天使の住む街、知りませんか?

河津田 眞紀

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映画の街 Ⅲ

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 ――マルシェから離れた人気ひとけのない裏通りまで逃げると、テリー監督はリリアの手を離し、足を止めました。


「リリアちゃん! 言ったでしょ?! ここは"映画の街"! ああいうドラマティックなことが好きな人の街なんだよ! なんの捻りもない平凡なプロポーズよりも、プロが演出したものの方が嬉しいに決まっているでしょ?!」


 そう言い聞かせますが……それでもリリアは、納得のいかない表情で監督を見つめ、


「プロが考えた"作り物のセリフ"方が好きなら……それって、一体誰に恋していることになるの?」


 そんな風に投げかけました。
 テリー監督は、「それは……」と言葉を詰まらせます。答えに迷っているようです。
 リリアはふいっと顔を背け、来た道を振り返り、


「まぁいいや。とりあえずクロルを探さなきゃ。まださっきの場所にいるといいけど……」
「ま、待ってくれ! 今戻ったら、観衆たちに睨まれるかも……!」
「別にいいよ。クロルとはぐれる方がずっとイヤだもん」


 そう言って、リリアがマルシェの方に歩き出した……その時です。


「――うわぁああんっ!」


 どこからか、子どもの泣き声が聞こえてきました。
 リリアとテリー監督は驚き、声の方を振り返ります。

 泣き声の主は、少し離れた道の端にいました。
 五歳くらいの男の子です。街路樹を見上げ、涙を流しています。その横にはお母さんらしき女性がいて、男の子を必死に宥めていました。


「どうしたの?」


 リリアが駆け寄り、声をかけます。すると、男の子の代わりに女性がリリアを見て、


「この子ったら、買ったばかりの風船を手放して……木に引っかかってしまったのよ。ほら」


 と、頭上を指さします。
 リリアと、その後ろをついてきたテリー監督が見上げると……たしかに青い風船が木の枝に引っかかっていました。

 男の子はよっぽど悲しいのか、わんわん泣き続けています。
 その泣き声が胸に響き、なんだか自分まで悲しくなるようで、リリアはなんとかしてあげたいと強く思いました。

 リリアは周囲を見回します。木の横には高い壁がありました。この上に登ることができれば、風船のひもに手が届くかもしれません。

 リリアは泣いている男の子の前にしゃがみ、にこっと笑って、


「待ってて。私が風船を取ってあげる」


 そう言うと、すぐに走り出しました。どこかではしごを借りられないか、探すことにしたのです。
 突然駆け出したリリアの後を、テリー監督も慌てて追います。

 そうしてリリアは、近くの民家ではしごを借り、テリー監督と一緒に運びました。
 これで風船を取ってあげられる。リリアは急いで男の子の元へ戻りますが……
 そこで見た光景に、彼女は唖然としました。
 泣いている男の子の側で、二人の男性が言い争いを始めていたのです。


「だから、この風船は俺の友だちが取る! アイツは運動神経がいいから、こんな木なんてひょいひょいっと登れるはずさ! その様子を撮って投稿すれば、きっと再生回数が伸びるぞ! 今呼んでくるから、お前は何もするな!」
「はっ。馬鹿言え! 風船を取るのはウチの猫だ! あのコは賢いから、俺の言うことならなんでも聞く! 人間よりも動物のミニ映画の方が人気なのは言うまでもないだろう?!」


 どうやら、どちらが風船を取るか――正確には、どちらが風船を取るシーンを撮影するかで揉めているようです。

 男性たちが怒鳴り合うせいで、男の子はますます泣いています。お母さんも困り果てていました。

 くだらない。リリアはそう思いました。
 どちらの男性も、男の子のことなど考えてはいません。ただ、他人の不幸を利用して人気の出るミニ映画を撮ろうと必死なだけなのです。

 文句の一つも言ってやりたくなり、リリアは男性たちに近づきますが……


「――リリア」


 そんな彼女を止めるように、クロルが現れました。リリアを探しに来てくれたのです。
 無事に会えたことに、リリアが「クロル!」と喜ぶと、クロルは一緒にはしごを持って、


「これで風船を取るんだね? あの人たちが喧嘩している内に、早くやっちゃおう」


 こそっとした声で、そう言いました。
 泣いている男の子のためにも、言い争いに参加するよりその方がずっと良いとリリアも思いました。

 リリアは頷き、男性たちの視界に入らないよう壁に近づきます。
 そして、静かにはしごを立てかけました。


「僕が登るよ」
「ううん、私が行く。男の子と約束したから」


 リリアがクロルに言います。クロルは心配そうにリリアを見つめますが、彼女の意志は固いようでした。


「……わかった。僕は下で支えているから、気をつけてね」


 リリアは「うん」と答え、クロルが支えるはしごを登り始めました。
 そうして、二人の背丈よりずっと高い壁の上に彼女は立ちました。

 リリアにとって、はしごを登ることも、高い壁の上を歩くことも初めてでした。
 しかし、不思議と怖くはありませんでした。あの男の子を早く泣き止ませてあげなきゃという気持ちでいっぱいだったからです。

 両手と白い羽を広げてバランスを取り、壁の上を歩くリリア――
 その姿が行き交う人々の目にとまり、少しずつ見物人が集まってきました。みんなスマグラのボタンを押し、興味津々に録画を開始します。

 リリアの一番近くにいるテリー監督はといえば……撮影することも忘れ、リリアを心配そうに見上げていました。

 やがて、リリアは風船が引っかかっている木のそばに辿り着きました。
 狭い足場で慎重に向きを変え、風船の方に手を伸ばします。
 が、風船のかかっている枝が思いのほか遠く、なかなか届きません。


「リリア、気をつけて!」


 少しバランスを崩せば落ちてしまいそうで、クロルは声をかけます。
 そこで、言い争いをしていた男性たちがようやく事態に気づきました。


「なんだなんだ、おもしろそうなことになってるじゃん!」
「少年を救う天使、ってか? いいね。誰が考えた演出だ?」


 先ほどまでの喧嘩が嘘のようにスマグラを向け、嬉々として撮影を始めます。

 スマグラ越しにリリアを見つめる瞳の中に、彼女の身を案じるものは一つもありません。
 むしろ、「これで落ちたら面白いよね」と笑う声すら聞こえてきます。

 リリアの指先が震えます。
 風船のひもは、届きそうで届きません。
 もう少し身を乗り出せば掴めるかもしれませんが、そうすれば彼女は地面へ真っ逆さまに落ちてしまうでしょう。


「いけない、このままじゃ……!」


 クロルは駆け出し、周りにいる男性に呼びかけます。


「すみません! シャツを脱いで貸してください! 落ちた時に受け止められるよう、繋いでネットにするんです!!」


 自らもシャツを脱ぎながら、必死にお願いします。
 しかし、みんな撮影に夢中で、誰も聞く耳を持ってくれません。


「お願いです! どなたか……シャツを……!!」


 もう一度、クロルが声を振り絞ろうとした……その時。
 

「――撮っている場合か!!」


 現物人のざわめきをかき消すような声が響きました。
 それは、テリー監督の声でした。

 彼は、近くにいた男性たちに詰め寄り、


「今すぐシャツを脱げ! 早く!!」


 人が変わったかのような形相で、怒鳴りつけました。
 撮影に夢中になっていた人々はハッとなり、慌ててシャツを脱ぎました。

 そして大急ぎでシャツを繋いで、リリアを受け止められる大きさのネットができました。


「おねえちゃん! むりしないで!!」


 泣いていた男の子がリリアに向かって叫びます。
 しかしリリアは、手を伸ばしながら笑って、


「大丈夫! いざとなったらこの羽で飛べるから! たぶん……」


 と、最後は自信なさげに言いました。

 クロルとテリー監督は、リリアの無事を固唾を飲んで見守ります。

 やがて、その指先が風船のひもに届き……
 やっとの思いで、それを掴みました。


「や……やった! 取れた!!」


 リリアは嬉しそうに声を上げます。
 が…………

 同時に、彼女の足元の壁が、ガラッと崩れ落ちました。
 

「きゃっ……!」


 小さく悲鳴を上げながら、リリアは地面へと落下します。


「危ない!!」


 そこへ、クロルが広げたネットを落下地点へと誘導します。
 リリアの体は、ネットの真ん中にすっぽりおさまり……
 なんとか地面に叩きつけられずに済みました。


「た……助かった……?」


 真上に広がる青空と、手にした風船を見上げながら、リリアが呟きます。
 その直後、見物人たちから「わぁっ!」と歓声が上がりました。
 そして、リリアを囲むように集まってきます。


「手に汗握るアクション! 最高だったわ!」
「久しぶりに良いものが撮れたよ! ありがとう!」
「タイトルは『飛べない天使』で決まりかな?」
「ねぇねぇ、このお演出は誰が考えたの?」


 そんな声が、あちこちから聞こえてきます。
 その中心で、リリアとクロルは唖然とします。見物人のほとんどが、今の出来事を『ミニ映画のために作られた演出』だと信じてやまないようなのです。

 人々の熱狂に二人が戸惑っていると、見物人の一人が「あぁーっ!」と声を上げ、


「そこにいるのって、ひょっとしてテリー監督じゃない?! 昔、恋愛映画で有名だった!」


 そんなことを叫ぶので、人々の注目は一気にテリー監督へと向きます。


「じゃあ、今のアクションはテリー監督の脚本?」
「すごく良かったですよ! 今作のテーマは?」
「天使というアイディアはどこからきたの?」


 なんて、口々に質問し始めるので、テリー監督は「い、いやぁ……」と後ずさりします。
 その隙に、リリアとクロルは人だかりからこっそり離れ……


「はい、風船。もう離しちゃダメだよ」


 と、風船を男の子に返しました。
 男の子とお母さんは、リリアに何度もお礼を言いました。
 その嬉しそうな顔に、リリアとクロルは満足して、


「……行こっか」
「うん」


 人々の注目が再び集まらない内に、急いでその場を後にしました。


 
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