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夕方の密談 ~噂話で無敵になる~
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俺は昼からファルの町から一番近くの島にある監獄に出向いていた。警備兵の報告と今後についての話があったからだ。今は無事に港に到着し夜勤の別隊に仕事を申し送ったところだ。
「ザック隊長お疲れさまでした」
「では。失礼いたします」
俺は夜勤の隊長に資料を渡して全ての仕事を終えた。
「暑い……腹減った」
仕事に集中していると腹の空きも気にならないが、緊張が解けると腹が減っている事に気がつく。いつもなら部下を誘い誘われ食事に出かけるところだが、俺は早足で『ジルの店』に向かう。近道を通るため裏町へ入る。
もちろん今日もいつもと同じ様に、部下達に飲みに行こうと誘われた。早速俺に特定の恋人が出来た事を根掘り葉掘り尋ねるためだろう。ファルの町の奴らは本当に噂好きだ。狭い町に住み続け平和が続くと皆どうでもいい事で盛りあがる。
「悪いな。ナツミに早く会いたいからまた今度な」
軽く手を挙げて数人の部下にお疲れとひと言そえて背を向けた。
「あのザック隊長が、早く会いたいだって。むしろ港で女が待ち構えている事の方が多いってのに」
「本当だ。ザック隊長自ら会いに行くのか」
「何でも相手は黒髪で黒い瞳の異国の女らしいぜ」
「俺、祭りの時見たよ。瞳がクリッと大きくて、可愛いのにさぁ、神秘的な雰囲気でさ」
「見た見た! 派手にキスしててスッゴくエロかった……」
「ザック隊長が他を断ってでも一人に決める相手なんだからさぁ」
「きっとアレも凄いんだろうなぁ」
鍛え抜かれた体を折り曲げて円陣を組み数名がボソボソ話している。
おーい、全部聞こえているぞ。
凄いって、絶対お前達には教えないぞ。
コホン。
それはな、夢に見るぐらい凄いぞ。肌触りもぜんぜん違うし何だろうあの吸いつく様な。汗ばんでくるとまた少し違ってくるし。最初抱いた時は俺も3分持たなかったけれど。
まぁ、未だに良すぎて1回目は早いけれど……
俺は頭の中で桃色に染まるナツミの姿を想像して、慌てて頭を振った。
違う違う。そうではなくて、凄いのは何よりもナツミの強い気持ちだ。
昨日の事も今朝の事もナツミの口からちゃんと聞いて……
色々話を聞き出す段取りを考えるのに、やはりどうしても抱きたくて仕方なくなる。
腹が減っているからかなぁ?
それにしても、俺の部下は女好きばかり集まってくる。皆興味津々だ。
「近々『ジルの店』に押し寄せるのも目に見えているな」
「そうだな……って、ノア。何だよ驚かせるな!」
気がつくと俺の隣を同じ速度で歩くノアがいた。
音も立てずに近づいてきたノアは黒い外套を翻して笑っていた。
「何だよ、こんな夕方に港に近い裏町まで来るなんて。もしかして俺の事待っていたのか?」
本当にそうなら気色悪い。
そんなわけないだろうが、俺は顔をしかめながら少し視線の下にあるノアの顔を見た。
「俺がザックを待つわけないだろう。ウツの店に香水を買いに来ただけだ」
そう言ってノアが外套の下にある脇に抱き込んだ紙袋を見せた。その時ふわりとノアのつけている香水が漂った。薔薇の香りがする。
女性でも好みそうな香りはノアらしい選択だ。そしてこの香りを嗅ぐとマリンを思い出す。マリンからこの香りがすると言う事は、ノアとマリンの関係を聞かなくても恋仲である事は明白だ。ノアと距離が近く長い時間を過ごしているから香りが移るのだ。
「なぁ、ナツミからも俺の匂いする?」
思わず俺はノアに聞き返してしまった。何を言っているのだろう。
ノアは目を丸くしてからアイスブルーの冷たい瞳を細めて笑った。
「ああ、そりゃぁ、もう。プンプン匂う。あんなのお前らしくないと思うぐらい」
「そうか」
良かった。ベルガモットの香りを好んでつける男性は多いが皆少しずつブレンドを換えている。誰の香りなのかは分かるものだ。
俺の匂いがついていればナツミに手を出す奴もいないだろう。
ん?
「俺らしくないってどういう意味だ?」
最後に言われた言葉が引っかかり思わず聞き返す。
「お前の匂いは、直ぐに女を渡り歩くから短い期間しか残らないって話」
ノアが同じ様に早足で前を向いて歩いている。特に俺に視線を寄越さず歩き続ける。同じ様に『ジルの店』を目指している。
「ああ、そういう意味か」
俺らしくない──そう言われるとそうかもしれないが。
「しかし、腹減ったなぁ。お前のせいで昼飯を喰いっぱぐれるし」
ノアが胃の部分を外套の上からおさえ、横目で流し目をくれながら文句を垂れる。
「俺のせいじゃないだろう。勝手についてきたのはお前だ」
そうだ、ナツミの事が気になって俺が様子を窺うのは分かるが、何故ノアまでついてくるのだ。それが不思議でならないし、何だか引っかかる。
「だって気になるだろう。ナツミの様子が」
「だから、何でナツミの様子が気になるんだよ。ナツミは俺のだ」
何だかとてもイライラする。
その、気になる理由が嫌な予感がするんだよっ!
俺は思わず低い声で唸って見せたがノアには何の効果もなかった。
「ナツミがお前の恋人である事ぐらい分かってるさ」
プラチナブロンドの奥深くにある瞳はスッと細くなった。それから早足のままノアは淡々と話し続ける。
「例えばマリンが何か問題に巻き込まれそうだとしたら気になるだろ? ザックだって」
「そりゃぁ、マリンはお前の恋人だから」
「それと同じさ」
「……」
そう言われるとそうなのだけれども。
今までだって俺も同じ様にノアの恋人マリンに何かあったら心配はしていたけれども。
同じ立場、逆の立場……そこで俺は息を飲んだ。
思わず足を止めて俺は少し先を歩いたノアの後ろ姿を見つめる。
ノアは急に立ち止まった俺に気がついて数歩先で振り向いた。
夕方とは言え陽が高い。ノアの白い顔を太陽が照らしていた。ノアが眩しそうに瞳を細めた。
「ザック?」
「なぁ、お前も不安だったか」
俺がマリンの辺りをウロチョロするの──俺はその言葉は結局飲み込んで続ける事が出来なかった。
俺もお前の立場になったらようやく分かったとか、そんな事を言って何になる。
だから俺とナツミの事は放っておいてくれとでも言うつもりか。
俺はマリンに対して特別な感情は抱いていないが──
何でこんな事を俺は気にするのだ。
ノアがナツミの近くにいる事の何が不安なのだ。
ノアがもしナツミとキスを交わしたり抱き合ったり、そんな事が起こったら俺はどうなるのだろう。
と、起こるはずない事を不安に思う。
誰に抱かれたって必ずナツミを取り返すのは決まっているが、どうなるのだろう俺。
「不安って。何言ってんだザック?」
ノアが口を閉ざした俺の前まで歩いてくると首を傾げた。
「何でもない。さて、腹が減ったなぁ。早く行こうぜ」
どうなるのだろう俺って。
やめやめ、考えるのをやめよう。くだらない。
とにかく他の男より俺がナツミに愛情を注ぐのが先だ。
愛しいってこういう事なのだな。なんてな。
俺はノアを追い越して歩きはじめた。
そんなザックの後ろ姿をノアは見つめながら、優しく笑った。
「不安どころか、妬んで恨んで。それでもさ──」
ザックが良い奴だって思い知るだけだったよ。と、ノアは小声で呟いた。
ノアと無言で歩き続ける。いい加減腹の空き具合が限界だ。
裏町の坂道の途中で良い香りがしてきた。
あの角にある店の分厚い肉、スパイスが利いていて美味いんだよなぁ。
途中で町の女がいつもの様に振り返る。
「いつ見ても格好いい~」
「ザックとノアが二人並ぶと更に周りとの差が開くよね……」
羨望と好意の眼差しを受ける。が、今日は二人揃っていても女の方から声をかけられる事が一切ない。大抵はこれから夜にかけて付き合わないかと声をかけられるのだが。
「でも、ザックは黒い髪の……」
「そうそう、対等の……」
「そう、しかも……」
「ええっそうなの……」
「でも、凄く素敵で格好いいらしいのよ」
でも、ザックは黒い髪の──って、ナツミの事か。
何だ? 肝心なところが全く聞こえてこない。
「何だか静かだな。別に声をかけられる必要はないが」
同じ事を思ったのか最後に妙な言い訳をつけてノアが一人呟いた。
辺りを流し見ると、視線が合ったと思っている女達の黄色い声が聞こえた。
「反応はいつもと同じだがな」
別に声をかけられたところでフラフラよその女に立ち寄るつもりはないが。あれほど迫られてばかりだったのに全く迫られる事が無くなるとそれはそれで何故なのか首を傾げたくなる。
角の食堂を曲がろうとしたところだった。食堂から見知った顔が俺達を見つけて飛び出てくる。
「ザックさん、それにノアさんも!」
飛び出てきたのは、モスグリーンのバンダナに白いチュニック風のシャツを着たソルだった。
そういえば、こいつ昼前ぐらいにナツミの辺りをウロチョロしていたな。そもそも、祭りの時にナツミにも目をつけていたし、油断ならん。
が、いきなり食いついても仕方がない。
「おおーソルじゃないかー。どうしたんだー」
作った笑顔に棒読みの台詞になってしまい、隣にいたノアが吹き出して馬鹿笑いしていた。
「ブハハ、何だそりゃ。もっと演技できないのかよ」
おい、ノアこそ王子様の仮面が剥がれているぞ、何だその豚が笑った様な感じは。
「うるせぇな。まさかお前の姿もコッソリ覗いていたとは言えないし」
俺は小さく早口で隣のノアの横腹をつついた。
「そりゃぁ、そうだな。本物の恋人の方がコソコソ隠れる真似をしていたのだからな」
「うるせぇ」
ゲラゲラ笑うノアを横目に俺の前まで犬の様にかけて来たソルに向かって軽く咳払いをした。
ソルは俺の目の前で両手の拳を握りしめると赤い瞳を輝かせた。
何だよその嬉しそうな顔。
「今日、昼前に『ジルの店に』行ったんですよニコに会いに。そうしたらナツミと会って」
知っている。俺もその場にいたから。とは言えず。
「へぇーそうか」
笑って良いのか驚いて良いのか、眉の高さが左右違う変な顔で対応してしまった。
そんな俺の顔を見ているのかいないのか。ソルは両手を激しく振りながら興奮気味で話す。何故かソルの声が嗄れている。
ソルはナツミと他店の踊り子の話をしはじめた。ソルの感じた感動と合わせて素晴らしい武勇伝になっていた。
ソルは比較的若い中でもしっかりしていて落ち着いている。なのに、何故か珍しく子どもっぽくキラキラ目を輝かせて話す。興奮している事が直ぐに分かる。
「スッキリ背中を伸ばして真っすぐに立っていた後ろ姿が格好よくて、あの黒い瞳が凄く綺麗で」
そうだな。俺はそんなナツミを海の中で見てそれ以来虜なのだ。
「気持ちをやり取りするなら対等って考え、スッゲぇ良いって思いました。いやぁ~惚れますよアレは」
「惚れる……」
俺は思わずソルの言葉に反応して眉が動いた。
「ば、馬鹿」
慌ててノアがソルの興奮する言葉を止めようとした。が、時既に遅し。
「ザックさん。何処であんなにいい女、ナツミと出会ったんですか? 最近ですよね『ジルの店』で見た事なかったし。いやぁ、俺もあやかりたいなぁなんて。えっ」
ちゃっかりナツミに近い女の子を紹介してもらおうと図々しくも売り込んだソルだった。思わず俺は鋭く目を吊り上げてしまう。
「え」
今にも飛びかからんとする俺にソルは目を白黒させていた。
「馬鹿ソル! そんな誤解される様な事を不用意に言うなよっ。逃げろっ」
そんな俺をノアが脇から慌てて抱きついて止める。
「この、クソガキー! 離せノアっ、ヤバいんだソルは色々と。なんせ裏町のザック2代目とか言われているのも知ってるんだ。今のうちに潰しておかないと!」
「え? 2代目ってそれは光栄ですけど。え、何で?」
潰すってどういう意味ですか? と目の前でナツミに気がある素振りをしたために俺の逆鱗に触れたなんて露程も思っていないソルだ。
「はーなーせ!」
俺の大声が裏町で響いた。
ソルが声を嗄らしていたのは、ナツミの話を今日半日かけてしたからなのだが。
そしてソルの話には背びれ、尾びれもついてしまう。
ナツミは『ファルの宿屋通り』で10年勤めている踊り子を締め上げ泣かせ、プレイボーイだったザックを、他の女達を全て断ち切らせ虜にしてしまうという、怖くて黒い魔性の女として名を轟かせる事に。
しかもたった1日でこの噂は瞬く間にファルの町に広まった。
ザックと関係のあった町の女達はおののき、ザックに手を出そうものならどんな制裁がナツミより下されてしまうのかとビクビクしている──とか。
「でも、ザックは黒い髪、黒い瞳の魔性の女の虜になっているんですって」
「対等の力を持つそうよ。男の人相手にも。女の人なのに凄いわね」
「そう、しかも『ファルの宿屋通り』で10年勤めている踊り子を締め上げたとか」
「ええっそうなの。そんな怖い……」
「でも、凄く素敵で格好いいらしいのよ」
「女なのに? それってどういう事なの?」
つまりは、ソルのお陰でナツミは町に出やすくなったとか。
「ザック隊長お疲れさまでした」
「では。失礼いたします」
俺は夜勤の隊長に資料を渡して全ての仕事を終えた。
「暑い……腹減った」
仕事に集中していると腹の空きも気にならないが、緊張が解けると腹が減っている事に気がつく。いつもなら部下を誘い誘われ食事に出かけるところだが、俺は早足で『ジルの店』に向かう。近道を通るため裏町へ入る。
もちろん今日もいつもと同じ様に、部下達に飲みに行こうと誘われた。早速俺に特定の恋人が出来た事を根掘り葉掘り尋ねるためだろう。ファルの町の奴らは本当に噂好きだ。狭い町に住み続け平和が続くと皆どうでもいい事で盛りあがる。
「悪いな。ナツミに早く会いたいからまた今度な」
軽く手を挙げて数人の部下にお疲れとひと言そえて背を向けた。
「あのザック隊長が、早く会いたいだって。むしろ港で女が待ち構えている事の方が多いってのに」
「本当だ。ザック隊長自ら会いに行くのか」
「何でも相手は黒髪で黒い瞳の異国の女らしいぜ」
「俺、祭りの時見たよ。瞳がクリッと大きくて、可愛いのにさぁ、神秘的な雰囲気でさ」
「見た見た! 派手にキスしててスッゴくエロかった……」
「ザック隊長が他を断ってでも一人に決める相手なんだからさぁ」
「きっとアレも凄いんだろうなぁ」
鍛え抜かれた体を折り曲げて円陣を組み数名がボソボソ話している。
おーい、全部聞こえているぞ。
凄いって、絶対お前達には教えないぞ。
コホン。
それはな、夢に見るぐらい凄いぞ。肌触りもぜんぜん違うし何だろうあの吸いつく様な。汗ばんでくるとまた少し違ってくるし。最初抱いた時は俺も3分持たなかったけれど。
まぁ、未だに良すぎて1回目は早いけれど……
俺は頭の中で桃色に染まるナツミの姿を想像して、慌てて頭を振った。
違う違う。そうではなくて、凄いのは何よりもナツミの強い気持ちだ。
昨日の事も今朝の事もナツミの口からちゃんと聞いて……
色々話を聞き出す段取りを考えるのに、やはりどうしても抱きたくて仕方なくなる。
腹が減っているからかなぁ?
それにしても、俺の部下は女好きばかり集まってくる。皆興味津々だ。
「近々『ジルの店』に押し寄せるのも目に見えているな」
「そうだな……って、ノア。何だよ驚かせるな!」
気がつくと俺の隣を同じ速度で歩くノアがいた。
音も立てずに近づいてきたノアは黒い外套を翻して笑っていた。
「何だよ、こんな夕方に港に近い裏町まで来るなんて。もしかして俺の事待っていたのか?」
本当にそうなら気色悪い。
そんなわけないだろうが、俺は顔をしかめながら少し視線の下にあるノアの顔を見た。
「俺がザックを待つわけないだろう。ウツの店に香水を買いに来ただけだ」
そう言ってノアが外套の下にある脇に抱き込んだ紙袋を見せた。その時ふわりとノアのつけている香水が漂った。薔薇の香りがする。
女性でも好みそうな香りはノアらしい選択だ。そしてこの香りを嗅ぐとマリンを思い出す。マリンからこの香りがすると言う事は、ノアとマリンの関係を聞かなくても恋仲である事は明白だ。ノアと距離が近く長い時間を過ごしているから香りが移るのだ。
「なぁ、ナツミからも俺の匂いする?」
思わず俺はノアに聞き返してしまった。何を言っているのだろう。
ノアは目を丸くしてからアイスブルーの冷たい瞳を細めて笑った。
「ああ、そりゃぁ、もう。プンプン匂う。あんなのお前らしくないと思うぐらい」
「そうか」
良かった。ベルガモットの香りを好んでつける男性は多いが皆少しずつブレンドを換えている。誰の香りなのかは分かるものだ。
俺の匂いがついていればナツミに手を出す奴もいないだろう。
ん?
「俺らしくないってどういう意味だ?」
最後に言われた言葉が引っかかり思わず聞き返す。
「お前の匂いは、直ぐに女を渡り歩くから短い期間しか残らないって話」
ノアが同じ様に早足で前を向いて歩いている。特に俺に視線を寄越さず歩き続ける。同じ様に『ジルの店』を目指している。
「ああ、そういう意味か」
俺らしくない──そう言われるとそうかもしれないが。
「しかし、腹減ったなぁ。お前のせいで昼飯を喰いっぱぐれるし」
ノアが胃の部分を外套の上からおさえ、横目で流し目をくれながら文句を垂れる。
「俺のせいじゃないだろう。勝手についてきたのはお前だ」
そうだ、ナツミの事が気になって俺が様子を窺うのは分かるが、何故ノアまでついてくるのだ。それが不思議でならないし、何だか引っかかる。
「だって気になるだろう。ナツミの様子が」
「だから、何でナツミの様子が気になるんだよ。ナツミは俺のだ」
何だかとてもイライラする。
その、気になる理由が嫌な予感がするんだよっ!
俺は思わず低い声で唸って見せたがノアには何の効果もなかった。
「ナツミがお前の恋人である事ぐらい分かってるさ」
プラチナブロンドの奥深くにある瞳はスッと細くなった。それから早足のままノアは淡々と話し続ける。
「例えばマリンが何か問題に巻き込まれそうだとしたら気になるだろ? ザックだって」
「そりゃぁ、マリンはお前の恋人だから」
「それと同じさ」
「……」
そう言われるとそうなのだけれども。
今までだって俺も同じ様にノアの恋人マリンに何かあったら心配はしていたけれども。
同じ立場、逆の立場……そこで俺は息を飲んだ。
思わず足を止めて俺は少し先を歩いたノアの後ろ姿を見つめる。
ノアは急に立ち止まった俺に気がついて数歩先で振り向いた。
夕方とは言え陽が高い。ノアの白い顔を太陽が照らしていた。ノアが眩しそうに瞳を細めた。
「ザック?」
「なぁ、お前も不安だったか」
俺がマリンの辺りをウロチョロするの──俺はその言葉は結局飲み込んで続ける事が出来なかった。
俺もお前の立場になったらようやく分かったとか、そんな事を言って何になる。
だから俺とナツミの事は放っておいてくれとでも言うつもりか。
俺はマリンに対して特別な感情は抱いていないが──
何でこんな事を俺は気にするのだ。
ノアがナツミの近くにいる事の何が不安なのだ。
ノアがもしナツミとキスを交わしたり抱き合ったり、そんな事が起こったら俺はどうなるのだろう。
と、起こるはずない事を不安に思う。
誰に抱かれたって必ずナツミを取り返すのは決まっているが、どうなるのだろう俺。
「不安って。何言ってんだザック?」
ノアが口を閉ざした俺の前まで歩いてくると首を傾げた。
「何でもない。さて、腹が減ったなぁ。早く行こうぜ」
どうなるのだろう俺って。
やめやめ、考えるのをやめよう。くだらない。
とにかく他の男より俺がナツミに愛情を注ぐのが先だ。
愛しいってこういう事なのだな。なんてな。
俺はノアを追い越して歩きはじめた。
そんなザックの後ろ姿をノアは見つめながら、優しく笑った。
「不安どころか、妬んで恨んで。それでもさ──」
ザックが良い奴だって思い知るだけだったよ。と、ノアは小声で呟いた。
ノアと無言で歩き続ける。いい加減腹の空き具合が限界だ。
裏町の坂道の途中で良い香りがしてきた。
あの角にある店の分厚い肉、スパイスが利いていて美味いんだよなぁ。
途中で町の女がいつもの様に振り返る。
「いつ見ても格好いい~」
「ザックとノアが二人並ぶと更に周りとの差が開くよね……」
羨望と好意の眼差しを受ける。が、今日は二人揃っていても女の方から声をかけられる事が一切ない。大抵はこれから夜にかけて付き合わないかと声をかけられるのだが。
「でも、ザックは黒い髪の……」
「そうそう、対等の……」
「そう、しかも……」
「ええっそうなの……」
「でも、凄く素敵で格好いいらしいのよ」
でも、ザックは黒い髪の──って、ナツミの事か。
何だ? 肝心なところが全く聞こえてこない。
「何だか静かだな。別に声をかけられる必要はないが」
同じ事を思ったのか最後に妙な言い訳をつけてノアが一人呟いた。
辺りを流し見ると、視線が合ったと思っている女達の黄色い声が聞こえた。
「反応はいつもと同じだがな」
別に声をかけられたところでフラフラよその女に立ち寄るつもりはないが。あれほど迫られてばかりだったのに全く迫られる事が無くなるとそれはそれで何故なのか首を傾げたくなる。
角の食堂を曲がろうとしたところだった。食堂から見知った顔が俺達を見つけて飛び出てくる。
「ザックさん、それにノアさんも!」
飛び出てきたのは、モスグリーンのバンダナに白いチュニック風のシャツを着たソルだった。
そういえば、こいつ昼前ぐらいにナツミの辺りをウロチョロしていたな。そもそも、祭りの時にナツミにも目をつけていたし、油断ならん。
が、いきなり食いついても仕方がない。
「おおーソルじゃないかー。どうしたんだー」
作った笑顔に棒読みの台詞になってしまい、隣にいたノアが吹き出して馬鹿笑いしていた。
「ブハハ、何だそりゃ。もっと演技できないのかよ」
おい、ノアこそ王子様の仮面が剥がれているぞ、何だその豚が笑った様な感じは。
「うるせぇな。まさかお前の姿もコッソリ覗いていたとは言えないし」
俺は小さく早口で隣のノアの横腹をつついた。
「そりゃぁ、そうだな。本物の恋人の方がコソコソ隠れる真似をしていたのだからな」
「うるせぇ」
ゲラゲラ笑うノアを横目に俺の前まで犬の様にかけて来たソルに向かって軽く咳払いをした。
ソルは俺の目の前で両手の拳を握りしめると赤い瞳を輝かせた。
何だよその嬉しそうな顔。
「今日、昼前に『ジルの店に』行ったんですよニコに会いに。そうしたらナツミと会って」
知っている。俺もその場にいたから。とは言えず。
「へぇーそうか」
笑って良いのか驚いて良いのか、眉の高さが左右違う変な顔で対応してしまった。
そんな俺の顔を見ているのかいないのか。ソルは両手を激しく振りながら興奮気味で話す。何故かソルの声が嗄れている。
ソルはナツミと他店の踊り子の話をしはじめた。ソルの感じた感動と合わせて素晴らしい武勇伝になっていた。
ソルは比較的若い中でもしっかりしていて落ち着いている。なのに、何故か珍しく子どもっぽくキラキラ目を輝かせて話す。興奮している事が直ぐに分かる。
「スッキリ背中を伸ばして真っすぐに立っていた後ろ姿が格好よくて、あの黒い瞳が凄く綺麗で」
そうだな。俺はそんなナツミを海の中で見てそれ以来虜なのだ。
「気持ちをやり取りするなら対等って考え、スッゲぇ良いって思いました。いやぁ~惚れますよアレは」
「惚れる……」
俺は思わずソルの言葉に反応して眉が動いた。
「ば、馬鹿」
慌ててノアがソルの興奮する言葉を止めようとした。が、時既に遅し。
「ザックさん。何処であんなにいい女、ナツミと出会ったんですか? 最近ですよね『ジルの店』で見た事なかったし。いやぁ、俺もあやかりたいなぁなんて。えっ」
ちゃっかりナツミに近い女の子を紹介してもらおうと図々しくも売り込んだソルだった。思わず俺は鋭く目を吊り上げてしまう。
「え」
今にも飛びかからんとする俺にソルは目を白黒させていた。
「馬鹿ソル! そんな誤解される様な事を不用意に言うなよっ。逃げろっ」
そんな俺をノアが脇から慌てて抱きついて止める。
「この、クソガキー! 離せノアっ、ヤバいんだソルは色々と。なんせ裏町のザック2代目とか言われているのも知ってるんだ。今のうちに潰しておかないと!」
「え? 2代目ってそれは光栄ですけど。え、何で?」
潰すってどういう意味ですか? と目の前でナツミに気がある素振りをしたために俺の逆鱗に触れたなんて露程も思っていないソルだ。
「はーなーせ!」
俺の大声が裏町で響いた。
ソルが声を嗄らしていたのは、ナツミの話を今日半日かけてしたからなのだが。
そしてソルの話には背びれ、尾びれもついてしまう。
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しかもたった1日でこの噂は瞬く間にファルの町に広まった。
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「でも、ザックは黒い髪、黒い瞳の魔性の女の虜になっているんですって」
「対等の力を持つそうよ。男の人相手にも。女の人なのに凄いわね」
「そう、しかも『ファルの宿屋通り』で10年勤めている踊り子を締め上げたとか」
「ええっそうなの。そんな怖い……」
「でも、凄く素敵で格好いいらしいのよ」
「女なのに? それってどういう事なの?」
つまりは、ソルのお陰でナツミは町に出やすくなったとか。
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