【R18】さよならシルバー

成子

文字の大きさ
14 / 95

009 7月23日 夜、塾の帰り

しおりを挟む
 相変わらず歩道や車道に大きな水溜まりを作っていた。その水溜まりをよけながらバス停までのろのろ私は歩く。

 一人ではなく、何故か七緖くんと一緒に。

 七緖くんは車道側を歩く。背も高くその分足も長いが七緖くんはゆっくりと歩く。猫背で左のポケットに手を突っ込んだままゆっくりと歩く。真っ直ぐ前を向いているが金色に近い前髪は長くて、視線が何処にあるか分からない。

 私はチラチラと七緖くんを観察する為に見上げてみるが、油断すると水溜まりにはまりそうだ。だから下を見たり上を見たりの行ったり来たりを繰り返していた。

 時間は二十時過ぎ。夏でもさすがにあたりは暗くなっていた。

 何で私は七緖くんと一緒の塾に無料体験をしていたのだろう。私はハイレベルな授業についていけずうなだれるばかりだ。

「あの塾あんまり良うなかったね」
 七緖くんがぽつりと私に話しかける。

 七緖くんも無料体験で塾に来ていたのだ。結局私は明日以降も通う事を断念し、早々に女性講師にお断りを入れた──何故か七緖くんもお断りをしていた。

「私はそれ以前だよ。全然分からなかった」
 良いも悪いも判断出来ない。だって授業についていけないし、講師が強弱をつけてやたら身振りや手振りが大きく説明をしてくれるが、全く頭に入ってこない。

 確か数学の授業だった様に思う。そのぐらい理解出来なかった。

 私は七緖くんの頭の出来が違うから理解出来ないレベルは全然違うと思う。なのに七緖くんは、頷いた。

「うん。僕も頭に入ってこんかった。身振り手振りが気になりすぎるだけやったなぁ」
「そ、そうなんだ」
 私は頬を引きつらせ七緖くんを見上げる。

(だから! 七緒くんのレベルと私のレベルは全く違うし。って言うかこの会話は何?)

 七緖くんとは先日バスで助けてもらった時に初めて会話をしただけだ。なのに何故私は七緖くんと並んで歩いてこんな意味不明な会話をしているのだろう。

(そもそも七緖くんは私が同じ学校だって知っているのかな。制服を着ているから同じ学校なのは分かるか)

 私達の学校は普通科、英数科、スポーツ科と各科があるけれども制服は皆同じだ。男女共に紺のブレザー、白いシャツ。男子は濃いグレーのズボンに女子は濃いグレーのプリーツスカート。各科の識別として、ネクタイの色が違う。普通科は赤。英数科は紺とえんじ色のストライプ。スポーツ科は明るいブルーと、何科なのか分かる様になっている。

「無料体験出来て良かったなぁ。無料の期間は五日間やけど、残りの四日も通う必要ないな。早う辞めて正解や」
 のんびりと話を続ける七緖くん。

「そう……だね」
 私は別の意味で通う必要がないと感じて大きな溜め息をついた。

「あの授業肌が合わん感じやん? 個別指導してから考えて欲しいって言われてもやね。やっぱり伯父さんに頼もうかなぁ」
 何故伯父さんがそこに登場するのかは不明だが、七緖くんの満足する塾とはどんな塾だろうか? 進学校の人達が結構な人数、塾で学んでいたと思う。

 それに皆、七緖くんをチラチラ見ていた。背が高く金髪に近い緩くウェーブのかかった髪を見れば七緖くんその人だと理解したのだろう。

「あの金の電信柱みたいなの確か模試一番だったよな」とか話し声が聞こえた。

(七緖くんが金の電信柱って。確かにそうだけれど少しおかしいかも)

 ついでに私の事を知っている人もいた。

「電信柱の隣、確か陸上のさ。ほら、無表情の女王だろあいつ」という声がちらほら。

(あだ名を短くしないで。通称、シルバーメダルコレクター、無表情で無冠の女王! だから)

 んん! そんな事より。
 
「どうしよう」
 私は七緖くんの言っているレベルとは別次元で考えなくてはならない。

 塾を紹介してくれた紗理奈に一言言うのは後でいいとして。新たに塾を探し直さないと。今から間に合うかな。いっそのこと家庭教師とか?

 私は歩きながら海よりも深い溜め息をついた。

「深刻そうやね。ん~……あ。ほれやったら巽さんもひろしに、伯父さんに一緒に教わる?」
 バス停の側まで来たら七緖くんが足を止める。途中途中で何か考え事をしているからなのか。リズムが良いと言うよりものろのろ話をする。

 私は名字を呼ばれた事に驚いてしまう。

「わっ、私の事を、名前を知っているの? 七緖くん」
「うん? ほらぁ知っとうけど」
「どうして?」
「どうしてって……言われてもなぁ。今、学校で一番有名やし。えっと、バレーボール部の格好ええ才川くんと揉めとって陸上部も辞めたって」
「うっよくご存じで」
 ですよね。噂のままだ。

 そう言われると何も言い返せない。私は七緖くんの顔を見上げて口をへの字に曲げた。

「足……少し良うなったみたいやね?」
「あっ。そうなの。うん」
 七緖くんは黒いサポーターが取れた右膝を見つめている様でゆっくりと尋ねてきた。

「バスでよう一緒になるから気にはなってたけど。松葉杖ついとったりして、大変そうやったし」
「そうだね。松葉杖は大変だったよ」
「ほれでも、ちょっとだけでも良うなったなら、良かったなぁ」
 ゆったりと話す七緖くんに私は少しだけ肩の力が抜ける。
「……うん」
 七緖くんの声が予想以上に優しくて少し微笑んでしまった。

 そんな私の顔を見ているのだろうか。長い前髪の間から琥珀色の瞳が見える。その瞳がすっと細くなった。七緖くんは猫背のまま少し首をかしげる。長い首が横に曲がったので私もつられて首をかしげる。

「そういえば、巽さんこそ何で僕の名前を知っとん?」
「それは。だって、バスが一緒だし?」
「バス一緒でも僕の名前は普通分からんやん」
「え? 七緖くんだって学校で有名だし」
 成績トップを走り続け、更に夜な夜な歓楽街を派手な女性を連れて歩いていると言う。後者の噂は今話している様子からはとても思えないけれども。

「……ほうやったっけ? 僕、有名やったっけ?」
 はて? と七緖くんは口をへの字にして空を見上げる。

 私と怜央並みに噂話が飛び交っている七緖くんだと言うのにその自覚は本人にはないのだろうか。

 それよりも何? この脱力した会話。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

叱られた冷淡御曹司は甘々御曹司へと成長する

花里 美佐
恋愛
冷淡財閥御曹司VS失業中の華道家 結婚に興味のない財閥御曹司は見合いを断り続けてきた。ある日、祖母の師匠である華道家の孫娘を紹介された。面と向かって彼の失礼な態度を指摘した彼女に興味を抱いた彼は、自分の財閥で花を活ける仕事を紹介する。 愛を知った財閥御曹司は彼女のために冷淡さをかなぐり捨て、甘く変貌していく。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

27歳女子が婚活してみたけど何か質問ある?

藍沢咲良
恋愛
一色唯(Ishiki Yui )、最近ちょっと苛々しがちの27歳。 結婚適齢期だなんて言葉、誰が作った?彼氏がいなきゃ寂しい女確定なの? もう、みんな、うるさい! 私は私。好きに生きさせてよね。 この世のしがらみというものは、20代後半女子であっても放っておいてはくれないものだ。 彼氏なんていなくても。結婚なんてしてなくても。楽しければいいじゃない。仕事が楽しくて趣味も充実してればそれで私の人生は満足だった。 私の人生に彩りをくれる、その人。 その人に、私はどうやら巡り合わないといけないらしい。 ⭐︎素敵な表紙は仲良しの漫画家さんに描いて頂きました。著作権保護の為、無断転載はご遠慮ください。 ⭐︎この作品はエブリスタでも投稿しています。

鬼隊長は元お隣女子には敵わない~猪はひよこを愛でる~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「ひなちゃん。 俺と結婚、しよ?」 兄の結婚式で昔、お隣に住んでいた憧れのお兄ちゃん・猪狩に再会した雛乃。 昔話をしているうちに結婚を迫られ、冗談だと思ったものの。 それから猪狩の猛追撃が!? 相変わらず格好いい猪狩に次第に惹かれていく雛乃。 でも、彼のとある事情で結婚には踏み切れない。 そんな折り、雛乃の勤めている銀行で事件が……。 愛川雛乃 あいかわひなの 26 ごく普通の地方銀行員 某着せ替え人形のような見た目で可愛い おかげで女性からは恨みを買いがちなのが悩み 真面目で努力家なのに、 なぜかよくない噂を立てられる苦労人 × 岡藤猪狩 おかふじいかり 36 警察官でSIT所属のエリート 泣く子も黙る突入部隊の鬼隊長 でも、雛乃には……?

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

隣人はクールな同期でした。

氷萌
恋愛
それなりに有名な出版会社に入社して早6年。 30歳を前にして 未婚で恋人もいないけれど。 マンションの隣に住む同期の男と 酒を酌み交わす日々。 心許すアイツとは ”同期以上、恋人未満―――” 1度は愛した元カレと再会し心を搔き乱され 恋敵の幼馴染には刃を向けられる。 広報部所属 ●七星 セツナ●-Setuna Nanase-(29歳) 編集部所属 副編集長 ●煌月 ジン●-Jin Kouduki-(29歳) 本当に好きな人は…誰? 己の気持ちに向き合う最後の恋。 “ただの恋愛物語”ってだけじゃない 命と、人との 向き合うという事。 現実に、なさそうな だけどちょっとあり得るかもしれない 複雑に絡み合う人間模様を描いた 等身大のラブストーリー。

処理中です...