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036 8月1日 朝 待ち伏せ
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土曜の早朝。学生は夏休み期間中でもある。近くの公園ではラジオ体操の音が聞こえる。
(昔は怜央と一緒に通ったなぁ。懐かしい。こうやって一つ一つ思い出になっていくのかな)
楽しい事も辛い事も一つ一つ積み重なって大きな思い出になっていく。私は久しぶりのランニングを楽しみながらそんな事を考えていた。
(軽く流すだけなのに楽しい。こんな気分で走るのは何年振りだろう)
右膝を故障してからランニングやウォーキングといった事は出来なかった。お医者さんからも解禁が出た事だし、久しぶりに走ってみようと思った。
早朝でも服を着替えて外に出るだけで汗ばんでしまう。ゆっくりと歩き出し、途中で軽いランニングを混ぜる。久しぶりだから体は重いけれども、何だか新しい自分になった様な気がした。滲む汗も清々しい。
昨日の七緖くんの上に倒れ込んでしまう事故は、顔から火が出そうな程恥ずかしい。だけど、その後色々話した事で仲良くなれたと思う。
だから土日の喫茶「銀河」でのアルバイトは間に勉強をするという事実が待っていても、頑張ろうと思うし何より七緖くんに会うのが楽しみだ。
(今日は暑い一日になりそう。アルバイトと勉強頑張るぞ!)
私は家の前で、一人小さくジャンプをした。
その浮かれた様な姿を、同じ様に早起きをした怜央に見られていた。
◇◆◇
軽いランニングの後シャワーを浴び朝食を食べる。身支度をしてから家を出ると、怜央が私の家の前で待っていた。
バレーボール部の赤いジャージズボンと黒のTシャツ。大きなスポーツバッグを肩にかけ、私の家の前で壁に背を持たれて待っていた。
「よう。今日は久しぶりに走っていたな」
黒い前髪は前より少し伸びていた。髪の毛を切りに行く暇もないほど練習に明け暮れているのだろう。首の後ろの襟足も伸びていた。怜央は前髪をかき上げると優しく笑っていた。
「怜央。おはよう。見てたんだ」
妙に浮かれていた姿を見られたのかと思うと気恥ずかしい。私はアルバイト用の制服が入った鞄を担ぎ直しながら、入り口の背の低いフェンスを閉める。
「一週間ぐらいか? 久し振りだな。隣同士に住んでいるのになかなか時間が合わねぇのな」
怜央がまぶしそうに私を見つめる。
最後に会ったのは、7月入ってすぐの補習を受けた教室だった。
(怜央と会った後、七緖くんの前で泣きながら洗いざらい話したんだっけ。冷静に考えると鼻水を垂らしながらひどい顔だったわね)
ずいぶんと前の様な気もする。私はその事が今となっては笑える程になっていた。私は肩を小さく上げて怜央に笑いかけた。
「そうだね」
心が少しだけ軽くなったから自然と微笑む事が出来た。
その私の小さな変化を怜央は感じ取ったのか一重の切れ長の瞳を少しだけ丸めた。怜央の珍しい顔だった。
別れ話をする前から私達二人は部活で多忙だった。二人でいる時間はわずかだったのに、私は萌々香ちゃんや怜央の言葉の意味ばかり考えて心が冷えていくばかりだった。
(もっと二人の時間を大切にすれば良かったのかな)
どんなに悔やんでも時間は取り戻せない。そんな事を考えながら私は怜央に話しかけた。
「怜央は部活漬けで夜も遅いみたいだしね。調子は大丈夫?」
久しぶりに気遣った言葉をかけたと思う。怜央は気が抜けた様に笑って鼻の下を人差し指で擦った。
「体のつくりだけは頑丈だからな。調子は良いよ」
「そう。なら良かった」
怜央の顔を見ながら言葉を探すが、それ以上何か話すには少し時間が足りない様な気がする。言葉が続かず私はどうして良いか分からなくなった。
「……」
怜央も珍しく同じなのかポケットに手を突っ込んだまま無言になった。
数秒間お互いの顔を見つめ合ってから、怜央が観念した様に溜め息をついた。
「明日香。歩きながらで良いから少し話さないか?」
怜央がぽつりと話す。
怜央と最後に話した教室での会話を思い出す。別れたい理由をはっきりと言えない私はこんな疑問符を怜央に投げつけたのだ。
『どうしてなのかは、怜央に心当たりない?』
(怜央はその話の続きをするつもりなのかな)
「うん。そうだね」
私はゆっくりと怜央の側へ歩み寄った。怜央なりに緊張していたのか小さく溜め息をついて、私の肩にかけた鞄に手を伸ばした。
「重そうだな。持つよ」
がっしりとした手が伸びてくる。その手を見つめながら私は思わず自分の身を引いた。手を伸ばせば届く距離が少しだけ開いた。
「明日香?」
怜央が不思議そうに首をかしげる。だけど私は肩掛け鞄のベルトを両手で握りしめると口の端を上げて微笑んだ。
「大丈夫よ。自分の荷物は自分で持つから」
私の笑う顔を見て怜央が行き場を失った手を自分の後頭部に回す。
「……分かった。行こうぜ」
何だか自分のリズムが取れなくて困っている怜央だった。戸惑っている様に見える。
でも──
(これでいいの。私は萌々香ちゃんじゃないから。自分で荷物ぐらい持てるの)
今まで出来なかった拒否がすんなり出来て、自分を少しだけ褒めた。
(昔は怜央と一緒に通ったなぁ。懐かしい。こうやって一つ一つ思い出になっていくのかな)
楽しい事も辛い事も一つ一つ積み重なって大きな思い出になっていく。私は久しぶりのランニングを楽しみながらそんな事を考えていた。
(軽く流すだけなのに楽しい。こんな気分で走るのは何年振りだろう)
右膝を故障してからランニングやウォーキングといった事は出来なかった。お医者さんからも解禁が出た事だし、久しぶりに走ってみようと思った。
早朝でも服を着替えて外に出るだけで汗ばんでしまう。ゆっくりと歩き出し、途中で軽いランニングを混ぜる。久しぶりだから体は重いけれども、何だか新しい自分になった様な気がした。滲む汗も清々しい。
昨日の七緖くんの上に倒れ込んでしまう事故は、顔から火が出そうな程恥ずかしい。だけど、その後色々話した事で仲良くなれたと思う。
だから土日の喫茶「銀河」でのアルバイトは間に勉強をするという事実が待っていても、頑張ろうと思うし何より七緖くんに会うのが楽しみだ。
(今日は暑い一日になりそう。アルバイトと勉強頑張るぞ!)
私は家の前で、一人小さくジャンプをした。
その浮かれた様な姿を、同じ様に早起きをした怜央に見られていた。
◇◆◇
軽いランニングの後シャワーを浴び朝食を食べる。身支度をしてから家を出ると、怜央が私の家の前で待っていた。
バレーボール部の赤いジャージズボンと黒のTシャツ。大きなスポーツバッグを肩にかけ、私の家の前で壁に背を持たれて待っていた。
「よう。今日は久しぶりに走っていたな」
黒い前髪は前より少し伸びていた。髪の毛を切りに行く暇もないほど練習に明け暮れているのだろう。首の後ろの襟足も伸びていた。怜央は前髪をかき上げると優しく笑っていた。
「怜央。おはよう。見てたんだ」
妙に浮かれていた姿を見られたのかと思うと気恥ずかしい。私はアルバイト用の制服が入った鞄を担ぎ直しながら、入り口の背の低いフェンスを閉める。
「一週間ぐらいか? 久し振りだな。隣同士に住んでいるのになかなか時間が合わねぇのな」
怜央がまぶしそうに私を見つめる。
最後に会ったのは、7月入ってすぐの補習を受けた教室だった。
(怜央と会った後、七緖くんの前で泣きながら洗いざらい話したんだっけ。冷静に考えると鼻水を垂らしながらひどい顔だったわね)
ずいぶんと前の様な気もする。私はその事が今となっては笑える程になっていた。私は肩を小さく上げて怜央に笑いかけた。
「そうだね」
心が少しだけ軽くなったから自然と微笑む事が出来た。
その私の小さな変化を怜央は感じ取ったのか一重の切れ長の瞳を少しだけ丸めた。怜央の珍しい顔だった。
別れ話をする前から私達二人は部活で多忙だった。二人でいる時間はわずかだったのに、私は萌々香ちゃんや怜央の言葉の意味ばかり考えて心が冷えていくばかりだった。
(もっと二人の時間を大切にすれば良かったのかな)
どんなに悔やんでも時間は取り戻せない。そんな事を考えながら私は怜央に話しかけた。
「怜央は部活漬けで夜も遅いみたいだしね。調子は大丈夫?」
久しぶりに気遣った言葉をかけたと思う。怜央は気が抜けた様に笑って鼻の下を人差し指で擦った。
「体のつくりだけは頑丈だからな。調子は良いよ」
「そう。なら良かった」
怜央の顔を見ながら言葉を探すが、それ以上何か話すには少し時間が足りない様な気がする。言葉が続かず私はどうして良いか分からなくなった。
「……」
怜央も珍しく同じなのかポケットに手を突っ込んだまま無言になった。
数秒間お互いの顔を見つめ合ってから、怜央が観念した様に溜め息をついた。
「明日香。歩きながらで良いから少し話さないか?」
怜央がぽつりと話す。
怜央と最後に話した教室での会話を思い出す。別れたい理由をはっきりと言えない私はこんな疑問符を怜央に投げつけたのだ。
『どうしてなのかは、怜央に心当たりない?』
(怜央はその話の続きをするつもりなのかな)
「うん。そうだね」
私はゆっくりと怜央の側へ歩み寄った。怜央なりに緊張していたのか小さく溜め息をついて、私の肩にかけた鞄に手を伸ばした。
「重そうだな。持つよ」
がっしりとした手が伸びてくる。その手を見つめながら私は思わず自分の身を引いた。手を伸ばせば届く距離が少しだけ開いた。
「明日香?」
怜央が不思議そうに首をかしげる。だけど私は肩掛け鞄のベルトを両手で握りしめると口の端を上げて微笑んだ。
「大丈夫よ。自分の荷物は自分で持つから」
私の笑う顔を見て怜央が行き場を失った手を自分の後頭部に回す。
「……分かった。行こうぜ」
何だか自分のリズムが取れなくて困っている怜央だった。戸惑っている様に見える。
でも──
(これでいいの。私は萌々香ちゃんじゃないから。自分で荷物ぐらい持てるの)
今まで出来なかった拒否がすんなり出来て、自分を少しだけ褒めた。
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