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嘘のない街 Ⅶ
しおりを挟む――次の日の夕方。
まもなく、クレイダーの発車時間だ。
荷物を住居に運び終えたリヒトさんと、運転手の帽子を被った僕が、列車の前で向かい合った。
「リヒトさん。今日まで本当にありがとうございました」
帽子を取りながら、僕は深々と頭を下げる。
リヒトさんは鼻の頭を掻き、申し訳なさそうに言う。
「悪いな。お前のこと、最後まで面倒見れなくて」
「いいえ。僕、あの時リヒトさんに引き取られてよかったです。でないと、外の世界を知らないまま一生あの部屋にいるか、針を飲まされて死んでいたかもしれないですから。それに、生きるのに必要なことは十分教わりました。僕、もう大丈夫です」
僕は精一杯の笑顔を見せる。これ以上、リヒトさんに心配をかけないように。
そんな僕の思いとは裏腹に、リヒトさんは腕組みをして、僕の顔を覗き込む。
「いやー、心配だなぁ。こないだ外に出たばかりの子どもを一人で行かせるなんて」
「もう十歳です。仕事だってできます」
「そういう問題じゃねーよ。はぁ……ま、俺には俺の、お前にはお前の人生があるからな。今さらあれこれ言ったって仕方がない」
リヒトさんは屈んで、僕に目線を合わせる。
「……クロル。お前は賢い。要領も良いし、勘もいい。だからこそ、傷つく前に先回りをして、本心を隠してしまうことがある。……本当の自分を否定するなよ。誰が何と言おうと、お前の生き方を決めるのは他でもない、"お前自身"だからな」
瞳の奥まで見つめられ、僕はまばたきすらできずにそれを聞いた。
「ほら、やるよ。中古で悪いが、餞別だ」
そう言って、リヒトさんは着けていた腕時計を取り、僕に差し出した。文字盤の大きな、大人用の時計だ。
「いいんですか?」
「よく見ろ。もう五時になるぞ」
言われて見れば、時計の針は今にも発車時刻を指しそうだった。
出発時間は絶対だと教わっていた僕は、慌てて列車に乗り込んだ。
ドアの横にある開閉ボタンを押す前にリヒトさんの方を見ると、「早く行け」と急かされた。
僕は、意を決してボタンを押す。
ぷしゅーっと音を立て、僕とリヒトさんを隔てる客室のドアが閉まった。
そのまま僕は、一両目の運転席へと向かう。
そして、首から下げた笛をピィーッと鳴らし、ゆっくりと発進レバーを引こうとする。けれど、
「………………」
不安と、戸惑いと、名残惜しさに胸が締めつけられて、僕は窓の外にいるリヒトさんに目を向けた。
するとリヒトさんが、こちらに向かって叫んだ。
「何やってんだ! お前の列車だろ? お前以外、誰が動かすんだよ!」
その言葉に、喉の奥がぎゅっと詰まるのを感じて……
それを吐き出すように、レバーをガコンと引いた。
列車が、ゆっくりと動き出す。
そのまま、すぐに自動運転に切り替わった。
後ろに流れていくリヒトさんを追って、僕は二両目に駆けた。
ベッドの横の窓に張り付くけれど、リヒトさんが見えたのは一瞬だった。
だけど最後に、その唇が、笑いながらこう動いたのがわかった。
「――上出来だ」
そうして、クレイダーの運転手としての僕の旅が始まった。
* * * *
――リヒトさんと別れた翌日。
僕は"情報の街"と呼ばれる街に到着した。
セントラル出張所で運転手になる手続きをするため、僕は列車を降りる。
けど、リュックは置いてきた。
羽を隠さず、ありのままの自分でがんばりたいと思ったから。
地図を確認すると、出張所は歩いて十分ほどの場所にあるようだった。
時刻はお昼前。メインストリートにはたくさんの人が行き交っている。緊張しながら歩いていると、僕の羽が人々から注目を集めているのに気づいた。
心臓がドキドキと加速する。僕はキャスケット帽を目深にかぶり、視線から逃げるように早歩きをした。
そうして、なんとか出張所にたどり着いた。
リヒトさんから聞いていた通り、"情報の街"は通信技術が発達している。そのため、手続きはすべてコンピューターまかせだ。
職員さんと会わずに済むことにほっとしながら、僕は運転手の登録を終わらせた。
さて、出張所を出たら、今度は列車に戻らなければならない。
先ほどの緊張を思い出すと、また鼓動が速くなる。
でも、ちゃんと乗り越えなきゃ。
注目を浴びることなんて、覚悟していたじゃないか。
大丈夫。これが"僕"なんだ。
ただ堂々と、歩けばいい。
そう自分に言い聞かせて、僕は来た時と同じメインストリートを歩き始めた。
しかし、僕の足はすぐに止まった。
何故なら……僕の行手を阻むように、大勢の人が押し寄せてきたから。
「すみません! ちょっとお話よろしいですか?」
「あなた、有翼人ですよね? どこからいらしたのですか?」
「お名前は? 年齢はおいくつですか? その黒い羽は生まれつき?」
数十人の大人たちが、一斉に質問を投げかけてくる。その手にはマイクやカメラが握られ、僕の声や姿を捉えようとしていた。
僕はすっかり混乱してしまい、思わず後ずさる。
「え……なんですか、急に」
「有翼人ということは、例の"研究者の街"で生まれたのですか?」
「倫理に反した実験がおこなわれていたそうですが、詳しくお伺いしても?」
「有翼人はあの街に残り、新たな生活を送っているはずですよね? 何故、あなたはここに?」
それらの質問に、僕は目を見開く。
心臓が強く跳ね、のどが一気に渇いてゆく。
「ど……どうして、そのことを……?」
「当然でしょう! 何せ、ここは――"情報の街"ですから!」
……そうだ。
ここは、"情報の街"。
高度な知識から根も葉もない噂話まで、あらゆる情報を知りたい・共有したい人が集う街。
だからこそ、通信技術が発達しているし……十年前の遠く離れた街の事件についても、知っているのだ。
言葉を詰まらせる僕に、人々はマイクとカメラを突きつけ、どんどん迫ってくる。
「実験により生まれた人たちには、有翼人の他にどのような人がいましたか?」
「一説には『神に救いを求めるため天使を創ろうとしていた』との噂がありますが、実際にはどうだったのでしょう?」
「どうして羽が黒いのですか? まさか、天使ではなく……悪魔の力をお持ちだとか」
誰かが言ったその言葉に、人々がザワッとどよめく。
僕の足が恐怖で震えだす。呼吸が空回り、うまくできない。
「どうなんですか?! あなたは悪魔なのですか?!」
「"研究者の街"が閉鎖に追いやられたのは、あなたという悪魔を生み出したからなのでは?!」
「なるほど……だから一人でさまよっているのか!」
鼓動が、全身にこだまする。
目を閉じ、耳を塞ぐのに、人々の声は止まらない。
やめて……もうやめて。
それ以上、僕を"悪魔"と呼ばないで。
「おい、カメラを増やせ! 本物の悪魔だ!」
「"研究者の街"閉鎖の謎がついに明らかになったぞ!」
「連れて行け! 悪魔がどんな生き物なのか、徹底的に情報を集めるんだ!」
大きな手が、あちこちから伸びてくる。
僕はもう怖くて、視界がぐるぐる回り出して……
伸ばされた手から逃げるように、駆け出した。
「悪魔が逃げたぞ!」
「追え! 列車の方だ!!」
背後から迫るいくつもの足音。カメラを切るシャッター音。
僕は振り返らず、とにかくがむしゃらに走って、走って、走って……
ひたすらに地面を蹴り、なんとかクレイダーまで戻ってきた。
僕は車両に飛び乗り、客室のドアを閉めた。ロックをかけたドアが「開けろ!」と叩かれる。
手も足も震わせながら、僕は這うように運転席へ向かい、無我夢中でレバーを掴んだ。
そして、定刻より一日早く、クレイダーを発車させた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
床にへたりこむ。
体がガクガクと震えている。
頭もぐわんぐわん揺れている。
――ぱた。
と、何かが床に落ちる音がして。
それが自分の涙だということを認識するまでに、少し時間がかかった。
この時、僕は思い知った。
僕は、普通の人とは違う。
普通の有翼人とも違う。
黒い羽を持つ、悪魔。
いるだけで和を乱し、みんなを不快にさせる存在。
……隠さなきゃ。
普通の人のふりをしなきゃ。
本当の自分なんて、大っ嫌いだ。
だから…………もう、殺すんだ。
それから僕は、リヒトさんにもらったリュックを手放せなくなった。
羽を隠した僕には、誰もが優しくしてくれる。
僕も、怯えることなく人に接することができる。
これでいいじゃないか。
傷つかないために"本当の自分"を殺すことの何が悪いんだ。
どうせ独りなんだ。誰も裏切ってなんかいない。
そう思っていたのに。
そう思っていたかったのに――
――大切にしたいと思える人たちに、出会ってしまった。
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