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城内での密談 その1 ~領主の座~
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ファルの町の領主は山に建っている白い城に住んでいる。
住んでいると言っても、山を越えた北にある国の首都にて業務を行う場合も多い。
最近では、国王が病に伏せっている事もあり、ファルの領主も他の町同様に不在がちだ。国王交代の準備で呼ばれる事が増えているのだ。
国自体は王が交代しても安定出来る様に細心の注意を払っている。国の転覆や乗っ取りを考える輩は確かにいる。だからこそ慎重に事を運ぶ為の準備段階なのだ。
各町の領主も同様で不在の時でも、平和が保たれる様に軍の幹部達が領主業務を分担し、このファルの町を機能させ守っている。
軍の施設は城の側に位置している。
軍学校、軍宿舎、そして武術場といった多数の施設が全てひとまとまりになっている。
軍は大きく陸上部隊と海上部隊に分かれているが、別枠で魔法部隊が存在している。主に医療関係に従事しているが、一般に販売されている魔法石の生産や、一部魔法が使える兵士用の武器開発等もしている。
実は最も市民に必要とされ馴染みがあるのはこの魔法石なのだが、魔法部隊に所属する人間を知るものは少ない。
軍の中でも魔法部隊が別扱いされているのは、所属する人間は生まれた時から魔法を使う能力があるものと限られているからとも考えられている。
自分の能力に気づいた人間で、軍学校にて学びその能力を発揮している──のだが、軍人らしくない風貌の人間が多いのだ。
天は二物を与えず、という事なのだろうか。
魔法の能力が長けていると、どうしても体力が魔法の源となるのか、あまり筋肉もなく、痩せ型、虚弱体質といった人間がほとんどだ。
その為、軍人で高給取りでも陸上部隊や海上部隊の軍人の様に、女性から人気があるという事ではなかった。
ドアを開けると、消毒薬の香りが鼻についた。相変わらず軍学校の輩が怪我を繰り返しているのだろう。かつてのノアやザックの様に荒んだ者が多いのだろう。日々の喧嘩も絶えない。
窓からは心地よい初夏の風が流れ込んでくる。差し込む光が柔らかで、遠くに海鳥が鳴いている声が聞こえる。
部屋の中はかろうじて、床下の荷物は片付けられているものの、奥にある重厚な机の上には本が幾つも山積みになっている。
反対側の棚には相変わらず、聞いた事もない名前のラベルが貼ってある薬の瓶がところ狭しと並んでいる。
ここは魔法部の小隊長を務めているネロの部屋だ。
魔法部は小隊長に就任すると研究室を兼ねた小部屋が与えられる。
同じ小隊長であるノアとザックだが、魔法部隊に所属しない限り部屋は貰えない。
羨ましい話だ。魔法部の方が優遇されているとも思える。
しかし、魔法部は人数も少ない事から激務なのだ。
部屋の中に入ると治療をする為のベッドが中央にポツンと一つ置いてある。そこで横になって気持ちよさそうにすやすや眠っていたのはシンだった。
……何でシンが寝ているのだ。
小隊長は大隊長に報告会をしている。
今日はザックと一緒にここで落ち合う予定だったのに。何故シンだけがここにいる?
部屋を見回すが、眠り転げているシン以外に誰の姿も見えない。
そもそも、この部屋の主であるネロですら見つからない。
「……おい、シン。何で寝てるんだ。ザックとネロを見なかったか?」
ノアは溜め息をつきながら声をかけるが、シンはだらしなく口を開き両手を胸の上で組み、棺桶に入る様な姿で眠り続ける。起きる気配が全くないので、仕方なくシンの頬を軽く叩いた。
「ハッ! ノア隊長……すみません、涼しくてついつい」
気が付いたシンは、垂れた涎を拭いながら慌てて身を起こす。
シンが所属するのは海上部隊でノアの陸上部隊と異なるが、ノアは小隊長でもあるので失礼に当たる様な事は出来ない。
「まぁ、いいさ。で? ザックとネロは何処へ」
ノアはシンの相変わらずな緩い態度に溜め息をつく。それから、黒い外套を脱ぎ治療用のベッドに置く。
シンはまわりをキョロキョロ見わたす。
「ネロ隊長なら……あれ? さっきまでいたはずですけど……」
また、何処かへ雲隠れか? ノアが口をへの字に曲げた時、シンがノアを見上げながら困った様に眉を寄せた。
「あの、ザック隊長は、報告会が長引いていて少し遅れます。……でも、少し今日の様子がおかしくて」
「おかしい? ザックが? いつもの事だろ」
「違いますよ、いつもあんなに変じゃないです! 何かこう、気持ち悪いって言うか」
「気持ち悪い?」
「大隊長への報告は休みにする事があるじゃないですか、だから大抵は機嫌がよくないんです。なのに、今日は鼻歌だけじゃなくてスキップしながらやって来たんです」
「は?」
「もう終始ヘラヘラしていて締まりのない顔で、一体どうしたんでしょう?」
ザックは休日に呼び出される時は大抵機嫌が悪く、ブスくれてやって来るのだが、今日はいつもと違い実に軽やかなステップを踏みながら、艶々の笑顔でやって来たのだと言う。
「……頭でも打ったか、いやヘラヘラしているのは元々じゃないのか」
ノアは顎に手を置いて腕を組んで分析する。
「何て事を言うんですか! ザック隊長はそこまで変じゃないですよ!」
そこまでという事は、変だと思う時もあるのか? 微妙な回答にノアは眉を寄せる。
そんなやり取りをしていると、重厚な机の上に鎮座している本の向こうで、本を掻き分けながら痩せ型の男が眼鏡をかけ直しながら這い出てきた。
「ま、待ってたよ、ノア。一週間ぶりかな?」
「おわぁ!」
ノアは驚いて一つ後ろに飛び退いた。
男は丸い眼鏡をかけ直しながら、肩の下辺りまで伸びたボサボサのプラチナブロンドをかき上げて、机の向こうで起き上がる。どうやら山積みの本の下敷きになっていた様だ。
危うく部屋で圧死しかけるなんて! 大丈夫なのか? ノアは一筋の冷や汗をかく。
それから、ひょろっとした細い腕が更に本を丁寧に積み上げ、最後には重厚な机を飛び越えてノアの前に着地する。細い体は非常に軽い様だ。
しかし、その際砕ける様な音がして、丸眼鏡の男は腰を押さえて呻いた。
「ううっ。腰がっ!」
「ネロ! 大丈夫か?」
どうやら腰をくじいた音だったらしい。ノアは慌てて四つん這いになったネロに近づく。
「いや、待って、大丈夫だから。ふぅ、危なかった」
ネロは震えながら子鹿の様に立ち上がり腰を叩き、ゆっくりとのけぞった。最後にはニッコリ笑って、埃にまみれた白衣を払う。
「そ、そうか、ならいいが」
そんな青白い顔で微笑まれてもな──と、ノアは引きつった笑顔を浮かべた。
ネロはこの部屋の持ち主、つまり魔法部の小隊長だった。
そして──ノアと兄弟でもある。ノアよりも三つ年上の二十八歳だ。
兄弟といえども母親が異なる為、ノアと同じなのはプラチナブロンドと白い肌だけで、その他は全く似ていなかった。背はノアより少し低いが、細く痩せており、虚弱体質だった。
昔から何をするにも怪我をしたり寝込んだりする事の多い兄だが、とても優しくいつもノアの事を心配してくれている。
医療系の魔法に長けており日々開発や研究を行っている。魔法部の優秀な人材でもあった。しかも軍人らしくない人柄もあり、軍学校の人間がよくこの部屋に入り浸り相談事などしている事も多いそうだ。
「今日集まってもらったのは他でもないんだ。どうしても伝えたい重要な事があってね……って、あれ? ザックはまだなのかい?」
丸眼鏡のブリッジを持ち上げながら濃いブルーの瞳がシンのまわりを探す。ザックの姿を探している様だ。
シンは申し訳なさそうに声を上げる。
「それが、ちょっと遅れ」
「遅れてすまーん!」
シンが言い終わる前にバンッっと力一杯にドアを開け、ザックがステップを踏みながら飛び込んできた。一つターンをすると両手を広げてポーズをつける。
驚いてのけぞったネロが一回転して座っていたベッドから後転しながら後ろに落ちた。
ゴチンと大きな音が聞こえて頭をしこたま打っていた。
しかし、呻きながらヨロヨロと立ち上がると、笑顔で答えていた。
「おお! ザック元気がいいなぁ、僕にも分けて欲しいよ」
ネロはもう一度ベッドによじ登って眼鏡の前のブリッジを上に上げる。髪の毛は更にボサボサだ。
(大丈夫なのか……)
ノアは呆然と思う。
「……ザック、ドア一つ落ち着いて開けられないのか? ここは海上部隊じゃないんだ。魔法部隊だぞ」
こめかみを押さえて溜め息をつくノアだった。
「ハハッ、気分がよくてな、悪い、悪い」
(気分がよかったら、どうしてノックもせずにドアを開けるんだ!)
ノアは叫びたい気持ちをグッと抑える。ヘラヘラしているのはいつもの事だが、確かにこれはおかしい。
後で理由を聞いてみよう。ノアはそう思いながら、力一杯開けられたドアを丁寧に閉め、鍵をかける。念のために窓も閉める。
「ありがとうノア。じゃぁ、ザックも座ってくれ、これから結構重要な話を始めるよ!」
重要な話を始める割にはとても明るい口調だ。
ネロは座ったベッドから立ち上がると、学校の講義を始める様に緊張感のない声で話しはじめた。
「マリンさんの溺れる前の血液をもう一度調べてみたんだ。アル隊長が調べて問題がないって言っていたけど、どうしても気になってね。顔も青白かったし、食欲もなくて踊る体力も急激に無くなるなんて変じゃないか。そうしたら、これが驚きで血液から微量な毒素が検出されたよ。いやぁ~普通に調べただけでは分からない、非常によく出来た薬で、ファルでは手に入らないと思う。誰か取り寄せたんだろうね。恐らく少しずつ食事に混ぜていたんじゃないかな」
ネロは身振り手振りで説明をする。内容は物騒事なのに問題を発見した事が非常に嬉しくてたまらないといった感じだ。
「ずっと体調が悪いと言っていたからな……まさか、毒を盛られていたとは」
ノアはもっと早く気が付いていればと後悔を滲ませた。腕を組んで仁王立ちしているが自分の服に皺が寄るぐらい腕の部分を握りしめていた。
「マリンの体調が悪くなったのは一ヵ月ぐらい前だったな。アルの奴が調べると言って聞かなかったんだよな血液の検査とか。「もしかするとファルの町で暗躍する輩の仕業かもしれない。『ジルの店』は狙われている可能性がある」とか、文句をつけてさ」
ザックは大股を開いて診療用のベッドに腰掛けていた。先ほどは浮かれていたが打って変わって落ち着いた様子だ。
「あの時、ノア隊長が調べると言ったのに、アル隊長が横から、かっさらっていく様な感じでしたよね」
シンも記憶を辿っていた。
「くそっ! あの時アルに断っておけば、マリンをこんな目にあわせなくて済んだのに」
吐き捨てる様に呟くノアだった。
「多分、次期領主の座をノアに奪われるとでも思っているのだろう。最近のアルの態度を見ているとそう思うさ」
ザックが溜め息交じりに呟いた。
病に伏せっている国王の交代が完了すれば、慣例に沿って次に領主交代が始まる。
そうなると領主候補の選出があるので、軍部の連中で少し噂が立っているのは確かだ。
その言葉に激昂したのはノアだった。
「何で俺が領主の座を奪うと思っているんだ。大体、俺は妾の子供だぞ。しかも、何処の馬の骨か分からない女のな! だから本家の血を引く長男のアルが領主を継ぐのは当然じゃないか。そうじゃなくても次男にネロが控えているってのに」
「まぁそうだが。陸上部隊の中では、お前が次期領主だって一時期話題になってただろ。ほら、アルは暴力的で人望もないしさ」
ザックは両手を挙げてヤレヤレという風に態度を取る。どんなにノアが激昂してもザックは意外に冷静だ。
ノアに人望があるかと言えば、そうかもしれないが──
ノア自身が王子様の様な振る舞いをして、本来の粗野で粗暴な性格の自分を偽っているのだから、あまり長男のアルと変わらないと思う。
その点はノア自身が領分を理解している様だ。特に領主の座を狙い人の上に立ちたいと思っている様子はない。むしろ、興味がなさ過ぎて自分をそういった紛らわしいお家騒動から疎外しようとしている節がある。それはそれで、妾とはいえ領主の血を引くものとしていかがかと思う。
どうしたものかと、ザックも溜め息をついた。
「まぁ、次男の僕がしっかりしていないのも否めないんだけどね~」
ネロはハハッと軽く笑いながら口の横をポリポリとかく。魔法部隊の精鋭は慕われているがやはり政治的に力のある陸上部隊や海上部隊とは異なるので、既に領主ルートからは外れていると思っている様だ。
「だからと言ってノア隊長を直接狙ってこないでマリンさんを狙うなんて。卑怯ですよ!」
憤慨しているのはシンも一緒だった。
「そんな性格だからアルは人望がないんだろ」
薄々はアルの仕業だと思っていたが、改めて身を引き締めて対応しなければこれからもっと酷い目に遭わされるかもしれない。そう思いザックは床を見つめる。
「しかし、どうやって毒をマリンに盛ったんだ? 食事に混ぜてと、言っていたな?」
ノアが唇に指を当てながら呟く。
どうしても納得いかない部分だ。『ジルの店』の食事は全てダンが取り仕切っているので、異物の混入など出来るはずもないのに。この事をダンが知ったらきっと管理が悪かったと責めるに違いない。
「あ~、それなんだけどさぁ。マリンさんが溺れる少し前かな? 『ジルの店』から引き渡された二人がいただろ? 情報漏洩とお金を盗んだとかでさ」
ネロが眼鏡を外して、白衣の裾で汚れを拭う。しかしちっとも綺麗にならない。
益々汚れが伸びた眼鏡を再びかけるが、油膜が張った様に光っている。
「ああ! そういえば、ダンさんがすっごい制裁を加えてからよこした二人組ですよね」
シンはポンと手を打ち、ダンさんに首根っこを掴んで連れてこられた、二人組の若い男を思い出した。
殴られた様な痕がある二人組の男は、怒り狂ったダンさんに突き出されていたのが印象的だった。
「そうそう、その二人はね、君達が調べていた『オーガの店』で過去に働いていた事が分かってさ。そして最近『ジルの店』でマリンに毒を盛った事を自供したんだ。僕も丁度彼らの包帯の交換をしに行った時、自供したのを聞いたんだ」
やはりダンの仕打ちが相当効いていたのか、包帯を取り替えるほどの事態になっていた様だ。
「じゃぁ、その二人から話を聞けば、アルがどう関わっていたか分かるかもしれないな」
今までの話は全てアルが背景にいる事を想定しているだけで、本当に関わっていたかどうかは分からない。ようやく掴めた糸口だ。
早速その二人に会いにいこうとした時だった。
「待って、ノア。会いにいく事は出来ないよ」
ネロはノアの肩を叩いて呼び止める。
「何故だ。それもアルの圧力か?!」
強い言葉で止めたネロの腕を握りしめノアは呟く。アイスブルーの瞳がつり上がり怒りを湛えている。
「そうじゃないんだ。その二人は今朝、牢屋の中で死体で発見されたんだよ──」
ネロの言葉が締め切った室内に響いた。
住んでいると言っても、山を越えた北にある国の首都にて業務を行う場合も多い。
最近では、国王が病に伏せっている事もあり、ファルの領主も他の町同様に不在がちだ。国王交代の準備で呼ばれる事が増えているのだ。
国自体は王が交代しても安定出来る様に細心の注意を払っている。国の転覆や乗っ取りを考える輩は確かにいる。だからこそ慎重に事を運ぶ為の準備段階なのだ。
各町の領主も同様で不在の時でも、平和が保たれる様に軍の幹部達が領主業務を分担し、このファルの町を機能させ守っている。
軍の施設は城の側に位置している。
軍学校、軍宿舎、そして武術場といった多数の施設が全てひとまとまりになっている。
軍は大きく陸上部隊と海上部隊に分かれているが、別枠で魔法部隊が存在している。主に医療関係に従事しているが、一般に販売されている魔法石の生産や、一部魔法が使える兵士用の武器開発等もしている。
実は最も市民に必要とされ馴染みがあるのはこの魔法石なのだが、魔法部隊に所属する人間を知るものは少ない。
軍の中でも魔法部隊が別扱いされているのは、所属する人間は生まれた時から魔法を使う能力があるものと限られているからとも考えられている。
自分の能力に気づいた人間で、軍学校にて学びその能力を発揮している──のだが、軍人らしくない風貌の人間が多いのだ。
天は二物を与えず、という事なのだろうか。
魔法の能力が長けていると、どうしても体力が魔法の源となるのか、あまり筋肉もなく、痩せ型、虚弱体質といった人間がほとんどだ。
その為、軍人で高給取りでも陸上部隊や海上部隊の軍人の様に、女性から人気があるという事ではなかった。
ドアを開けると、消毒薬の香りが鼻についた。相変わらず軍学校の輩が怪我を繰り返しているのだろう。かつてのノアやザックの様に荒んだ者が多いのだろう。日々の喧嘩も絶えない。
窓からは心地よい初夏の風が流れ込んでくる。差し込む光が柔らかで、遠くに海鳥が鳴いている声が聞こえる。
部屋の中はかろうじて、床下の荷物は片付けられているものの、奥にある重厚な机の上には本が幾つも山積みになっている。
反対側の棚には相変わらず、聞いた事もない名前のラベルが貼ってある薬の瓶がところ狭しと並んでいる。
ここは魔法部の小隊長を務めているネロの部屋だ。
魔法部は小隊長に就任すると研究室を兼ねた小部屋が与えられる。
同じ小隊長であるノアとザックだが、魔法部隊に所属しない限り部屋は貰えない。
羨ましい話だ。魔法部の方が優遇されているとも思える。
しかし、魔法部は人数も少ない事から激務なのだ。
部屋の中に入ると治療をする為のベッドが中央にポツンと一つ置いてある。そこで横になって気持ちよさそうにすやすや眠っていたのはシンだった。
……何でシンが寝ているのだ。
小隊長は大隊長に報告会をしている。
今日はザックと一緒にここで落ち合う予定だったのに。何故シンだけがここにいる?
部屋を見回すが、眠り転げているシン以外に誰の姿も見えない。
そもそも、この部屋の主であるネロですら見つからない。
「……おい、シン。何で寝てるんだ。ザックとネロを見なかったか?」
ノアは溜め息をつきながら声をかけるが、シンはだらしなく口を開き両手を胸の上で組み、棺桶に入る様な姿で眠り続ける。起きる気配が全くないので、仕方なくシンの頬を軽く叩いた。
「ハッ! ノア隊長……すみません、涼しくてついつい」
気が付いたシンは、垂れた涎を拭いながら慌てて身を起こす。
シンが所属するのは海上部隊でノアの陸上部隊と異なるが、ノアは小隊長でもあるので失礼に当たる様な事は出来ない。
「まぁ、いいさ。で? ザックとネロは何処へ」
ノアはシンの相変わらずな緩い態度に溜め息をつく。それから、黒い外套を脱ぎ治療用のベッドに置く。
シンはまわりをキョロキョロ見わたす。
「ネロ隊長なら……あれ? さっきまでいたはずですけど……」
また、何処かへ雲隠れか? ノアが口をへの字に曲げた時、シンがノアを見上げながら困った様に眉を寄せた。
「あの、ザック隊長は、報告会が長引いていて少し遅れます。……でも、少し今日の様子がおかしくて」
「おかしい? ザックが? いつもの事だろ」
「違いますよ、いつもあんなに変じゃないです! 何かこう、気持ち悪いって言うか」
「気持ち悪い?」
「大隊長への報告は休みにする事があるじゃないですか、だから大抵は機嫌がよくないんです。なのに、今日は鼻歌だけじゃなくてスキップしながらやって来たんです」
「は?」
「もう終始ヘラヘラしていて締まりのない顔で、一体どうしたんでしょう?」
ザックは休日に呼び出される時は大抵機嫌が悪く、ブスくれてやって来るのだが、今日はいつもと違い実に軽やかなステップを踏みながら、艶々の笑顔でやって来たのだと言う。
「……頭でも打ったか、いやヘラヘラしているのは元々じゃないのか」
ノアは顎に手を置いて腕を組んで分析する。
「何て事を言うんですか! ザック隊長はそこまで変じゃないですよ!」
そこまでという事は、変だと思う時もあるのか? 微妙な回答にノアは眉を寄せる。
そんなやり取りをしていると、重厚な机の上に鎮座している本の向こうで、本を掻き分けながら痩せ型の男が眼鏡をかけ直しながら這い出てきた。
「ま、待ってたよ、ノア。一週間ぶりかな?」
「おわぁ!」
ノアは驚いて一つ後ろに飛び退いた。
男は丸い眼鏡をかけ直しながら、肩の下辺りまで伸びたボサボサのプラチナブロンドをかき上げて、机の向こうで起き上がる。どうやら山積みの本の下敷きになっていた様だ。
危うく部屋で圧死しかけるなんて! 大丈夫なのか? ノアは一筋の冷や汗をかく。
それから、ひょろっとした細い腕が更に本を丁寧に積み上げ、最後には重厚な机を飛び越えてノアの前に着地する。細い体は非常に軽い様だ。
しかし、その際砕ける様な音がして、丸眼鏡の男は腰を押さえて呻いた。
「ううっ。腰がっ!」
「ネロ! 大丈夫か?」
どうやら腰をくじいた音だったらしい。ノアは慌てて四つん這いになったネロに近づく。
「いや、待って、大丈夫だから。ふぅ、危なかった」
ネロは震えながら子鹿の様に立ち上がり腰を叩き、ゆっくりとのけぞった。最後にはニッコリ笑って、埃にまみれた白衣を払う。
「そ、そうか、ならいいが」
そんな青白い顔で微笑まれてもな──と、ノアは引きつった笑顔を浮かべた。
ネロはこの部屋の持ち主、つまり魔法部の小隊長だった。
そして──ノアと兄弟でもある。ノアよりも三つ年上の二十八歳だ。
兄弟といえども母親が異なる為、ノアと同じなのはプラチナブロンドと白い肌だけで、その他は全く似ていなかった。背はノアより少し低いが、細く痩せており、虚弱体質だった。
昔から何をするにも怪我をしたり寝込んだりする事の多い兄だが、とても優しくいつもノアの事を心配してくれている。
医療系の魔法に長けており日々開発や研究を行っている。魔法部の優秀な人材でもあった。しかも軍人らしくない人柄もあり、軍学校の人間がよくこの部屋に入り浸り相談事などしている事も多いそうだ。
「今日集まってもらったのは他でもないんだ。どうしても伝えたい重要な事があってね……って、あれ? ザックはまだなのかい?」
丸眼鏡のブリッジを持ち上げながら濃いブルーの瞳がシンのまわりを探す。ザックの姿を探している様だ。
シンは申し訳なさそうに声を上げる。
「それが、ちょっと遅れ」
「遅れてすまーん!」
シンが言い終わる前にバンッっと力一杯にドアを開け、ザックがステップを踏みながら飛び込んできた。一つターンをすると両手を広げてポーズをつける。
驚いてのけぞったネロが一回転して座っていたベッドから後転しながら後ろに落ちた。
ゴチンと大きな音が聞こえて頭をしこたま打っていた。
しかし、呻きながらヨロヨロと立ち上がると、笑顔で答えていた。
「おお! ザック元気がいいなぁ、僕にも分けて欲しいよ」
ネロはもう一度ベッドによじ登って眼鏡の前のブリッジを上に上げる。髪の毛は更にボサボサだ。
(大丈夫なのか……)
ノアは呆然と思う。
「……ザック、ドア一つ落ち着いて開けられないのか? ここは海上部隊じゃないんだ。魔法部隊だぞ」
こめかみを押さえて溜め息をつくノアだった。
「ハハッ、気分がよくてな、悪い、悪い」
(気分がよかったら、どうしてノックもせずにドアを開けるんだ!)
ノアは叫びたい気持ちをグッと抑える。ヘラヘラしているのはいつもの事だが、確かにこれはおかしい。
後で理由を聞いてみよう。ノアはそう思いながら、力一杯開けられたドアを丁寧に閉め、鍵をかける。念のために窓も閉める。
「ありがとうノア。じゃぁ、ザックも座ってくれ、これから結構重要な話を始めるよ!」
重要な話を始める割にはとても明るい口調だ。
ネロは座ったベッドから立ち上がると、学校の講義を始める様に緊張感のない声で話しはじめた。
「マリンさんの溺れる前の血液をもう一度調べてみたんだ。アル隊長が調べて問題がないって言っていたけど、どうしても気になってね。顔も青白かったし、食欲もなくて踊る体力も急激に無くなるなんて変じゃないか。そうしたら、これが驚きで血液から微量な毒素が検出されたよ。いやぁ~普通に調べただけでは分からない、非常によく出来た薬で、ファルでは手に入らないと思う。誰か取り寄せたんだろうね。恐らく少しずつ食事に混ぜていたんじゃないかな」
ネロは身振り手振りで説明をする。内容は物騒事なのに問題を発見した事が非常に嬉しくてたまらないといった感じだ。
「ずっと体調が悪いと言っていたからな……まさか、毒を盛られていたとは」
ノアはもっと早く気が付いていればと後悔を滲ませた。腕を組んで仁王立ちしているが自分の服に皺が寄るぐらい腕の部分を握りしめていた。
「マリンの体調が悪くなったのは一ヵ月ぐらい前だったな。アルの奴が調べると言って聞かなかったんだよな血液の検査とか。「もしかするとファルの町で暗躍する輩の仕業かもしれない。『ジルの店』は狙われている可能性がある」とか、文句をつけてさ」
ザックは大股を開いて診療用のベッドに腰掛けていた。先ほどは浮かれていたが打って変わって落ち着いた様子だ。
「あの時、ノア隊長が調べると言ったのに、アル隊長が横から、かっさらっていく様な感じでしたよね」
シンも記憶を辿っていた。
「くそっ! あの時アルに断っておけば、マリンをこんな目にあわせなくて済んだのに」
吐き捨てる様に呟くノアだった。
「多分、次期領主の座をノアに奪われるとでも思っているのだろう。最近のアルの態度を見ているとそう思うさ」
ザックが溜め息交じりに呟いた。
病に伏せっている国王の交代が完了すれば、慣例に沿って次に領主交代が始まる。
そうなると領主候補の選出があるので、軍部の連中で少し噂が立っているのは確かだ。
その言葉に激昂したのはノアだった。
「何で俺が領主の座を奪うと思っているんだ。大体、俺は妾の子供だぞ。しかも、何処の馬の骨か分からない女のな! だから本家の血を引く長男のアルが領主を継ぐのは当然じゃないか。そうじゃなくても次男にネロが控えているってのに」
「まぁそうだが。陸上部隊の中では、お前が次期領主だって一時期話題になってただろ。ほら、アルは暴力的で人望もないしさ」
ザックは両手を挙げてヤレヤレという風に態度を取る。どんなにノアが激昂してもザックは意外に冷静だ。
ノアに人望があるかと言えば、そうかもしれないが──
ノア自身が王子様の様な振る舞いをして、本来の粗野で粗暴な性格の自分を偽っているのだから、あまり長男のアルと変わらないと思う。
その点はノア自身が領分を理解している様だ。特に領主の座を狙い人の上に立ちたいと思っている様子はない。むしろ、興味がなさ過ぎて自分をそういった紛らわしいお家騒動から疎外しようとしている節がある。それはそれで、妾とはいえ領主の血を引くものとしていかがかと思う。
どうしたものかと、ザックも溜め息をついた。
「まぁ、次男の僕がしっかりしていないのも否めないんだけどね~」
ネロはハハッと軽く笑いながら口の横をポリポリとかく。魔法部隊の精鋭は慕われているがやはり政治的に力のある陸上部隊や海上部隊とは異なるので、既に領主ルートからは外れていると思っている様だ。
「だからと言ってノア隊長を直接狙ってこないでマリンさんを狙うなんて。卑怯ですよ!」
憤慨しているのはシンも一緒だった。
「そんな性格だからアルは人望がないんだろ」
薄々はアルの仕業だと思っていたが、改めて身を引き締めて対応しなければこれからもっと酷い目に遭わされるかもしれない。そう思いザックは床を見つめる。
「しかし、どうやって毒をマリンに盛ったんだ? 食事に混ぜてと、言っていたな?」
ノアが唇に指を当てながら呟く。
どうしても納得いかない部分だ。『ジルの店』の食事は全てダンが取り仕切っているので、異物の混入など出来るはずもないのに。この事をダンが知ったらきっと管理が悪かったと責めるに違いない。
「あ~、それなんだけどさぁ。マリンさんが溺れる少し前かな? 『ジルの店』から引き渡された二人がいただろ? 情報漏洩とお金を盗んだとかでさ」
ネロが眼鏡を外して、白衣の裾で汚れを拭う。しかしちっとも綺麗にならない。
益々汚れが伸びた眼鏡を再びかけるが、油膜が張った様に光っている。
「ああ! そういえば、ダンさんがすっごい制裁を加えてからよこした二人組ですよね」
シンはポンと手を打ち、ダンさんに首根っこを掴んで連れてこられた、二人組の若い男を思い出した。
殴られた様な痕がある二人組の男は、怒り狂ったダンさんに突き出されていたのが印象的だった。
「そうそう、その二人はね、君達が調べていた『オーガの店』で過去に働いていた事が分かってさ。そして最近『ジルの店』でマリンに毒を盛った事を自供したんだ。僕も丁度彼らの包帯の交換をしに行った時、自供したのを聞いたんだ」
やはりダンの仕打ちが相当効いていたのか、包帯を取り替えるほどの事態になっていた様だ。
「じゃぁ、その二人から話を聞けば、アルがどう関わっていたか分かるかもしれないな」
今までの話は全てアルが背景にいる事を想定しているだけで、本当に関わっていたかどうかは分からない。ようやく掴めた糸口だ。
早速その二人に会いにいこうとした時だった。
「待って、ノア。会いにいく事は出来ないよ」
ネロはノアの肩を叩いて呼び止める。
「何故だ。それもアルの圧力か?!」
強い言葉で止めたネロの腕を握りしめノアは呟く。アイスブルーの瞳がつり上がり怒りを湛えている。
「そうじゃないんだ。その二人は今朝、牢屋の中で死体で発見されたんだよ──」
ネロの言葉が締め切った室内に響いた。
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ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
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