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■幕間
4.05.4.5 相棒
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冬の冷気と静寂に包まれた花屋。
燭台と暖炉に火が灯されると暖かな光が揺らめき、影の中で花が踊った。
「本当、マジのマジ。ホンっっっト助かった!巻き込んで悪ぃ・んでもって、ありがとお!!」
「一々うっせぇわ」「ん。素直でよし」
カウンターに並んで座り、二人に向き直ったスタンが勢いよく頭を下げる。声も図体もデカい謝意に思わず笑い、ずっと下を向いたままの白髪頭をぐしゃぐしゃにしてやれば、彼も無邪気に笑った。
「寒かったろう。残り物で悪いけど、今温めてるから」
サリバンも微笑み、用意した飲み物をそれぞれの前に置いていく。酒飲み二人のグラスとは別の湯気立つカップ。珈琲の芳ばしい香りにキースは顔を綻ばせた。
「なんで二つ?これはママの分!」
「あたしはいいよ」
「いいから、Faites comme chez vous!俺が鍋見とく」
「ふふ、Tu es impertinent」
サリバンの分が無いとわかり、スタンが彼女の手を引き座らせる。合間に混ざる西言語がわからずともなんとなく理解出来、自然と笑いが起こる。今のスタンとサリバンはどこからどう見ても母親と馬鹿息子だった。
スタンは一人店の奥へ行こうとするが、
「…キース」
「ん?」
「ありがとな」
何気なく立ち止まり、肩越しに一言。
虚をつかれたキースはキョトンとし、スタンも返事を待たずさっさと行ってしまう。
「ふーん?」
「んだよ…」
透かさずビアンカがニヤニヤし意味深な視線を送る。改まって言われたキースはぶつくさ言い目を逸らすが…ふと気がつく、謝りそびれてしまった。
(今言えばよかった…変なタイミングで、余計なこと言いやがって)
謝りそびれたとは先日の暴言、スタンに言った役立たずという言葉。普段より言い過ぎてしまったし、あの後彼も金を盗んだり腹を殴ってきたりで(結構痛かったから忘れてやらん)、相子としても良さそうなのだが。
…後で言えばいい、後で。
そう心に誓い、珈琲を一口──この、後がやってきた時。キースは大いに後悔することになる。
「あたしからもお礼を言わせとくれ。本当にありがとう…スタンはいい友達を持ったね」
「友達、じゃない」
「仲間だ」
「それなら尚更いい…」
頭を下げた母親にハッキリ答えると、彼女は目を伏せ、また溢れそうになるものを堪えた。10年以上音沙汰無く心配ばかりかける馬鹿息子が、異国の地で築いたものが誇らしい…きっと娘も喜んだはずだ。
「「「Cheers」」」
笑顔が咲き、東言語で杯を交わす。
こうして暖かな花屋での祝勝会が始まった。
サリバンの花屋はドウェインの雑貨屋と似ている。主な売り物は違えど人々の暮らしに寄り添う物を扱っていて、花も煙草も、人の心を落ち着かせたり癒したりするためだと、キースは話に耳を傾けながら考えていた。
「えぇっ、産まれた時から!?」
「そう、家族ってより乳母だよ。初めて一人歩きしたのも見てた」
「え!えーっへへ!?ホントにお母さんじゃないか!」
サリバンが語る幼い頃のchatonことスタンの話、そして煤色の西世界。どれも面白く心惹かれ、奥から聞こえる下手な口笛も合わさり楽しいひと時が過ぎる。と、
「!うぉ!ちょ、はっ??」
唐突に背中に何かが当たり、瞬く間に肩が重くなる。キースを急襲したのは猫のバレロンガで、彼は(彼女だろうか?)混乱するキースにはお構い無しに両肩を右往左往。おまけにふわふわの短尾を耳に擦り付ける(擽っているに等しい)ものだから、間近で見せつけられるビアンカはたまったもんじゃなく。
「可愛い」
「いや退かしてくれ、ぉぃ…自由過ぎんだろっ」
つい羨ましく思い、まじまじと見つめる。バレロンガはキースの膝上に着地すると今度は前足で足踏み、けしからん。熱心にふみふみする猫も助けを求める盗賊も、合わせて可愛かった。
「珍しい、Valleが懐くなんて。気まぐれな子でね…Zeziettも手を焼いてた、あたしとあの子達以外じゃ初めてだろう」
「?…ふぅん」
サリバンも目を丸くし飼い猫の珍しい姿を眺めた。彼女の言葉が気になったが膝に集中する。虎なんて呼ばれているくせに、キースは老いた猫とのふれあいで精一杯で、香箱を作った毛玉を恐る恐る撫でてやった。
「ホントかわぃ、けど…なんか、スタンっぽい?」
「…毛色が似てるだろう。あの子が真似てるんだ」
「ぁ、確かに…そっか、そういうことか!」
思いもよらぬ答えにビアンカの好奇心に火が付き、もっともっとと欲が出る。
「あれって変装だよね?目の色も、っていうかどうして?ずっと気になってるんだ……名前も。本当は違う?」
「…それは…」
詮索モードになったビアンカにサリバンは苦笑いし首を振った。空いたグラスに二杯目を注ぐが誤魔化せず、悪意のない嬉々とした顔が覗いてくる。少し口を滑らせただけで面倒になってしまった…どうしようかと考えていると、
「ビアンカ、止めとけ」
「!へ…ぁ」
さっきまでと打って変わり、真剣な表情になったキースがビアンカを引っ張り止める。怒ったような低い声に鋭い眼差し。意外なところで喰らったビアンカは珍しく臆してしまう。
「ママぁ、余ってる器ねぇの?なぁ!」
「「「……」」」
「あっ、あったわごめん!酒のお代わり、要るー?…要るよなぁ♪」
「「「……」」」
沈黙、空気を読まぬ声。
困ったサリバンは俯き、ビアンカは居たたまれずごめんなさいと呟く。キースも掴んだままだった腕を放し、居心地の悪さを珈琲で流し込もうとするが、
「…謝るなら、こっちのほうさ」
そう言ったサリバンが視線を送る。馬鹿息子のことでやきもきさせるのは嫌で、穏やかな眼差しに乗せたその思いは二人にも届く。
キースの膝から促すような鳴き声も聞こえ、母親はもう少しだけ馬鹿息子の話を続けた。
笑い声が消えた店内。肌寒い隙間風が吹き、カーテンや花を揺らす。その中で売約済の札が付けられた薄紫のリボンがやけに目に付く。
「あの子…スタンの背中、見たことあるかい?やけに目立つ三本の傷」
「うん、あれも気になる…なんの傷なんだ?えぇ、と??」
「こっち見んな。俺じゃねぇぞ」
言われてはっとし、ビアンカがキースを見遣る。<三本傷>といえばこの目つき最悪な盗賊なのだが、当然彼の仕業ではない。
イマイチ事情がわからずとも、サリバンはゆっくり息を吐き、密かに腹を括った。
「あれはね、見世物の痕…あの子は'変わり目'だとか言うけれど、あたしは好きじゃない…あの子にはもっと違う生き方があったはずさ」
「「……」」
「東世界に来たのは仕方がなかった。あの子が来た時、まさかと思ったよ…でも長居してるのはあの子の意思。もう、熱りは冷めてる。理由は…いい仲間が出来たからかもしれないね」
曖昧ながら初めて聞く内容、薄らと見えるスタンの過去。語るも聞くも真剣で、またもや店奥からの盛大なくしゃみが水を差す。
見世物とは、熱りとは。東世界に留まっているのは自身らと連んでいるからなのか…また何も解らなかったが恐怖は無く、ビアンカの心は静かだった。
「他人に比べるとちょっとだけ、多くの秘密を抱えてる。それがあの子。髪も目も、名前も…でも全部が偽りじゃない。煩くて義理堅くて、図体と馬鹿さ加減ばかり大きくなって、結局昔と変わらないよ……あの子のことはあたしの口からは言えない。自分で決心したら話すだろう、だから…どうか許してやっとくれ」
一生懸命に語り頭を下げるサリバン。大切な家族である男への思いがひしひしと伝わってきた。ビアンカは頭を上げさせるべく細い肩に手を回すが──
再びの隙間風にカーテンが踊る。店奥へと続く暗い廊下の壁、そこに飾りのように貼られた手配書が垣間見え、抑え込んだ好奇心が疼く。
(故郷のかな?一番高額のは、確か…帝国の偉い人を殺した…)
手配書はどれもこれも西世界のもののようで、唯一見覚えがあるのを見つける。名前は何と言ったか、一昔前に発行され東世界にも巡ってきた殺人鬼。桁違いの額に世界中が驚いた。金額は今も抜かれておらず、エルドレッドやキースより上……名前の読みは、えぇっと、
「別に。問題ねぇ」
笑い混じりの声にビアンカもサリバンも振り返る。
声の主であるキースはサリバンと目が合うと頷いてみせ、ポケットから煙草を取り出した。
「俺にとってあの人はあの人だ。それが秘密で出来てたって構わねぇ、っつか俺もずっと隠してたし…俺のほうが質悪ぃのに、あの人はビジネスパートナーって線引きで……俺が、息苦しくねぇようにしてくれた。腫れ物扱いって言やそうなるけど、距離置いてくれんのは正直楽だった。で、逆になって、それがやっとわかった」
盗賊が抱く謎多き情報屋への思い。それは今の彼の正直な気持ちで、不満も我慢も無く。
言葉にしたことで改めて自覚し、考えや見え方が変わる。どれほど邪険にし悪態をつこうが、スタンは見限らずに傍にいて助けてくれた。それでも二人は…殊にスタンはビジネスパートナーだと言い張った。それは彼が作る壁でもあるのだ。
硝子の壁か、懺悔室の格子窓か、どんな形でも自身らの間にはそういうものが在り、今回のようにハッキリ隔てることもある。が、それが悪いものだとは思わない。隠し事なんて今更でお互い様…なら、これからどうするか。
「今も相棒なら、今度は俺が待つ。あの人が話したくなったら聞いてやる。それでいい………まぁ、どーせ。大したことじゃねぇだろうし、期待してねぇし!」
そう言うとキースはわざとらしく溜息をし、煙とともに珈琲を味わった。
どちらも苦く、深く、なのにこれまでの悩みを晴らすようにスッキリとしている。だからこの味が好きなのだ。
「…律儀だね」
「あぁ、感染っちまったわ」
「じゃ、あたしも…付き合うよ」
「殊勝」
「難しい言葉使う」
「バカにすんな」
くすりと笑ったビアンカも吹っ切れたようでキースの思いに賛同した。相棒である彼がここまで言うなら、きっと大丈夫。いつか自身もスタンの秘密を知る日が来ると思えた。
笑顔が戻った二人にサリバンは思わず息を吐き、ありがとうと呟く。本当に優しい子達で、いい仲間だ…
わだかまりが消え、より暖かな時間が訪れる。
しかし三人は奇妙なことに気がつく、喧しかった店奥がいつの間にか静かになった。冷静になればスタンが行ってから大分経っていた。
「まったく、なにしてんだか…Hé, chaton?」
さっき器がどうの叫んでたわりに一向に戻って来ず、温め直しのラグーもとっくに頃合いで、サリバンは怪訝に思い店奥へ向かった。
キースも彼女の背中越しに様子を窺うが、隣から溜息が聞こえ、
「せめて西言語が話せたらなぁ。発音とかカッコいい」
「そうか?舌が回んねぇよ」
サリバンやスタンの西言語がお洒落だと感じたビアンカ。真似て練習してみるが、下手である。
「おーい、君は喋れる?バレ君?んん、ふわふわぁ♪」
「……」
下からの視線を感じ顔を寄せる。丸くなったままのバレロンガは撫で心地がよく、やはり可愛い。しかしキースの胸中は解せぬ一色で、可愛いもの同士が自身の膝元でじゃれつくのは目に毒だった。
「……いっこだけ、喋れる」
「!ぇ、ん、一つ?」
猫から注意を逸らすべく主張するキース。それならあたしも出来るけど、とビアンカは思ったが、わざわざ覗いてきた顔が自信満々だったので黙っておいてやる。
「ろ、ん…L'homme danger、アス…a un スケツ」
咳払いしスタンに教わった言葉を口にする。彼も下手だ。
「chaton、どうし……」
「!ッやべ、」
「Que fais-tu?!!Pauvre con!!!」
肝心のスタンはというと……酒を盗み飲んでいた(しかも瓶を二本も)のが見つかってしまい、直後怒鳴り声と悲鳴が混ざり合った。
" L'homme dangereux a un secret "
この物語で一番の秘密主義者で呑んだくれ。代筆屋兼情報屋、でもって喋り出したら止まらないペテン師。腕っ節が強く強烈な拳を振るくせに、同じ手で綺麗な字や文を書きやがる。
結局頼れんだかクソなんだか、本当にしょうもないとこばっかな男…それがスタン・フレイア。こいつは、俺の──
燭台と暖炉に火が灯されると暖かな光が揺らめき、影の中で花が踊った。
「本当、マジのマジ。ホンっっっト助かった!巻き込んで悪ぃ・んでもって、ありがとお!!」
「一々うっせぇわ」「ん。素直でよし」
カウンターに並んで座り、二人に向き直ったスタンが勢いよく頭を下げる。声も図体もデカい謝意に思わず笑い、ずっと下を向いたままの白髪頭をぐしゃぐしゃにしてやれば、彼も無邪気に笑った。
「寒かったろう。残り物で悪いけど、今温めてるから」
サリバンも微笑み、用意した飲み物をそれぞれの前に置いていく。酒飲み二人のグラスとは別の湯気立つカップ。珈琲の芳ばしい香りにキースは顔を綻ばせた。
「なんで二つ?これはママの分!」
「あたしはいいよ」
「いいから、Faites comme chez vous!俺が鍋見とく」
「ふふ、Tu es impertinent」
サリバンの分が無いとわかり、スタンが彼女の手を引き座らせる。合間に混ざる西言語がわからずともなんとなく理解出来、自然と笑いが起こる。今のスタンとサリバンはどこからどう見ても母親と馬鹿息子だった。
スタンは一人店の奥へ行こうとするが、
「…キース」
「ん?」
「ありがとな」
何気なく立ち止まり、肩越しに一言。
虚をつかれたキースはキョトンとし、スタンも返事を待たずさっさと行ってしまう。
「ふーん?」
「んだよ…」
透かさずビアンカがニヤニヤし意味深な視線を送る。改まって言われたキースはぶつくさ言い目を逸らすが…ふと気がつく、謝りそびれてしまった。
(今言えばよかった…変なタイミングで、余計なこと言いやがって)
謝りそびれたとは先日の暴言、スタンに言った役立たずという言葉。普段より言い過ぎてしまったし、あの後彼も金を盗んだり腹を殴ってきたりで(結構痛かったから忘れてやらん)、相子としても良さそうなのだが。
…後で言えばいい、後で。
そう心に誓い、珈琲を一口──この、後がやってきた時。キースは大いに後悔することになる。
「あたしからもお礼を言わせとくれ。本当にありがとう…スタンはいい友達を持ったね」
「友達、じゃない」
「仲間だ」
「それなら尚更いい…」
頭を下げた母親にハッキリ答えると、彼女は目を伏せ、また溢れそうになるものを堪えた。10年以上音沙汰無く心配ばかりかける馬鹿息子が、異国の地で築いたものが誇らしい…きっと娘も喜んだはずだ。
「「「Cheers」」」
笑顔が咲き、東言語で杯を交わす。
こうして暖かな花屋での祝勝会が始まった。
サリバンの花屋はドウェインの雑貨屋と似ている。主な売り物は違えど人々の暮らしに寄り添う物を扱っていて、花も煙草も、人の心を落ち着かせたり癒したりするためだと、キースは話に耳を傾けながら考えていた。
「えぇっ、産まれた時から!?」
「そう、家族ってより乳母だよ。初めて一人歩きしたのも見てた」
「え!えーっへへ!?ホントにお母さんじゃないか!」
サリバンが語る幼い頃のchatonことスタンの話、そして煤色の西世界。どれも面白く心惹かれ、奥から聞こえる下手な口笛も合わさり楽しいひと時が過ぎる。と、
「!うぉ!ちょ、はっ??」
唐突に背中に何かが当たり、瞬く間に肩が重くなる。キースを急襲したのは猫のバレロンガで、彼は(彼女だろうか?)混乱するキースにはお構い無しに両肩を右往左往。おまけにふわふわの短尾を耳に擦り付ける(擽っているに等しい)ものだから、間近で見せつけられるビアンカはたまったもんじゃなく。
「可愛い」
「いや退かしてくれ、ぉぃ…自由過ぎんだろっ」
つい羨ましく思い、まじまじと見つめる。バレロンガはキースの膝上に着地すると今度は前足で足踏み、けしからん。熱心にふみふみする猫も助けを求める盗賊も、合わせて可愛かった。
「珍しい、Valleが懐くなんて。気まぐれな子でね…Zeziettも手を焼いてた、あたしとあの子達以外じゃ初めてだろう」
「?…ふぅん」
サリバンも目を丸くし飼い猫の珍しい姿を眺めた。彼女の言葉が気になったが膝に集中する。虎なんて呼ばれているくせに、キースは老いた猫とのふれあいで精一杯で、香箱を作った毛玉を恐る恐る撫でてやった。
「ホントかわぃ、けど…なんか、スタンっぽい?」
「…毛色が似てるだろう。あの子が真似てるんだ」
「ぁ、確かに…そっか、そういうことか!」
思いもよらぬ答えにビアンカの好奇心に火が付き、もっともっとと欲が出る。
「あれって変装だよね?目の色も、っていうかどうして?ずっと気になってるんだ……名前も。本当は違う?」
「…それは…」
詮索モードになったビアンカにサリバンは苦笑いし首を振った。空いたグラスに二杯目を注ぐが誤魔化せず、悪意のない嬉々とした顔が覗いてくる。少し口を滑らせただけで面倒になってしまった…どうしようかと考えていると、
「ビアンカ、止めとけ」
「!へ…ぁ」
さっきまでと打って変わり、真剣な表情になったキースがビアンカを引っ張り止める。怒ったような低い声に鋭い眼差し。意外なところで喰らったビアンカは珍しく臆してしまう。
「ママぁ、余ってる器ねぇの?なぁ!」
「「「……」」」
「あっ、あったわごめん!酒のお代わり、要るー?…要るよなぁ♪」
「「「……」」」
沈黙、空気を読まぬ声。
困ったサリバンは俯き、ビアンカは居たたまれずごめんなさいと呟く。キースも掴んだままだった腕を放し、居心地の悪さを珈琲で流し込もうとするが、
「…謝るなら、こっちのほうさ」
そう言ったサリバンが視線を送る。馬鹿息子のことでやきもきさせるのは嫌で、穏やかな眼差しに乗せたその思いは二人にも届く。
キースの膝から促すような鳴き声も聞こえ、母親はもう少しだけ馬鹿息子の話を続けた。
笑い声が消えた店内。肌寒い隙間風が吹き、カーテンや花を揺らす。その中で売約済の札が付けられた薄紫のリボンがやけに目に付く。
「あの子…スタンの背中、見たことあるかい?やけに目立つ三本の傷」
「うん、あれも気になる…なんの傷なんだ?えぇ、と??」
「こっち見んな。俺じゃねぇぞ」
言われてはっとし、ビアンカがキースを見遣る。<三本傷>といえばこの目つき最悪な盗賊なのだが、当然彼の仕業ではない。
イマイチ事情がわからずとも、サリバンはゆっくり息を吐き、密かに腹を括った。
「あれはね、見世物の痕…あの子は'変わり目'だとか言うけれど、あたしは好きじゃない…あの子にはもっと違う生き方があったはずさ」
「「……」」
「東世界に来たのは仕方がなかった。あの子が来た時、まさかと思ったよ…でも長居してるのはあの子の意思。もう、熱りは冷めてる。理由は…いい仲間が出来たからかもしれないね」
曖昧ながら初めて聞く内容、薄らと見えるスタンの過去。語るも聞くも真剣で、またもや店奥からの盛大なくしゃみが水を差す。
見世物とは、熱りとは。東世界に留まっているのは自身らと連んでいるからなのか…また何も解らなかったが恐怖は無く、ビアンカの心は静かだった。
「他人に比べるとちょっとだけ、多くの秘密を抱えてる。それがあの子。髪も目も、名前も…でも全部が偽りじゃない。煩くて義理堅くて、図体と馬鹿さ加減ばかり大きくなって、結局昔と変わらないよ……あの子のことはあたしの口からは言えない。自分で決心したら話すだろう、だから…どうか許してやっとくれ」
一生懸命に語り頭を下げるサリバン。大切な家族である男への思いがひしひしと伝わってきた。ビアンカは頭を上げさせるべく細い肩に手を回すが──
再びの隙間風にカーテンが踊る。店奥へと続く暗い廊下の壁、そこに飾りのように貼られた手配書が垣間見え、抑え込んだ好奇心が疼く。
(故郷のかな?一番高額のは、確か…帝国の偉い人を殺した…)
手配書はどれもこれも西世界のもののようで、唯一見覚えがあるのを見つける。名前は何と言ったか、一昔前に発行され東世界にも巡ってきた殺人鬼。桁違いの額に世界中が驚いた。金額は今も抜かれておらず、エルドレッドやキースより上……名前の読みは、えぇっと、
「別に。問題ねぇ」
笑い混じりの声にビアンカもサリバンも振り返る。
声の主であるキースはサリバンと目が合うと頷いてみせ、ポケットから煙草を取り出した。
「俺にとってあの人はあの人だ。それが秘密で出来てたって構わねぇ、っつか俺もずっと隠してたし…俺のほうが質悪ぃのに、あの人はビジネスパートナーって線引きで……俺が、息苦しくねぇようにしてくれた。腫れ物扱いって言やそうなるけど、距離置いてくれんのは正直楽だった。で、逆になって、それがやっとわかった」
盗賊が抱く謎多き情報屋への思い。それは今の彼の正直な気持ちで、不満も我慢も無く。
言葉にしたことで改めて自覚し、考えや見え方が変わる。どれほど邪険にし悪態をつこうが、スタンは見限らずに傍にいて助けてくれた。それでも二人は…殊にスタンはビジネスパートナーだと言い張った。それは彼が作る壁でもあるのだ。
硝子の壁か、懺悔室の格子窓か、どんな形でも自身らの間にはそういうものが在り、今回のようにハッキリ隔てることもある。が、それが悪いものだとは思わない。隠し事なんて今更でお互い様…なら、これからどうするか。
「今も相棒なら、今度は俺が待つ。あの人が話したくなったら聞いてやる。それでいい………まぁ、どーせ。大したことじゃねぇだろうし、期待してねぇし!」
そう言うとキースはわざとらしく溜息をし、煙とともに珈琲を味わった。
どちらも苦く、深く、なのにこれまでの悩みを晴らすようにスッキリとしている。だからこの味が好きなのだ。
「…律儀だね」
「あぁ、感染っちまったわ」
「じゃ、あたしも…付き合うよ」
「殊勝」
「難しい言葉使う」
「バカにすんな」
くすりと笑ったビアンカも吹っ切れたようでキースの思いに賛同した。相棒である彼がここまで言うなら、きっと大丈夫。いつか自身もスタンの秘密を知る日が来ると思えた。
笑顔が戻った二人にサリバンは思わず息を吐き、ありがとうと呟く。本当に優しい子達で、いい仲間だ…
わだかまりが消え、より暖かな時間が訪れる。
しかし三人は奇妙なことに気がつく、喧しかった店奥がいつの間にか静かになった。冷静になればスタンが行ってから大分経っていた。
「まったく、なにしてんだか…Hé, chaton?」
さっき器がどうの叫んでたわりに一向に戻って来ず、温め直しのラグーもとっくに頃合いで、サリバンは怪訝に思い店奥へ向かった。
キースも彼女の背中越しに様子を窺うが、隣から溜息が聞こえ、
「せめて西言語が話せたらなぁ。発音とかカッコいい」
「そうか?舌が回んねぇよ」
サリバンやスタンの西言語がお洒落だと感じたビアンカ。真似て練習してみるが、下手である。
「おーい、君は喋れる?バレ君?んん、ふわふわぁ♪」
「……」
下からの視線を感じ顔を寄せる。丸くなったままのバレロンガは撫で心地がよく、やはり可愛い。しかしキースの胸中は解せぬ一色で、可愛いもの同士が自身の膝元でじゃれつくのは目に毒だった。
「……いっこだけ、喋れる」
「!ぇ、ん、一つ?」
猫から注意を逸らすべく主張するキース。それならあたしも出来るけど、とビアンカは思ったが、わざわざ覗いてきた顔が自信満々だったので黙っておいてやる。
「ろ、ん…L'homme danger、アス…a un スケツ」
咳払いしスタンに教わった言葉を口にする。彼も下手だ。
「chaton、どうし……」
「!ッやべ、」
「Que fais-tu?!!Pauvre con!!!」
肝心のスタンはというと……酒を盗み飲んでいた(しかも瓶を二本も)のが見つかってしまい、直後怒鳴り声と悲鳴が混ざり合った。
" L'homme dangereux a un secret "
この物語で一番の秘密主義者で呑んだくれ。代筆屋兼情報屋、でもって喋り出したら止まらないペテン師。腕っ節が強く強烈な拳を振るくせに、同じ手で綺麗な字や文を書きやがる。
結局頼れんだかクソなんだか、本当にしょうもないとこばっかな男…それがスタン・フレイア。こいつは、俺の──
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西部劇を思わせる世界観とその中で始まる物語の序章は、まさに荒くれものが何かを、引いては自分自身を探そうとする西部劇のような導入だと感じます。
いがみ合うエドとキース、それをとりなすスタンとそれぞれの立場が明確で分かりやすいのも素敵だと思います。そこへ何か曰くありそうな占い師のキアが絡んで、より人間関係に深みが出てきました。
事件とそれを追う軍人の描写を見ると、どことなくミステリの風味もあり、作者さんはミステリの心得もあるんじゃないかなと感じました。私もミステリを書いているのですが、どことなく物事を見る視点が似ているような気がして少し嬉しかったです。
私は異世界ファンタジーを勉強するために色々な方の作品を読んでいるのですが、この作品は100万文字もの分量を書き進められているのに驚きましたし、素晴らしいことだなと思いました。作り上げられた世界観がそれに足るような広さと深さを持っているんだなと実感させられます。
ご感想ありがとうございます!
印象は様々かと思いますが、活劇感が伝わっておりましたら幸いです。
ミステリは残念ながら心得あらず……ただ、長く大きな物語にしたかったので、描写してない所(過去とか世界とか)も設定やエピソードを考えております。
話が進むにつれ少しずつ描写してますが、し切れてないのが現実ですね。
そしてあれもこれも書いてたら100万文字…字詰まりに定評がある自分ですので、悪い見本にしてください!
今後とも頑張って参ります。
Twitterからの読み合いから来ました。
14ページ読ませていただきました。
ハードボイルドにコミカルの匙加減がすごく上手だなと思いました。
また、一話一話見どころが多く、まるで映画のような台詞回しやアクションがとても好きです。
キースもなかなかに食えないですが、ビアンカも訳アリっぽいので、引き続き読ませていただけます!
ご感想ありがとうございます!
各話長いのですが、見せ場や面白味が出せるよう書いてみました。アクション感伝わってましたら幸いです!
今後とも頑張って参ります。
ツイッターの読み合いから来ました。
感想の方をこちらに失礼します。
会話のテンポが良く面白かったです。世界背景もしっかり描かれているのも良かったです。
続きの方楽しみにしています。
ご感想ありがとうございます!
まだまだ続きますので、お楽しみいただければ幸いです。
今後とも頑張って参ります。