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067 ザックとノアとマリンの話
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「ナツミ、ザック、ノア、休憩して良いぞ。これからマリンも踊るからちょうどいいだろ。ああ、ニコも休んで欲しいところだが、裏で作業しているシンに飲み物を持っていってくれないか?」
「はい。ダンさん了解しました。シンさんの飲み物はこれですね」
ニコはダンさんから飲み物を受け取ると、裏口から出て別の場所で作業をしているシンの元へ急いだ。何でも貝の下処理を中庭でしているそうだ。
お客が多い為用意した食事が少し足りなくなったからだそうだ。
席は男性が多い半分以上は軍人かな、残り半分はファルの町に住まう男性だ。マリンが踊るとなると人気がある。皆良く知っているなぁ。
「じゃぁ、少し休憩しますね。お水をもらいます」
私はカウンターから厨房を覗き込んで返事をした。フロアを振り返ると一番後ろの席が空いているのを見つけた。
脚の高いスツールが三つ並んでいる。この椅子苦手なんだよね。座ると椅子の脚が高すぎて地に足がつかない。背もたれのない椅子にお尻を少しだけ乗せて、足で地面を踏みしめたいのに。
しかし、文句を言っている場合ではない。夕方からお客さんが増えてほ満席になった。椅子に座って見られるだけラッキーなのだから。盛りあがってきた店内の端っこで一息つく。
座ると突然肩を叩かれた。振り返るとザックだった。
「なぁ、まだ怒ってるか? 悪かったよナツミ。さっきは腹が減ってたからさ。さ、喰えよ」
仕事から帰って来るなり私のおにぎりをあっという間に平らげたザックが、目の前に白いお皿を差し出す。
「怒ってないよ、ザック。ところでこれは?」
白いお皿の中央には、薄焼き卵で作られた巾着が置かれていた。掌に載るほどの大きさだった。
「中はきのこのチーズリゾットが入っている。喰えよ」
「え! 本当だ」
薄焼き卵の巾着をスプーンでつつくと、裂けた口からトロトロのチーズリゾットが流れ出てきた。
「凄い……ザックが作ってくれたの?」
「リゾットはな。ダン程ではないが、美味く出来てると思うぞ」
ザックはエプロンをはずしながら私の左隣に座った。ザックの足は長いので脚の高いスツールに腰掛けても余裕で地面に足がついていた。
実はザックもノアも料理が上手だ。注文を入れると二人共あっという間に作ってしまう。
8年前軍学校に通っていた頃『ジルの店』を手伝っていたそうだ。ザックは20歳で、ノアは17歳だったそうで、ダンさんに教え込まれたのだとか。
男前の上に料理が出来るなんて、憎たらしいほど非の打ち所がない。
私はおにぎりを奪われたのでノアとザックをポカポカ叩いて怒った。ノアとザックはお昼ご飯も食べずにずっと仕事をしていたと聞いたから仕方ないけれども、私もお腹が空いていたのと悔しいのとで責めてしまった。
更に直ぐにお店が忙しくなって食事は後回しになっていたので、ザックの差し出してくれたリゾットは嬉しかった。
「別に薄焼き卵に何かを入れる事にこだわっていたわけではないのだけれども」
私が食べ損ねたおにぎりは海苔代わりに薄焼き卵を巻いていたので再現してくれたのだろう。こんな可愛い巾着ではなかったけれど……
「そうなのか。何だかこの『ひよこ』型にこだわっているのかと」
後ろから声がした。今度はノアだった。ノアも休憩の為、ビールの入った樽形ジョッキを両手に持っていた。その内一つをザックに渡し、私の右隣に座る。
私は両方に男前を侍らせている事になる。
うわぁ。これまた町の女性が見たら怒られそうだなぁ……
私はフロアが男性で埋まっている事に安堵する。
「中身は俺が作ったが、巾着に包んだのはノアなんだ。ほらぁ、ノア。やっぱり別に包む必要なかったみたいだぞ」
ザックが不満そうに声を上げた。
「何だそうだったのか、凄く印象的な形だったから思わず。余計だったか?」
ノアが残念そうに呟いた。
巾着きのこチーズリゾットは二人の作品らしい。
「ありがとう……さっきは怒って叩いたりしてごめんなさい。二人共お腹空いていたのに」
私は両脇にいる二人にお礼を言う。何だか申し訳ない。
「いいや、俺達は何だかんだでつまみながら料理を作っていたから気にするな。にしても、あれ何だっけ? にぎる? にぎ、にぎ、じゃなくて。お、おにぎり──か。結構美味かったぜ」
ザックがビールを一口飲んで思い出した様に溜め息をついていた。
にぎ、にぎって何だ。名前を思い出す工程がおかしくて私は微笑んでしまった。
「そうだなぁ。何か腹に溜まるし直ぐに食べる事が出来るし。片手で食べる事も出来て便利だな」
ノアも笑っていた。どうやら、おにぎりは二人共に好評だった様だ。
「美味しく食べてくれたのなら良かったよ。と、言っても中身はダンさんの作ったお昼の残り物だったんだけどね」
エヘヘと誤魔化して笑って二人を振り返る。二人共私が笑った顔を見てほっと一息ついていた。私がポカポカ叩いて怒ったのを気にしていた様だ。
「じゃぁ、いただきます!」
私は両手を合わせて熱々のチーズリゾットを薄焼き卵に絡ませながら食べはじめる。
「凄く美味しい。二人共ありがとう!」
「どういたしまして」
「ああ、美味そうに食べてもらえて何よりだ」
ザックとノアは、私の食べる姿を見つめていた。
お昼の嫉妬攻撃を不意に思い出すが、これだけ格好良くて優しい二人なのだからあのぐらいの嫉妬は益々仕方ない気もしてきた。
黒いタイトワンピースが似合うトニも、話してみると素敵な女性だった。それはそれで私も妬きそうだけれど。
横目でザックを盗み見ながら、色々考えていたがあっという間にリゾットを平らげてしまった。
「ごちそうさま。美味しかった~」
お腹も満たされ元気になった。
「少しだけだがチーズを多めにしたから腹持ち良いと思うぞ」
ザックが私の頭の上にポコンと拳を乗せると最後は髪の毛を撫でてくれた。
「うん」
満足して満面の笑みを向けた。
そんなに腹持ちの心配をしてもらわなくても、傷を治す以外は普通の食事の量で大丈夫なのだけれども……心の中で私は呟いた。
「そもそも二人はどうしてお昼を食べ損ねたの?」
「え」
ザックが私の顔を覗き込んだまま固まる。
「ああ。ザックがナツミの事を心配して一度『ジルの店』に戻るって言うから」
固まったザックの代わりにノアがツルリと答えてくれた。私はザックの方を向いていたけれども驚いてノアを振り返った。
「心配って?」
何の心配だろう。私は首を傾げてしまう。
「ば、馬鹿っ」
ザックが慌てて制するがノアはスラスラ話しはじめた。
「今朝仕事に行く前に、ナツミが6人の踊り子達に嫌味を言われたって話を聞いてな。昼に『ジルの店』に寄ったんだか、路地のところで踊り子の一人とやり取りをしていたからな。驚いたぜ」
ノアがスルリと話してしまい、ザックは開いた口が塞がらないといった感じだ。
「エッ? まさかトニとのやり取りを見ていたの?」
私は背中を丸めると両脇に座るノアとザックから顔を隠した。
きっとダンさんから聞いたのだろう。朝早く出て行く時に飲み物だけを飲んだと聞いたし。その事が気になって一度お昼に戻って来ていたなんて!
私は顔が赤くなって、次に冷や汗が溢れてきた。
チラリとザックを見る。
ザックは私を上から見つめながら、口をへの字にして困った様に眉を垂れていた。濃いグリーンの瞳が揺れている。
「あれは──ほら、トニが色々と言ってきたのもあってさ。思わず……うわぁ恥ずかしいところを見られたんだね」
言い訳をすればするほど顔から湯気が出る。
黙り込んで小さくなる私の頭の上にザックの大きな手が置かれた。
私はビクッとして恐る恐る顔を上げる。
ザックは先程よりも更に困った顔をしていた。
「おにぎりを喰った事は責めるくせに。ナツミは俺があの場にいたのに、間に入って庇わなかった事は責めないのか?」
私は意外な言葉を聞いて首を傾げてしまった。
「何で?」
「何で……って。そんな言い方をされるとこっちが拍子抜けしてしまうだろう。ナツミの恋人は俺だし。そして、問題を作ったのも俺だし……」
ザックは私の態度に私と同じ様に首を傾げていた。最後の言葉は実に言いにくそうだった。
「確かに問題を起こしていたのはザックだな」
ノアが軽く鼻で笑った。
「お前が言うな」
ザックがノアを睨みつける。
だから背が高いお二人さん。私の頭上で言い合いをしないでよね。
「だって、ザックが私を庇ったりしたら、逆効果だと思うんだよね」
「「逆効果? 何でだ」」
頭上で言い合いをはじめたノアとザックは私の言葉に即座に反応してハモる。
「良い事ないんだよね。庇われるだけってさ。だって、トニから見たら私自身がどんな人か分からないままでしょ? 分からないままで庇われたりしたら、トニは余計納得しないと思うんだ……」
私はコップの中の氷が溶けて音を立てるのを見ながら呟いた。
「良い事ないって……」
ザックは無表情で呟いていた。あれ? 何だかおかしな事を言ったかな。
経験上庇われたら良い事ないのは元カレである秋の時に経験済みだ。
あの時の様に嫌な感じでこじれるのは懲り懲りだ。
「話せば相手が理解するとでも思っているのか?」
何故かノアも身を乗り出して尋ねてくる。
「理解すると言うか──」
私はそんなノアの瞳を見つめて答えた。
だってトニは──ザックが好きなんだよ? 私は続きの言葉は飲み込んだ。
トニはザックにそんな事を気づかれない様していたに違いないから。
そんなトニに真摯に向き合わなくてどうするの。
「──私がザックを本当に好きだって事を知って欲しかっただけだよ」
私は一息ついてからノアに話しかけた。先ずはそこからだよね。
食いついたノアはアイスブルーの瞳を丸めて呆れかえる。しかし口元が笑っていた。
振り向くとザックは眩しそうに目を細めて微笑んでいた。見守ってくれている顔が何だかくすぐったくて私は早口でまくし立ててしまう。
「でもね、ザックがこのネックレスをくれたから伝えられたんだと思う」
私は鎖骨の真ん中辺りにあるザックと同じ瞳の色に輝く魔法石に手を添えた。
「そうか」
ザックはひと言呟いて私の頬を手の甲で撫でると、耳の前にかかっている髪の毛をゴツゴツした指で撫でて耳にかけてくれた。
「その宝石の色……ザックが昔つけていたピアスと同じか?」
私の隣でノアが身を乗り出して魔法石を見つめる。小声で呟く様に見つめていた。
もしかしてノアもマリンと同じで気が付いたのかな。
「マリンもねノアと同じでザックが軍学校に入る前と同じピアスの色だって気が付いたんだよ」
「え……」
「実はねザックがくれた魔法石なんだ! あ、この事は秘密だよ」
私は嬉しくてペラペラと魔法石である事を話してしまい、慌てて秘密だと付け足した。
そして、身を乗り出したノアにネックレスの石を見せ付ける為少し胸を張って見せた。
すると、ザックが私の耳のところに置いていた手をパッと離した。
離れてしまった事に淋しさを覚えて、ザックを見上げると口を小さく開けて驚いていた。
だけれど、ザックと私の視線が合うと思い出した様に優しく微笑んだ。
「あ、ああ。その通りだ」
ザックの低い声が響いた。優しくて温かい声。
「そうか。ザックはナツミに自分の魔法石を贈ったのか」
私の後ろでノアがザックと同じ様に低い声を上げたのが聞こえた。
「私ね。この魔法石があったからトニと冷静に話が出来たんだと思う」
私の宝物。ザックがいつでもいる様な気がする。
だから強くなれる。
その時フロアの奥で樽形ジョッキを上げる男性がいた。
「おぉい! ビールのおかわりを頼むぅ~ 踊りの前に注いでくれよ!」
ウエイターは出ずっぱりだが人手が足りない様だ。
「呼んでるみたいだから行ってくるね。ザック、ノアごちそうさま」
私はスツールから降りようとしたが、それをザックが手を握って去る事を止めた。
私も離れがたいけれど行かなくては。私はザックに微笑み返す。
するとザックにも伝わったのか金髪の前髪を揺らして頷き、頬にキスを一つくれた。
「慌ててビールをひっくり返すなよ」
「そんな事しないよ」
私はぴょんと背の高いスツールから飛び降りてザックに軽く手を上げて、お皿とコップを厨房カウンターへ戻した。
それから、注文を催促している男性に足を向けた。
「そうか、軍学校に入る前につけていたザックのピアスか。決意の表れって事か」
ノアは低い声で呟きながら樽形ジョッキのビールを見つめていた。
そういえば軍学校に入ると同時にザックはピアスをはずしていた。
覚悟の表れとしてピアスをはずしたと聞いていた。
軍に入ると命を落とす事もあるから、かつて家族があったという思い出とも決別したかったと──
しかしザックは再びその魔法石を復活させナツミに贈った。
ナツミへの思いはそれ程までに大きなものなのだとノアは理解した。
「ああ」
ザックはナツミのフロアに消えていった姿を見つめていたがノアの低い声に反応して振り向いた。
それからノアはザックを見つめた。怒っているわけでも、妬んでいるわけでもない。感情のない表情で見つめているノアは端から見ると良く出来た人形の様に見えるだろう。
ザックはそんなノアが、何を伝えようとしているのかが分かり同じ様に無表情で見つめていた。
『ジルの店』は今日も大盛況だ。仕事上がりの男達がざわめいているフロアの隅で、人気の軍人二人が無表情で見つめあう。
フロア内の他者が話す声が次第に消えていく。まるで空間が切り離された様だ。
風景すら消えていく。真っ暗な場所で座ってお互いを見つめあう。
数分なのか数秒なのか──二人はやがて雑踏の中に戻ってくる。
ノアは全てを理解したのか深い溜め息をついた。
「マリンはザックの事を軍学校に入る前から知っていたんだな……と言うか、この事をザックに直接聞いた事はなかったな」
ノアは軽く笑って肩を上げた。
ノアはマリンにザックと何時知り合いになったのか尋ねた事がある
だが答えはいつも同じだった。
ザックと何時知り合ったかって? ザックの話は裏町の噂で聞いた事はあったけれども、顔を知ったのは軍学校に入って『ジルの店』を手伝う様になってからよ──
だがそうではなかった。
ザックのピアスの事を知っていたとなると、マリンはザックが軍学校に入る前から──裏町時代から知っている事になる。
この事をザックに尋ねなかったのは無意識からくるものだったのかもしれない。
どうしてザックに尋ねなかったのか? と、問われると──今なら答えられる。
ザックの口から告げられる事実に向かい合うのが怖かったのだ。
マリンが何故、ザックが昔からの知り合いである事を隠したいのか。
だって二人は──
ノアは特に驚いている様子はない。むしろスッキリしたという様子だ。
その様子をザックは無表情で見つめていた。それから閉じた口の端に力を入れると、思い切った様に口を開いた。
「ノア。マリンと俺の事だが──」
思った以上に低い声だった。
「知っていたさ。だから何も言わなくていい」
ノアはとても清々しい様子で笑った。
それは、何の飾りもない本物の王子の笑顔だった。
ザックはその笑顔を見て、少し視線を下に落とすと全て諦めた様に溜め息をついた。
ノアが事実を知っても受け入れている。
ノアは最高に素晴らしく、いい奴だと悟った瞬間だった。
そして、いつものはっきりとした口調で声を上げた。
「そうか」
それ以上語らないザックの様子に、ノアは軽く笑った。
「『そうか』って、ザックらしいな。でも、それでいいさ。過去は誰にでもある。そして、お前はその事実に触れないでいようとしていた事も。それがお前の優しさだって事も」
「……」
「何だよ。だんまりになるなよ」
ノアは本当に全てを振り切ったのか何のわだかまりもない様だ。
少し前まで、ナツミに出会ったあの日ですら、ノアはザックにけしかける様に話をする感じだった。無理矢理にでもザックを従えようとしていた感じだったのに。
「何だか変わったな。ノア」
ザックはノアの変わり様に目を丸くしてしまう。
「ザックのくせに偉そうに言うなぁ。まぁ、別荘でナツミに活を入れられたというかさ」
ノアは笑いながらザックの肩を叩いた。
「ザックのくせにって……何だよ俺の方が年が上なのに。ナツミに活を入れられたって?」
そんな事あったか? とザックが首を傾げる。
ノアとナツミの別荘での接点なんて泳ぎの練習ぐらいで。唯一あったのは酔っ払ってノアに絡んだぐらいだが。それは衝撃的な発言だったが。あれが響いたのか?
そういえば。
朝早くからウッドデッキで話をしていた事を思い出す。
するとノアは思い出した様に肩を揺らして笑っていた。
「ナツミに『ザックは良い奴だけど裏切られたらどうするんだ』って聞いたんだよ。だって、お前なんて最低の塊が歩いている様なもんだろ? 女には不誠実だしいい加減だし。仕事は出来るけれどもさ、俺にも嘘をついていたし」
「お~ま~え~俺のナツミに何て事を聞くんだ。それに、俺はノアに嘘はついてないだろ」
「あ、そうか。ザックは特に話さなかっただけで、嘘はついてないな」
カラカラとノアは笑い飛ばす。ザックは一つだけ否定したがそれ以外については何も言わなかった。
ひとしきり笑うとノアはビールを一口飲んでザックに向き合った。
「そしたらナツミはさ──」
意地悪な質問をしたあげく、最後にザックが裏切ったらどうするかと尋ねたら、ナツミは『きっと傷つく』と答えた。
そして、傷つくと分かっていても、ザックを信じると言いきった。
「私は貫くしか出来ない──この思いも一本道しかないよ」
ナツミの言った言葉をノアが繰り返した。
ザックにはノアの言葉がナツミの声に変わって聞こえた。
大きくて黒い瞳が真っすぐにノアを見つめて、はっきりと答えたのだろう。
そう言ってから、ナツミの笑った姿が目に浮かぶ。
キツイ言葉を投げかけた女にも真正面から立ち向かうナツミ。
辛い道を選んでいく。自分だって傷つかないはずがないのに。
ザックはそんなナツミが愛おしくて胸が締めつけられる。
「嘘はつかないさ。だって俺はナツミと生きていきたいからさ」
ザックは横に座っていたノアを真っすぐ見つめた。
ザックの少し垂れた瞳が意志を持って輝いた。ナツミの胸に輝くネックレスの宝石と同じだった。
「そうか。お前がいるならきっと大丈夫だろう。だけどさ、俺は直進馬鹿がポッキリ折れないか心配だよ」
ノアが溜め息交じりに呟いた。まるで妹を気にする兄の様だ。実際ノアは一番末っ子で妹などいないのだが。
「直進馬鹿って、ナツミの事か? 酷い言い方をする」
余りの言い様にザックが少し怒るが、あながち間違いではない様な気もする。
馬鹿は言い過ぎだが、それぐらいナツミの振り切り方は普通ではない。
「マリンとナツミの距離が近すぎるからさ」
ノアはザックの顔を見ながら溜め息をついた。その様子にザックも「あー」と声を上げた。
マリンは恋人のノアに秘密にしようとしている過去がある。それはナツミにも隠しておきたい事なのに。
ナツミに心を許す事であけすけになってきている。
現にザックと昔からの知り合いだった事を魔法石の事を通じてマリン自身がポロリとナツミに漏らしているのだ。
今のナツミにはその事実がどれほどの意味があるのか分かっていない。
マリンが隠したい過去の為に、嘘をつけなくなる日は近い。
その時マリンは、ノアとナツミにどんな顔をするつもりなのだろう。
「ポッキリか……でも、ナツミって最初からあんなに強かったのかな」
ザックはふと思った事を口にする。
「言われてみればそうだなぁ」
ノアがザックの顔を振り返ると明るかったフロアの照明が暗くなってきた。
鈴の音が聞こえる。
マリンの踊りがはじまる様だ。辺りのざわめきが静かになりはじめる。
ナツミはトニのやり取りを見ていただけで何もしなかったザックに怒りもしない。
それどころか介入する事、庇う事は逆効果だと言った。
先程はこう言っていた。
良い事ないんだよね。庇われるだけってさ。
それは何処かで経験した事があるとからとも聞こえる。
「裏付けされている強さの様で……」
そこまでザックは言いかけたが辺りが静かになりはじめたので言葉を飲み込んでしまった。
そもそも、あれほど人を引きつけるナツミが元の世界で人気がなかったとは考えにくい。
ネロの分析だとファルの町に自らの意志で来たのじゃないかとの事だ。
それにナツミは──
……私も、辛くて嫌な事があって。後悔して……自分を変えたい、変わりたいって思ったよ
それはどんな事だったのか。
家族や仲間と離れてまでファルの町に来たかったのは何故なのだ?
それに、ナツミを抱くたびに思う。
本当は恋人がいたのじゃないのか──?
ザックはナツミの男の影が気になりはじめていた。
ナツミの様に真っすぐな女は一人の男しか愛さない。
だから余計に引っかかる。その男は一体どんな男だったのだろうと。
そして、ナツミほどの女を手放す事があるのだろうか。
数多くの女と共に過ごしてきて一度も女達の過去について気になった事はなかったのに。
だが、それを聞いてどうしたいのだろう。
数多くの女との関係があったザックに責める様な資格なんてないのに。
ザックはナツミを手放す事は出来ない、引き返せなくなっていた。
ザックとノアはそれ以上の会話を止めてマリンの踊りに集中した。
「はい。ダンさん了解しました。シンさんの飲み物はこれですね」
ニコはダンさんから飲み物を受け取ると、裏口から出て別の場所で作業をしているシンの元へ急いだ。何でも貝の下処理を中庭でしているそうだ。
お客が多い為用意した食事が少し足りなくなったからだそうだ。
席は男性が多い半分以上は軍人かな、残り半分はファルの町に住まう男性だ。マリンが踊るとなると人気がある。皆良く知っているなぁ。
「じゃぁ、少し休憩しますね。お水をもらいます」
私はカウンターから厨房を覗き込んで返事をした。フロアを振り返ると一番後ろの席が空いているのを見つけた。
脚の高いスツールが三つ並んでいる。この椅子苦手なんだよね。座ると椅子の脚が高すぎて地に足がつかない。背もたれのない椅子にお尻を少しだけ乗せて、足で地面を踏みしめたいのに。
しかし、文句を言っている場合ではない。夕方からお客さんが増えてほ満席になった。椅子に座って見られるだけラッキーなのだから。盛りあがってきた店内の端っこで一息つく。
座ると突然肩を叩かれた。振り返るとザックだった。
「なぁ、まだ怒ってるか? 悪かったよナツミ。さっきは腹が減ってたからさ。さ、喰えよ」
仕事から帰って来るなり私のおにぎりをあっという間に平らげたザックが、目の前に白いお皿を差し出す。
「怒ってないよ、ザック。ところでこれは?」
白いお皿の中央には、薄焼き卵で作られた巾着が置かれていた。掌に載るほどの大きさだった。
「中はきのこのチーズリゾットが入っている。喰えよ」
「え! 本当だ」
薄焼き卵の巾着をスプーンでつつくと、裂けた口からトロトロのチーズリゾットが流れ出てきた。
「凄い……ザックが作ってくれたの?」
「リゾットはな。ダン程ではないが、美味く出来てると思うぞ」
ザックはエプロンをはずしながら私の左隣に座った。ザックの足は長いので脚の高いスツールに腰掛けても余裕で地面に足がついていた。
実はザックもノアも料理が上手だ。注文を入れると二人共あっという間に作ってしまう。
8年前軍学校に通っていた頃『ジルの店』を手伝っていたそうだ。ザックは20歳で、ノアは17歳だったそうで、ダンさんに教え込まれたのだとか。
男前の上に料理が出来るなんて、憎たらしいほど非の打ち所がない。
私はおにぎりを奪われたのでノアとザックをポカポカ叩いて怒った。ノアとザックはお昼ご飯も食べずにずっと仕事をしていたと聞いたから仕方ないけれども、私もお腹が空いていたのと悔しいのとで責めてしまった。
更に直ぐにお店が忙しくなって食事は後回しになっていたので、ザックの差し出してくれたリゾットは嬉しかった。
「別に薄焼き卵に何かを入れる事にこだわっていたわけではないのだけれども」
私が食べ損ねたおにぎりは海苔代わりに薄焼き卵を巻いていたので再現してくれたのだろう。こんな可愛い巾着ではなかったけれど……
「そうなのか。何だかこの『ひよこ』型にこだわっているのかと」
後ろから声がした。今度はノアだった。ノアも休憩の為、ビールの入った樽形ジョッキを両手に持っていた。その内一つをザックに渡し、私の右隣に座る。
私は両方に男前を侍らせている事になる。
うわぁ。これまた町の女性が見たら怒られそうだなぁ……
私はフロアが男性で埋まっている事に安堵する。
「中身は俺が作ったが、巾着に包んだのはノアなんだ。ほらぁ、ノア。やっぱり別に包む必要なかったみたいだぞ」
ザックが不満そうに声を上げた。
「何だそうだったのか、凄く印象的な形だったから思わず。余計だったか?」
ノアが残念そうに呟いた。
巾着きのこチーズリゾットは二人の作品らしい。
「ありがとう……さっきは怒って叩いたりしてごめんなさい。二人共お腹空いていたのに」
私は両脇にいる二人にお礼を言う。何だか申し訳ない。
「いいや、俺達は何だかんだでつまみながら料理を作っていたから気にするな。にしても、あれ何だっけ? にぎる? にぎ、にぎ、じゃなくて。お、おにぎり──か。結構美味かったぜ」
ザックがビールを一口飲んで思い出した様に溜め息をついていた。
にぎ、にぎって何だ。名前を思い出す工程がおかしくて私は微笑んでしまった。
「そうだなぁ。何か腹に溜まるし直ぐに食べる事が出来るし。片手で食べる事も出来て便利だな」
ノアも笑っていた。どうやら、おにぎりは二人共に好評だった様だ。
「美味しく食べてくれたのなら良かったよ。と、言っても中身はダンさんの作ったお昼の残り物だったんだけどね」
エヘヘと誤魔化して笑って二人を振り返る。二人共私が笑った顔を見てほっと一息ついていた。私がポカポカ叩いて怒ったのを気にしていた様だ。
「じゃぁ、いただきます!」
私は両手を合わせて熱々のチーズリゾットを薄焼き卵に絡ませながら食べはじめる。
「凄く美味しい。二人共ありがとう!」
「どういたしまして」
「ああ、美味そうに食べてもらえて何よりだ」
ザックとノアは、私の食べる姿を見つめていた。
お昼の嫉妬攻撃を不意に思い出すが、これだけ格好良くて優しい二人なのだからあのぐらいの嫉妬は益々仕方ない気もしてきた。
黒いタイトワンピースが似合うトニも、話してみると素敵な女性だった。それはそれで私も妬きそうだけれど。
横目でザックを盗み見ながら、色々考えていたがあっという間にリゾットを平らげてしまった。
「ごちそうさま。美味しかった~」
お腹も満たされ元気になった。
「少しだけだがチーズを多めにしたから腹持ち良いと思うぞ」
ザックが私の頭の上にポコンと拳を乗せると最後は髪の毛を撫でてくれた。
「うん」
満足して満面の笑みを向けた。
そんなに腹持ちの心配をしてもらわなくても、傷を治す以外は普通の食事の量で大丈夫なのだけれども……心の中で私は呟いた。
「そもそも二人はどうしてお昼を食べ損ねたの?」
「え」
ザックが私の顔を覗き込んだまま固まる。
「ああ。ザックがナツミの事を心配して一度『ジルの店』に戻るって言うから」
固まったザックの代わりにノアがツルリと答えてくれた。私はザックの方を向いていたけれども驚いてノアを振り返った。
「心配って?」
何の心配だろう。私は首を傾げてしまう。
「ば、馬鹿っ」
ザックが慌てて制するがノアはスラスラ話しはじめた。
「今朝仕事に行く前に、ナツミが6人の踊り子達に嫌味を言われたって話を聞いてな。昼に『ジルの店』に寄ったんだか、路地のところで踊り子の一人とやり取りをしていたからな。驚いたぜ」
ノアがスルリと話してしまい、ザックは開いた口が塞がらないといった感じだ。
「エッ? まさかトニとのやり取りを見ていたの?」
私は背中を丸めると両脇に座るノアとザックから顔を隠した。
きっとダンさんから聞いたのだろう。朝早く出て行く時に飲み物だけを飲んだと聞いたし。その事が気になって一度お昼に戻って来ていたなんて!
私は顔が赤くなって、次に冷や汗が溢れてきた。
チラリとザックを見る。
ザックは私を上から見つめながら、口をへの字にして困った様に眉を垂れていた。濃いグリーンの瞳が揺れている。
「あれは──ほら、トニが色々と言ってきたのもあってさ。思わず……うわぁ恥ずかしいところを見られたんだね」
言い訳をすればするほど顔から湯気が出る。
黙り込んで小さくなる私の頭の上にザックの大きな手が置かれた。
私はビクッとして恐る恐る顔を上げる。
ザックは先程よりも更に困った顔をしていた。
「おにぎりを喰った事は責めるくせに。ナツミは俺があの場にいたのに、間に入って庇わなかった事は責めないのか?」
私は意外な言葉を聞いて首を傾げてしまった。
「何で?」
「何で……って。そんな言い方をされるとこっちが拍子抜けしてしまうだろう。ナツミの恋人は俺だし。そして、問題を作ったのも俺だし……」
ザックは私の態度に私と同じ様に首を傾げていた。最後の言葉は実に言いにくそうだった。
「確かに問題を起こしていたのはザックだな」
ノアが軽く鼻で笑った。
「お前が言うな」
ザックがノアを睨みつける。
だから背が高いお二人さん。私の頭上で言い合いをしないでよね。
「だって、ザックが私を庇ったりしたら、逆効果だと思うんだよね」
「「逆効果? 何でだ」」
頭上で言い合いをはじめたノアとザックは私の言葉に即座に反応してハモる。
「良い事ないんだよね。庇われるだけってさ。だって、トニから見たら私自身がどんな人か分からないままでしょ? 分からないままで庇われたりしたら、トニは余計納得しないと思うんだ……」
私はコップの中の氷が溶けて音を立てるのを見ながら呟いた。
「良い事ないって……」
ザックは無表情で呟いていた。あれ? 何だかおかしな事を言ったかな。
経験上庇われたら良い事ないのは元カレである秋の時に経験済みだ。
あの時の様に嫌な感じでこじれるのは懲り懲りだ。
「話せば相手が理解するとでも思っているのか?」
何故かノアも身を乗り出して尋ねてくる。
「理解すると言うか──」
私はそんなノアの瞳を見つめて答えた。
だってトニは──ザックが好きなんだよ? 私は続きの言葉は飲み込んだ。
トニはザックにそんな事を気づかれない様していたに違いないから。
そんなトニに真摯に向き合わなくてどうするの。
「──私がザックを本当に好きだって事を知って欲しかっただけだよ」
私は一息ついてからノアに話しかけた。先ずはそこからだよね。
食いついたノアはアイスブルーの瞳を丸めて呆れかえる。しかし口元が笑っていた。
振り向くとザックは眩しそうに目を細めて微笑んでいた。見守ってくれている顔が何だかくすぐったくて私は早口でまくし立ててしまう。
「でもね、ザックがこのネックレスをくれたから伝えられたんだと思う」
私は鎖骨の真ん中辺りにあるザックと同じ瞳の色に輝く魔法石に手を添えた。
「そうか」
ザックはひと言呟いて私の頬を手の甲で撫でると、耳の前にかかっている髪の毛をゴツゴツした指で撫でて耳にかけてくれた。
「その宝石の色……ザックが昔つけていたピアスと同じか?」
私の隣でノアが身を乗り出して魔法石を見つめる。小声で呟く様に見つめていた。
もしかしてノアもマリンと同じで気が付いたのかな。
「マリンもねノアと同じでザックが軍学校に入る前と同じピアスの色だって気が付いたんだよ」
「え……」
「実はねザックがくれた魔法石なんだ! あ、この事は秘密だよ」
私は嬉しくてペラペラと魔法石である事を話してしまい、慌てて秘密だと付け足した。
そして、身を乗り出したノアにネックレスの石を見せ付ける為少し胸を張って見せた。
すると、ザックが私の耳のところに置いていた手をパッと離した。
離れてしまった事に淋しさを覚えて、ザックを見上げると口を小さく開けて驚いていた。
だけれど、ザックと私の視線が合うと思い出した様に優しく微笑んだ。
「あ、ああ。その通りだ」
ザックの低い声が響いた。優しくて温かい声。
「そうか。ザックはナツミに自分の魔法石を贈ったのか」
私の後ろでノアがザックと同じ様に低い声を上げたのが聞こえた。
「私ね。この魔法石があったからトニと冷静に話が出来たんだと思う」
私の宝物。ザックがいつでもいる様な気がする。
だから強くなれる。
その時フロアの奥で樽形ジョッキを上げる男性がいた。
「おぉい! ビールのおかわりを頼むぅ~ 踊りの前に注いでくれよ!」
ウエイターは出ずっぱりだが人手が足りない様だ。
「呼んでるみたいだから行ってくるね。ザック、ノアごちそうさま」
私はスツールから降りようとしたが、それをザックが手を握って去る事を止めた。
私も離れがたいけれど行かなくては。私はザックに微笑み返す。
するとザックにも伝わったのか金髪の前髪を揺らして頷き、頬にキスを一つくれた。
「慌ててビールをひっくり返すなよ」
「そんな事しないよ」
私はぴょんと背の高いスツールから飛び降りてザックに軽く手を上げて、お皿とコップを厨房カウンターへ戻した。
それから、注文を催促している男性に足を向けた。
「そうか、軍学校に入る前につけていたザックのピアスか。決意の表れって事か」
ノアは低い声で呟きながら樽形ジョッキのビールを見つめていた。
そういえば軍学校に入ると同時にザックはピアスをはずしていた。
覚悟の表れとしてピアスをはずしたと聞いていた。
軍に入ると命を落とす事もあるから、かつて家族があったという思い出とも決別したかったと──
しかしザックは再びその魔法石を復活させナツミに贈った。
ナツミへの思いはそれ程までに大きなものなのだとノアは理解した。
「ああ」
ザックはナツミのフロアに消えていった姿を見つめていたがノアの低い声に反応して振り向いた。
それからノアはザックを見つめた。怒っているわけでも、妬んでいるわけでもない。感情のない表情で見つめているノアは端から見ると良く出来た人形の様に見えるだろう。
ザックはそんなノアが、何を伝えようとしているのかが分かり同じ様に無表情で見つめていた。
『ジルの店』は今日も大盛況だ。仕事上がりの男達がざわめいているフロアの隅で、人気の軍人二人が無表情で見つめあう。
フロア内の他者が話す声が次第に消えていく。まるで空間が切り離された様だ。
風景すら消えていく。真っ暗な場所で座ってお互いを見つめあう。
数分なのか数秒なのか──二人はやがて雑踏の中に戻ってくる。
ノアは全てを理解したのか深い溜め息をついた。
「マリンはザックの事を軍学校に入る前から知っていたんだな……と言うか、この事をザックに直接聞いた事はなかったな」
ノアは軽く笑って肩を上げた。
ノアはマリンにザックと何時知り合いになったのか尋ねた事がある
だが答えはいつも同じだった。
ザックと何時知り合ったかって? ザックの話は裏町の噂で聞いた事はあったけれども、顔を知ったのは軍学校に入って『ジルの店』を手伝う様になってからよ──
だがそうではなかった。
ザックのピアスの事を知っていたとなると、マリンはザックが軍学校に入る前から──裏町時代から知っている事になる。
この事をザックに尋ねなかったのは無意識からくるものだったのかもしれない。
どうしてザックに尋ねなかったのか? と、問われると──今なら答えられる。
ザックの口から告げられる事実に向かい合うのが怖かったのだ。
マリンが何故、ザックが昔からの知り合いである事を隠したいのか。
だって二人は──
ノアは特に驚いている様子はない。むしろスッキリしたという様子だ。
その様子をザックは無表情で見つめていた。それから閉じた口の端に力を入れると、思い切った様に口を開いた。
「ノア。マリンと俺の事だが──」
思った以上に低い声だった。
「知っていたさ。だから何も言わなくていい」
ノアはとても清々しい様子で笑った。
それは、何の飾りもない本物の王子の笑顔だった。
ザックはその笑顔を見て、少し視線を下に落とすと全て諦めた様に溜め息をついた。
ノアが事実を知っても受け入れている。
ノアは最高に素晴らしく、いい奴だと悟った瞬間だった。
そして、いつものはっきりとした口調で声を上げた。
「そうか」
それ以上語らないザックの様子に、ノアは軽く笑った。
「『そうか』って、ザックらしいな。でも、それでいいさ。過去は誰にでもある。そして、お前はその事実に触れないでいようとしていた事も。それがお前の優しさだって事も」
「……」
「何だよ。だんまりになるなよ」
ノアは本当に全てを振り切ったのか何のわだかまりもない様だ。
少し前まで、ナツミに出会ったあの日ですら、ノアはザックにけしかける様に話をする感じだった。無理矢理にでもザックを従えようとしていた感じだったのに。
「何だか変わったな。ノア」
ザックはノアの変わり様に目を丸くしてしまう。
「ザックのくせに偉そうに言うなぁ。まぁ、別荘でナツミに活を入れられたというかさ」
ノアは笑いながらザックの肩を叩いた。
「ザックのくせにって……何だよ俺の方が年が上なのに。ナツミに活を入れられたって?」
そんな事あったか? とザックが首を傾げる。
ノアとナツミの別荘での接点なんて泳ぎの練習ぐらいで。唯一あったのは酔っ払ってノアに絡んだぐらいだが。それは衝撃的な発言だったが。あれが響いたのか?
そういえば。
朝早くからウッドデッキで話をしていた事を思い出す。
するとノアは思い出した様に肩を揺らして笑っていた。
「ナツミに『ザックは良い奴だけど裏切られたらどうするんだ』って聞いたんだよ。だって、お前なんて最低の塊が歩いている様なもんだろ? 女には不誠実だしいい加減だし。仕事は出来るけれどもさ、俺にも嘘をついていたし」
「お~ま~え~俺のナツミに何て事を聞くんだ。それに、俺はノアに嘘はついてないだろ」
「あ、そうか。ザックは特に話さなかっただけで、嘘はついてないな」
カラカラとノアは笑い飛ばす。ザックは一つだけ否定したがそれ以外については何も言わなかった。
ひとしきり笑うとノアはビールを一口飲んでザックに向き合った。
「そしたらナツミはさ──」
意地悪な質問をしたあげく、最後にザックが裏切ったらどうするかと尋ねたら、ナツミは『きっと傷つく』と答えた。
そして、傷つくと分かっていても、ザックを信じると言いきった。
「私は貫くしか出来ない──この思いも一本道しかないよ」
ナツミの言った言葉をノアが繰り返した。
ザックにはノアの言葉がナツミの声に変わって聞こえた。
大きくて黒い瞳が真っすぐにノアを見つめて、はっきりと答えたのだろう。
そう言ってから、ナツミの笑った姿が目に浮かぶ。
キツイ言葉を投げかけた女にも真正面から立ち向かうナツミ。
辛い道を選んでいく。自分だって傷つかないはずがないのに。
ザックはそんなナツミが愛おしくて胸が締めつけられる。
「嘘はつかないさ。だって俺はナツミと生きていきたいからさ」
ザックは横に座っていたノアを真っすぐ見つめた。
ザックの少し垂れた瞳が意志を持って輝いた。ナツミの胸に輝くネックレスの宝石と同じだった。
「そうか。お前がいるならきっと大丈夫だろう。だけどさ、俺は直進馬鹿がポッキリ折れないか心配だよ」
ノアが溜め息交じりに呟いた。まるで妹を気にする兄の様だ。実際ノアは一番末っ子で妹などいないのだが。
「直進馬鹿って、ナツミの事か? 酷い言い方をする」
余りの言い様にザックが少し怒るが、あながち間違いではない様な気もする。
馬鹿は言い過ぎだが、それぐらいナツミの振り切り方は普通ではない。
「マリンとナツミの距離が近すぎるからさ」
ノアはザックの顔を見ながら溜め息をついた。その様子にザックも「あー」と声を上げた。
マリンは恋人のノアに秘密にしようとしている過去がある。それはナツミにも隠しておきたい事なのに。
ナツミに心を許す事であけすけになってきている。
現にザックと昔からの知り合いだった事を魔法石の事を通じてマリン自身がポロリとナツミに漏らしているのだ。
今のナツミにはその事実がどれほどの意味があるのか分かっていない。
マリンが隠したい過去の為に、嘘をつけなくなる日は近い。
その時マリンは、ノアとナツミにどんな顔をするつもりなのだろう。
「ポッキリか……でも、ナツミって最初からあんなに強かったのかな」
ザックはふと思った事を口にする。
「言われてみればそうだなぁ」
ノアがザックの顔を振り返ると明るかったフロアの照明が暗くなってきた。
鈴の音が聞こえる。
マリンの踊りがはじまる様だ。辺りのざわめきが静かになりはじめる。
ナツミはトニのやり取りを見ていただけで何もしなかったザックに怒りもしない。
それどころか介入する事、庇う事は逆効果だと言った。
先程はこう言っていた。
良い事ないんだよね。庇われるだけってさ。
それは何処かで経験した事があるとからとも聞こえる。
「裏付けされている強さの様で……」
そこまでザックは言いかけたが辺りが静かになりはじめたので言葉を飲み込んでしまった。
そもそも、あれほど人を引きつけるナツミが元の世界で人気がなかったとは考えにくい。
ネロの分析だとファルの町に自らの意志で来たのじゃないかとの事だ。
それにナツミは──
……私も、辛くて嫌な事があって。後悔して……自分を変えたい、変わりたいって思ったよ
それはどんな事だったのか。
家族や仲間と離れてまでファルの町に来たかったのは何故なのだ?
それに、ナツミを抱くたびに思う。
本当は恋人がいたのじゃないのか──?
ザックはナツミの男の影が気になりはじめていた。
ナツミの様に真っすぐな女は一人の男しか愛さない。
だから余計に引っかかる。その男は一体どんな男だったのだろうと。
そして、ナツミほどの女を手放す事があるのだろうか。
数多くの女と共に過ごしてきて一度も女達の過去について気になった事はなかったのに。
だが、それを聞いてどうしたいのだろう。
数多くの女との関係があったザックに責める様な資格なんてないのに。
ザックはナツミを手放す事は出来ない、引き返せなくなっていた。
ザックとノアはそれ以上の会話を止めてマリンの踊りに集中した。
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