【R18】さよならシルバー

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032 7月31日 私を見て

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 カチカチと部屋に置いてある時計の音が響く。ケーキにコーティングされているチョコレートに水滴がつき始めている。それを見つめながら私は小さく溜め息をついた。

(私、紗理奈からも言われたけど壁がなさ過ぎ。隙と言うか油断し過ぎなのかも。そのせいでパンツ丸出しとか。七緖くんそんなもの見てさ。更に私、そのアレを触ってしまうし。嫌だったよね)

 七緖くんがさっきから私を見てくれないのも、前髪で瞳を隠したままなのも、嫌だからという気持ちの表れなのかもしれない。

 そう感じると胸の辺りがきつく締め付けられて声を出すのも辛くなる。 

(そんなの嫌だ。嫌われたくない)

 そう感じた自分に軽く驚くが、意を決して七緖くんに声をかけようと横を向いた時だった。

 七緖くんがそっぽを向いたまま、聞き心地の良い声で呟いた。
「巽さん。今日はもう帰り」

「え?」
 私は思わず聞き返してしまう。

 なのに七緖くんはちっとも私の方を見ようとしない。それは拒絶されている様に感じた。

(何でそんな事言うの)

 確かに大事故だったけれども、そんなに拒否しなくったっていいのに。だから私の上げた声にはかなり不満が含まれているものになった。

「ほやってこんなんあった後に勉強って言われても。気分悪いやろ。ほやから今日は帰り?」
 ゆっくりといつもの口調で話すけれども、とても冷たく突き放す様な感じがした。だから私は思わず尋ねた。

「きっ、気分が悪いって。わっ、私が気持ち悪いって事?」
 私は出来るだけ冷静に尋ねたつもりだった。でも声が震えてしまった。

「え?」
 私の回答が意外だったのか七緖くんが思わず振り向いて頭の上から声を上げた。

「私が触れてしまったから七緖くんの気分が悪いの?」
「えっ? 何でほないな解釈になるん」
「だってさっきから七緖くん私の顔も見てくれないし、髪の毛も下ろして視線も合わせてくれないし」
「! ほれは──」
 七緖くんは私の質問に固まって口を開けたままになった。

「そりゃぁ私に触られるなんて嫌だろうし、私のパンツなんて見たいと思わなかっただろうけれども。そんな気分が悪くなるほどだったなんて」
 私はショックで泣き出しそうだった。ぐっと最後まで呟いたら思わず歯を食いしばる。

(こんな事で泣くって私どうなってるの。最近、七緖くんの前で情緒不安定過ぎだよね)

 肩を小さく震わせる私を見つめながら、七緖くんが身体を回転させて私の方を向いた。
 私のうなだれた後頭部に向かって、七緖くんのあきれた声が聞こえた。
 
「……ほれは普通、逆とちゃうの?」
「え、逆って何?」
 私は顔を上げると、七緖くんの顔が間近に迫っていた。

 長い前髪の奥、隙間から二重の瞳が見えた。私はその瞳をじっと見つめながら七緖くんの言葉を待つ。

「ほやから巽さんが気分悪いと思うて」
「何で?」
「何でって。ほやって彼氏でもない男の勃……んん! 状態のアレに間接的にでも触れてしもうたんやし」
 七緖くんは勃起と言いそうになり一度ゴクンと息を飲み込む。それから慌ててアレとぼかして言い直す。

 私は触れてしまった手を改めて見つめながら首を傾げた。

(確かに太くて大きなバナナの、生暖かい版みたいな。いやバナナとは違うし結構しっかりしていた様な)
 感触を思い出し頬を染めてしまう。恥ずかしいが別に気持ちが悪いとは思わなかった。

「驚いたけど、別に気持ち悪いなんて思わなかったよ?」
「ほ、ほうなん?」
「うん」
「ほれなら、まぁ。うん……」
 良かったね──とは言い辛いのか七緖くんの語尾に続く言葉は消えていった。

 そこから数秒間の無言が続いた。再びカチカチと時計の音が部屋に響く。
 
(七緖くん別に私の事が気分悪くなった訳じゃなかったんだ。良かった)
 私は安堵の溜め息をついて七緖くんの顔を真っ直ぐ見つめた。

 突然真っ直ぐに見つめられた七緖くんは驚いて声を上げた。まるで七緖くんの方が怖々しているみたいだ。

(それは私が気持ち悪いって思っていたらどうしようって七緖くんも感じてくれたから?)

 私は七緖くんの前で勢いよく頭を下げる。
「何?」
 七緖くんは語尾を強くして、上体を反らせた。
「ごめんなさい!」
 私は頭を下げたまま大きな声で謝った。
「えっ?」
 七緖くんは声をひっくり返していた。突然謝った私に驚いている。
「私が七緖くんに不用意に近づいたから、こんなにも七緖くんに嫌な思いをさせてしまって」
「あ……」
 七緖くんが小さく呟いたのが頭の上で聞こえた。

 私は意を決して顔を上げて七緖くんにズイッと近づいた。
「私は気持ち悪いとか嫌だったなんて思っていないよ。本当に嫌な思いをしたのは七緖くんだと思うし」
「え? ほんな事ないよ。むしろ博に変な釘と言うか勘ぐりと言うか、あないな事まで言われて巽さんが気分悪いやろうと思って」
「博さんのは言った事は別に気にならないよ。少しはびっくりしたけど。私は気分なんて悪くない。それよりもこの事で七緖くんが私を嫌いになって、髪の毛を垂らしてずっと視線を合わせてくれなくなるのが辛いし嫌だよ」
「──」
 七緖くんが小さく息をのんだのが聞こえた。

「だから、ごめんなさい」
 もう一度頭を下げてから顔を上げると、やはり固まったままの七緖くんがいた。

 それから七緖くんは脱力した様にフニャフニャと頭を垂れ背中を丸めた。大きな身体があっという間に私の視線の下になる。

「もう……あかん。全然かなわん。巽さんには」
「えっ?」
 聞き返すと七緖くんがゆっくりと顔を上げながら、おでこの髪の毛をかき上げて琥珀色の瞳をすっと細めた。黄色と金色の混じった瞳が優しく輝く。

 目尻がとても赤くなっていて、耳も博さんと話した時と同じ様に赤くなっていた。それからゆっくりと微笑んで聞き心地の良い声で答えてくれた。

「うん。僕もな……かんにんな。えっと、ごめんやで?」

 私はその七緖くんの笑顔にほっとして強く頷いた。
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