人斬り黄金伝

伊賀谷

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龍馬暗殺異聞

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 十一月十五日、暮五ツ(午後八時)。
 二人は屋台見世で天麩羅を食べていた。

「今宵は冷えるな」

 新兵衛は酒をちびりと飲む。

「そろそろ近江屋に戻った方がいいんじゃないか」

 以蔵はそわそわしている。新兵衛はゆっくり盃を置いた。銭を置いて、袖の中に手を入れながら立ち上がる。

「そうだな。ぼちぼち行くか」

 寒風吹きすさぶ中、新兵衛は身を縮めて歩き始めた。
 以蔵も杖を突いて並んで歩く。
 地を蹴る足音が冷たい空気を割って聞こえて来た。
 羽織袴を着て頭に鉢巻をした一団が歩いて来る。鬼気迫る気配が漂っていた。
 その内の数人は返り血を浴びている。
 二人は道端に退いて、一団が通り過ぎるのを見送った。

「京都見廻組――」
「新兵衛さん。まさか」
「やられたかもしれんな。急ごう」


 近江屋の入口は開いていた。
 一歩踏み込むと血臭が鼻をつく。
 新兵衛は店の奥へと進んだ。体の大きな男が階段の下で倒れている。
 山田藤吉やまだとうきちという坂本の従僕が斬られていた。
 新兵衛は以蔵の顔を見る。以蔵が頷いた。
 ゆっくり二階へと上がる。
 暗い廊下の左側の襖が開いて、部屋の明かりが漏れていた。
 血の匂いが濃くなる。
 新兵衛がそっと部屋を覗くと、畳の上は血の海であった。

 ――誰じゃ。

 笠を被った武士が膝をついて屈んでいた。血の中に倒れている男の顔に、武士は耳を近づけている。こちらからは武士の顔は見えない。
 新兵衛に気付いて武士が立ち上がった。
 倒れているのは坂本龍馬だった。頭を断ち割られている。

「龍馬!」

 以蔵が声を上げる。坂本は動かない。
 もう一人倒れている男がいる。坂本と密談をしていた中岡慎太郎なかおかしんたろうだ。こちらもまったく動かない。

「お久しぶりです」

 立っている武士が笠と襟巻を外す。肩までの長さの総髪が流れると、女のように美しい顔が現れた。

「おまえ、彦斎か」
「長州より戻って参りました」

 寒さのせいか、肌は氷のように透き通って見える。瞳の色は昏い。白い息を吐く紅い唇。その姿は美しいというより壮絶な幽鬼のようである。
 新兵衛は気を呑まれそうになるのを辛うじて堪えた。

「坂本さんはお亡くなりになりました」
「彦斎、何か聞いたか」

 彦斎は坂本の死体に目を向ける。総髪が流れて顔を隠す。

「ええ。ある男の名を、聞きました」
「なんという名だ」
「さて」

 妖しい笑みが新兵衛を見た。

「七万両――」
「おまえ、知っているのか」

 新兵衛はなんとか言葉を絞り出した。

「わたしは長州の者たちと共に幕府軍を相手に戦ってきました」
「ああ。無事なようで何よりじゃ」
「戦地で、わたしの故郷の肥後藩が幕府軍に加わって、長州と戦っていることを知ってしまいました。肥後藩はいまだに佐幕派に支配されているのです」

 彦斎は依然として苛烈な尊攘派であった。いやむしろ、より熱烈になっている。

「わたしは肥後に戻ることにしました。藩の重鎮たちを説得するために。攘夷に目覚めさせるために。そのためには金が必要なのです」
「なんだと」

 新兵衛は彦斎が己の道を阻む障害になったと認めた。
 刀の鯉口を切り、柄に手をかける。

「おい、以蔵」

 以蔵は彦斎を挟む位置へゆっくりと動いた。

「わたしを斬りますか」

 彦斎は刀には手をかけずに無造作に立っている。

「返答次第ではな。坂本から聞いた名を言え。言えば斬らぬ」

 数瞬、三人は睨み合った。

「分かりました。田中さんと岡田さんをまとめて相手はできません」

 彦斎の周りの空気が緩んだ。

「土佐藩士、望月亀弥太もちづきかめやた

 新兵衛は刀を納めた。

「もういいぞ、以蔵」

 以蔵は今にも彦斎に飛び掛からんばかりだ。

「おまえは肥後に帰るんじゃ」

 彦斎は血の海に立ち尽くしている。

「以蔵行くぞ」

 新兵衛と以蔵は近江屋を出て、霊明神社の裏の墓場に向かった。
 七万両はもう手の届くところまで来ていた。
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