人斬り黄金伝

伊賀谷

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金塊

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 新兵衛が坂本龍馬と再会したのは、慶応二年(一八六六)の年が明けた頃であった。
 京の外れの伏見に坂本がいると聞き、新兵衛は以蔵を連れて向かった。
 以蔵は杖を突いてびっこを引きながら歩いている。
 新兵衛たちは坂本が寺田屋という旅館にいることを突き止めた。さっそく二人は向かう。
 その時、鉛色の空に火薬が弾ける音が響いた。

「短銃じゃ」

 寺田屋のある方角から聞こえた。新兵衛は歩く速度を早めた。以蔵も懸命について来る。
 新兵衛たちが進む通りの先に武士が一人駆け出て来た。

 ――坂本龍馬じゃ。

 坂本のあとを二人の捕り方が追う。新兵衛たちに向かって来る。
 振り向いた坂本は、手に持った短銃を追ってくる捕り方たちへ向けた。
 轟音が響いた。
 新兵衛と以蔵も、捕り方たちも、時が止まったように動きを止める。
 坂本の短銃から硝煙がたなびく。
 捕り方たちが自分の体をまさぐった。

 ――当たっていないようじゃの。

 無傷であることが分かった捕り方たちが再び坂本を追い始めた。
 坂本が駆けてきて、新兵衛たちとすれ違った。

「龍馬!」

 以蔵の声に坂本が振り返った。

「おまえ、以蔵か!」
「坂本龍馬さん。田中新兵衛と岡田以蔵が助太刀いたす」

 新兵衛と以蔵は、坂本と捕り方の間を塞ぐように前に出る。

「邪魔だていたすな! その男は幕府に楯突くぞくであるぞ」

 捕り方二人が刀を抜く。

「そこな賊もろとも斬り捨てるぞ!」

 新兵衛と以蔵は顔を見合わせる。にやりと笑ってから捕り方に目を戻す。
 捕り方二人が同時に斬りつけてきた。
 新兵衛と以蔵はそれぞれ上半身を軽く反って刀をかわす。
 そして同時に抜き打ちで捕り方たちを斬り捨てた。

「さて。逃げましょうか、坂本さん」

 新兵衛は刀を一振りして血を払ってから鞘に納める。
 三人は血と硝煙の匂いが残る通りを後にした。


 壁を隔てて三味線の音や歌声や笑い声が聞こえてくる。

「ささ、どうぞ。田中先生」

 遊郭の茶屋で坂本が新兵衛の盃に酒を注ぐ。それぞれに遊女がついてくれているが、以蔵は相変わらず俯いて料理をつついている。

「以蔵は死罪になったと聞いていましたが、まさか田中先生が助けてくれていたとは」
「仲間を見捨てるわけには行きません」
「さすがは薩摩隼人ですなあ」
「お恥ずかしい。すでに脱藩同然の身です」

 坂本の話は心地よく、聞いている内に心が引き込まれて行くのを感じる。

 ――この男は人たらしじゃな。

 坂本の周りには笑いが絶えない。遊女たちも袖で口元を隠して微笑んでいる。

「ところで、どうして坂本さんは幕府の捕り方に追われていたのですか」

 坂本は盃に残った酒をあおる。

「薩摩や長州を相手に商いをしておりまして」

 薩長さっちょうが盟約を結んだという噂は耳にしている。それが本当であれば幕府の脅威となるはずだ。

「それで幕府に目を付けられたのですな。で、どのような商いを」
亀山社中かめやましゃちゅうと言いまして。イギリスから銃を買って藩におろしております」
「これからは銃の時代です。さぞかし儲かるのでしょうな」

 坂本は笑みを浮かべながら盃を遊女に差し出す。酒が注がれた。

「わしなどは古い人間です。いまだに商売道具はこれ一本」

 新兵衛は鞘に入った奥和泉守忠重を畳の上に立てる。

「市中ではまだ役に立ちますよ。田中先生」
「坂本さん。用心棒を雇うつもりはありませんか」
「それは田中先生と以蔵ですか」
「左様。京を見渡しても、わしらより腕の立つ者はいません。なあ以蔵」

 以蔵は顔を上げた。

「ああ。おれたちといた方が安全だ」
「たしかに二人の言う通りですな」

 坂本が新兵衛と以蔵に侍っていた遊女に目配せをする。すると遊女が袱紗に包まれたものを二人の膳に置いた。

「どうぞ開けてみてください」

 促すように坂本が手を差し出す。
 袱紗を開くと、紙で包まれた小判が現れた。いわゆる切餅――二十五両。

「手付金です」

 新兵衛は生唾を飲み込んだ。

「お二人を用心棒として雇います。京での警護をお願いしたい。さらに月に五両払います」
「安心してください。坂本さんの命はわしらが護ります」

 新兵衛の声は歓喜に満ちていた。

「じゃあ、飲みなおしましょう。改めて乾杯ですな」

 茶屋の窓から流れる楽しげな笑い声が絶えることはなかった。

◇◆◇◆◇

 坂本龍馬は日本中を奔走している。
 京にいる間は新兵衛と以蔵が警護をした。幕府やどこぞの藩の刺客に襲撃されたことも一度や二度ではなかった。
 慶応三年(一八六七)十一月。木枯らしが吹く中、二人は坂本を護りながら河原町の蛸薬師通たこやくしどおりを歩いていた。
 坂本は醤油商を営む近江屋おうみやに潜伏するという。

「いつもすみませんね」
「なんの。坂本さんを護ることが、わしらの仕事です」
「田中先生。以蔵もよく聞いてくれ」

 二人は立ち止まった。

「去年、わしらの船が紀州藩の船と衝突して沈没しました」
「それが何か」
「船には八百丁の銃と金塊が積んでありました。金にしたらざっと五万両」
「五万――」

 新兵衛は息を飲んだ。

「そこでわしらは紀州藩に失った金を払うように求めました」
「それで」
「紀州藩はわしらに七万両を払いました」
「なんと!」

 新兵衛は黄金の山を幻視した。

 ――この時を待っていたんじゃ!

 沈没した密貿易船の金塊を求めて海に潜り続けて死んだ父。父の死体に抱き着いて泣いていた母。幼い頃の記憶が蘇った。
 己の人生への復讐が始まろうとしている。

「七万両はある場所に隠してあります。いざという時のために商売には使いません。時が来たら仲間内で山分けしようと思っています。もちろん田中先生にも以蔵にも」

 坂本は笑顔を見せた。

「そのような大金をどこに隠しているのです」

 悪戯っぽい顔で坂本は新兵衛を見る。

 ――しまった。焦りすぎたか。

 新兵衛は坂本に内心を見透かされたかと思った。

「霊明神社の裏の墓場」
「墓場――」
「ある男の墓に埋めてあります」
「その男の名は」

 以蔵が静かに尋ねた。

「安心しろ。時が来たら教えてやる」
「もし龍馬が死んでしまったらどうなる」
「田中先生と以蔵がいるかぎりわしは死なぬだろ。だが、もし死にそうになったら、そうだな。その場に居合わせた者に墓の名だけは伝えておこうか」

 坂本はからからと笑った。
 七万両はもしかしたら坂本の冗談かもしれない。新兵衛はそんなことを判断する余裕をすでに失っている。黄金の輝きに取り憑かれた亡者となっていた。
 新兵衛と以蔵は、坂本とは近江屋の前で別れた。
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