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16.私には無理
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「冬馬さん、待ち合わせ場所に行けなくてごめんなさい。実はマンションの前で見知らぬ人に襲われそうになったんです」
私が立ち上がり扉を開けて立ち尽くす冬馬さんに近づこうとするも、江夏君が私の手を引っ張って離してくれない。
「未来、怪我とかしてない? 大丈夫?」
冬馬さんは先ほどの険しい顔から優しい顔になっていた。
「私は大丈夫です。でも、私を庇った江夏君が怪我をしてしまって⋯⋯」
私の言葉は最後まで言わせてもらえなかった。
冬馬さんが近づいて来て、私の手首から無理やり江夏君の手を引き剥がす。
「お前、俺の女の体に勝手に触れてるんじゃねえよ」
いつも穏やかな口調の冬馬さんの乱暴な言葉に私は目を見開いた。
「桜田さんは、城ヶ崎副社長の何番目の女なんですか? 彼女は、普段、副社長がワンナイトしてポイしてる子たちとは違いますよ」
江夏君まで、攻撃的な目で冬馬さんを睨みつけていた。
「ワンナイトって⋯⋯」
急に気分が悪くなって来る。
聞いた事があっても、そんな事をするような人がいるなんて信じられない。
冬馬さんの過去に何があっても構わないと思っていたが、正直気持ち悪いと思ってしまった。
そんな私の反応に気がついたのか、冬馬さんが私を柔らかく抱きしめてくる。
「ごめん、未来と会って初めて俺は人を好きになったんだ。それまでは、かなり女遊びが激しかったとは自分でも思う」
「女遊び⋯⋯」
私の中で幼い頃、母に自分の父親は誰なのかを聞いた記憶が蘇った。
父の日にお父さんの絵を描けと言われても、描けなくて辛かった。
何を描いて良いのか分からず偽者を書くわけにもいかずに、大人しく白紙で紙を先生に出したら鼻で笑われた。
人の悪意に初めて触れた瞬間だった。
優しい母に対して私が反発を覚えた最初の出来事だ。
感謝する父もいないのは母の不道徳な行動のせいだと彼女を軽蔑し始めた記憶。
『どうして、私にはお父さんがいないの?』
『未来のお父さんは家庭がある人だったの。彼にとって私は遊びだったのよ』
私から目を逸らしながら、潤んだ瞳を隠して語った母を思い出した。
冬馬さんは自分の罪に気がついていないように平然としている。
私は彼のその姿にゾッとした。
「その玩具のように遊んでしまった女性たちには謝罪して回ったんですか?」
「玩具って⋯⋯向こうから言い寄られるのがほとんどだったし、お互いその場を楽しんで別れただけだから謝るようなことは⋯⋯」
母の葬儀にも現れなかった父も、冬馬さんのような考え方の人だったのかもしれないと想像するだけで吐き気がした。
私は気がつくと思いっきり冬馬さんを押していた。
その勢いで彼が目を丸くしながら一歩後ずさる。
「はっきり言って、気持ち悪いです。私、冬馬さんみたいな人と一緒になるなんて絶対無理! 私だって人に誇れるような過去はありません。でも、今の冬馬さんが⋯⋯貴方の考え方が私には到底受け入れられません。私と別れてください」
個室とはいえ、病院なのに興奮して大きな声を出してしまった。
「未来⋯⋯」
冬馬さんが恐る恐る私に手を伸ばしてくる。私は彼の手に自分の左手の薬指にはめてある指輪を外して握らせた。
「さようなら。もう二度とお会いすることはありません。出てってください」
私の強い言葉に傷ついたような顔をした彼が病室の外に出ていった。
冬馬さんが去って私は胸の中にぽっかり穴が空いたような感覚を覚えた。
私は本当に彼が好きだった。
恋など穢らわしいと思っていた私が持つなんて想像もできなかったような不思議な感情だ。
「はぁ⋯うぅ⋯⋯」
冬馬さんを追い返すと止め処もなく涙が溢れてくる。
そんな私に江夏君がタオルを渡してきた。
「ありがとう。恥ずかしい所を見せちゃったね。さっきは、どんな過去も受け入れるような度量のある女を気取ってたのに、全然無理だったよ」
「そういうのは度量のあるって言わないよ。あれを受け入れたら都合の良い女になっちゃうよ。そうだ、癒される猫の動画でも見る? 桜田さんの家って猫飼っていたよね」
「あの子はたまに忍び込んできた野良猫だよ」
今の私も天涯孤独の野良猫のようなものだと落ち込みながら、江夏君のスマホを受け取る。
「えっと、ロックが⋯⋯」
スマホはロックが掛かってて開かなかった。
「暗証番号は 140906だよ」
突然、江夏君が耳元で囁いてきて驚いてしまう。
(140906⋯⋯私の誕生日⋯⋯10年前、彼が私に告白して振られた日⋯⋯偶然だよね)
私は猫が丸まって昼寝をしている動画を見ていたら、本当に癒されていた。
「涙、止まったね。それにしても、どこで城ヶ崎副社長と出会ったの?」
彼の疑問はもっともだ。
セレブな東京都港区に住んでいる冬馬さんと、10年引きこもりの千葉県の港町出身の私の接点などどこにもない。
「私も記憶がなくて分からないの。実は、私、とある女性に3月末に刺されて2ヶ月間も意識が戻らなかったの。それで、冬馬さん⋯⋯城ヶ崎さんに関する記憶というか最近の記憶は無くしちゃってて⋯⋯」
「えっ? 刺された? どこで? そんな事件あったっけ?」
「港区警察署の前⋯⋯」
「そんな事件があったら、ニュースになってると思うけど⋯⋯」
私が動画を見ていたスマホを江夏君に渡すと、彼がニュースサイトを検索し始めた。
「病院で検査している医者と看護師さんが、私が冬馬さんのストーカーに刺された話をヒソヒソしていたのを確かに聞いたんだけど⋯⋯」
私は何だか怖くなってきてしまった。
記憶を失ったり、脳が新ししい記憶をスポンジのように吸い込んだり、今の私の頭は正常ではない。
私の震えに気がついた江夏君がそっと私の手を握ってくれる。
「城ヶ崎副社長のストーカーか⋯⋯遊び相手が本気になっちゃったのかな。多分『ブルーミング』のブランドイメージを損なうから、箝口令が敷かれたんだと思う」
「箝口令⋯⋯そんな事出来るんだね。目覚めた時に城ヶ崎さんが私の恋人だって言ったの。私も半信半疑だったんだけど、彼の家に行ったら私のサイズの服がクローゼットに沢山掛かっていて」
「城ヶ崎副社長なら電話一本でそれくらい揃えられるよ。桜田さんが記憶喪失なのを良いことに恋人になりすましたって事はない?」
「私の恋人になりすます? 私よりずっと綺麗な女の人が選び放題なのに?」
下着を持って来てくれた秘書の方でさえ、モデルのように美しい人だった。
美しい女性に囲まれて仕事をしてそうな彼が私のような子に、そんな手の込んだ事をするとは思えない。
「俺は世界中の女性が選び放題の状態でも、桜田さんを選ぶけど⋯⋯桜田さんは俺の初恋で、10年間ずっと忘れられなかった」
江夏君が真っ直ぐに私の目を見つめて、告白めいた事を言ってくる。
彼のヘーゼル色の瞳に映った私は明らかに困惑していた。
「ごめん、私、江夏君の気持ちには応えられない」
命懸けで私を助けてくれた彼の告白を断るのは忍びないが、やはり受け入れる事はできなかった。
時計を見ると19時48分で、面会時間も終わりに近づいていることに気が付く。
「江夏君、今日は私の事を助けてくれてありがとう。あと、偉そうに説教みたいな事してごめんね」
私は立ち上がり、彼に深々と頭を下げた。
記憶のない間、私も人に命を狙われるような悪い事をしていた。
記憶にある過去を取り寄せても、人に説教できるような生き方もしていない。
(『お前は、本当に偉そうに正論かざしやがって!』)
私に襲い掛かろうとした犯人の言葉を心に刻み込んだ方が良いのかもしれない。
「今から千葉の実家に帰るの? この時間だと駅からのバスがないと思うけど⋯⋯」
「歩くから、平気⋯⋯」
40分以上も暗い夜道を歩く事を考えると怖くなった。
また、突然見知らぬ人が包丁を持って現れるかもしれない。
(あっ、それに私、財布とスマホを入れたカバンを落としちゃったんだ⋯⋯)
「この個室、付き添いで泊まれるんだって。良かったら泊まってく?」
江夏君が指差した方向には簡易の折りたたみ式のソファーベッドがあった。
「いいの? ごめんね。迷惑掛けて」
「全然、迷惑じゃないよ。流石にあんな事があったし怖いよね」
私は今晩は病院に泊まることにした。
私が立ち上がり扉を開けて立ち尽くす冬馬さんに近づこうとするも、江夏君が私の手を引っ張って離してくれない。
「未来、怪我とかしてない? 大丈夫?」
冬馬さんは先ほどの険しい顔から優しい顔になっていた。
「私は大丈夫です。でも、私を庇った江夏君が怪我をしてしまって⋯⋯」
私の言葉は最後まで言わせてもらえなかった。
冬馬さんが近づいて来て、私の手首から無理やり江夏君の手を引き剥がす。
「お前、俺の女の体に勝手に触れてるんじゃねえよ」
いつも穏やかな口調の冬馬さんの乱暴な言葉に私は目を見開いた。
「桜田さんは、城ヶ崎副社長の何番目の女なんですか? 彼女は、普段、副社長がワンナイトしてポイしてる子たちとは違いますよ」
江夏君まで、攻撃的な目で冬馬さんを睨みつけていた。
「ワンナイトって⋯⋯」
急に気分が悪くなって来る。
聞いた事があっても、そんな事をするような人がいるなんて信じられない。
冬馬さんの過去に何があっても構わないと思っていたが、正直気持ち悪いと思ってしまった。
そんな私の反応に気がついたのか、冬馬さんが私を柔らかく抱きしめてくる。
「ごめん、未来と会って初めて俺は人を好きになったんだ。それまでは、かなり女遊びが激しかったとは自分でも思う」
「女遊び⋯⋯」
私の中で幼い頃、母に自分の父親は誰なのかを聞いた記憶が蘇った。
父の日にお父さんの絵を描けと言われても、描けなくて辛かった。
何を描いて良いのか分からず偽者を書くわけにもいかずに、大人しく白紙で紙を先生に出したら鼻で笑われた。
人の悪意に初めて触れた瞬間だった。
優しい母に対して私が反発を覚えた最初の出来事だ。
感謝する父もいないのは母の不道徳な行動のせいだと彼女を軽蔑し始めた記憶。
『どうして、私にはお父さんがいないの?』
『未来のお父さんは家庭がある人だったの。彼にとって私は遊びだったのよ』
私から目を逸らしながら、潤んだ瞳を隠して語った母を思い出した。
冬馬さんは自分の罪に気がついていないように平然としている。
私は彼のその姿にゾッとした。
「その玩具のように遊んでしまった女性たちには謝罪して回ったんですか?」
「玩具って⋯⋯向こうから言い寄られるのがほとんどだったし、お互いその場を楽しんで別れただけだから謝るようなことは⋯⋯」
母の葬儀にも現れなかった父も、冬馬さんのような考え方の人だったのかもしれないと想像するだけで吐き気がした。
私は気がつくと思いっきり冬馬さんを押していた。
その勢いで彼が目を丸くしながら一歩後ずさる。
「はっきり言って、気持ち悪いです。私、冬馬さんみたいな人と一緒になるなんて絶対無理! 私だって人に誇れるような過去はありません。でも、今の冬馬さんが⋯⋯貴方の考え方が私には到底受け入れられません。私と別れてください」
個室とはいえ、病院なのに興奮して大きな声を出してしまった。
「未来⋯⋯」
冬馬さんが恐る恐る私に手を伸ばしてくる。私は彼の手に自分の左手の薬指にはめてある指輪を外して握らせた。
「さようなら。もう二度とお会いすることはありません。出てってください」
私の強い言葉に傷ついたような顔をした彼が病室の外に出ていった。
冬馬さんが去って私は胸の中にぽっかり穴が空いたような感覚を覚えた。
私は本当に彼が好きだった。
恋など穢らわしいと思っていた私が持つなんて想像もできなかったような不思議な感情だ。
「はぁ⋯うぅ⋯⋯」
冬馬さんを追い返すと止め処もなく涙が溢れてくる。
そんな私に江夏君がタオルを渡してきた。
「ありがとう。恥ずかしい所を見せちゃったね。さっきは、どんな過去も受け入れるような度量のある女を気取ってたのに、全然無理だったよ」
「そういうのは度量のあるって言わないよ。あれを受け入れたら都合の良い女になっちゃうよ。そうだ、癒される猫の動画でも見る? 桜田さんの家って猫飼っていたよね」
「あの子はたまに忍び込んできた野良猫だよ」
今の私も天涯孤独の野良猫のようなものだと落ち込みながら、江夏君のスマホを受け取る。
「えっと、ロックが⋯⋯」
スマホはロックが掛かってて開かなかった。
「暗証番号は 140906だよ」
突然、江夏君が耳元で囁いてきて驚いてしまう。
(140906⋯⋯私の誕生日⋯⋯10年前、彼が私に告白して振られた日⋯⋯偶然だよね)
私は猫が丸まって昼寝をしている動画を見ていたら、本当に癒されていた。
「涙、止まったね。それにしても、どこで城ヶ崎副社長と出会ったの?」
彼の疑問はもっともだ。
セレブな東京都港区に住んでいる冬馬さんと、10年引きこもりの千葉県の港町出身の私の接点などどこにもない。
「私も記憶がなくて分からないの。実は、私、とある女性に3月末に刺されて2ヶ月間も意識が戻らなかったの。それで、冬馬さん⋯⋯城ヶ崎さんに関する記憶というか最近の記憶は無くしちゃってて⋯⋯」
「えっ? 刺された? どこで? そんな事件あったっけ?」
「港区警察署の前⋯⋯」
「そんな事件があったら、ニュースになってると思うけど⋯⋯」
私が動画を見ていたスマホを江夏君に渡すと、彼がニュースサイトを検索し始めた。
「病院で検査している医者と看護師さんが、私が冬馬さんのストーカーに刺された話をヒソヒソしていたのを確かに聞いたんだけど⋯⋯」
私は何だか怖くなってきてしまった。
記憶を失ったり、脳が新ししい記憶をスポンジのように吸い込んだり、今の私の頭は正常ではない。
私の震えに気がついた江夏君がそっと私の手を握ってくれる。
「城ヶ崎副社長のストーカーか⋯⋯遊び相手が本気になっちゃったのかな。多分『ブルーミング』のブランドイメージを損なうから、箝口令が敷かれたんだと思う」
「箝口令⋯⋯そんな事出来るんだね。目覚めた時に城ヶ崎さんが私の恋人だって言ったの。私も半信半疑だったんだけど、彼の家に行ったら私のサイズの服がクローゼットに沢山掛かっていて」
「城ヶ崎副社長なら電話一本でそれくらい揃えられるよ。桜田さんが記憶喪失なのを良いことに恋人になりすましたって事はない?」
「私の恋人になりすます? 私よりずっと綺麗な女の人が選び放題なのに?」
下着を持って来てくれた秘書の方でさえ、モデルのように美しい人だった。
美しい女性に囲まれて仕事をしてそうな彼が私のような子に、そんな手の込んだ事をするとは思えない。
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江夏君が真っ直ぐに私の目を見つめて、告白めいた事を言ってくる。
彼のヘーゼル色の瞳に映った私は明らかに困惑していた。
「ごめん、私、江夏君の気持ちには応えられない」
命懸けで私を助けてくれた彼の告白を断るのは忍びないが、やはり受け入れる事はできなかった。
時計を見ると19時48分で、面会時間も終わりに近づいていることに気が付く。
「江夏君、今日は私の事を助けてくれてありがとう。あと、偉そうに説教みたいな事してごめんね」
私は立ち上がり、彼に深々と頭を下げた。
記憶のない間、私も人に命を狙われるような悪い事をしていた。
記憶にある過去を取り寄せても、人に説教できるような生き方もしていない。
(『お前は、本当に偉そうに正論かざしやがって!』)
私に襲い掛かろうとした犯人の言葉を心に刻み込んだ方が良いのかもしれない。
「今から千葉の実家に帰るの? この時間だと駅からのバスがないと思うけど⋯⋯」
「歩くから、平気⋯⋯」
40分以上も暗い夜道を歩く事を考えると怖くなった。
また、突然見知らぬ人が包丁を持って現れるかもしれない。
(あっ、それに私、財布とスマホを入れたカバンを落としちゃったんだ⋯⋯)
「この個室、付き添いで泊まれるんだって。良かったら泊まってく?」
江夏君が指差した方向には簡易の折りたたみ式のソファーベッドがあった。
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