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その三
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義嗣の家は名門といわれる旧家だ。由緒正しい家柄らしい。義嗣にとって、そんなことはどうでもいいことだ。小遣いが多いのはいいことだったが。
義嗣はアニメゲームなど一切禁止され、マナーと所作を覚えこまされた。視力が生まれつき弱い義嗣は眼鏡をして、ぼんやり小学生時代をすごし、中学生時代にいじめを体験した。
殴るけるなどを同級生から受け、その時はぼんやり痛いなとだけ思っていたが、同級生が義嗣のただ一つの大切な本を破ろうとしたとき、義嗣の頭は真っ白になり、気が付いたら血まみれの同級生が床に倒れていた。
義嗣は持っていたナイフで血まみれの同級生の手をさした時、遠い記憶の中でやっとそれが自分自身なのだと、達観する。
いじめに苦痛を感じず、邪魔だから壊す、相手の痛みにも、自分の痛みにも鈍感な自分自身が、義嗣は怖かった。
だがそれは本当の自分自身だ。その時何もなかった義嗣の自我が目覚めた瞬間だった。暴力でしか生きられない獣。義嗣と似たような血まみれの人未満の獣はどこにでもいた。
ぼんやりしていた義嗣の意識が浮上する。醤油とご飯が炊ける暖かい空気を感じる。
「あ、おはようございます」
そこにはにっこり微笑む何故か割烹着を着た忍と名前の人間がいた。意味もなくニコニコ微笑み義嗣を見ている。義嗣に色もなく打算もなく怯えて仕方なく微笑む人間ばかりだったので、その笑みは珍しいものだ。まぁ、内心義嗣を怯えて仕方なく笑っているのかもしれないが。
「死んでしまったのかと思って心配したんですよ。心臓が動いていたんで安心しましたが、早く病院に行ってくださいよ。今日は怪我が早く治るように鯛を買ってきたんで、煮つけにしました。一緒に食べましょうね」
つっこみどころ満載のことを忍は言う。
「鯛嫌いでした?」
「いや」
「よかった。今日スーパーの優しいおじさんが鯛を半額にしてくれたんです。僕の手を何度も握って、なんだか優しい人でした」
にこにこ忍は笑いながら、鯛を皿によそう。
「それは痴漢じゃないのか?」
男の手を何度も握るなんておかしいと、義嗣は思う。
「まさか!僕なんて痴漢するわけないじゃないですか。ただの優しい人ですよ」
義嗣はため息を吐き、前髪を書き上げた。
「義嗣さん、ケガしてますし、お粥のほうがいいですか?」
「いや、俺痛みに鈍いんだ。こんな怪我すぐに治る」
「だめですよ。そんなこと言って、すぐに病院行ってください!」
ぷんぷん怒りながら忍は、何故か義嗣の頭をなでる。なめられているのかと、義嗣は眉をひそめ、忍の腕をつかんでやめさせる。
「ふざけんな。殺すぞ」
「義嗣さんは殺し屋なんですか?」
「俺はヤクザだ」
「ヤクザなんですか」
「ああ」
「そんな怪我したのもやくざの仕事なんですか?」
「まぁな」
「大変なんですね。やめることはできないんですか?」
「それが俺の生きる世界だ。そこしか生きるところは俺にはねぇんだよ。仕方がない」
「僕が働いている花屋で一人、花屋を募集しているんですが、そこで働いてみませんか?ヤクザとの掛け持ちでもいいんですけど」
「ヤクザにかかわろうとするな。全部むしり取られるぞ」
義嗣は胸ポケットから取り出した煙草をくわえて、火をつける。そして煙を吐き出す。
「義嗣さんは悪い人じゃないですよ」
「ああ?」
「僕が保証します」
義嗣は煙草を揉み消し、忍の腕をつかんで引き寄せて口づける。忍は目を見開いて、たいそう驚いた眼で義嗣を見ている。
「これでもか?俺はもう人を三人は殺してんだ。それでもそんなこと言えるのか?」
ぎりぎり忍の腕をつかむ手が、食い込む。すごく痛い。
「放してください」
忍は義嗣の手をはらおうとする。義嗣はつかんだ手を放さず、逆に忍を押し倒して、馬乗りになった。肉食獣のような酷薄した薄い色の義嗣の瞳が、忍を見下ろしている。
義嗣は思い切り忍の首筋にかみつく。
忍の体はびくりと震え、「痛い」と悲鳴を上げる。
暴力と同じマウンティング行為だ。義嗣の住む世界にはよくある行為だ。弱い奴は喰われ利用される。そんなに安易に善人指定できるわけがない。
見下ろしていた忍の瞳からぽろりと、涙がこぼれおちた。
「すまねぇ」
義嗣は忍の体から離れる。
「すぐに出ていく」
義嗣は眩暈のするからだを動かし、立ち上がる。
「あの!」
背後から忍の声がかかる。
「ああ?」
不機嫌な義嗣から獣のような低い低い声が漏れる。
怯えたような忍はうつむく。命の恩人に無体な真似をしてしまった義嗣の脳裏に後悔がよぎる。
「あの!ご飯食べませんか」
「......」
「せっかく作ったんですし、一緒に食べましょう」
「俺が怖くないのか?」
「怖いですが、義嗣さんはそんなに悪い人には思えません」
義嗣はため息を吐いて、座り込んだままの忍の腕をつかんで立たせた。忍はにっこり微笑む。
「いつか殺されるぞ」
「なんでですか?」
忍は首をかしげる。
「もう少し警戒心を持てよ」
「ありますよ。一緒にご飯食べましょう」
義嗣はもう一度溜息を吐き、忍に促されるままテーブルの席に着いた。
義嗣はアニメゲームなど一切禁止され、マナーと所作を覚えこまされた。視力が生まれつき弱い義嗣は眼鏡をして、ぼんやり小学生時代をすごし、中学生時代にいじめを体験した。
殴るけるなどを同級生から受け、その時はぼんやり痛いなとだけ思っていたが、同級生が義嗣のただ一つの大切な本を破ろうとしたとき、義嗣の頭は真っ白になり、気が付いたら血まみれの同級生が床に倒れていた。
義嗣は持っていたナイフで血まみれの同級生の手をさした時、遠い記憶の中でやっとそれが自分自身なのだと、達観する。
いじめに苦痛を感じず、邪魔だから壊す、相手の痛みにも、自分の痛みにも鈍感な自分自身が、義嗣は怖かった。
だがそれは本当の自分自身だ。その時何もなかった義嗣の自我が目覚めた瞬間だった。暴力でしか生きられない獣。義嗣と似たような血まみれの人未満の獣はどこにでもいた。
ぼんやりしていた義嗣の意識が浮上する。醤油とご飯が炊ける暖かい空気を感じる。
「あ、おはようございます」
そこにはにっこり微笑む何故か割烹着を着た忍と名前の人間がいた。意味もなくニコニコ微笑み義嗣を見ている。義嗣に色もなく打算もなく怯えて仕方なく微笑む人間ばかりだったので、その笑みは珍しいものだ。まぁ、内心義嗣を怯えて仕方なく笑っているのかもしれないが。
「死んでしまったのかと思って心配したんですよ。心臓が動いていたんで安心しましたが、早く病院に行ってくださいよ。今日は怪我が早く治るように鯛を買ってきたんで、煮つけにしました。一緒に食べましょうね」
つっこみどころ満載のことを忍は言う。
「鯛嫌いでした?」
「いや」
「よかった。今日スーパーの優しいおじさんが鯛を半額にしてくれたんです。僕の手を何度も握って、なんだか優しい人でした」
にこにこ忍は笑いながら、鯛を皿によそう。
「それは痴漢じゃないのか?」
男の手を何度も握るなんておかしいと、義嗣は思う。
「まさか!僕なんて痴漢するわけないじゃないですか。ただの優しい人ですよ」
義嗣はため息を吐き、前髪を書き上げた。
「義嗣さん、ケガしてますし、お粥のほうがいいですか?」
「いや、俺痛みに鈍いんだ。こんな怪我すぐに治る」
「だめですよ。そんなこと言って、すぐに病院行ってください!」
ぷんぷん怒りながら忍は、何故か義嗣の頭をなでる。なめられているのかと、義嗣は眉をひそめ、忍の腕をつかんでやめさせる。
「ふざけんな。殺すぞ」
「義嗣さんは殺し屋なんですか?」
「俺はヤクザだ」
「ヤクザなんですか」
「ああ」
「そんな怪我したのもやくざの仕事なんですか?」
「まぁな」
「大変なんですね。やめることはできないんですか?」
「それが俺の生きる世界だ。そこしか生きるところは俺にはねぇんだよ。仕方がない」
「僕が働いている花屋で一人、花屋を募集しているんですが、そこで働いてみませんか?ヤクザとの掛け持ちでもいいんですけど」
「ヤクザにかかわろうとするな。全部むしり取られるぞ」
義嗣は胸ポケットから取り出した煙草をくわえて、火をつける。そして煙を吐き出す。
「義嗣さんは悪い人じゃないですよ」
「ああ?」
「僕が保証します」
義嗣は煙草を揉み消し、忍の腕をつかんで引き寄せて口づける。忍は目を見開いて、たいそう驚いた眼で義嗣を見ている。
「これでもか?俺はもう人を三人は殺してんだ。それでもそんなこと言えるのか?」
ぎりぎり忍の腕をつかむ手が、食い込む。すごく痛い。
「放してください」
忍は義嗣の手をはらおうとする。義嗣はつかんだ手を放さず、逆に忍を押し倒して、馬乗りになった。肉食獣のような酷薄した薄い色の義嗣の瞳が、忍を見下ろしている。
義嗣は思い切り忍の首筋にかみつく。
忍の体はびくりと震え、「痛い」と悲鳴を上げる。
暴力と同じマウンティング行為だ。義嗣の住む世界にはよくある行為だ。弱い奴は喰われ利用される。そんなに安易に善人指定できるわけがない。
見下ろしていた忍の瞳からぽろりと、涙がこぼれおちた。
「すまねぇ」
義嗣は忍の体から離れる。
「すぐに出ていく」
義嗣は眩暈のするからだを動かし、立ち上がる。
「あの!」
背後から忍の声がかかる。
「ああ?」
不機嫌な義嗣から獣のような低い低い声が漏れる。
怯えたような忍はうつむく。命の恩人に無体な真似をしてしまった義嗣の脳裏に後悔がよぎる。
「あの!ご飯食べませんか」
「......」
「せっかく作ったんですし、一緒に食べましょう」
「俺が怖くないのか?」
「怖いですが、義嗣さんはそんなに悪い人には思えません」
義嗣はため息を吐いて、座り込んだままの忍の腕をつかんで立たせた。忍はにっこり微笑む。
「いつか殺されるぞ」
「なんでですか?」
忍は首をかしげる。
「もう少し警戒心を持てよ」
「ありますよ。一緒にご飯食べましょう」
義嗣はもう一度溜息を吐き、忍に促されるままテーブルの席に着いた。
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