天使の住む街、知りませんか?

河津田 眞紀

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普通の街 Ⅴ

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 その横穴は、人ひとり通るのがやっとの大きさでした。
 真っ暗闇の中、たった一つのランタンだけが頼りです。

 クロルを先頭に、ポックル、リリア、キリクの順番で、三人と一匹はくっつきながらゆっくりと進んで行きます。


「キリク。この穴って、誰がなんのために造ったものなのか知ってる?」


 クロルの声が、狭い通路に響きます。
 キリクは首を横に振り、答えます。


「それがわからないんだ。森の中には似たような穴がいくつかあるみたいなんだけど……母ちゃんに聞いても『知らない。とにかく危ないから近寄るな』ってさ。アナグマか何かが掘ったものなのかな?」


 クロルは「そう」と短く返してから、壁面に目を向けます。
 土の削れ方からして、これは動物が掘ったものではなく、人が意図的に造ったもののように見えました。しかし、みんなを不安にさせないためにも、そのことは口にしないでおきました。


「それにしても……ポックル、あんな高さから落ちても怪我一つしていないなんてスゴイね。さっすが猫!」


 リリアにそう言われ、ポックルは得意げに顎を上げます。


「ふふん、まぁニャ。猫に怖いものニャどニャいのだ」


 それを聞いたクロルが振り返り、意味ありげな視線をポックルに送りますが……


「…………言うニャよ」


 と、ポックルに睨み返されたので、彼が怖がって泣いていたことは伏せておくことにしました。



 暗くて深いこの穴の中から、果たして抜け出すことができるのか。
 考え出すと足が止まってしまいそうなので、三人と一匹はなるべくおしゃべりをしながら進みました。

 その中でリリアが、キリクにこう尋ねました。


「ねぇ。この街の暮らしって、どんなかんじ?」
「どうって、普通だよ。良く言えば平和、悪く言えば退屈かな。学校や仕事に行って、家に帰って、ご飯を食べて寝る。その繰り返しさ。その分、有翼人には住み心地が良いと思うけどね。ここでは羽があることの方が当たり前だから、それによって傷つけられたり、差別を受けることもない。他所からの移住者も時々いるよ」


 キリクの答えに、リリアは「そっか」と言って、考え込むように俯きました。
 その様子を、クロルが横目で見つめていると……


「……見ろ。アレ」


 ポックルが前を見ながら、声を上げました。
 三人もそちらに目を向けます。


「道が……二手に分かれている」


 キリクが呟きます。
 彼らの目の前で、道が左右に分岐しているのです。


「どっちに進めばいいの……?」


 戸惑うリリアの声を聞きながら、クロルは人差し指を舐め、かざします。左の方の穴から、微かに風が吹いているのが感じられました。

 と、そこでポックルがクロルの肩にぴょんと飛び乗り、


「……右の方からは、妙ニャがするぞ」

 
 クロルにしか聞こえないように、耳元で言いました。
 クロルには何のにおいも感じられませんが、その情報を自分にだけ伝えてきたことの意味を、クロルは考えます。

 恐らくポックルが感じたのは、何か危険なもののにおいなのでしょう。
 リリアたちを連れて行くと怖がらせる可能性があるため、クロルにだけ知らせたのです。

 クロルは落ち着いた声で、リリアたちに言います。


「……左から風を感じる。けど、右の道に出口がある可能性もある。僕とポックルで少し様子を見てくるから、リリアとキリクはここで待っていて」
「えっ?! ってことは僕ら、この真っ暗闇の中で待っていなくちゃいけないの?!」
「君たちが二百をかぞえる内に戻ってくるから。何かあったら、大声で呼んで」


 不安そうに「でも……」と言いかけるキリクの背中を、リリアがぽんと叩き、


「わかった。二百かぞえ終わってもクロルが戻って来なかったら、大声で呼ぶね」


 そう言って、明るい笑顔をクロルに向けました。
 それに、クロルも微笑み返します。


「うん。念のため、道が続いていそうか見てくるだけだから。少しだけ、待っていてね」


 素直に頷くリリアと、今にも泣き出しそうなキリクを残し、クロルとポックルは、右側の穴の先へと歩き始めました。





「――リリアは、よっぽどお前を信頼しているんだニャ」


 リリアとキリクの数をかぞえる声が遠ざかった頃、ポックルがぼそっと言いました。
 クロルは肩をすくめ、答えます。


「そうだね。申し訳ないと思っているよ、こんな嘘つきなのに」
「フン、思ってもいニャいことを」
「思っているよ。僕は本当に最低なやつだ、って」
「……それより、そろそろお前も感じニャいか?」


 ポックルが、低い声でそう言います。
 それだけで、クロルにはその意味がわかりました。


「うん、感じるね――古くなった薬品のにおいだ」


 答えながら顔を上げると、その先の景色が少し変わりました。
 もぐらの穴のような道の途中に、レンガを積み上げた壁があるのです。
 まるで通せんぼするようなその壁は、長い年月が経過したのか、端が崩れていました。


「……においは、この先からするね」
「行ってみるか?」
「うん。たぶん、出口ではないと思うけれど」


 クロルは崩れた壁をくぐり、先へと進みました。

 すると、すぐに広い空間へ出ました。
 学校の教室と同じくらいの広さでしょうか。土を削って作られた、四角い部屋です。

 クロルがランタンをかざして見回すと、壁面には棚がずらりと並び、古い瓶がいくつも置かれていました。
 瓶の中には透明な液体が封じられ、動物のものらしき皮や毛、牙などが浮いています。

 中には割れている瓶もあります。薬品のにおいはそこから発せられているようでした。
 さらに、地面にはクロルやポックルの知らない生き物の剥製がいたるところに転がっていました。


ニャんだ、ここ……気味が悪いニャ」


 ポックルが、声を震わせます。
 しかし、クロルは、


「やっぱり……この場所が、そうなんだ」


 と、納得したように呟きました。
 ポックルは驚いて聞き返します。


「お前……ここを知っているのか?」
「……知ってるよ。この場所のことも、この街の過去も……君やリリアが生まれた経緯も、すべて」
「おれやリリアが生まれた、経緯……?」
「……ねぇ、ポックル。今から十二年前、この街がなんて呼ばれていたか、知ってる?」


 クロルが、振り返らないまま尋ねます。
 その背中がやけに暗く感じて、ポックルは緊張を高めます。


「……知らニャい。知るわけニャいだろ?」
「そうだよね。きっとステュアートさんも、詳しくは語らなかったはずだから」


 ステュアートさんというのは、数十年前、"猫の街"に喋る猫・サンズ――ポックルのご先祖さまを連れて来た人の名です。

 思いがけない言葉に、ポックルが言葉を失っていると……クロルがゆっくりと振り返ります。
 そして――その瞳に、悲しみと諦めを浮かべて、



「……この街はね、元々――"研究者の街"って呼ばれていたんだ。君やリリアのルーツは、ここにある。そして、この僕も…………」



 ……と、言いかけたところで。


「クロルーっ! ポックルーっ!!」


 穴の向こうから、リリアとキリクの呼ぶ声が聞こえてきました。どうやら二百秒をかぞえ終わったようです。


「……いけない、少し喋り過ぎちゃったね。戻ろう。出口は反対側にあるはずだ」
「クロル」

 リリアたちの元へ戻ろうと歩き始めるクロルを、ポックルが後ろから呼び止めます。


「お前は、ニャにを知っていて……どこを目指している?」


 その問いに、クロルは……困ったように笑って、


「……さぁ、どこだろうね。それがわかっていたら、こんな風にはなっていないよ」


 そう返すと、再び背を向け、歩き出しました。





「――ただいま。ごめんね、待たせちゃって」

 
 リリアとキリクの元に戻ると、二人のほっとした顔がランタンに照らされました。


「もーっ、心配したよ!」
「ごめん、リリア。結局、あっちは行き止まりだったよ。けど、比較的新しい足跡があるのを見つけたんだ。きっと外へ通じる道があって、人が出入りしているに違いない。左の道を進めば、外に出られるかも」

 
 クロルの報告に、リリアとキリクは明るい表情を浮かべました。
 嘘ではない、しかし全てを語っているわけでもないその言葉に、ポックルは何も言いませんでした。


 気を取り直し、三人と一匹は左側の道を歩き出しました。
 進むに連れて道幅も天井も徐々に広く、高くなってゆきます。空気の流れも感じられました。

 この先に、きっと出口がある。
 誰もがそう信じて、歩を進めました。



 そうして、十分ほど歩いた頃――
 突然、道が途切れました。

 三人と一匹が行き着いたのは、天井の高い円柱状の空間……つまり、落ちた時の穴の底と同じような場所だったのです。
 しかし、頭上を何かで塞がれているのか、太陽の光はまったく届きません。どこかへ通じる扉や、地表へ上がれそうなロープも見当たりませんでした。


「うそ……結局、行き止まりなの?」
「クロル……どうしよう……」


 リリアも不安げな声で、縋るように言います。
 クロルはランタンを掲げながら、暗い天井部分をゆっくりと観察しました。
 そして、その灯りを一度消しました。突然視界が真っ暗になり、キリクたちは「ひゃっ!」と声を上げます。


「何?! まさか、ランタンが壊れちゃったの?!」


 キリクがいよいよパニックを起こしかけますが、クロルは「上を見て」とだけ返します。
 キリクもリリアもポックルも、言われるがままに頭上を見上げると……


「……あ!」


 真っ暗な天井の一部に、丸い光の筋が差しているのが見えました。
 まるで、太陽と月が重なる日食のような光です。


「たぶん、ここへの出入り口だ。時間的にはもう日が暮れているから、恐らくあれは人工の光……向こうに呼びかければ誰かがいて、気付いてくれるかもしれない」


 クロルのその言葉を聞くなり、キリクとリリア、それにポックルまでもが「おーい!」と大声で叫び始めました。
 
 すると、光を遮っていた丸い蓋がギィッと開いて、


「――えぇっ?! 坊やたち、ここで何しているの?!」


 白衣を着た女性が顔を出し、驚いたようにこちらを見下ろしました。


 
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