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054 祭りと裏町 その4
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「これがザックに頼まれていた物だよ。まぁ、良かったらワインをどうぞ。冷やしておいたから美味しいよ」
ウツさんはそう言って部屋の中央のテーブルに銀のトレイを置いた。
私はザックに促されて革張りのソファに座る。ソファは古そうだが手入れが行き届いていて、ゆっくりと体が沈んだ。2人がけのソファなのでザックが隣に座った。
ウツさんはテーブルの反対側で跪いていた。屈んだ時にサラサラの金髪が横に流れた。凄く綺麗だ。背はザックと同じぐらい高いが筋肉はあまり付いていない。
銀のトレイの上には長さ1センチ程の小さな涙の形をした灰色の石に金色のチェーンが付いていた。
ネックレスだ。金色のチェーンは細くてもしっかりしている。チェーン部分も美しく、留め金にも細かい細工が施されていた。一般的なネックレスの留め金とは違っていた。
しかし──付いている宝石が天然石なのかもしれないが、どう見ても河原で拾って来た様な石にしか見えない。涙の形は立体的にカッティングされているけれども輝きも何もない灰色をしている。
ワイングラスにトクトクと音を立てて赤ワインが注がれる。葡萄の香りが辺りにパッと広がった。
「さぁ、どうぞ」
ウツさんが大きな白い手を差し出してワイングラスを私とザックに薦めた。
……どうしよう。お酒で失敗したばかりなのに。薦められたのだから、断るのは失礼かも。一口だけでも貰った方がいいのかな。
私がワイングラスを見つめながら心の中で迷っていたら、ウツさんが早口でまくし立てる。
「さぁ、さぁ。ファル特産のワインだけど、中でも希少価値の高い葡萄から作った年に数本しか出来ないワインだよ。飲まないのは勿体ないから是非!」
部屋に入った時と同じ様に張り付いた笑顔のままだった。口だけがスラスラ動いて瞳の弧を描いた部分が全く動いていない。何だか怪しい顔だなぁ。
「そんな貴重なワインを出してくれるなんて悪いな。じゃぁ、先にウツが飲んだらいいさ」
「え」
ザックがワイングラスのボウル部分を持ってウツさんの目の前に渡す。ウツさんが思わず口を開けていた。
「ワインに目がないウツを差し置いて飲むなんて事は出来ないさ。ほ・ら」
ワイングラスを無理矢理ウツさんに持たせるザックだ。ウツさんと同じ様に張り付いた笑顔だ。しかし、語尾がとても強く命令している様だ。
「いやぁ、俺はよく飲んでるから気にしなくていいさ。ザックにとってもこのワインは、そう簡単には手に入らないだろ? 今日飲まないでいつ飲むんだよ。それにナツミなんてきっと飲んだ事がないはずだ。この機会に是非飲むべきだと思うんだよね。一口でいいからさぁ」
ウツさんは再び早口でまくし立てると、押し付けられるワイングラスをザックに突き返そうとする。2人がグラスを握るので、中の赤い液体がフルフルと波打っていた。
「何を遠慮しているんだ。じゃぁ3人で飲もうぜ。だけど、ウツから先に飲んだらいいさ。ほら、グイッと飲み干せよ」
「いやぁ~そんな2人の間に入って飲むなんて悪いさ。酔っ払って邪魔者になるのも嫌だし」
「何言ってんだ。ウツにとってワインは水みたいな物だろう。それに、酔っ払う事なんて1度も見た事がない。ほら、飲めよ」
「いいんだって。俺は飲まなくてもいいから」
「いやいや、だからワイン好きのお前を差し置いて飲めないさ。ウツが飲め」
ザックはとうとう命令口調でウツさんにグラスを突き返す。
「くっ。どう言ったら2人一緒に飲むんだ……あっ、良い事を思いついた! そうだ俺は今から禁酒中なんだ。だから飲めない」
ウツさんは命令されて言葉に詰まって笑っていた瞳のまま片手をポンと叩いた。
何故、今から禁酒中なのだ。
2人の言い合いから察するにザックはどうもこのワインを自分より先にウツさんに飲ませたい様だ。
「そうか、禁酒中なら仕方ないな。で? 何を入れたんだこのワインに」
「分かってくれて助かるよ。ああ、実は少しばかり素直になってもの凄く気持ちが良くなる薬を……あっ」
大人しく引き下がってワインの香りを嗅ぐ振りをしたザックに、ウツさんが早口で薬を混入した事を口にした。
「ウ~ツ~」
ザックがドンとワイングラスを置いてウツさんを睨みつける。
「あーあ、バレたら仕方ないか。じゃぁ、ワインは回収するね。勿体ないから俺が飲んでおく。因みに今回はグラスの縁に塗っているから、ワインは無事って言う」
「もういい! とにかく何かあったら呼ぶから」
「えぇ~? 水を代わりに持って来ようか?」
「……また何か入れるだろう。お前の事だから」
「ザック流石。よく分かってるじゃん」
「もー、お前は……水もいらない。ウツ、人払いよろしく」
「分かったよ。じゃぁね、ナツミ。また後で。ごゆっくり~」
そう言いながら陽気なウツさんはワインボトルを片手に部屋から出て行った。
「……今のは?」
危うく薬をしかも媚薬を混入させられるところだったのだろうか。
私はゆっくりと隣のザックを振り返る。
「ウツはなぁ、武術はちっともだが、医療魔法が得意なんだ。軍学校に通ったけど、軍人にはならないで、町医者みたいな事をしてる」
「え、お医者さんなの」
そういえば下の暗い部屋でベッドを見かけたけれど、お医者さんなのか。
「それで薬をよく作るんだが、趣味なのか何なのか媚薬をやたら作り出すんだよな。まぁ、あれだ。ネロと同じ変態さ」
「へ、変態」
どうしよう……変態が2人になってしまった。変態呼びされた時、ネロさんとウツさんのどちらを指しているのか分からないではないか。
「そう、変態なんだ。だからウツから出される飲み物や食べ物は絶対に喰うなよ。何か入れているはずだからその後どうなるか……考えただけでも──って、何でそんな怖い顔をしているんだ」
そこまで言ってザックが私の顔を改めて見た。
私の顔は眉間に皺を寄せてザックを見つめていた。いや、睨んでいた。
「……その媚薬って、過去にザックも使って、女の人とそういう事してるんでしょ」
「そ、それは……」
ザックの顔色がサッと変わった。その表情は使ったと言っているものだ。自分で罠にはまっている。
「やっぱり。え? ま、まさか……嫌がる女性に無理矢理使用したりとか!」
私は最悪の事を考えてザックから離れて、ソファの反対側に出切るだけ身を寄せる。
ザックは慌てて私の二の腕を引き寄せておでこを擦り付け喚いた。
「それは絶対にない。嫌がる女には使わない!」
「本当に?」
「本当だっ! 無理矢理なんて絶対にそんな事はしない。大体、そんな事しなくても女には困ってない。あっ……」
「確かに……困ってなさそうだね。じゃぁ、同意で使った事があるのね」
「だっ、だから! 過去に使いたいっていう女がいて、使ってみたけどさ。ちっとも良くないんだ!」
「えぇ、媚薬なのに……」
もういい加減ザックに対して追求を止めようと思ったのに、ザックは大慌てで否定をしはじめる。ザックがそんな乱暴をしないのは分かっている。だってザックは優しいしむやみに人を傷つけたりしない。と、思うが。媚薬を使って良くないとはどういう事なのか。
「それこそ、ウツの作る媚薬は巧妙で中毒性はないんだが。俺の場合、少量でも1日中盛るもんだから、女の方が死ぬ程イカされ続ける羽目になって……怖くて嫌になると言われたんだよ。俺は……ムラムラして勝手に勃つからセックスしないわけにはいかなくて。つまり、俺の方が生き地獄になるんだ。それで、俺だけ使わなかったら、今度は女の方がイキ過ぎて失神するから結局全然楽しめないし。だから、俺は使わない」
「ふーん。それはそれは大変だったね~」
二の腕を掴まれたまま棒読みのセリフを吐いて、冷たい視線をザックに送ってしまった。
「あっ」
ゴーン、とでも鐘の音が聞こえてきそうなぐらいザックが間抜けな顔をしていた。
ザックはいい大人だ。沢山の女性と付き合っていたのもそれは仕方がない事だ。
過去を暴いて追求したって仕方がない。
なのに、今の私は珍しく根掘り葉掘り聞いてしまう。
ザックが好きだと思った途端こんな事になるなんて。
だけれど、あんなに秋と春見の浮気の時は責める事が出来なかったのに。
ザックの懐が深いから甘えてしまうのかな……。
「もう。あんまり昔の話ばっかりしないでね。私はヤキモチ焼きみたいだから」
落ち込むザックの頭を1つ撫でる。柔らかい金髪が私の指の間をすり抜ける。
私がポツリと呟いた声にザックは驚いて顔を上げ、無言で何度も頷いていた。
それからギュッとソファの上で私を抱きしめて小さく『ごめんな』と呟いていた。
「それで、これはネックレスなの?」
ウツさんが持って来てくれた銀のトレイに乗っていた涙の形をした灰色の石を見つめる。
「そうだ。この石は俺が生まれた時に付けて貰ったピアスの石を加工した物さ」
「え?! だって、ザックがしていたのは瞳と同じ色の石って言っていなかった?」
森の温泉で散々質問をした時にはそう言っていたと思う。
「そうだ。今は灰色の何処にでも転がっている石に見えるが、実は魔法石なんだ」
「そうなんだ……」
この灰色の石が魔法石とは。全くそんな様には見えないが。涙の形に加工していなければただの河原に転がっている石だ。
「前はこんな涙の形じゃなくてゴツゴツしただけの石でさ。ピアスにしていたんだが、ナツミが俺のピアスの話を尋ねた時に、これを急に贈りたくなってさ」
そうザックが言うと、同じトレイに置かれていた小さな果物ナイフで、左手の薬指の先を少しだけ切った。
「わっ、何しているの?」
ぷくっと小さな赤い血が指の上で丸くなっている。
「魔法石って言っても、この石はたいしたもんじゃないんだ。ちょっとした願掛けみたいなもんだ。こうやって、願いをかける俺の血を垂らすとさ……」
薬指を逆さにすると、ザックの血がポトッと灰色の石に落ちた。
すると、あっという間に石の色が変わって、エメラルドの様な石に変化した。
「す、凄い! 綺麗……」
私は驚いて感嘆の声を上げる。これは不思議だ。
「俺と同じ瞳の色になるんだ。だから、ナツミが同じ様に石に血を垂らすときっと黒い宝石になるだろうな」
「えぇ~黒い石かぁ。何だか呪いの石みたい」
想像すると何だか禍々しい……黒い宝石って何だろう。現代にいた時、天然石のショップで見かけた気もするけれども思い出せない。
「呪いって。そんな事ないだろ。きっとナツミの瞳と同じぐらい神秘的で美しいはずさ」
ザックはトレイに同じ様に置かれていた布を手に取り、自分の傷つけた指先を拭った。
それから、そのネックレスを持ってソファから立ちあがる。
私の手を取り開け放った窓辺に誘導する。
窓辺に立つと夕方の涼しい風が吹いてきた。外を見ると空が見事にオレンジ色に染まっていた。大きな太陽が美味しそうなネーブルの様な色をして、海の向こうに沈もうとしている
「うわぁ。凄く綺麗……」
「ああ。昨日雨が降ったせいかな。空気も綺麗になって、今日の夕日は抜群だ……」
そこでザックはコホンと咳払いをして、私に向き直る。
「さっきから俺の昔話を聞いて嫌になったかもしれないが……」
「ふふ。驚く事ばっかり。ザックが自分でバラしているの大半あるけどね」
私は笑ってザックを見上げる。
「ま、まぁな」
夕日に照らされたザックの横顔が同じ様にオレンジ色になった。照れているのもあると思うけれど。
「俺がナツミに付き合いたいって言った時の事覚えているか?」
「うん……『気になるから』って言っていたね」
ザックは海で潜っていた時突然キスをしてきて、『気になるから』という理由1つで付き合おうと言い出した。
「そうだ。その後ジルに一目惚れを見抜かれてさ」
「そうだったね。あの時のザックの顔は真っ赤だった!」
ジルさんに一目惚れだと指摘をされてザック自身が驚いていた。
つい最近の出来事なのに何だか懐かしく感じる。
「出会い方だってメチャクチャだったのにさ。それから、短い間でノア達を巻き込んで、泳ぎを教える事になるわ、領主の話になるわ。本当にナツミには驚かされっぱなしだ」
「私だってビックリしてるよ。でも、私こそこの短い間に、ザックの色んな顔を知ったよ。驚く事も沢山だったけどね」
夕日がゆっくりと沈んでいく。
この風景を見ると少し切なくなってしまう。
終わって欲しくない1日が終わってしまう。
ザックがゆっくりとネックレスの金具を外して私の目の高さに掲げる。
「……グリーンの色はザックの瞳と同じ色だね」
「そうだな。この魔法石に俺の願いを込めた。このネックレスはナツミが自分で外すか、俺じゃないと外せない。ウツに頼んで魔法で細工をして貰った」
「え……」
嫌に真剣なザックの声に私は目を丸くした。外せないって。
「俺は、女にだらしなかったけどもうそれもおしまいだ。俺はもう引き返せない。……俺にはナツミしかいらない。ナツミが好きなんだ」
低いザックの声が私の胸に響く。祭りの騒がしい音が一瞬にして聞こえなくなる。
もう既に何度かザックに抱かれたけれども、その時ですら好きとは言っていなかったのに。
初めてザックは私に好きだと言ってくれた。
人間って嬉しすぎても声が出なくなったりする事を知った。
返事をしないといけないのに声が出ないよザック!
「えっと、その。このネックレスはその証しなんだが。その、よく考えたら重いよなぁ」
あまりにも私の反応がないからなのか、ザックがゆっくりとネックレスの手をおろそうとした。
その時微かにザックの手が震えているのが分かった。
緊張しているのだ。女性に対して百戦錬磨のザックが。
その手を、ザックの目を見た時私はようやく声を上げる事が出来た。
「……私も。ザックが好きだよ」
私は嬉しいけど照れくさくて困った様な顔になっていたと思う。
今度はザックが目を見開いて驚く番だった。
「え。本当に? いや、待て待て。俺は、あまりにもナツミが好き過ぎて幻聴を聞いているとか?」
「幻聴じゃないよ。だから、付けて欲しい」
「もちろんさ。じゃぁ、顔をこっちに向けてくれるか?」
「うん」
ザックは私の首の後ろに手を回し、外れなくなるという金具を付けた。カチッとダイヤルが合わさる様に音が聞こえる。
「もちろん今まで通りナツミの条件は守る。俺の願いは『俺の側にずっといてくれ』だけだ。まぁ、他にも思う事は沢山あるけれど、言葉にしたら切りがない。それぐらいナツミが俺には大切なんだ。好きなんだ」
ザックは私の両肩に手を置いた。瞳を細めて私の首にかけられたネックレスを見つめていた。
ザックの頬が夕日に照らされて最高に赤かったが、それも落ち着いてきている。
「似合うかなぁ」
鏡がないから見えないけれども、石の部分が丁度私の鎖骨の真ん中辺りにある様だ。石の冷たい感触が伝わる。
「もちろん。俺の生まれた時に貰った魔法石なんだぜ?」
「そうだったね……」
「俺の母が願いをかけた石に、俺がまた願いをかけた。今度はそれをナツミに贈るんだ」
「そんな貴重な魔法石を本当に貰ってもいいの?」
良く考えたらお母さんから貰った物をまた譲り受けるなんて……
「だからこそさ。こんな嬉しい事はないさ」
そう言いながらザックは首を傾けて私の唇にキスを落とした。
「んっ」
優しかったキスが角度を変えずに急に激しくなる。
ここがよく知らない場所だろうと、裏路地だろうと関係ない。
ザックが欲しくて堪らない。そう思うの私だけではないはず──
気が付いたら辺りは暗くなっていた。
ウツさんはそう言って部屋の中央のテーブルに銀のトレイを置いた。
私はザックに促されて革張りのソファに座る。ソファは古そうだが手入れが行き届いていて、ゆっくりと体が沈んだ。2人がけのソファなのでザックが隣に座った。
ウツさんはテーブルの反対側で跪いていた。屈んだ時にサラサラの金髪が横に流れた。凄く綺麗だ。背はザックと同じぐらい高いが筋肉はあまり付いていない。
銀のトレイの上には長さ1センチ程の小さな涙の形をした灰色の石に金色のチェーンが付いていた。
ネックレスだ。金色のチェーンは細くてもしっかりしている。チェーン部分も美しく、留め金にも細かい細工が施されていた。一般的なネックレスの留め金とは違っていた。
しかし──付いている宝石が天然石なのかもしれないが、どう見ても河原で拾って来た様な石にしか見えない。涙の形は立体的にカッティングされているけれども輝きも何もない灰色をしている。
ワイングラスにトクトクと音を立てて赤ワインが注がれる。葡萄の香りが辺りにパッと広がった。
「さぁ、どうぞ」
ウツさんが大きな白い手を差し出してワイングラスを私とザックに薦めた。
……どうしよう。お酒で失敗したばかりなのに。薦められたのだから、断るのは失礼かも。一口だけでも貰った方がいいのかな。
私がワイングラスを見つめながら心の中で迷っていたら、ウツさんが早口でまくし立てる。
「さぁ、さぁ。ファル特産のワインだけど、中でも希少価値の高い葡萄から作った年に数本しか出来ないワインだよ。飲まないのは勿体ないから是非!」
部屋に入った時と同じ様に張り付いた笑顔のままだった。口だけがスラスラ動いて瞳の弧を描いた部分が全く動いていない。何だか怪しい顔だなぁ。
「そんな貴重なワインを出してくれるなんて悪いな。じゃぁ、先にウツが飲んだらいいさ」
「え」
ザックがワイングラスのボウル部分を持ってウツさんの目の前に渡す。ウツさんが思わず口を開けていた。
「ワインに目がないウツを差し置いて飲むなんて事は出来ないさ。ほ・ら」
ワイングラスを無理矢理ウツさんに持たせるザックだ。ウツさんと同じ様に張り付いた笑顔だ。しかし、語尾がとても強く命令している様だ。
「いやぁ、俺はよく飲んでるから気にしなくていいさ。ザックにとってもこのワインは、そう簡単には手に入らないだろ? 今日飲まないでいつ飲むんだよ。それにナツミなんてきっと飲んだ事がないはずだ。この機会に是非飲むべきだと思うんだよね。一口でいいからさぁ」
ウツさんは再び早口でまくし立てると、押し付けられるワイングラスをザックに突き返そうとする。2人がグラスを握るので、中の赤い液体がフルフルと波打っていた。
「何を遠慮しているんだ。じゃぁ3人で飲もうぜ。だけど、ウツから先に飲んだらいいさ。ほら、グイッと飲み干せよ」
「いやぁ~そんな2人の間に入って飲むなんて悪いさ。酔っ払って邪魔者になるのも嫌だし」
「何言ってんだ。ウツにとってワインは水みたいな物だろう。それに、酔っ払う事なんて1度も見た事がない。ほら、飲めよ」
「いいんだって。俺は飲まなくてもいいから」
「いやいや、だからワイン好きのお前を差し置いて飲めないさ。ウツが飲め」
ザックはとうとう命令口調でウツさんにグラスを突き返す。
「くっ。どう言ったら2人一緒に飲むんだ……あっ、良い事を思いついた! そうだ俺は今から禁酒中なんだ。だから飲めない」
ウツさんは命令されて言葉に詰まって笑っていた瞳のまま片手をポンと叩いた。
何故、今から禁酒中なのだ。
2人の言い合いから察するにザックはどうもこのワインを自分より先にウツさんに飲ませたい様だ。
「そうか、禁酒中なら仕方ないな。で? 何を入れたんだこのワインに」
「分かってくれて助かるよ。ああ、実は少しばかり素直になってもの凄く気持ちが良くなる薬を……あっ」
大人しく引き下がってワインの香りを嗅ぐ振りをしたザックに、ウツさんが早口で薬を混入した事を口にした。
「ウ~ツ~」
ザックがドンとワイングラスを置いてウツさんを睨みつける。
「あーあ、バレたら仕方ないか。じゃぁ、ワインは回収するね。勿体ないから俺が飲んでおく。因みに今回はグラスの縁に塗っているから、ワインは無事って言う」
「もういい! とにかく何かあったら呼ぶから」
「えぇ~? 水を代わりに持って来ようか?」
「……また何か入れるだろう。お前の事だから」
「ザック流石。よく分かってるじゃん」
「もー、お前は……水もいらない。ウツ、人払いよろしく」
「分かったよ。じゃぁね、ナツミ。また後で。ごゆっくり~」
そう言いながら陽気なウツさんはワインボトルを片手に部屋から出て行った。
「……今のは?」
危うく薬をしかも媚薬を混入させられるところだったのだろうか。
私はゆっくりと隣のザックを振り返る。
「ウツはなぁ、武術はちっともだが、医療魔法が得意なんだ。軍学校に通ったけど、軍人にはならないで、町医者みたいな事をしてる」
「え、お医者さんなの」
そういえば下の暗い部屋でベッドを見かけたけれど、お医者さんなのか。
「それで薬をよく作るんだが、趣味なのか何なのか媚薬をやたら作り出すんだよな。まぁ、あれだ。ネロと同じ変態さ」
「へ、変態」
どうしよう……変態が2人になってしまった。変態呼びされた時、ネロさんとウツさんのどちらを指しているのか分からないではないか。
「そう、変態なんだ。だからウツから出される飲み物や食べ物は絶対に喰うなよ。何か入れているはずだからその後どうなるか……考えただけでも──って、何でそんな怖い顔をしているんだ」
そこまで言ってザックが私の顔を改めて見た。
私の顔は眉間に皺を寄せてザックを見つめていた。いや、睨んでいた。
「……その媚薬って、過去にザックも使って、女の人とそういう事してるんでしょ」
「そ、それは……」
ザックの顔色がサッと変わった。その表情は使ったと言っているものだ。自分で罠にはまっている。
「やっぱり。え? ま、まさか……嫌がる女性に無理矢理使用したりとか!」
私は最悪の事を考えてザックから離れて、ソファの反対側に出切るだけ身を寄せる。
ザックは慌てて私の二の腕を引き寄せておでこを擦り付け喚いた。
「それは絶対にない。嫌がる女には使わない!」
「本当に?」
「本当だっ! 無理矢理なんて絶対にそんな事はしない。大体、そんな事しなくても女には困ってない。あっ……」
「確かに……困ってなさそうだね。じゃぁ、同意で使った事があるのね」
「だっ、だから! 過去に使いたいっていう女がいて、使ってみたけどさ。ちっとも良くないんだ!」
「えぇ、媚薬なのに……」
もういい加減ザックに対して追求を止めようと思ったのに、ザックは大慌てで否定をしはじめる。ザックがそんな乱暴をしないのは分かっている。だってザックは優しいしむやみに人を傷つけたりしない。と、思うが。媚薬を使って良くないとはどういう事なのか。
「それこそ、ウツの作る媚薬は巧妙で中毒性はないんだが。俺の場合、少量でも1日中盛るもんだから、女の方が死ぬ程イカされ続ける羽目になって……怖くて嫌になると言われたんだよ。俺は……ムラムラして勝手に勃つからセックスしないわけにはいかなくて。つまり、俺の方が生き地獄になるんだ。それで、俺だけ使わなかったら、今度は女の方がイキ過ぎて失神するから結局全然楽しめないし。だから、俺は使わない」
「ふーん。それはそれは大変だったね~」
二の腕を掴まれたまま棒読みのセリフを吐いて、冷たい視線をザックに送ってしまった。
「あっ」
ゴーン、とでも鐘の音が聞こえてきそうなぐらいザックが間抜けな顔をしていた。
ザックはいい大人だ。沢山の女性と付き合っていたのもそれは仕方がない事だ。
過去を暴いて追求したって仕方がない。
なのに、今の私は珍しく根掘り葉掘り聞いてしまう。
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だけれど、あんなに秋と春見の浮気の時は責める事が出来なかったのに。
ザックの懐が深いから甘えてしまうのかな……。
「もう。あんまり昔の話ばっかりしないでね。私はヤキモチ焼きみたいだから」
落ち込むザックの頭を1つ撫でる。柔らかい金髪が私の指の間をすり抜ける。
私がポツリと呟いた声にザックは驚いて顔を上げ、無言で何度も頷いていた。
それからギュッとソファの上で私を抱きしめて小さく『ごめんな』と呟いていた。
「それで、これはネックレスなの?」
ウツさんが持って来てくれた銀のトレイに乗っていた涙の形をした灰色の石を見つめる。
「そうだ。この石は俺が生まれた時に付けて貰ったピアスの石を加工した物さ」
「え?! だって、ザックがしていたのは瞳と同じ色の石って言っていなかった?」
森の温泉で散々質問をした時にはそう言っていたと思う。
「そうだ。今は灰色の何処にでも転がっている石に見えるが、実は魔法石なんだ」
「そうなんだ……」
この灰色の石が魔法石とは。全くそんな様には見えないが。涙の形に加工していなければただの河原に転がっている石だ。
「前はこんな涙の形じゃなくてゴツゴツしただけの石でさ。ピアスにしていたんだが、ナツミが俺のピアスの話を尋ねた時に、これを急に贈りたくなってさ」
そうザックが言うと、同じトレイに置かれていた小さな果物ナイフで、左手の薬指の先を少しだけ切った。
「わっ、何しているの?」
ぷくっと小さな赤い血が指の上で丸くなっている。
「魔法石って言っても、この石はたいしたもんじゃないんだ。ちょっとした願掛けみたいなもんだ。こうやって、願いをかける俺の血を垂らすとさ……」
薬指を逆さにすると、ザックの血がポトッと灰色の石に落ちた。
すると、あっという間に石の色が変わって、エメラルドの様な石に変化した。
「す、凄い! 綺麗……」
私は驚いて感嘆の声を上げる。これは不思議だ。
「俺と同じ瞳の色になるんだ。だから、ナツミが同じ様に石に血を垂らすときっと黒い宝石になるだろうな」
「えぇ~黒い石かぁ。何だか呪いの石みたい」
想像すると何だか禍々しい……黒い宝石って何だろう。現代にいた時、天然石のショップで見かけた気もするけれども思い出せない。
「呪いって。そんな事ないだろ。きっとナツミの瞳と同じぐらい神秘的で美しいはずさ」
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それから、そのネックレスを持ってソファから立ちあがる。
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「うわぁ。凄く綺麗……」
「ああ。昨日雨が降ったせいかな。空気も綺麗になって、今日の夕日は抜群だ……」
そこでザックはコホンと咳払いをして、私に向き直る。
「さっきから俺の昔話を聞いて嫌になったかもしれないが……」
「ふふ。驚く事ばっかり。ザックが自分でバラしているの大半あるけどね」
私は笑ってザックを見上げる。
「ま、まぁな」
夕日に照らされたザックの横顔が同じ様にオレンジ色になった。照れているのもあると思うけれど。
「俺がナツミに付き合いたいって言った時の事覚えているか?」
「うん……『気になるから』って言っていたね」
ザックは海で潜っていた時突然キスをしてきて、『気になるから』という理由1つで付き合おうと言い出した。
「そうだ。その後ジルに一目惚れを見抜かれてさ」
「そうだったね。あの時のザックの顔は真っ赤だった!」
ジルさんに一目惚れだと指摘をされてザック自身が驚いていた。
つい最近の出来事なのに何だか懐かしく感じる。
「出会い方だってメチャクチャだったのにさ。それから、短い間でノア達を巻き込んで、泳ぎを教える事になるわ、領主の話になるわ。本当にナツミには驚かされっぱなしだ」
「私だってビックリしてるよ。でも、私こそこの短い間に、ザックの色んな顔を知ったよ。驚く事も沢山だったけどね」
夕日がゆっくりと沈んでいく。
この風景を見ると少し切なくなってしまう。
終わって欲しくない1日が終わってしまう。
ザックがゆっくりとネックレスの金具を外して私の目の高さに掲げる。
「……グリーンの色はザックの瞳と同じ色だね」
「そうだな。この魔法石に俺の願いを込めた。このネックレスはナツミが自分で外すか、俺じゃないと外せない。ウツに頼んで魔法で細工をして貰った」
「え……」
嫌に真剣なザックの声に私は目を丸くした。外せないって。
「俺は、女にだらしなかったけどもうそれもおしまいだ。俺はもう引き返せない。……俺にはナツミしかいらない。ナツミが好きなんだ」
低いザックの声が私の胸に響く。祭りの騒がしい音が一瞬にして聞こえなくなる。
もう既に何度かザックに抱かれたけれども、その時ですら好きとは言っていなかったのに。
初めてザックは私に好きだと言ってくれた。
人間って嬉しすぎても声が出なくなったりする事を知った。
返事をしないといけないのに声が出ないよザック!
「えっと、その。このネックレスはその証しなんだが。その、よく考えたら重いよなぁ」
あまりにも私の反応がないからなのか、ザックがゆっくりとネックレスの手をおろそうとした。
その時微かにザックの手が震えているのが分かった。
緊張しているのだ。女性に対して百戦錬磨のザックが。
その手を、ザックの目を見た時私はようやく声を上げる事が出来た。
「……私も。ザックが好きだよ」
私は嬉しいけど照れくさくて困った様な顔になっていたと思う。
今度はザックが目を見開いて驚く番だった。
「え。本当に? いや、待て待て。俺は、あまりにもナツミが好き過ぎて幻聴を聞いているとか?」
「幻聴じゃないよ。だから、付けて欲しい」
「もちろんさ。じゃぁ、顔をこっちに向けてくれるか?」
「うん」
ザックは私の首の後ろに手を回し、外れなくなるという金具を付けた。カチッとダイヤルが合わさる様に音が聞こえる。
「もちろん今まで通りナツミの条件は守る。俺の願いは『俺の側にずっといてくれ』だけだ。まぁ、他にも思う事は沢山あるけれど、言葉にしたら切りがない。それぐらいナツミが俺には大切なんだ。好きなんだ」
ザックは私の両肩に手を置いた。瞳を細めて私の首にかけられたネックレスを見つめていた。
ザックの頬が夕日に照らされて最高に赤かったが、それも落ち着いてきている。
「似合うかなぁ」
鏡がないから見えないけれども、石の部分が丁度私の鎖骨の真ん中辺りにある様だ。石の冷たい感触が伝わる。
「もちろん。俺の生まれた時に貰った魔法石なんだぜ?」
「そうだったね……」
「俺の母が願いをかけた石に、俺がまた願いをかけた。今度はそれをナツミに贈るんだ」
「そんな貴重な魔法石を本当に貰ってもいいの?」
良く考えたらお母さんから貰った物をまた譲り受けるなんて……
「だからこそさ。こんな嬉しい事はないさ」
そう言いながらザックは首を傾けて私の唇にキスを落とした。
「んっ」
優しかったキスが角度を変えずに急に激しくなる。
ここがよく知らない場所だろうと、裏路地だろうと関係ない。
ザックが欲しくて堪らない。そう思うの私だけではないはず──
気が付いたら辺りは暗くなっていた。
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「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
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神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
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彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
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