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天使の街 Ⅱ
しおりを挟む――"有翼人"。
争いと破壊の時代が終わり、世界が三百六十五の街に分かれた後、どこかで生まれたといわれる新人類。
遠い昔の時代に信じられていた『天使』にも似た、白い羽を持つ人々。
この少女はまさにその"有翼人"であると、クロルはすぐに思いました。
一方、驚かせるつもりで羽を見せた少女は、クロルのぽかんとした反応に唇を尖らせます。
「もう。もっと『わぁあっ!』って驚くかと思ったのに」
「ご、ごめん。実は……君みたいに背中に羽が生えている人に会ったことがあるんだ。だから、そんなに珍しく感じないんだよ」
クロルの言葉に、少女は目を丸くします。
「……私以外にも、羽が生えている人がいるの?」
「うん。会ったのはもうずっと前だけどね。いろんな街を廻っていれば、君もいつか会えるかもしれないよ」
「そうなんだ……知らなかった。街の外の人はみんな、この羽を見たらどんな反応をするのかなって思っていたけど、案外平気なんだね。えっと……あなたの名前は?」
「クロル、だよ」
「クロル」
少女は、確かめるように言い直します。
真っ直ぐに向けられる空色の瞳に吸い込まれるようで、クロルは思わず目を逸らしました。
「ところで……君は、あの街を離れてしまって大丈夫だったの? たくさんの人が君を引き止めていたみたいだったけれど……」
クロルの問いに、少女は俯き、沈黙しました。どうやら簡単には説明できない事情があるようです。
だからクロルは、
「……えっと、あのさ」
明るい声を心がけながら、つなぎのポケットに手を入れて、
「……お腹、空いてない? りんご、食べる?」
先ほどおまけでもらった一つを取り出して、そう尋ねました。
――少女は言葉を探しながら、ゆっくりと自分のことを語りました。
彼女のいた街は、神さまを信じる人々が集まる街でした。
彼女は背中に羽を持って生まれたことで、人間ではなく神さまの使い――「天使さま」として扱われてきたそうです。
天使さまを崇めれば幸せになれる、天国に行ける……街に住む全員が、それを信じて疑いません。彼女を産んだ母親さえも、彼女の信者でした。
身の回りの世話は何でも信者たちがしてくれ、不自由はありません。
けれど、彼女は決して自由ではありませんでした。
「神聖な心と体が汚れてしまうから」と屋敷に閉じ込められ、外へ出ることが一切許されなかったのです。
でも……年に一度、自分の誕生日だけは、聖誕祭というお祭りが催され、外に出ることができました。
そこで一年前、見たのです。
駅に停車する、クレイダーという名の片道列車を――
列車の一両目、運転席でありクロルの住まいでもある車両は、実に質素です。
カセットコンロが一つあるだけのキッチンと、窓の横の簡易ベッド。
その隣には小さな本棚が置かれ、数冊の本がまばらに並んでいます。
ベッドと反対側の窓際には丸いテーブルがあり、クロルと少女は今、向かい合わせに座っていました。
「――ねぇ、クレイダーは毎日街から街へ移動しているんだよね? ってことは、ちょうど一年前の今日、あの列車に乗っていたのはあなただったの?」
少女の問いに、クロルは静かに首を振ります。
「ううん。クレイダーはそれぞれの街に一日半、日を跨いで停車するんだ。だから一つの列車が全ての街を一周するのには二年かかる。僕は運転手になってもうすぐ二年だけど……この街を訪れたのは今回が初めてなんだ」
「そっか……そういうものなんだね。私、一年前にこの列車を見るまで、他の街があることすら知らなかった。周りの人に聞いても、外のことは絶対に教えてくれない。だから、書庫の本をこっそり読んで、たくさん調べたの。そうして初めて知った。この世界のこと。たくさんある街のこと。そして、クレイダーのことを」
「外のこと、なんにも知らされてなかったんだね」
「うん。それで決めたの。クレイダーに乗って、違う街へ行こうって。そして――」
彼女は、にこっと柔らかに笑って、
「――この羽をなくして、"普通の人間"になれる方法を探すの」
そう、明るい声で言いました。
背中から生えた羽を、なくす。
確かに外科医が手術をすれば、それは可能かもしれません。しかし、莫大な費用がかかるでしょうし、失敗するリスクもあります。
彼女は、そのことを知っているのでしょうか。
知らなかったとして、それを今伝えるべきでしょうか。
クロルはすぐに答えを出すことができませんでした。
クロルが悩んでいる間に、少女が再び口を開きます。
「だから、また外に出られる一年後――つまり今日、決行することにしたの。失敗したら二度と外へは出られないかもしれないから、念には念を入れて準備をしてきた」
「そっか……きっと、すごく怖かったよね」
「うん、怖かった。けど、それ以上に……成功して、列車に乗ることができたとして、街の外の人たちにどんな目で見られるのかが一番不安だった。だから……よかった。最初に出会えたクロルが、私を人間扱いしてくれて」
「当たり前だよ。僕はクレイダーの運転手だから、いろんな街の暮らしを見てきたんだ。この世界の人々はみんな、それぞれ違った個性や考え方を持っていて、自分が納得できる街に住んでいる。だから、羽が生えていることも、僕にとっては一つの個性に過ぎないんだ」
クロルの言葉に、少女は大きな目をさらに大きく見開きます。そして、
「……私、ほんとうに、あの街を出てよかった」
心からの笑みを浮かべて言いました。
それから、クロルの顔を覗き込むように身を乗り出して、
「ところで、クロルはなんで子どもなのに運転手をしているの? 家族は? どこか決まった街には住まないの?」
矢継ぎ早に、そう問いかけました。
クロルは思わず後ずさりをして、
「ぼ、僕のことはいいから、君の話をもっと聞かせてよ。お客さんが乗ってくるのなんて久しぶりなんだ。例えば――好きなものの話、とか」
「好きな、もの……」
そう聞かれて少女は考え込み、視線を泳がせます。
やがて、
「――あ」
窓の外の、流れる景色を指さして立ち上がりました。
つられてクロルも立ち、一緒に窓の外を見ると……真っ白な花が、線路に沿ってずうっと咲いているのが見えました。
「あれは……ユリの花、だね」
「……私、あの花が好き」
「そうなんだ。綺麗な花だよね」
クロルが同意しますが、少女は静かに窓の外を見つめたまま、
「あの花はね……私を産んだ人が毎年、誕生日にくれた花なの」
ぽつりと、そう言いました。
「……お母さん、てこと?」
「そんな風に呼んだことないけどね。でも、あの人から花をもらえると……なぜか心がくすぐったくなって、少し寂しくなった」
そして、横顔に切なさをにじませながら、
「今年は……もらえなかったな……」
ぽつりと、呟きました。
それは、列車のガタゴトという音にかき消されそうなくらいの、小さな小さな声で……クロルは何と返せばいいのか、言葉に迷いました。
彼女を産んだお母さんも、彼女を「天使さま」と崇める信者――きっと、普通の親子らしいことは何一つできなかったのでしょう。
でも本当は、彼女は「お母さん」と呼んで、甘えたかったのかもしれません。
それがどれほど寂しい気持ちなのか、クロルには想像ができませんでした。
沈黙している間にも列車は進み、ユリの花の群生はだんだんと離れていきます。
あの花をもらえなかった彼女に、いま僕ができることは何だろう?
そんなことを考え……クロルは、あることを思い付きます。
「……そうだ。君の名前」
何かをひらめいたようなその声に、少女はクロルの方を見ます。
「リリア――ってどうかな。ユリの花、って意味だよ」
「……リリア?」
首を傾げながら、少女が繰り返します。
その反応に、クロルは手を振って、
「いきなりごめんね。でも、いつまでも『君』のままじゃ寂しいから……名前がないのなら、あの花の名をもらうのはどうかな、と思ったんだ」
名前がもらえると思っていなかった少女は、目をキラキラと輝かせ、
「リリア……私の名前は、リリア……」
自分に言い聞かせるように、何度もその名を口にします。
そして、満足したようにクロルの方を向いて、
「……うん。私は、今日からリリア。リリアになる!」
「よかった。君にぴったりの、素敵な名前だと思うよ――それじゃあ、リリア」
ちょうどその時、キッチンのオーブンが「チン」と鳴りました。
クロルは鍋つかみを手にはめ、オーブンの扉を開けて、
「――あらためて、お誕生日おめでとう、リリア。そして、外の世界へようこそ」
おいしそうな焼きりんごを一つ、彼女に差し出しました。
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