【R18】ライフセーバー異世界へ

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厨房の密談 ~皆を変えたのはあいつ~

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「じゃぁ、後でな。先にシャワーでも浴びてゆっくりしてろ」
「うん。ごめんね」
「気にするな。ほとんど俺のせいなんだし」
 ザックは私を時間泊の部屋まで送ると、ポンと頭に手を置いて髪の毛を撫でた。
 それから身を翻して酒場の方に戻って行った。

 後片付けや明日の準備が残っているが私の分も作業しておいてくれるそうだ。明日の下準備の食料を倉庫に取りに行ったまま部屋に戻るなんて。ザックは、ダンさんに何と言い訳するのだろう。

 私は部屋に入り、後ろ手に鍵を閉める。それから壁沿いのランプを灯す。電気の光量と変わりがない十分な明るさだ。部屋は朝から特に変わりはない。部屋はザックのつけるベルガモットの香りが仄かにする。ザックの体臭と混ざる前の爽やかな香りだった。

 私は隣のシャワーの部屋に入りノロノロと服を脱ぎコックを捻る。頭上からは最初冷たい水が降り注ぐが、次期に温かいお湯に変わった。私は頭からお湯を被りながら、先程の残汁を洗い流して行く。

 私は体を滑り落ちていくお湯にホッとしながら、横の籠に脱ぎ捨てた下着などを見つめて溜め息をついた。
「下着とハーフパンツは手洗いして、部屋に干しとこ……」
 こんな体液だらけの下着を洗濯に出そうものなら白い目で見られそう……
 そうではなくても、この『ジルの店』はラブホテルの様なもので男女の一夜を共にした情交が色濃く残るシーツなどを洗う事になるのに。私物がこれでは何とも。

 そういえば下着って皆どうしているのだろう。私だけなのかなこんなに自分の体液で濡れて、コホン。踊り子の皆は男性と一夜を共にする事だってあるだろうし。
 そこで私はマリンとミラの顔がよぎった。特にマリンの笑顔が浮かんだ時何故か隣にザックの姿が浮かんで慌てて頭を振る。


 聞こうと思ったけれど、そんな時間が作れなくて結局聞けなかったな。
 これは明日以降の持ち越しだなぁ。先ずはザックに聞くべきかな。それともマリン? いやいや、やはりザックだよね。
 しかしちゃんと答えてもらえるかな。もしそうだったとして理由があったとして私はそれを受け止められるかな。
 だけれどザックを信じているのだからきっと大丈夫。うん。大丈夫……

「はっ」

 いけない! 立ったまま眠るとか、相当疲れているのだろうか。
 身体中に泡をつけて私は洗い流すと、頭を適当に拭いて白い大きなシャツを着た。
 そのままベッドにうつ伏せになる。

 頭を拭かないと、乾かさないと。
 そう思うのに私の両腕はちっとも上に上がらない。それどころか瞼が下がってくる。
 
 嵐の様な一日だった事もあり、私はそのまま眠りに落ちてしまった。



「ザック大丈夫だったか? ナツミの調子はどうなんだ」
 厨房に戻るとほぼ明日の料理の下準備を終えたダンが出迎えてくれた。調理器具や食器類を片づけていた。
「え? あー」
 ザックは首を傾げながらあやふやな返事をする。ザック自身も『ナツミが疲れた様だから』と、言い訳を考えていたからその答えを先に言われて少しドキッとする。

 ザックがダンから視線を逸らすと、ダンの傍らに無表情のノアが立っていた。ノアはザックを見つけると視線を逸らした。ノアには開口一番文句を言われると思ったザックはその態度に違和感を覚え眉を片方だけ上げた。

 何故ならば先程ナツミを抱いていた現場に、しかも昇り詰める瞬間に、ノアは立ち会ってしまったのだから。

「ノアから聞いたんだ。ナツミが調子が悪いから先に休みたいって。何ならネロを呼んでナツミの体調を見てもらうか? あいつリンと時間泊の部屋に行ったはずだから」
 ダンが時間泊に通じる通路を顎でしゃくった。「ノアから聞いた」というひと言でザックは全てを理解した。ノアがナツミの調子が悪いから部屋に戻ったとザックが考えていた言い訳を先に話してくれていたのだろう。

「ああ。大丈夫だ。ナツミは少し疲れただけみたいだ」
 ダンに向かってザックは手を振った。
「そうか。それならいいが。明日はノアもザックもナツミ達も全員昼から出て来てくれたら良いからゆっくり休めよ。今日は時間泊の部屋も全部埋まったからな追加客が来ても受け付けできん」
 ダンが黒光りする頭を撫でて最後の調理器具を元の位置に置いた。
「ああ」
「分かったよ」
 ノアとザックがそれぞれ返事をする。
 ノアは相変わらずザックと視線を合わせなかった。ザックはノアの様子に首を傾げてしまった。

 それから、ダンはワインボトルを片手ずつ二本、両手で四本持って厨房を出て行こうとする。
「もしかして、レオ大隊長とカイ大隊長がジルと一緒に飲んでるのか? へぇ、そのワインは珍しいヤツだろ? 何か特別な事があった時ぐらいしか開けないヤツ」
 ザックはそのワインを見ながら軽く笑った。確か、最近何処かで見た様な気がすると思い起こす。そのワインはウツの店で危うく媚薬入りとして飲まされるところだったワインと同じだ。確か珍しいと言っていたな。

「そうさ。今日はジルとカイの関係を公にした記念日だからな。レオと一緒にたっぷり冷やかしてくるさ」
 笑いながらダンはワインボトルを四本軽々と持ち上げた。
「記念日って大げさな」
 ザックは灯りを最小限に落とした厨房で肩を揺らして笑った。
「そうでもないぞ。言いたくても言い出せなかった微妙な二人だからな。ナツミには感謝しかないだろう。まぁ、ナツミの勘違いからの、不貞行為という話は傑作だがな」
 ダンも肩を揺らして笑う。
 厨房からは騒動の内容は後から知った様だが、他の料理人と大笑いをしていたそうだ。

 ダンが発した「ナツミ」という言葉に、ノアがピクリと肩を揺らした。
 ザックに対してノアは視線を逸らした後ずっと背を向けたままだ。

 何だこの態度は、怒っているのか? 
 だとしたら、この後怒り狂って責められるかもしれない。

「お前達もこれで仕事は終わりだ。シンは先に終えて部屋に戻ったから気にするな」
 ダンがザックとノアの二人に、手を挙げて厨房を去った。

 薄暗い厨房でノアはザックに背を向けたままだった。
 ザックは、ダンが小さくした灯りをつけるべきかどうか悩む。ノアの顔が見えないのだ。
 
「なぁ、ノア。さっきお前よな?」
 ザックはノアの背中にゆっくりと問いかける。もったいぶったって結局はこの事にたどり着くのだ。自分の方から尋ねた方が早いと判断してザックは尋ねた。

 さて、第一声で罵倒されるか? そう身構えた。

「ああ。それでダンに尋ねられたが──ごまかしておいた」
 ノアの第一声は顔を少しだけ動かした。意外にもその声には、怒りが含まれていない。

 今までの経験上、ああいった現場に遭遇する事はお互い何度かあった。特段ノアは「ああ、またか」といった様子で無反応だし、それが仕事中ならなおさら文句だけ言って去って行くのに今回はそうではなかった。

 ザックは首を傾げながら中々振り向いてくれないノアが気になった。
「悪かったなぁ。だけど、ごまかしてくれるなんて珍しい。仕事中だったからお前は文句を言うと思ったのに」
 ゆっくりとザックはノアに近づく。
「そうか? ま、まぁお互い様だろ?」
 ノアの声は上ずって震えている。
 変だぞ。いつものノアなら、もっとイライラした様子で怒鳴り散らすだろう?
「へぇ。お前でもマリンと仕事中でも盛り上がる事があるんだ。俺もさ、ナツミと盛り上がってしまってさぁ」
「ナ、ナツミと盛り上がる」
 何故か動揺したノアの声が聞こえた。その瞬間ザックはノアの真後ろに立ち、肩を掴んで強引に振り向かせた。

「なぁ、何でこっちを向かないんだ。文句なら、聞く……」
 ザックはノアの顔を見て言葉を失った。何故ならノアは白い頬を真っ赤にして口元を押さえている。まるで少年が照れている様な顔だった。

 怒りで顔が紅潮しているのであればまだ分かるがこれは意外すぎる。

「ヒッ! な、何だその顔! 気持ち悪いな!」
 ザックは驚いて強引に振り向かせたノアから飛び退く。真っ白な頬を染めている姿が、まるで初めてキスを奪われた女の様な顔をしていたので、ザックは気持ちが悪くて青ざめる。

「こっ、これは! お前らに驚いただけだ。それに、ザック何だあれは」
 ノアは益々顔を赤くして両手で自分の頬を押さえる。どうも先程から声が上ずっていたのもこの顔のせいだろう。

「何だあれはって──セックスだろ」
 ザックはノアの気が動転している事が分からず首を傾げた。セックスという言葉にノアは再び慌て出す。
「そうじゃなくて。と、とにかく、お前があんなに早く果てるとか──マジか?」
「うるさいな。ナツミはなぁ、他の女と違うんだ」
 ザックはノアの言葉にカチンときてノアのシャツを掴んだ。
「違うって、ナツミは他と違うのか?」
 ノアは気が動転しているのか、ザックにシャツの胸元を締め上げられているのに目を丸くして尋ねてきた。
「ああ実は──って、何でノアに事細かく説明する必要があるんだ」
「そ、そうだな。すまない」
 何だかワケの分からない会話をする自分達に我に返り、二人は溜め息をついてようやく落ち着いた。



 ノアは顔の赤みを引かせて溜め息をもう一度ついていた。
「はぁ。とにかく、ナツミが潰れない様にお前気をつけろよ。今日もゴミ捨てから中々帰ってこないと思ったら、フラついていたし。ザックもしかして毎晩毎晩抱き潰しているんじゃないだろうな」
 落ち着きを取り戻したノアは頭をガシガシかいてザックに説教をはじめた。

 何故かナツミを庇う様な態度にザックはカチンときた。

「なぁ、ノア。泳ぎを練習していた時から思っていたんだが。お前ナツミに気があったりしないよな?」

 イヤな予感が前からしていたのだとザックは続ける。

 そもそも、ノアの態度がどうもナツミだけ違うのが気になる。
 いい加減はっきりしておきたい。

 薄暗い厨房でザックがポツリと尋ねる。

「はぁ?」
 ノアは眉を片方だけ上げて何を言っているのだ? と続ける。
 その態度は心底「馬鹿じゃないのか」とでも言いたそうでザックが逆に面食らう。

「ノア、気がついていないのか? ナツミだけ態度が違うんだぞ」
「そうか? それは最初ナツミを間諜と間違えていた時の名残だろう。あんなに締め上げてしまったんだ。今更、作ったツラをする必要ないと思ってな。ザックとシンに対する態度と同じだろう」
「それじゃぁ仲間的な意識なのか?」
「仲間的か。いや、軍人仲間程ではないなぁ。言われてみれば、確かにナツミの前だとこう気取らなくていいと言うか。ほら、あいつ常識が通じないから普通に対応しても意味ないと思って」
 だんだん酷い言い草になるノアにザックは目を丸めてしまう。
「じゃぁ、マリンの様に恋愛対象ではないんだな」
「ナツミに恋愛対象だって? 笑わせるなよ、当たり前だマリンと同じ様な感情だったら、俺は今この時ザックに喧嘩を売るところだろ」
「まぁ、言われてみればそうだな……」
 恋愛感情はないという割りには何故動揺するのだ。ザックはノアの言う事がチグハグしている様な気がする。
「それなら、俺とナツミがやっていたら何でそんなに動揺するんだ。俺はさ。こんな事言うのはおかしいが、ノアとマリンがやっている最中にばったり出くわしても気にならないぜ。覗きはしないがな」
「俺だってザックが誰と何をしていても気にならないんだが。ああ、そうだ。ネロが誰かと寝ているのを偶然見てしまったのと同じ様な?」
「はぁ?」
 ザックが今度は声をひっくり返した。いきなり登場したネロに目を丸める。
 角度の違う事を言われてザックは混乱する。
「だから──こう親兄弟のベッドシーンは見たくないだろ。気恥ずかしいと言うか。俺も年だからセックスに対して気持ちが悪いとかまでは感じないが。何だかあんな感じに近い」
 ノアは身振り手振りで話す。
「はぁ」
「ナツミの、ああいう姿はちょっと見たくなかった様な。だから、複雑って言うか……」
 そう言ってフッと笑いながら瞳を伏せるノアだった。
「それならばノアにとってナツミの位置付けって家族的な何かなのか? 例えば妹とか」
「家族か……妹か。そんな感じかもしれないな」
 これでは益々分からない。ザックは頭を抱える。何故ならば──
「お前さぁ、妹なんていた事がない末っ子なのに?」
「言われてみればそうだなぁ。じゃぁ、妹って感じじゃないのか。弟ってワケでも。いや、何だかんだ言ってもナツミは女性だって理解しているし弟はないなぁ」
「何言ってるんだノア」
「ああ、そうだ! ナツミがほら、別荘で酔っ払った事があっただろう? その時に、言っていた言葉が生前母が言っていた事と同じで──」



 ナツミが別荘でココに大量のリキュールを入れて、発した言葉をノアは思い出した。

 ”らって、ノアは色々苦労しているみたいらから、そういう人がなるのも、いいかな? なーんてね。とにかく、りょーしゅは痛みがわかりゅ人がいいなぁ……”

 それは、記憶にも遠くなったノアの母親が言っていた事と同じだった。

 ──ノア、領主争いなんて重要ではないの。重要なのは、人の痛みや優しさが分かる人になる事よ──

 遠く忘れた母の記憶が蘇ったのだ。



 そこまで言ってノアは顔を再び赤くした。二の句が継げなくなってしまう。
 何だかとても恥ずかしい事を口走ってしまった事に気がついたからだ。

「ノア。お前は、自分の母親をナツミに重ねているのか?」
 ザックはノアの発言に驚いてしまう。

 言われてみれば、ノアよりも年下なのに考え方はずっと先を見すえた落ち着いた考え方をしているナツミだ。ノアと比べたら全てにおいてずっと大人だ。だが母親として見るなんてあるのか?

 ノアは先程と同じ様に顔を赤くした。ザックの言葉は図星だった様だ。
「そ、そんなワケないだろう! とにかく、俺はナツミを恋愛対象として見ているんじゃないからな。とにかくザックはもっとナツミの体を大切にしろよ。俺はそれが言いたかったんだっ! じゃぁな」
 そうノアは真っ赤な顔で吐き捨てると、ザックの肩をバシッとたたいて厨房から去って行った。

 厨房に一人取り残されたザックは口を半開きにしてしまう。

 俺の女に「大切にしろよ」とか言う様な人間ではなかっただろう? ノア。

 お前を変えたのはナツミなのだな。そうか、やはり別荘の一件がそうなのか。

 だけれど、俺とお前だけではないさ。
 トニだってジルとカイ大隊長だって皆そうだ。
 ナツミが巻き込んでどんどん姿を変えて行く。


 これは、ノアをライバルとして警戒した方がいいのか。
 それとも、ノアはナツミを家族の様な視線で見ているから安心していた方がいいのか。

「──いや」
 これは、警戒した方がいい。
 このままナツミへの感情が母親に対して得られなかったものだけを求めているのならともかく、その感情がいつ恋愛感情に変わるかもしれない。

 俺がナツミに注ぐ愛情はこれからも変わりない。
 もしナツミがノアを選ぶと言うならそれは仕方がないかもしれないが。
 それでも俺はナツミには変わりなく愛情を注ぐだろう。それがどんなに困難な事でも。

 マリン──
 ヤバいぜ、ノアは変わろうとしているぞ。そして、マリンも変わらないといけない時が来たのじゃないか?

 ザックは心の中で呟いた。
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