3×歳(アラフォー)、奔放。

まる

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本編

祝日。

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プロペラ音を響かせて機体は飛ぶ。
隣国へと向けて白い数機は青空の下駆け抜けていった。大きく開いた前方からの景色を見て、雪妃は感嘆の声を上げながら、締め上げるシートベルトの許す限りで身を乗り出した。

「でっかい池があるね、湖?」
「ええ。立派な水溜りです」
「水溜り…そうか、でっかいね」

緑に囲まれた青の水辺を上から認める。鮮やかな黄色の花も絨毯のように降り立った先に広がっていた。
隣国の領主より招待を受けての出立だった。ご令嬢19歳の誕生祭、例の如く守ノ内へのお誘いなのだが、ご馳走ありますの一言にまんまと乗せられて来た食い意地の張った己を少し、後悔していた。

(まあいいか、食べ尽くして帰ろう)

何度か獣の討伐で顔を出してるらしく、真田の厳めしい顔もあった。続いて数名の白服の姿もある。あくまでも任としての入領のようだった。
長閑だが白服たちの硬い表情に緊張が見える。先を大股に行く上官に倣って足早に草原を抜けて行った。

「ただのお誕生日会だよね?」
「ええ。たらふく食って帰ってくださいよ」
「うむ…あの厳めしいのがあるとどうにも、何かありそうで」
「ああいう顔なんです、他意はありませんよ」

対照的にも呑気な顔は微笑み告げる。
湖ほとりの洋館へと向けて、手を引かれるままに歩いていった。


***


「ようこそ中枢の皆様」

出迎えてくれたのは晴れやかな表情の美しいご婦人、領主の奥方様だった。赤毛も豊かなご婦人はにこりとして自ら案内をしてくれる。

「こんな歳になっても嫁ぎ先も決まっていなくてお恥ずかしいですわ。このままどなたかもらって帰ってくれませんの?」
「おや、先日の縁談は断ったんです?」
「そうなの、困った事にお断りを受けてしまいまして。少し自由に育てすぎたかしら」

うふふと微笑む夫人に守ノ内は苦笑を返す。掃除の行き届いた綺麗な廊下を抜けて、開かれた広間へと通された。
壁の絵画に描かれる家族の姿。お子さんは女の子ばかりなんだな、とそれを横目に雪妃も会場へと進んだ。

「おお…立食、デザートもいっぱい」
「おい、食い過ぎるなよ」
「へい親分、食べた分動きまする」

目を輝かせタカタカと行ってしまう雪妃に真田は肩を竦める。

「あまり鍛えないでくださいよ、抱き心地が変わってきてしまいます」
「喧しい、知るかよ」

向けられる招待客からの好奇の視線を浴びながら、真田は名簿と照らし合わせて辺りを睥睨した。

「大陸の奴の名があるな、先に押さえておきたい」
「ええ。髪色で分かりやすいんですが、また違えてきてますかね」
「小賢しいな、そういや鼠の残した鍵はどうした?開けたのか」
「いえ、私も先に覗いてみたんですが、それらしい箱は見当たらなくって。お嬢さんも忙しくまだみたいなのに」
「そうか、あいつに漁られる前に先に見つけ出しとくか」
「ええ。王様にも聞いてみたんですが、心当たりはないようですよ。何でしょうね」

晴れの場だというのに黒いドレスに身を包んだ女を認めて、真田は顎で示す。

「雪妃には伝えてるのか」
「いえ、お食事を楽しむようにとだけ」
「それで良い、言うまでもないだろうが目を離すなよ」
「ふふ、心得てます。でもね祐、聞いてくださいよ」
「…何だよ」
「お嬢さん、くっついてると離れるし、少し距離を置いても離れるしで参ってるんです。どうしたら良いんですかね」
「知るか。遊んでないでさっさと手籠めにしちまえ」

大股に行ってしまう真田へと肩を竦め、守ノ内はデザート台に陣取り頬を緩めている雪妃の方へと向き直った。
奥の小ぶりなショートケーキへと手を伸ばしていると、さっとトングで摘み皿に乗せ差し出してくれる姿に、雪妃はスイーツ神かと深々と礼を述べて受け取った。

「ありがとう、助かります」
「こちらこそ、お嬢様」

にこりと見下ろす紅い双眸は無遠慮にも眺めてきて、雪妃は少し居心地悪くもぱくりと口に運んだ。

「へえ、武勲も挙げてるのか」
「へい、お陰さまで」
「守ノ内みたいなバケモンと一緒で疲れない?そんなに良い男なのか?」
「へ?」

左胸の略章を撫でられて、雪妃はケーキを吹き出しそうになる。心許ない膨らみとはいえ胸は胸である。

「君ね、平ではありますが、ご遠慮願えませんかね」
「これは失礼、可愛いのに色気はねえんだな」
「オホホ…本当に失礼ざますわね」

屈託なく笑う男を胡乱げに見上げた。室内だというのに深く被るシルクハットから溢れる髪は銀糸のようで、ああと雪妃は顔を顰める。

「あなたも大陸の人なの?」
「そうだよ、うちのが手上げて悪かったな」
「いえいえ、お互いさまですし。蒼ちゃんも来てるの?」
「蒼?いや、あいつは暫く留守番だ。目立っちまったしな」
「左様で。よろしくお伝えを」

ひょいと苺を摘み食べられて雪妃はむむと唸る。男は葉だけを皿に戻すと、白い美貌をニヤリとしてみせた。

「怖えのが見てるな、また後で」
「おう、悪さしないでよ」
「どうかな、悪いようにはしねえけど」

気怠げな足取りは人の波に紛れてしまう。苺泥棒め、と渋い顔で見遣って雪妃は次のケーキへと手を伸ばした。
遠巻きに見られていたのは中枢の制服だからだろうと気にせず幸せな甘みを堪能していたが、大陸の男が去ると、西の地程の派手さはないが綺麗な身なりの貴族の若者たちに囲まれてしまう。
色々と挨拶をされたが、曖昧に笑んでケーキを頬張った。これも玉の輿候補かとにこやかな顔をちらと見たものの、やはり若者には少し遠慮をしてしまう。

「軍人相手では大変でしょう。どうです、長閑な地でゆるりと過ごされるのは」
「ははあ…長閑なのは良いですなあ」
「我が領地なら鉱物もあります。宝石はお好きでしょう」
「いやいや、こちらには豊かな水源が」
「高原はどうです?年中涼しく避暑地としても有名でして」
「オホホ…左様で」

(早くご令嬢出てこないかなあ、奥様あれだけ美人だし、きっと極上の美少女が)

雪妃はちらとご婦人の方へと視線を移す。ここに集まった貴族の若者たちは、ご令嬢の嫁ぎ先候補なんだろうなと思うと複雑な気持ちだった。
微笑むご婦人の顔ににへらと返しておいて、ケーキを口へと押し込む作業に精を出す事にした。

「雪妃」

にこりとして空色の髪が現れる。
ごほとケーキを咽せながら、雪妃は肩に置かれる手に渋面を作った。

「私の妻への相手をありがとう、代わりましょう」

愛想笑いを残して散っていく貴族たち。
憮然とする雪妃へ紅茶のカップを渡しながら、守ノ内は口を付けた甘いコーヒーに顔を顰めた。

「ご親切にも砂糖を入れすぎてますね」
「あ、ごめん。その辺のは入れちゃった」

我が物顔でデザート台を占領する雪妃へと守ノ内は苦笑を浮かべる。

「奥さん、胸焼けしないんですか」
「しませんよ、まだまだいけますよ」
「そうですか。大陸のが一匹いましたね、何の話をしたんです?」
「悪さはしませんよって話。ねえねえ、その苺のやつ取って」

髪を撫でてくる手を掴み奥の方へと押しやった。
軈て拍手が起こり、漸く主役の登場だった。赤毛のご令嬢ははにかみ真紅のドレスを摘んだ。ご婦人によく似たやはり眩い美少女である。

「ほへえ可愛いねえ、何であれでお断りされちゃうんだろうね」
「少し勝気な所があるからですかね、皆従順なのがお好きなのでしょう」
「ほほう、そんなの知るかって感じだよね」

穏やかにしか見えない淑やかな姿は微笑みこちらを向いて、雪妃は渋い顔で腰に添えられる手を毟り取った。

「ほれほれ、行ってきんさい」
「おや、何故です?」
「どうせいつものやつでしょ、役得役得」

祝う声を笑顔で受けながら、真っ直ぐ守ノ内の方へと向かってくるご令嬢。下手に巻き込まれる前に退散しておこうと、雪妃はひとつ皿にケーキを乗せ離れた。

「守ノ内様、いらしてくださったのね」

わしりと掴まれる腕から逃れ損ねて、雪妃は晴れやかな顔に愛想笑いを浮かべた。

(はあ可愛い…つり目美少女も良いなあ)

ふたつに結った赤毛はくるくると巻かれて胸元で踊っていた。確かに勝気そうな持ち上がった眉と目をしていて、赤く濡れた小さな口は、もがく雪妃を抱える守ノ内の腕にむっと歪んだ。

「誰ですの?お付きの方?」
「私の妻です、お見知りおきを」
「いえいえ、ロクジです、記録係です」
「まあ、可愛らしい小娘ですこと。ごゆっくりなさって」

刺のある口調に恐縮しながら、雪妃はご令嬢の華奢な腕が守ノ内へと絡まるのを眺める。そういえば女避けがどうのと話もあったが、ちっとも効果はないんだなあと可笑しくなってしまった。

(そりゃあそうか、ただの側に居るだけの小娘だもんなあ)

肩書きのある女性には無礼は出来ないのだとアンシェスに聞いたが、それにしてもなすがままの空色の男の役得ぶりにはこちらが苦く笑ってしまう。
そろそろ肉に行くか、と中央で口いっぱいに頬張る厳めしい顔を見つけてそちらへと足を向けた。

「お嬢さん、すぐ戻りますよ」
「へいへい、ごゆっくり」
「妙なのが来たら私の名を、付いて行ってはいけませんよ」
「承知の助。祐の側に居るよ、一番安全でしょう」
「そうですけど、違いますよ」
「はん?いいから行ってきんさいよ」
「一番は私の側です」
「へいへい、その状況でどないせい言いますのよ」

ずるずると引き摺られるようにご令嬢と共に行ってしまう守ノ内を、呆れたように見送った。
ガツガツと遠慮なく食べる真田の横に並ぶと、繊細にもスライスされた肉で皿の上へとミルフィーユを作りニンマリと眺めた。

「その赤い方のが美味い」
「ほう、何のソースだろ」
「知らん」

赤ワインかな、とソースをたっぷりかけて雪妃はワクワクとフォークに刺した。後からくる黒胡椒の辛みも淡白な肉の味によく合っていた。すっかり濃い味に慣れ親しんでしまって、こうなると味のない教会での食事も懐かしく感じるものである。

「おまえな、戻ったら走れよ」
「戻ったらね、今は幸せを堪能させてよ」
「デザートから食い過ぎなんだよ」
「まあまあ、折角のご馳走の場ですし」

ひと口ひと口、幸せを噛みしめる雪妃を横目に真田は塊肉へと齧り付いた。

「妬かないんだな、もうあれに慣れたか」
「ホッホ、慣れたも慣れたよ、見慣れすぎたし羨ましいし」
「羨ましい?面倒なだけだろ」
「かわいこちゃんと遊べて羨ましいぜよ。祐もカッコイイのにね、役得は勝永だけなの?」
「まあな。俺は女より武勲が欲しい」
「ははあ、硬派だねえ」

高い背の鼻先についたソースを拭ってやると、憮然とした顔にフォークごと腕を掴まれべろりと舐めとられた。

「おいおい、君ね」
「喧しいな、メシくらい静かに食え」

釈然としない顔の雪妃を一瞥して真田は辺り一帯をもぐもぐと食べ尽くしてしまう。負けじと雪妃も肉を奪い取りながら、最早人を寄せ付けぬ勢いで中央を制圧していた。

「そういや智恩の奴、何だって?」
「ん?誰?」
「話してたろ、モヤシと」
「モヤシ…」

コーヒーを飲み干した真田が顎で示す先のシルクハットに、ああと雪妃はトマトを齧った。

「苺泥棒ね、智恩くんか。手を上げてごめんねみたいなの」
「そうか、やられたんだったな」
「うむ…鎖みたいなの、あれが印とやらなんだね」
「そうだな、まやかしみたいなもんだが、おまえでも斬れたんだったか」
「まさか斬れるとは思わなかったけど、大陸にはあんなのがいっぱいなのか」
「大したもんでもない、だが厄介ではある」

シルクハットと黒いドレスがもうひとりのシルクハットと合流して、会場を出て行く。真田は眉を寄せてソーサーにカップを置いた。

「動くか、おまえ勝永と居ろよ」
「む、しかしご令嬢とご一緒だしなあ」
「あの馬鹿、何やってんだ」

真紅のドレスと寄り添い椅子で歓談する様子に、深い眉間は深くシワを刻む。

「もう良い、俺と来い」
「おお、どうするの?」
「何かやるなら止める、何もなくても引っ捕らえる」
「荒いっすね大佐殿。悪さはしないみたいに言ってたけど」
「知らん。怪しくば縛れと陛下のお達しだ」

大股に追う真田の背と、ご令嬢に微笑む守ノ内を見比べて、雪妃はやれやれと小走りに筋肉の塊を追った。

「祐、わたしどうしたら良いの?」
「どうもしなくて良い」
「承知の助。大人しく応援するね」
「どうせ大人しくは出来んだろ、逃げそうなのをぶん殴れ」
「うへ…りょーかい」
「勝永みたく守らんからな、自分で何とかしろ」
「へいへい、善処致す」

大股はぴたりと止まりその硬い背にぶへえと埋もれる。じろと見る目に不満を押し黙らされて、雪妃は黒いドレスが青空に手を向ける様を見遣った。

(羨ましい肉感ボディね、かわいこちゃん)

ドレスから溢れそうな胸元が揺れていた。銀糸のような髪が初夏の風に揺れて、それは巻き上げるように突風を生み出した。

「雪妃、こっちだ」
「お、おっけい」

ほへえと見上げていた肩を掴まれ、筋肉は米でも担ぐかのように抱え上げた。

「お兄さん、どうすんの?」
「暴れるな、どうもしない」
「いえね、もう少し優しく扱って頂けるとこれ幸い」
「喧しい。行くぞ」

走る真田の揺れに口元を押さえた。
腹部を圧迫され揺さぶられると、消化しきれない諸々が飛び出てしまいそうだった。

「よお真田、いいモン抱えてんな」
「何をするつもりか知らんが、捕らえるぞ」
「何もしねえよ、少し風が吹くだけだ」

ポイと放られて雪妃は尻餅をついた。
いててと腰を摩っていると、黒いドレスがにこりとして掲げた手を振るった。

「守ノ内の野郎がデレデレしてるうちに終わらすぞ」
「了解、いくわよ」

ごうと音がして黒いドレスは飛び退る。
身軽にも柱の上に立って、高笑いしながら竜巻を仰いだ。

「その筋肉で止めてくる?」
「小賢しい、貴様を止めれば止まるんだろ」
「やだ、女の子に手上げる気?」
「知るか、落ちろ」

豪腕が柱を打ち砕く。
コロコロと笑いながら黒いドレスは翻り、シルクハットの側へと降り立った。

「風が来る前にてめえがここ、崩しちまうなあ」
「喧しい。ここを潰してどうする」
「紫庵の野郎の命令でな、まあ気にすんな」
「紫庵の?大陸と何の関係が…」

真田は竜巻を仰ぎ見舌打ちする。
緑を巻き上げ湖まで迫るそれは、華やかな場で寛ぐ貴族たちにはまだ見えていないようだった。

「大佐、いかがされますか」
「ああ、避難は任せる。ついでに勝永の腑抜けた頭、ぶん殴ってこい」
「え?は、は。承知致しました」

散る白服たちを目の端に、真田はぎりと奥歯を噛む。

「避難ってどこに逃げんだ?ここは湖に沈むぞ」
「知るか。沈む前に止めるまでだ」
「おうおう、そう焦るなよ。雪妃だっけ、そいつへの詫びなんだからよ」
「へ?」

避難への手伝いに走ろうとしていた雪妃は思わず足を止めた。

「何じゃって?」
「おめえは特等席だ、借りてくぞ」

うぐうと再び腹部を圧迫されるように抱えられて、雪妃は涙目で口元を押さえた。

「吐く、吐いていい?」
「ハハ、ふざけんな」
「いえね、たらふく食べたから…」
「かわいこちゃんでも、それはドン引きだわ」

跳ねる脚は洋館の屋根の上で屈託なく笑った。手をつき項垂れて、雪妃は迫る竜巻をギョッとして見遣る。

「あちゃあ…あんなのどうするの」
「さあ?守ノ内なら斬るんじゃねえの?」
「むむ…はよご令嬢から動いてもらわねば」
「こわあいとか言ってひっついてんだろ、色男はつらいねえ」
「参ったね、君ね、何とかしなさいよ」
「やだよ、命令なんだから」
「いーからいーから。あのかわいこちゃんなら止められるの?」
「いや無理だろ、恵舞は起こすだけで止められねえよ」
「うべえ…はた迷惑なやっちゃなあ」

胃の逆流を堪えながら雪妃は屋根に座りなおした。
下ではもうひとりのシルクハットと対峙する真田の険しい顔があった。すらりと抜かれる大剣が長身痩躯に握られて、楽しそうに隣の似たような長身痩躯は笑った。

「ユキ、紫庵から」
「む?誰ですか、シアン殿とは」
「大陸の大将、知り合いなんじゃねえの?」
「はて…」

向けられる端末を覗き込むと、にこりとした顔が映っていた。癖のある宵闇色の髪と瞳に覚えはない。

『やあユキちゃん、久しぶりだね』
「どうもどうも、どちらさま?」
『覚えてないの?寂しいなあ、仕方ないけど』

華美な服に身を包んだ華奢な男は、人の良さそうな笑みのままで首を傾げる。雪妃はどうにも引っかかりそうでやはり引っかからない美貌へと眉を寄せた。

「覚えがなくて申し訳ないんですが、取り敢えずあれ、何とかしてくれませんかね」
『フフ、お気に召してもらえなかったかな。亜科乃が悪さをしたでしょ?それのお詫びなんだけれど』
「何じゃそれ?」
『あの子はそこのご令嬢でね、元だけども。色々あって僕が回収してさ、まあそれはどうでも良いね』
「んん?暴力美女はご令嬢…?」
『まあ、お詫びという事で。ここは潰すから、許してよ』
「はへえ?何言ってんの、そんなのは」
『殴った右腕と併せて僕なりのお詫びだよ、お納めくださいな』
「いやいや、待ちなされ。どういう事?」
『あと、もうすぐお誕生日だね、ユキちゃん。また近いうちにお祝いしよう』
「こら、待ちたまえよ」

手を振って消える画面に、雪妃は愕然として隣を見上げた。智恩はニカリと笑って端末をポケットにしまい込む。

「ま、そういう事らしいから」
「いやいや、どういう事なのよ」
「おめえにゃ手を出すなって話だったのに、手を上げた罰みたいなもんだよ」
「いやいや、それは別にどうでも良いよ。それより、勝永の尻引っ叩いてでも斬ってもらわないと」
「あいつのケツ引っ叩けんの?そりゃ凄えな」
「うぬう…」

洋館から飛び出してくる華やかな服装の群れに空色の頭を探して、雪妃は屋根から身を乗り出した。

「ほれ、あいつもご令嬢にお忙しいんだ。潰れる様をよく見とけよ」
「そんなの後にしてもらおう、どこに居るの?」
「さあ?こんだけうじゃっと居るとなあ」
「ぐぬう…」

あれだけ目立つ姿も揉みくちゃの中では中々捉えられなかった。不意に流れの中でひとつ、こちらを見上げる顔。雪妃はぐっと沈む身を認めて竜巻を指差した。

「馬鹿者、あっちだよあっち」

眉を寄せた顔が指差した先へと跳ぶのを確認して、漸くやれやれと腰を戻す。

「リーダー、智慧君押されてるみたいよ」
「真田も面倒だよな、そろそろ引き上げるか」

トンと屋根に立つ豊満な体は黒いドレスを風に揺らめかせた。力の抜けた雪妃ににこりとすると、恵舞は翳した手をもう一振りして遠くを仰ぐ。

「守ノ内来ちゃったし、二本でも無理かしら」
「まあ良い囮にはなる。こっちに来なくて良かったなあ」
「まあね。良い仕事するじゃない、ユキちゃん」

優しく撫でる手に雪妃は目を瞬かせる。
気怠げに立ち上がる智恩は、智慧、と下に声をかけてシルクハットを放った。

「んじゃ、沈めて帰りますか」
「これ、何するの?」
「ん?沈めんの」
「おいおい、悪さはしないんじゃないんかい」
「悪いようにはしねえさ、詫びなんだからよ」

さらりと日暮れの日差しに銀糸は煌めいた。思わず腕を引いた雪妃にニカリとして、智恩はその手を取り共に沈め込んだ。

(おいおい…こりゃあ)

ぐぐと伝わる重みに雪妃は息を飲む。
低く地鳴りがしたかと思うと湖面が歪み、辺りを巻き込んで沈下していく。

「やめなさい、何やってんの」
「ハハ、爽快だなあ」
「皆避難しちゃったのね、残念」
「こらこら、戻して、何でこんな事するの」
「まあまあ、気にすんなこんなちっぽけな領地。ユキもこれで気が晴れんだろ」

亜麻色の頭に顎を乗せ屈託なく笑う智恩を唖然として見上げる。地鳴りと共に沈んでいく様を屋根から見下ろすしかなかった。
遠くでは守ノ内が斬ったのだろう竜巻が霧散していく。
あーあと溜息を吐く黒いドレスの横に、もうひとつの長身痩躯がタンと降り立った。

「情けねえなあ智慧、真田に押されてやんの」
「…黙れ、時間稼ぎなだけだ」
「あっそ。んじゃ怖えのが来る前に帰ろうぜ」

もしゃりと頭をかき乱されて、雪妃は強張る表情のままで銀糸の髪の三人を見遣った。

「君たち…なんて事を」
「またなユキ、はやくうちに来いよ」

飛んでくる疾風を受け止めたのは智慧の大剣だった。びりと震える空気に肩を竦めて、智恩はニカリと笑みを浮かべる。

「逃しませんよ」
「やなこった、てめえは無理だ」

フッと光の残滓になる三人へと守ノ内は息を吐いて納刀した。

「勝永、下が」
「ええ。してやられましたね」
「どうしよう…詫びだって、わたしのせいなの?」
「お嬢さん、ここも沈みます。行きますよ」

肩を震わせた雪妃へと微笑んで、守ノ内は抱え跳んだ。

「お嬢さんのせいではありません、諸悪の根源は大陸です」

切り詰めた表情で歪む地表を見下ろす雪妃へと優しく呟く。長く流れる空色の髪は夕焼けに染まり、後を続き走る険しい顔もまた、茜色に染まっていた。


***


迎えの機体の座席で暗く沈んだ雪妃を、守ノ内は困ったように眺めていた。
憮然とした真田もまた押し黙り、腕組みシートにもたれかかっている。
巨大な鉄球に押しつぶされたかのような領地は手放す他なく、貴族たちは後続のジャンボ機へと一先ず乗せられ中枢へと向かっていた。

(わたしが出しゃばって暴力美女と一悶着したから…?でも、どうしたら良かったんだろう)

こつんと小窓に額をぶつけて雪妃は目を伏せる。大陸とやらが滅茶苦茶な存在である事はよく分かった。怪我人もなかったとはいえ、多くの人の住処を奪ってしまったのだ。よく分からない理由の為に。

(シアンか…誰だっけな、何か見た事ある気するんだけどなあ…)

背を撫でてくる守ノ内の手に、疲れた笑みが向いた。

「気を落とさず、お嬢さん。やむを得ません」
「そうかな…」
「みすみす見逃した私の責任です、連れ去られなかっただけ良しとしましょう」
「連れ去られるの?何で?」
「分かりません、まだ色々謎なんです」

苦笑する顔の向こうには渋い顔がある。
雪妃は守ノ内の方へと寄りかかりながら、小さく息を吐いた。

「ちゃんとわたしにも説明してよ、何かあるんでしょ」
「すみません、色々とありますが、今は何とも」
「色々ね、困ったもんだね」
「紫庵はおまえを欲しがってる、ドクの奴もな」
「祐、下手に不安にさせないでくださいよ」
「これだけ接触してくるんだ、警戒させといた方が良いだろ」
「そうですけど…お嬢さん、心配には及びませんよ。私が守りますからね」
「そうですかい、ちょっと休んでも良い?何か疲れちゃった」
「ええ。運びますからごゆっくり」

すうと意識を手放す雪妃を苦笑して守ノ内は抱き寄せた。
難しい顔の真田は足を組み替えて、天井を大きく仰いだ。

「少し狭まってないか、まだ早いだろ」
「ええ、このまま目覚めなかったらと思うと気が気じゃなくって」
「フン、他とくっついてる場合かよ。悠長に構えてるなら俺がもらうぞ」
「勘弁してくださいよ、渡しませんよ」

健やかな寝顔を撫でて守ノ内は肩を竦める。夭折という単語が過って、眉を寄せ目を伏せた。

「まだ始まってもないんです、誰にも渡しませんよ」

夜の帳が降りた外は煌々と月が浮かんでいた。
ブランケットをかけてやりながら、守ノ内は静かな寝息へと耳を傾けて、力の抜けた身へと寄りかかった。













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