ビビッドな愛をくれ

マスカレード 

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|unknown territory《未知の領域》

ビビッドな愛をくれ

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 優吾がダイニングに入って最初に目についたのは、テーブルに載った三十cmくらいはありそうなバゲットサンドだった。向かい側のテーブルにも置いてあるということは、これが一人前なのかと優吾はその大きさに目を見張った。他にサラダやデザート、野菜ジュースまである。

「身体は大丈夫か?」

 意識が食べ物に向いていたせいで、突然の問いかけに優吾は頬をピクリと引きつらせた。
 ―――うわっ、こんな明るい場所で聞くなよ。点検した箇所を思い出すじゃないか。
 焦る心を隠しつつ、リアムの向いに座った優吾が、仏頂面で大丈夫だと答える。
 そういえば、こんな風に明るい場所でじっくりとリアムの顔を見るのは初めてだということに優吾は気づいた。
 一度目の出会いは外だったが、優吾は海に落ちそうになって気が動転していたのと、リアムに女と間違われて腹が立ち、売り言葉に買い言葉の応酬で別れたせいで、獣に例えるくらいの認識しか持たなかったのだ。

 ライブ中は音楽に熱中していたし、昨夜照明を落とした寝室でリアムを見たときは、彫の深さも手伝って三十半ばぐらいに感じた。
 ところが、フレンチ窓から差し込む真夏の太陽の光に晒されたリアムの肌は、張りがあり、リアムがまだ若く、三十前であることを露呈させた。

「腹が減っただろう? 簡単なものしか作れないが、足りなければバゲットと肉を焼くから、好きなだけ食べろ」

「ありがとう。多すぎるぐらいだよ。美味しそうだな。頂きます」

 バゲットサンドは焼いたバゲッドの中央を切り開き、五ミリほどにスライスしたチキンとレタスとトマトとパプリカなどが交互に挟まっていて、見た目にも鮮やかで美味しそうなのだが、小麦の香ばしい匂いとチキンの旨そうな匂いが一層食欲を誘った。
 外国人はパンなどを手でちぎって一口大にして食べると聞いたことはあるが、ぎっしり詰まった中身をこぼすのがもったいないなくて、ガブッと先端にかぶりつく。バリバリっと皮が割れる音がした。

「‥‥‥ん、うん、うまっ」

「そんなにがっつくな。きちんと噛まないと、パンの表皮で口の中や喉を傷つけるぞ。声はユーゴの商売道具なんだから気を付けないと」

「んっ?」

 俺そんなこと言ったっけ? と口一杯に頬張ったまま、リアムの顔を見て考える。
 そういえば、車の中で、バンドのボーカルをやっていて、もてるんだと大見得を切ったような気がする。 
 リアムが世界的なバンドのギタリストだと知らなかったとはいえ、アマチュアに毛が生えたようなバンドのボーカルのくせに、よく自慢できたものだと頬が熱くなった。

「そんな風に恥じらわれると、今度は俺の方が、がっつきたくなる」

 優吾から視線を外さず、リアムがこれみよがしにバゲットに真っ白な歯を立てる。その口元が妙にエロティックに感じられ、昨夜リアムの唇と歯で、好き勝手にされた胸の頂きに疼きを覚えた。

「朝から、エロいこというなよ。恥ずかしいだろ。そっちは有名人でこういうこと慣れているのかもしれないけれどさ、俺は違うから」

「俺が有名人だったのは昔のことだ。まぁ、確かにその当時は、大ヒットを飛ばして有頂天になってたし、十代で性欲もありあまっていたから、言い寄られてその気になれば、その場限りの遊びもしたな」

「オーウェンとは、つきあってなかったの?」

 リアムの顔から表情が消え、途端に沈黙が訪れた。しーんとなった空気の重さに耐えきれず、優吾が再び口を開く。

「ごめん、面白半分に訊ねたんじゃなくて、俺が歌った後、彼にすごく睨まれた気がするんだ。もし、二人が付き合ったことがあって、まだオーウェンがリアムを思っているなら、焼きもちだったんだなって納得できるから、つい……」

 食べかけのバゲットを皿に置き、リアムがすぐ横にある窓に顔をむけた。
 眩しそうに目を細めた顔は、痛みを堪えているようにも見えて、さっきクローゼットでリアムが見せた苦し気な表情と重なる。優吾は立ち入るべきではなかったと後悔した。

「‥‥‥つき合ってはいない。でも、俺はあいつの気持ちを利用したんだろうな」

「やっぱりオーウェンはリアムを好きだったってこと? でも、利用って穏やかじゃない言葉だ。俺がお前をスターに伸し上げてやるとか言って、無理やりバンド仲間に引き入れたってこと? それで、バンドが振るわなくなって、あっさり捨てちゃったとか」

 リアムが目を眇めて優吾を見つめ、呆れたようにため息をついた。

「お前なぁ~、俺をどれだけ自己中心的な人間だと思っているんだ? それに今の例えは非常に実感こもっているような気がするが、もしかしてユーゴの実体験じゃないだろうな?」

「うっ‥‥‥」

「人のことばかり根ほり葉ほり聞こうとするから、墓穴を掘るんだ」

 おかしそうに笑いながら、リアムが流暢な日本語を話す。もし、姿をみないで声だけ聞いていたら、日本人と話しているように感じるだろう。

「リアムって、どうしてそんなに日本語がうまいの?」

「ミュージシャン仲間に日本人がいるから、覚えたんだ。彼から仕事をもらったこともあるし、何度か日本へも行った。で? そのしらじらしい話題転換は、さっきの話を誤魔化すためか? ひょっとして失恋の相手が、その人でなしだなんて言うなよ」

「悪かったな、人を見る目なくて。でも、律はファンの女性を妊娠させてバンドを抜けるまでは、真面目にバンド活動をやっていたし、俺をいいボーカルにしようと真剣だったよ」

 言った先から泣けてきた。
 客観的に見て、律は自分勝手に見えるかもしれないけれど、上を目指して一生懸命練習してきた時間は消えたりしない。

「俺たちには、あんたみたいな才能は無いかもしれないけれど、一緒にスターになる夢を見て、学業とバイトと練習のタイトなスケジュールを必死でこなしてきた仲間なんだ。何も知らない奴に、悪く言われたくない」

 瞬きで込み上げる涙を散らしていたら、頭の上に手が置かれ、くゃっと髪を撫でられた。

「悪かった。バカにしたわけじゃない。ユーゴが失恋で傷ついているのを知ったから、心配しただけだ。ユーゴの才能は昨日のライブで証明済みだ。キーやリズムの変化に咄嗟に対応できただけでなく、よくあれだけ見事なアドリブを披露できたもんだ。お前は度胸があるよ。歌声も伸びがあっていい声だし、客たちも喜んでいたろ?」

「う…ん。カゴから飛び出して自由に羽ばたいたって感じで、歌うのも客の反応も気持ちよかった。でも、初めのうちは、リアムが海岸でのことを根に持っていて、俺に普通に歌わせないように嫌がらせをしているんじゃないかと思ったよ。負けるもんかって夢中だった」

「海岸? ユウゴが飛び降りるのを邪魔したことか?」

「だから、あれは海を覗いてただけだって言っただろ。そうじゃなくて、ほら、あの‥‥‥」

「ああ、あのお誘いな」

「は?」

「雌のトラに乗れっていったから、きれいなユーゴに乗っただろ?」

「お、お前、許さ‥‥‥」

 リアムに掴みかかろうとして、急に立ち上がった優吾は忘れていた鈍痛に襲われ、へなへなとイスに崩れ落ちた。
 皿を肘でどけてそのまま机に突っ伏す。大丈夫かと声がかかり、リアムの手がまた髪に触れようとしたのを察して、もう片方の手で頭をガードする。

「触んな。誰がお前なんか誘うか。変態トラ」

「ほら、こっち向け。バカにしてないと説明するために褒めたのに、変に空回りして自爆するし、本当に手間がかかる奴」

「ほっとけ。あっち行って。シッシッ」

 机に伏したまま、手のひらをひらひらと振ったら、ガシッと掴まれ温かくて柔らかいものが押し当てられた。

 まさか、これ‥‥‥?
 顔を横に向けた途端、すぐ間近で手の甲に口づけをしているリアムと目があった。

「ん~~~~~~っ。触んなって言ったろ」

「こういうのを、猫じゃらしっていうんだろ? 何で俺がトラと呼ばれるのかは分からんが、猫科なら、目の前でひらひら振られたものに、飛びつかないわけにはいかない。遊んでくれたお礼に、後でいいことをしてやるよ」

 耳元でいいことをしてやると囁かれ、首筋から腰までぞくぞくした。
 熱く見つめるリアムの水色の瞳に、吸い込まれて溺れそうだ。優吾は即座に首を振って誘惑から逃れようとした。

「いらない! もう充分! これ以上されたら身体がもたない」

「そうか。残念だ。せっかく歌のレッスンをつけてやろうと思ったのに。じゃあ、食べたら皿をシンクに入れといてくれ。俺は‥‥‥」

 立ちあがって背をむけたリアムのシャツを、優吾は慌てて掴んだ。
 上から見下ろすリアムが、さり気なさを装いつつ、可笑しさを堪えているような詰まった声で訊ねる。

「どうした。ユーゴ? バケットのお代わりか?」

「り~あ~む~。お前、意地が悪すぎ! でも、返事次第で許す」

 リアムが笑いながら、許してもらわなくて結構! と返したのを無視して、優吾は服をクイクイと引っ張った。

「なぁ、ほんとに歌のレッスンしてくれるの? 俺、昨日みたいに歌いたい。型にはまったような歌い方はもう嫌なんだ」

 リアムの目に、フッと翳りが差した。
 何だ? と思って優吾が覗き込もうとすると、ポーカーフェイスが表れ、読まれないようにガードする。
 リアムは鋭い観察力を持って、こちらに手を差し伸べようとするが、自分自身のことになると、ある一線から先は立ち入らせようとしない。
 オーウェンのことといい、謎だらけで、まるで彼らのグループの名前の通り、unknown未知の territory境地みたいだ。

「そんなしかめっ面をするな。心配しなくてもちゃんとレッスンはつけてやる。食べ終わったら、廊下の先の部屋に来い」

 シャツを握っていた優吾の手を解くと、リアムはキッチンを横切って廊下へと歩いて行った。


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