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旅の終点 Ⅲ
しおりを挟む――翌日。
クロルとリリアとポックルは、クレイダー九十九号の大掃除をしました。
列車の中はもちろん、窓や外側のボディまでピカピカに磨き上げます。
長旅によりくすんでいた白い車体は輝きを取り戻し、景色を反射するまでになりました。
一両目の、クロルの部屋だった場所から僅かな私物を運び終えたところで、時刻はまもなく午後五時。あっという間に出発時間です。
「………………」
クロルは最後に、部屋の中を見回します。
不慣れな料理を覚えた小さなキッチン。
狭いけれど、世界で一番寝心地の良いベッド。
そして、リヒトさんや、リリアやポックルと食事をした丸いテーブル。
そのすべてに数え切れないほどの思い出があって、クロルの胸に、愛しさと名残惜しさが込み上げます。
「…………ありがとう」
この二年間を思い出しながら、小さく呟いた、直後。
「おーい! おーい!!」
列車の外から、元気な声が聞こえてきました。
クロルが降りてみると、キリクが駅へ駆けて来ました。ウドルフや、同じクラスのみんなも一緒です。
「やぁ! 昨日はありがとう! 結局どうすることにしたのかなって、気になって来ちゃった」
「この街に残ることにしたのか?」
キリクとウドルフが、リリアに向かって尋ねます。
「えっと、実は……」
リリアは戸惑いながらクロルの方を見ます。
すると、彼は一度頷いて、
「――僕なんだ」
そう言って、意を決したように、背中のリュックを外しました。
「この街で暮らしたいのは……僕なんだ」
現れた真っ黒な羽を見て、キリクたちは言葉を失います。白色以外の羽を見るのは初めてだったのです。
――やっぱり、ここでも受け入れてもらえないのかな。
キリクたちの反応に、クロルは心が負けそうになります。
しかし、すぐに思い出します。昨日の晩、リリアとポックルからもらった言葉を。
クロルは気弱な自分を振り払うと、キリクたちに向けて、
「――羽の色は違うけれど……僕は、みんなのことが好きだ。どうか、僕を……この街の仲間にしてほしい!!」
そう、叫びました。
それはリリアも聞いたことのないくらいに大きくて、はっきりとした声でした。
みんなは、やはり唖然とした表情をしています。
リリアとポックルは、固唾を飲んでそれを見守ります。
やがて、
「……か」
キリクが、小さく口を開けたかと思うと、
「かっこいーっ!!」
突然、大声を出すので、クロルは驚きました。
キリクは前のめりでクロルの羽を覗き込み、目を輝かせます。
「黒いのなんて初めて見た! いいなぁ、かっこいいなぁーっ!」
「うん……黒い方が強そうでいいな。漫画の主人公みたいだ」
ウドルフも、ワクワクしながらそう言います。
他の子どもたちも口々に羨ましがるので、クロルは目をぱちくりさせながら、
「い、いいの? 僕だけ、みんなと違うのに……」
思わず、そう尋ねました。
すると、キリクが明るく笑って、
「いいに決まってるよ! だって、みんなと違うのって、特別でかっこいいじゃん! この色はクロルだけのものなんだから、自慢に思うべきだよ!!」
そう、真っ直ぐに答えました。
その言葉が、とても嬉しくて……そんな風に言ってもらえるとは思っていなくて、
「はは……あはははは」
緊張が解け、クロルは涙を浮かべながら笑いました。
その様子を、リリアとポックルが微笑みながら見つめます。
「……よかったね、クロル」
リリアが呟いた、ちょうどその時。
――ゴーン……ゴーン……
午後五時を告げる鐘が鳴り始めました。
クレイダーの出発時刻です。
「――クロル!」
リリアに呼ばれ、クロルは振り向きます。
その瞬間、頭のキャスケット帽をリリアに奪われました。
そのまま、リリアはそれを頭に被り、軽やかに列車へ乗り込みます。
クロルは、はっとした表情で見上げました。
「リリア……ひょっとして……」
尋ねるクロルに、リリアは頷いて、
「うん。私――この街では降りない」
凛とした声で、そう答えます。
「……クロルのことは大好きだよ。本当は離れたくない。けど、ここで降りることを決められるほど、私はまだ世界を知らない。自分自身のことを知らない。だから……これから、それを見つけに行きたいの」
青く澄んだ、真っ直ぐな瞳。
迷いのないその眼差しに、クロルは眩しさを感じながら微笑みます。
「僕も、リリアのことが大好きだよ。だから、君には君らしく生きていてほしい。どうかリリアが、好きなことを見つけて、楽しく暮らせますように。本当に……本当にありがとう」
その言葉に、リリアは泣きそうになります。
クロルもつられるように涙を浮かべて、
「こんなことを言って、君を悲しませたらごめん。けど、最後だから言わせてほしい。僕にとって君は、神さまが使わしてくれた天使だったよ。君のおかげで、僕は救われたんだ。僕だけは君を、特別に……"天使"って呼んでもいいかな?」
クロルの言葉に、リリアは驚いた顔をしますが……涙を一筋、頬に流して、
「……私、"天使"って呼ばれる自分が嫌いだった。でも……クロルがそう呼んでくれるなら、その名前も好きになれるよ。ありがとう。"天使"も"リリア"も、クロルがくれた大事な名前……両方愛して、この旅に連れて行くよ」
精一杯の笑顔を浮かべ、そう言いました。
まもなく鐘が鳴り終わります。
ポックルもぴょんと列車に飛び乗りました。
いよいよ出発の時間が迫ります。
「ねぇ、クロル。羽があっても、生きたい街で自由に生きられるってことを、私が証明してあげる! だから……いつか探しに来て。その場所で、自由に生きる私を!」
リリアが叫びます。
クロルは胸に手を当て、大声で答えます。
「いつか僕が、この羽を隠さずにいられるようになったら……嘘をつかずに生きられるくらい強くなったら、探しに行くよ。クレイダーに乗って、君たちが住む街を。絶対に!」
リリアは泣きながら頷きます。
最後に、ポックルが振り返り、
「その頃にはおれも新しい縄張りを手に入れているだろう。お前は特別に歓迎してやるから……早く会いに来いよ」
しっぽを揺らして、そう言いました。
ぷしゅーっと音を立ててドアが閉まり、リリアは一両目の運転席に向かいます。
そして、クロルがいつもやっていたように、運転レバーをゆっくりと引きました。
ガタン、と揺れて、列車が走り出します。
窓の外を見ると、クロルが走って追いかけて来ていました。
リリアも窓に駆け寄ります。
けれど、すぐにホームの端に行きつき、クロルは足を止め……
あっという間に、その姿は見えなくなりました。
さっきまで、あんなに近くにいたのに。
やっと、クロルのことがわかったのに。
もう声を聞くことも、触れることもできません。
けれどこれは、自分で走らせた列車。
自分の終着駅に着くまで、走り続けなければなりません。
リリアは、窓に額を付けながら。
「――待ってるね」
小さく、呟きました。
* * * *
――それから、一ヶ月後。
「――元気でね。ポックル」
ポックルは、自然がそのまま残された"保護区"と呼ばれる場所で降りることを決めました。
別れの時、彼は一度だけ振り返り、
「ふん……いい街が見つからニャかったら、ここに来てもいいぞ。ま、お前ニャら大丈夫だろう。達者でニャ」
そんな短い挨拶を残し、森の中へと去って行きました。
さて、いよいよリリアは一人になってしまいました。
これから訪れる街は、どんなところなのでしょう。
と、クロルのようにガイドブックを開こうとして……リリアは手を止めます。
ガイドブックを見ずに廻ってみるのも、楽しいかもしれない。
そう考え、リリアはそっと本棚に戻しました。
――いつか。
いつか、住む街を決めて、そこでの暮らしに退屈してきた頃……
クロルはきっと、来てくれる。
だから、それまでは、自分の物語を進めよう。
いつかまた、あなたの物語と交わることを信じて。
「――すみませーん。列車に乗りたいのですが」
ふと、列車の外から声がします。
どうやら初めてのお客さんのようです。
「えっと……ええっと……」
どうしよう。
クロルはこんな時、どうしていたっけ。
ああ、そうだ。確か――
リリアはキャスケット帽をキュッと正し、ドアの前に立ちます。
それから、胸を張って、こう言いました。
「ご乗車ありがとうございます。クレイダー九十九号車、運転手のリリアです!」
彼女の列車は、まだ走り出したばかりです。
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