天使の住む街、知りませんか?

河津田 眞紀

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嘘のない街 Ⅳ

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「……っ……うっ……」
「あーもう、そんなに泣くなって。ほれ、着いたぞ。自分で歩けるか?」


 帽子の人は困ったように言って、僕をそっと下ろした。

 顔上げると、目の前にクレイダーがあった。屋根裏部屋からいつも見ていた、あの列車。白く塗装されたボディに大きな窓。プレートには『九十九号』と書かれている。

 帽子の人は慣れた足取りで列車に入っていく。
 それを、僕がぼうっと見つめていると、


「……何してんだ? お前も乗るんだよ」
「え?」
「わかるだろ? お前はこの街にいられない。これに乗って、よそに行くんだよ」


 ……僕は、この街にいられない。
 頭でわかっていたことを、あらためてはっきりと言われて、僕の胸がズキンと痛んだ。


「あー、だから泣くなって。ほら、乗るぞ!」


 帽子の人は頭をガリガリ掻いてから、僕の腕を掴んで引き寄せた。
 すると、その拍子に、羽織っていた母さんのコートが駅のホームに落ちた。


「あ……!」


 僕は拾おうと手を伸ばす。
 しかし、帽子の人がぐいっと反対の手を引いて、


「……置いて行け」


 と、低い声で言う。


「それはもう、お前を守ってはくれない。これからは、自分の身は自分で守るんだ……わかったな」


 ……そうか。
 もう、母さんに守ってもらえないんだ。

 僕は伸ばした手を静かに下ろし、帽子の人に連れられて、クレイダーに乗り込んだ。





「――そこに座ってろ」


 ぶっきらぼうに言われて、僕は車内を見回した。

 後ろの車両は客室、前の車両は運転席と運転手の住まいになっているみたいだった。
 左側の窓には誰もいない駅のホームが、そして、右側の窓には輝く水面みなもが見えた。すべての街の中心、クレイダーの線路にぐるりと囲まれた、巨大な湖だ。


「うわぁ……」


 初めて見たけれど、想像よりもずっと大きかった。太陽の光が鏡のように反射している。あまりの美しさに、僕は言葉を失った。

 その時、帽子の人が運転席に座り、ボタンを一つ押した。直後、背後からぷしゅーっという音がし、僕はびくっと驚く。どうやら二両目のドアが閉まったらしい。
 それから帽子の人は、目の前にあるレバーをゆっくりと引く。それに合わせるように、列車がガタンと揺れた。

 車輪が線路の上をゴロリと転がる感覚。
 クレイダーが発車したようだ。


 心の準備をする暇もなく、僕は慌てて二両目に戻り、窓にへばり付いた。

 駅のホームに置いてきた母さんのコートが見える。
 けれどそれは、街の景色と一緒にどんどん後ろへ流れていき……あっという間に見えなくなってしまった。


 ……さようなら、母さん。
 今までごめんなさい。
 僕のせいで、嘘つきにさせてごめんなさい。

 僕は、いなくなるから。
 これからは、どうか正直に……幸せに生きてね。


 言えなかった言葉を心の中で唱えているうちに、いつの間にかまた涙を流していた。


「…………おい」


 すると、帽子の人が後ろから声をかけてきた。
 僕はまた怒られそうな気がして、涙を拭って振り返る。
 だけどその人は、予想よりもずっと穏やかな声で、


「……腹減ってないか? 飯、あるぞ」


 帽子を取りながら、そう言うので……
 僕はゆっくりと、そちらに向き直った。





「――名乗るのが遅れたが、俺はリヒトだ。お前はクロル、だな」


 一両目のテーブルで、帽子の人――リヒトさんが、コーヒーを飲みながら言った。

 僕は冷蔵庫から出してもらったサンドイッチを頬張りながら頷く。リヒトさんの手作りなのか、ハムとチーズが雑に挟まっているけれど、すごく美味しかった。


「なんでお前を連れ出したのか、きちんと説明をしようと思うが……お前もこうなることがわかっていたから、家から逃げ出したんだろ? まったく、眠っている間に連れ出す予定だったのに。カトレアはいつもツメが甘いんだ」


 額を押さえ、ため息をつくリヒトさん。やはり母さんとは知り合いみたいだ。


「いちおう話しておくと、お前の母ちゃんは訳あってあの家に住めなくなった。引っ越しなんてしたら隠していたお前の存在がバレちまうから、古い馴染みである俺に引き取るよう依頼してきたってわけだ。ここまでは、なんとなくわかっていたよな?」


 そう聞かれて、僕は頷く。
 リヒトさんが続ける。


「カトレアがお前を連れてあの街に逃げ込んだ時、まだ嘘は違法ではなかったんだが……今は変わっちまった。だからあいつは、街の連中にばれないようお前を隠し、労働が可能な十歳になったら外の世界に出すと決めていた。その前に引越しを迫られて、かなり焦っていたみたいだがな」


 リヒトさんの言葉に、僕は耳を疑う。

 母さんが、あの街に逃げ込んだ?
 僕も母さんも、あの街で生まれたわけじゃなかったのか?
 母さんは、どこで僕を産んで……どうしてあの街に来たのだろう?
 
 戸惑う僕の顔を見て、リヒトさんがぎょっとする。


「お前、まさか……カトレアから何も聞かされていないのか? お前が生まれた経緯も、あの街に住むことになった理由も……」


 僕は頷く。リヒトさんは、呆れたように息を吐いて、


「はぁ……じゃあ、最初から全部話してやるよ。カトレアのこと。そして……お前が生まれた時のことを」


 コーヒーカップをテーブルに置き、静かに語り始めた。


 
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