廊下を早足で歩く音と共にゆりがドアを開けた。

「入って」

 俺を一瞥するや否や、このひとこと。一ヶ月振りに会うというのに驚く様子もない。

「お邪魔します」

 靴を脱ぐと外の水たまりで少し靴下が濡れていた。
 廊下を抜け部屋に入ると、座布団に座るよう促すのであぐらで腰掛けた。

「すごい汗だよ。のど乾いたでしょ? これ飲んで。あとこれも」

 ゆりは前回と同じく水のペットボトルとタオルを俺に手渡した。顔を拭き、キャップを開けて飲むと不足していた水分が身体に満たされていく感覚だ。
   ゆりが俺の正面に座る。

「外、雨降ってた?」

   押しかけた理由を聞かれると思ったのに、普通の世間話に拍子抜けしてしまった。

「えっと……水たまりはかなりあったけど降ってはなかった……かな」
「そう。良かった」

 俺の曖昧な答えにも笑わず聞いてくれる。


 どうしてあんたはいつも俺に優しいんだ。

 一ヶ月ちょっと前まで赤の他人だったんだぞ?

 あんたが死のうとしたとき一瞬でも見捨てたのに。

   クレープを無理矢理食べて、気分が悪いことを自分よりも早く気付き介抱してくれた。

 欲しいと思った参考書を誕生日プレゼントとして買ってくれた。

 自分のわがままを押し通さないで互いに見合った食事をした。

 人に因縁をつけられても怒ることなく冷静に対処した。

 長い間胸に秘めていた闇を、家族よりも六歳も年下の高校生に話すなんておかしく思わないのか?

 そして『いつもとは違った雰囲気』というだけで、夜中ひとり暮らしの部屋に招き入れる。


 どうして。


 どうして……



 気づくと俺は泣いていた。


 涙を止めようにも決壊したダムのように次々と溢れ出し、男のプライドが丸つぶれになってしまう。

 ゆりはティッシュケースを俺の隣に置くと、ひざ立ちになって俺の耳を自分の胸に当てた。

 心臓の音が聞こえる。

 人間が生きている証拠。

 温かい。

 母親がおんぶしてくれた遠い昔を思い出す。

 ゆりが頭をそっと撫でる。

 テストで良い点を採ると父親が撫でてくれたっけ。

 先月に俺もゆりに対して同じことをしたはずなのに、自分がされる側になるなんて夢にも思わなかった。


「泣いて良いんだよ。大丈夫。大丈夫だからね」


   その言葉が直接脳内に響く。

   俺は声を漏らしながら泣いた。それは嗚咽よりも慟哭に近いのかもしれない。

   服が涙で濡れてしまっても、ゆりは構わず俺の頭を抱きしめながら頭を撫で続けた。

   あの日以来、六年分の涙が押し寄せてきたように感じる。

   全てを包み込んでくれる母親みたいだ。


 そう言ったらあんたは怒るだろうか。



 涙が止まり顔を上げる。案の定ゆりのTシャツは濡れていた。顔をタオルで拭きティッシュで鼻をかむ。また借りができてしまった。

「落ち着いた?」
「カッコ悪ぃな。男なのに」

 普段感情を表に出さないのでなんとなく気まずい。それでもゆりは引くことなく平然としている。

「男でも泣きたいときはあるでしょ。気にしないの」
「ゴメン。その……服、汚しちまって」
「そんなの着替えれば済むことよ」

 照れ臭さと情けなさでなんとなく目を合わせづらい中、ゆりは箪笥から服を取り出し廊下で着替える。
 ドアを開くと、俺に向かい両手で自分の服の裾を引っ張り着替えたことをアピールする。

「ほら、大丈夫でしょ?」
「そんなことしなくてもわかってるって」
「はいはい、素直じゃないんだから。それよりアカシくん目、腫れてるよ? そこで洗ってきたら?」

 いつもの調子で笑ったあとキッチンを指差す。

「あぁ、サンキュ」

 新しいタオルを受け取ると顔を洗った。サッパリしたあと部屋に戻り座布団に座るとひと息つく。
 終始朗らかな表情で正面に座るゆりと目線を合わせた。

「聞いてくれるか?」
「聞くも何もそのために来たんでしょ?」
「ま、そんなとこ。それじゃ、失礼して……」

 俺がここまでひねくれてしまった理由……それは両親にある。
 仕事だけが全てのようなやつらで、俺たちを産んだのだって自分たちの人生の手駒としか考えていない。しかし俺と姉は、そんな両親の期待に応えることによって自分の価値を見出していた。
 今から六年前の小学四年のとき、親父の不倫で離婚し母親に引き取られた。子どもながらに事情を察していたため、そこまで驚かなかったものの暴力だけは我慢できなかった。酒に溺れた母親からチカラ任せに頬を平手打ちされ、口の中に広がった血の味は忘れられない。
 当時反抗期真っ只中だった姉とはやはり反りが合わず、今でもほとんど会話をしない状態だ。バイトを掛け持ちしているくせにどうして引っ越さないんだろう。
 個人的な疑問は省きながら、ゆりに細かく原因を伝える。口頭なのでわかりにくい部分もあっただろうが、それでも話の腰を折ることなく全て聞いてくれた。
 壁掛けの時計を見ると深夜零時前。

「えっと……明日も仕事あるんだろ?   悪かった」
「なんで?   前回は私のこと聞いてくれたじゃない。お互い様だよ。スッキリした?」
「あぁ、なんとかなりそうだ」
「よかった。泊まっていけば?   明日休みでしょ?」

 今日は金曜日。でも甘えるわけにはいかないので首を横に振る。

「いや、まだ電車はあるし帰るよ」
「そう? もちろん襲わないよ?」

 両手の爪を立て『ガオー』のポーズで聞いてきた。

「だから、自分の姉貴より年上の女は女として見れねぇって言ってんだろ!」
「わかってる。その調子なら大丈夫そうね! いつでも相談しに来て」
「本当にありがとう」

 素直な言葉だ。俺はまだ大丈夫。
 ゆりから飲みかけのペットボトルを貰い玄関まで見送ってくれた。

「帰り道気をつけて」
「うん」
「あ、ちょっと待ってて!」

 そう言うとゆりはドアを全開にし冷蔵庫に駆け寄る。かがんだ彼女が一瞬扉で隠れ何かを取り出したようだ。
 再び俺のところへ戻ると棒付きアイスを一本差し出した。

「暑いからあげる! また明日ね」
「サンキュー。じゃあな」

 アイスを受け取り一歩下がるとドアが閉められる。


 ここまで晴れやかな気持ちになったのは初めてかもしれない。あいつとはこれからも良い友だちでいられそうだ。
 ずっとジーンズのポケットにしまっていたスマホを取り出すと、姉から十一時ごろLINEの着信があった。

『お姉ちゃんもう寝るからね!』

 なんじゃそりゃ。思わず吹き出してしまうが明日の朝説明すれば平気だろう。

 駅までの道を歩きながら、アイスを袋から取り出し口に入れる。ひんやりする冷たさと懐かしいサイダーの味。
 梅雨だというのに夜空には星が瞬いている。見上げるので自然と歩幅が狭くなるが、急ぐ理由もないのでゆっくりと進む。
 空気を鼻から吸い込めば季節独特の湿気と生臭さを含んだ匂いがする。昔『カタツムリの匂い』と言っていたころが懐かしい。
 さっき泣くことに夢中で意識していなかったが、ゆりの心臓の鼓動はどの音楽より落ち着いたし、シャツ越しから伝わる体温も心地良かった。

 五感の素晴らしさを呼び覚ませるきっかけをくれたあいつにはいくら感謝してもしきれない。

 俺の生きがいか……
 『嫌われても良いから、自分の全てをさらけ出して人生を楽しむ』

 うん。これでいこう。

 野良猫がニャーと鳴くその隣で、闘志を燃やすように己の両手を高く突き上げた。
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