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21.23年前の決意
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時を遡ること、二十三年前。
冬の光が薄く差し込む座敷で、五歳の真夏は息を潜めていた。
障子の向こうから、冬城組幹部たちの低い声が、まるで井戸の底から聞こえるようにくぐもって届く。
「あの子は、源次郎さんの実子じゃねえ。渚さんの連れてきた子だ」
その一言が、ゆっくりと、しかし容赦なく真夏の胸に沈んだ。
自分は冬城源次郎の子ではない。
そして、身勝手に連れてこられただけの存在。
胸の奥で、何かがぶちりと切れた。
冬城家の冷たい廊下を走って逃げ出す。床板の軋む音が、追いかけてくる怯えの足音のように聞こえた。
座敷を抜け、庭へ、さらに裏手の倉庫の前でくずれ落ちる。
吐く息は白く、頬を打つ風が痛いほど冷たい。
けれどその冷たさよりも、胸の奥の熱い怒りが勝っていた。
(私は、ただ連れてこられただけ?)
自分を囲むこの世界は、愛とは違う何かでできていた。支配と、義理と、沈黙。そして恐怖。
父だけでなく、血の繋がりがあるはずの母でさえ私を愛していない。
外に出れば、仲睦まじい家族ばかり目につく。
父親に肩車されている子、母親と砂遊びをしている子。
優しい愛情と笑い声に包まれた世界がある。
どうして、私だけ酷い世界に閉じ込められているのか。
(こんな酷い世界、壊してしまえばいい)
小さな手を握りしめた瞬間、胸の奥底から声がこだました。
『子供を守れなきゃ母親じゃないわ』
私は確かに母の声で胸にずっと刻まれるような言葉を聞いた。
その声は温かくも優しくもない。
けれど、揺るぎない強さをもっていた。
実際、母が私に対してそんな事を言った事はない。
きっと、私が母のお腹にいた時に聞いた言葉なのだろう。
私はそう解釈していた。
(守られたことなんて一度もないのに)
涙を袖で拭い、私は決めた。
(冬城組を潰す)
私は自分の出生の秘密を突き止め、母が私をここに連れてきた理由を探り当てた。
計画は幼いほど鋭敏だ。小さな手で綻びを探り、小さな心で計算を重ねる。
そして両親に気取られた。
「真夏? 最近、少し変じゃないか?」
そう問いかけたのは源次郎だった。鋭い眼光の奥に、薄い警戒が揺らいでいる。
私は瞬時に悟った。
(このままでは計画は上手くいかない)
敵を欺くには、まず心を差し出してしまうしかない。
その夜、襖の隙間からこぼれる橙色の灯りの中、私は鏡の前に座っていた。涙の跡を乾かした幼い頬を撫でながら、静かに呟く。
「優しくて、素直で、純粋な子にならなくちゃ」
渚の二人の姉の面影を混ぜてつくりあげる。慈悲深く、お人好しで、動物が好きで、誰かを傷つけるなんて考えもしない人間。
渚が決して攻撃しないタイプの弱く、守られるべき娘を。
ゆっくりと、呼吸が変わる。
視線が変わる。
心の奥の鋭い針が、薄布の下へと隠されていく。
翌朝。
庭で猫を抱きしめて笑う真夏を見て、源次郎は目を細めた。
「まるで人が変わったみたいだ」
その変化を成長と捉え、冬城家の誰も疑わなかった。
ただ一人、渚だけがほんの一瞬、眉を寄せた。
だが真夏は、母のその眼差しすら曇らせてみせた。
胸の奥で、もう一度、胎内の声が響いた。
『子供を守れなきゃ母親じゃないわ』
魂を締め付けるその言葉だけは、誰よりも強く、深く、私の復讐心を煽った。
(冬城渚、私を守るどころか利用する道具としか考えてない貴女なんて母親じゃないのよ)
警戒心の強い両親にも気づかれないよう、本当の自分を殺していく。
常に警戒していた事で、自分の意志では誰にも見られていない夜中以外人格を交代できなくなっていた。
優しく、穏やかに、笑う。
極道の娘とは思えない無害で純粋な『真夏』の誕生だった。
冬の光が薄く差し込む座敷で、五歳の真夏は息を潜めていた。
障子の向こうから、冬城組幹部たちの低い声が、まるで井戸の底から聞こえるようにくぐもって届く。
「あの子は、源次郎さんの実子じゃねえ。渚さんの連れてきた子だ」
その一言が、ゆっくりと、しかし容赦なく真夏の胸に沈んだ。
自分は冬城源次郎の子ではない。
そして、身勝手に連れてこられただけの存在。
胸の奥で、何かがぶちりと切れた。
冬城家の冷たい廊下を走って逃げ出す。床板の軋む音が、追いかけてくる怯えの足音のように聞こえた。
座敷を抜け、庭へ、さらに裏手の倉庫の前でくずれ落ちる。
吐く息は白く、頬を打つ風が痛いほど冷たい。
けれどその冷たさよりも、胸の奥の熱い怒りが勝っていた。
(私は、ただ連れてこられただけ?)
自分を囲むこの世界は、愛とは違う何かでできていた。支配と、義理と、沈黙。そして恐怖。
父だけでなく、血の繋がりがあるはずの母でさえ私を愛していない。
外に出れば、仲睦まじい家族ばかり目につく。
父親に肩車されている子、母親と砂遊びをしている子。
優しい愛情と笑い声に包まれた世界がある。
どうして、私だけ酷い世界に閉じ込められているのか。
(こんな酷い世界、壊してしまえばいい)
小さな手を握りしめた瞬間、胸の奥底から声がこだました。
『子供を守れなきゃ母親じゃないわ』
私は確かに母の声で胸にずっと刻まれるような言葉を聞いた。
その声は温かくも優しくもない。
けれど、揺るぎない強さをもっていた。
実際、母が私に対してそんな事を言った事はない。
きっと、私が母のお腹にいた時に聞いた言葉なのだろう。
私はそう解釈していた。
(守られたことなんて一度もないのに)
涙を袖で拭い、私は決めた。
(冬城組を潰す)
私は自分の出生の秘密を突き止め、母が私をここに連れてきた理由を探り当てた。
計画は幼いほど鋭敏だ。小さな手で綻びを探り、小さな心で計算を重ねる。
そして両親に気取られた。
「真夏? 最近、少し変じゃないか?」
そう問いかけたのは源次郎だった。鋭い眼光の奥に、薄い警戒が揺らいでいる。
私は瞬時に悟った。
(このままでは計画は上手くいかない)
敵を欺くには、まず心を差し出してしまうしかない。
その夜、襖の隙間からこぼれる橙色の灯りの中、私は鏡の前に座っていた。涙の跡を乾かした幼い頬を撫でながら、静かに呟く。
「優しくて、素直で、純粋な子にならなくちゃ」
渚の二人の姉の面影を混ぜてつくりあげる。慈悲深く、お人好しで、動物が好きで、誰かを傷つけるなんて考えもしない人間。
渚が決して攻撃しないタイプの弱く、守られるべき娘を。
ゆっくりと、呼吸が変わる。
視線が変わる。
心の奥の鋭い針が、薄布の下へと隠されていく。
翌朝。
庭で猫を抱きしめて笑う真夏を見て、源次郎は目を細めた。
「まるで人が変わったみたいだ」
その変化を成長と捉え、冬城家の誰も疑わなかった。
ただ一人、渚だけがほんの一瞬、眉を寄せた。
だが真夏は、母のその眼差しすら曇らせてみせた。
胸の奥で、もう一度、胎内の声が響いた。
『子供を守れなきゃ母親じゃないわ』
魂を締め付けるその言葉だけは、誰よりも強く、深く、私の復讐心を煽った。
(冬城渚、私を守るどころか利用する道具としか考えてない貴女なんて母親じゃないのよ)
警戒心の強い両親にも気づかれないよう、本当の自分を殺していく。
常に警戒していた事で、自分の意志では誰にも見られていない夜中以外人格を交代できなくなっていた。
優しく、穏やかに、笑う。
極道の娘とは思えない無害で純粋な『真夏』の誕生だった。
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