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嘘のない街 Ⅵ
しおりを挟む――それから僕は、リヒトさんと様々な街を廻った。
最初に訪れたのは"物語の街"だった。
小説や絵本が好きな人たちの街で、住んでいる誰もが作者であり、読者だった。
だから、天使や悪魔が登場する昔の神話をみんな知っていて、黒い羽を持つ僕を見るなり「本物の悪魔だ!」と騒ぎになった。
ただでさえ母さん以外の人と関わらずに生きてきたのに、大勢の人に注目され、「悪魔だ」と指をさされ、僕は極度の緊張と恐怖に襲われた。
けれど、僕を取り囲む人々に、リヒトさんが言ってくれた。
「悪魔なわけないだろ。よく見ろ。ただの人間の子どもだ」
僕は、悪魔じゃなくて人間。
そう言って守ってくれたことが、本当に嬉しかった。
リヒトさんは、僕の羽のことを一度も特別扱いしなかった。
腕とか足とか、当たり前にある体の一部と同じだと思っていたんだと思う。
だから、人目を気にせず僕を連れ回し、パスの再発行から買い物の仕方、飲食店での注文の仕方、図書館の利用方法など、様々なことを実際に見せながら教えてくれた。
だけどやっぱり、どの街へ行ってもこの黒い羽が視線を集めてしまう。
不気味な悪魔だと、暴言を浴びせられてしまう。
それが辛くて、客室のベッドで毎晩こっそり泣いていた。
そのことに気づいていたのか、リヒトさんはある日、大人用の大きなリュックを買ってきてくれた。
そして、背中の部分を大きく切り取り、「ほらよ」と渡してくれた。
意味がわからず首を傾げていると、「こうするんだよ」と無理やり背負わされた。
切り取った穴から、僕の羽をリュックの中に収めたのだ。
「見てみろ」
洗面所にある鏡の前に立たされ、僕は自分の姿を見る。
羽がリュックの中にすっかり隠れ、横から見ても分からない。
まるで、羽のない普通の子どもだった。
「ありがとう……ありがとう、リヒトさん!」
僕は泣きそうになりながら、リヒトさんにお礼を言った。
けれどリヒトさんは、じっと僕の目を見ながら言った。
「いいか、クロル。こうして羽を隠せば、傷つくことは減るかもしれない。けど、これは『本当の自分』を隠した姿だ。もし、お前と真剣に向き合ってくれる人が現れたら……お前が本当に向き合いたいと思える人に出会えたら、そのリュックは捨てろ。でないと、お前は一生"嘘つき"のままだ」
リヒトさんのその言葉は、僕の胸の奥に、深く深く刻み込まれた。
――リュックで羽を隠すようになってからは、訪れる街の人々の反応が大きく変わった。
住む街を探す『普通の子ども』の僕に、みんなとても親切になった。
街中を普通に歩けるようになったので、僕は本屋でガイドブックを買った。
母さんに買ってもらったのと同じ、すべての街が紹介されているあの本だ。
家にいた頃は自分の街の地図ばかり見ていたけれど、これからは訪れる街のことをちゃんと調べたいと思った。
やっぱり地図を見るのは楽しい。
地図を見ながら実際に歩いてみると、もっと楽しい。
リュックをもらって、堂々と街を歩けるようになって、あの屋根裏部屋の中で抱いていた『外を歩きたい』という願いが、やっと叶った気がした。
だけど……
この喜びが、羽を隠しているからこそ得られたものだと思うと、この黒い羽も、本当の自分も、どんどん嫌いになっていった。
そうして、リヒトさんと過ごす日々は、あっという間に過ぎていった。
* * * *
「――明日で、お別れだな」
午後九時。
停車中の列車の、いつものテーブルで、リヒトさんが言った。
明日到着する駅で、リヒトさんは降りるのだ。
「お前はどうする? 俺と一緒に降りてもいいし、このまま列車に残って、お前に相応しい街を探してもいい。お前の自由だ」
リヒトさんの問いかけに、僕は沈黙する。
しかし、実はもう答えは決まっていた。
「リヒトさんと離れるのは……独りになるのは、怖いです。だけど……」
ぐっと拳を握り締め、僕はリヒトさんを見つめる。
「僕、行ってみたい街がいくつかあるんです。"お菓子の街"とか、"ゲームの街"とか……そういう楽しそうな街で暮らせたらいいなって、今は思っていて」
そう思えるようになったのは、リヒトさんのおかげだった。
リヒトさんが僕を一人の人間として認めて、いろんなことを教えてくれたから、僕も自分らしく生きてみたいと考えられるようになった。
「リヒトさんが大好きな動物の研究をして生きているように、僕も好きなことを見つけて、自分の人生を楽しみたいんです。このリュックも、明日からは外します。リヒトさん……今までありがとうございました」
僕はしっかりとお礼を伝えて、頭を下げた。
リヒトさんは少し照れくさそうに頭を掻く。
「そうか……うん、俺もそれがいいと思うぞ。そこで、一つ提案なんだが」
言いながら、頭から運転手の印であるキャスケット帽を取り、僕に差し出して、
「しばらく列車に乗るなら、このまま運転手にならねぇか? そうすれば収入も得られるし、住む場所にも困らねぇぞ」
クレイダーは基本的に自動運転だから、運転手がいなくても動くらしい。
けれど、列車の車体管理や生活用水の交換などは人の力が必要なので、一定期間乗る予定のある乗客がそのまま運転手として働くことができるそうだ。
僕が、運転手になる……
それは、とても魅力的な提案だった。
「……はい。そうします」
僕が答えると、リヒトさんはいたずらっぽく笑って、キャスケット帽を僕の頭に乗せた。
そして、頬杖をついて僕を眺めながら、
「いいじゃん、俺より似合ってるぜ。……頑張れよ、クロル」
そう言って、優しく笑った。
――翌日。
到着したその駅は……街と呼べるのかわからない場所だった。
クレイダーの駅のホームは、どこも簡素なベンチや屋根があるけれど、そこはホームすらなく、降りてすぐに土の地面と鬱蒼とした木々が広がっていた。まるで、森の中に迷い込んだようだ。
その光景にぽかんとしていると、先に列車を降りたリヒトさんが振り返る。
「すげぇだろ。ここは街と言うより"保護区"なんだ」
「保護区?」
「ああ。数が減ってしまった動植物を集めて、保護したり飼育したり、研究したりする場所だ。"研究者の街"がなくなった後、俺はずっとここに住んでいる」
そう。ここは、リヒトさんが暮らす場所。
十歳になった僕を引き取るためだけに、リヒトさんはクレイダーの運転手になってくれた。そして、二年かけてこの地に戻って来たのだ。
リヒトさんが「ほら」と言いながら、空を指さす。
すると、見たこともないくらいに大きくて綺麗な鳥が飛んでいくのが見えた。
僕は思わず「わぁ……」と声を漏らした。隣でリヒトさんも眩しそうにそれを見上げていた。
「な? すごい場所だろ?」
「はい。あんな綺麗な鳥、初めて見ました」
「俺とここに残れば、ああいうのが毎日見られるが……本当に行くんだな?」
リヒトさんが、静かに言う。
僕の気持ちを試しているのもあるけれど、それ以上に心配してくれているようだった。
僕は笑みを返しながら、こう答える。
「……はい。もう決めたことなので。迷いはありません」
「お、言うようになったじゃねぇか。なら、ちゃんと"自分の街"を見つけろよ? 二年後、『やっぱり無理でした~』って泣きついてきても、受け入れてやんねーからな?」
リヒトさんは子どもみたいに笑って、僕の頭をくしゃりと撫でた。
――その後、僕とリヒトさんは列車の中の荷物を片付けた。
通信機器でセントラルに連絡を取り、リヒトさんが予定通りこの街で降りること、僕が運転手を引き継ぐことを告げた。次の街のセントラル出張所で手続きをすれば、僕も正式に運転手になれるようだ。
二人での最後の夕食は、リヒトさんの作るチーズリゾットだった。「これだけは失敗しないんだ」と言ってよく作ってくれた、僕らの定番メニューだった。
僕もリヒトさんも、思い出話はしなかった。
それよりも、僕の生活を心配してリヒトさんがあれこれ教えてくれたり、この保護区にはどんな珍しい動物がいて、どんな研究が楽しみで……という、これからの話をたくさんした。
そうして、僕らの最後の夜は、更けていった。
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