氷の蝶は死神の花の夢をみる

河津田 眞紀

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第二章 近づく距離と彼女の秘密

4.5 裏坂未亜の青春

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 優越感と、劣等感。

 自己肯定感と、自己嫌悪。

 その繰り返しを、"青春"と呼ぶのだろうか?





 わたしは、自分の容姿が嫌いだ。

 チビで童顔。
 そこそこ可愛いことは自覚しているが、この見た目のせいで嫌な思いをすることの方が多い。

 まず、第一印象で舐められる。
 背が低く、顔が幼い。
 それだけで、自分より下に見る者のなんと多いことか。

 それから、謎にファンシーなイメージを抱かれることが多い。
「ピンク色の部屋に住んでいそう」とか、「動物が好きそう」とか、「毎日マカロン食べていそう」とか……
 実際は、自室は黒一色だし、動物はどちらかと言えば嫌いだし、毎日食べるなら焼肉の方がいい。

 しかし、他人ひとは容姿だけで勝手なイメージを抱き、それにそぐわない言動を取ると、こう言うのだ。


「未亜ちゃんて、"見た目詐欺"だよね」


 そう言われたのは、小学六年の時。たいして仲良くもないクラスの女子からだった。
 あまりにカチンときて、思わず「あぁ?」と言ってしまったのを覚えている。

 要するに、「見た目は可愛いけど中身は可愛くなくてがっかりさせられる」と言われたのだ。

 大きなお世話だ。
 勝手に期待して、勝手に落胆して、その責任をこちらに押し付ける方がよっぽど詐欺である。


 ……そう思いつつ。
 わたしは、静かにショックを受けていた。

 わたしにも、『どうせなら周りから良く言われたい』という承認欲求はある。
 だから、中学への入学を機にキャラ変することにした。
 自分に求められているキャラクターがどのようなものなのかはよく理解していたから、あとはそれを演じるだけだった。

 いつもにこにこ愛想が良くて、バッグには可愛いぬいぐるみのキーホルダーをつけてて、髪も可愛く結っていて、甲高い甘え声でアホっぽく喋る。

 それが、周囲が求める"ちっちゃくて可愛い裏坂未亜"の姿。


 キャラ変の成果は上々だった。
 女子からは妹キャラとして可愛がられ、男子からもモテ始めた。

 時々、一部の女子が『ぶりっ子』だと陰口を言っているのが聞こえたが、僻みだと思うようにした。

 男子からモテるのも、正直気分が良かった。
 しかし、試しに付き合ってみた一人と初デートした帰りに「思っていたのと違った」と振られ……
 やっぱり言動の端々はしばしに素が出ているのだろうと。
 本当のわたしを好いてくれる人なんていないんだろうなと、けっこう落ち込んだ。


 "可愛い裏坂未亜"を演じる程に、自分がどんどん嫌いになってゆく。

 周りの目ばかり気にして、"可愛い自分"を演じ切ることも、"ありのままの自分"を貫くこともできない。
 悪いのは周囲の人間で、見た目で判断する馬鹿ばかりいるせいだと思い込むが、結局は独りになるのも怖くて、軽蔑しているはずの他人に認められたくて仕方がなかった。

 臆病で、傲慢で、自尊心ばかり高くて。
 そんな自分が、大嫌いだった。


 その葛藤から逃避するように、受験勉強に打ち込んだ結果、学区内で一番偏差値の高い大鳳おおとり学院高校に合格した。
 その年の合格者は、わたしだけだった。


 知り合いのいない、ゼロからの高校生活。
 ここで、リセットをしよう。
 周りにどう思われるのかなんて知らない。
 わたしは、ありのままのわたしを曝け出して、ストレスフリーな高校生活を満喫する!!


 ……そう、心に決めたはずだったのに。


 高校入学後。
 わたしは結局、"天真爛漫な裏坂未亜"を演じていた。

 無理。やっぱりボッチにはなりたくない。
 そのためには、明るく元気で毒気のない未亜ちゃんでいなければ。


 結局は本当の自分を隠すことになってしまったが、今のところは『ぶりっ子』と言われることもなく、"可愛い妹キャラ"がうまく定着しつつあった。
 部活も、友だちに誘われて野球部のマネージャーをすることになった。ボッチは回避できている。

 しかし、やはり……



「つっっかれる~……」



 である。

 ずーっとニコニコきちんとしているの、超疲れる。
 今仲良くしている子たちも、きっと素を見せたらわたしを嫌うのだろう。
 そう考えると、やはり自分のことが嫌いでたまらなかった。


 誰もいないのを良いことに、わたしは特大のため息をつきながら、渡り廊下を進む。

 入学して数週間。
 わたしは、初めての委員会活動へ向かっていた。

 成り行きで美化委員になってしまったが、花には全然興味がない。
 むしろ虫が大の苦手なので、自然が多い場所は避けているくらいだ。
 でも、決められた当番を守らないのも気分が悪いので……サボるという選択肢はなかった。


 何度もため息をつきながら、校舎を出て、中庭へと赴く。と……

 辿り着いたのは、想像以上に綺麗な庭だった。
 花に興味がない自分でも、足を止めて眺めたくなるような、美しい庭園。

 きっと先輩たちが、綺麗に手入れしてきたのだろう。
 意外と活発らしい美化委員の活動に感心しつつ、水やりの道具を取るために物置小屋へと向かうと……



 ──ドンドンッ! ドンドンドンドンッ!!



 ……という音と共に。
 物置小屋が、揺れていた。

 何事かと思い、恐る恐る近付くと……


「誰か! 開けてくれ!!」


 中から、人の声がする。
 どうやら物置小屋の中に閉じ込められているらしい。

 ……どうやったらこんなところに閉じ込められるんだよ。

 呆れながらも、わたしはそっと手を伸ばし、小屋の扉を開けた。
 すると……


 中にいたのは、一人の男子生徒だった。
 平均的な身長。特徴のない顔。
 そんなごく普通の男子は、わたしを見るなり目を輝かせて、


「おぉ、助かった! ありがとう。君は救世主だ」


 そう、嬉しそうに言った。



 それが、美化委員の二年生……
 刈磨汰一先輩との、出会いだった。



 話を聞くと、軍手を取りに物置小屋へ入ったところ、突然強風が吹き、扉が強く閉まったらしい。
 その拍子に扉の内側の取手部分が壊れ、中に閉じ込められたのだという。


「……運、悪すぎ」


 思わず漏れた、素の声。
 しかし先輩は、


「そうなんだよ。俺、昔から不運でさ。でも、今日は君が助けてくれたから運が良かったよ」


 そう言って、困ったように笑った。



 ──それを機に、わたしと刈磨先輩は一緒に美化委員の仕事をするようになった。
 他の委員会メンバーは当番をサボりまくっているらしく、先輩はほぼ毎日花壇に来ていた。

 わたしの当番は、水曜日。
 わたしはサボったりしないのに、刈磨先輩はいつでもいた。
 花の世話をするのがよっぽど好きらしい。
 その証拠に、花のことをいち質問するとじゅう以上の言葉を並べて返してくる。
 わたしがうんざりした顔をしていることなんてお構いなしに、よく蘊蓄うんちくを垂れ流していた。

 そんな先輩だから、わざわざ"可愛い未亜ちゃん"を演じるのもアホらしくて、わたしは自然と素の態度で接していた。
 わたしがいくら辛辣なことを言っても、先輩は「ひどいなぁ」と言うだけでまったく気にしなかった。

 たぶん、のだ。

 だから、わたしがどんな言葉遣いをしようが、何とも思わない。
 他の委員会メンバーが当番をサボっていても、怒ったりしない。
 元々そういう性格なのか、何かきっかけがあってそうなったのかはわからないが……


 先輩のその姿勢は、わたしにとって、とても居心地の良いものだった。


 面倒くさかったはずの水曜日の放課後が、いつの間にか自分を曝け出せる唯一の時間になっていた。
 刈磨先輩といる時だけ、本当の自分でいられる。
 彼も、それを受け止めてくれる。

 だからわたしは、勘違いしたのだ。
 わたしが告白したら、先輩はきっと「うん」と言う。
 本当の私を知っているのは先輩しかいないし、先輩の良さを知っているのもわたししかいない。
 彼女ができる見込みもなさそうだし、わたしが付き合ってあげよう。
 なんて……

 そんな高慢な勘違いをしたから、あんなことを言った。


「お花のお世話、本当に頑張ったので、今度ご褒美くださいよ、先輩」
「なんだよ、ご褒美って」
「もうすぐ夏じゃないですか。未亜、先輩と夏らしいことがしたいなぁ。アイス食べたり、お祭り行ったり、海に行ったり……」
「あぁ、つまりアレか。なんか奢おごれってことか」
「違いますよう! そうじゃなくて……」
「わかったわかった。小遣い貯めといてやるから、早く部活行ってこい」
「んもぅっ。約束ですからねっ」


 ほらね、わたしの誘いを断らなかった。
 先輩とデートの約束を取り付けたことに、わたしは勘違いをさらに加速させた。

 来月、隣町で夏祭りがある。それに誘おう。
 そして、その時に……告白をしよう。
 絶対にうまくいく。わたしが振られるはずないんだから。

 そんな風に浮かれて、お母さんにおふるの浴衣までもらって。
 約束の時を、楽しみに待っていた。



 でも……あの日。
 野球部のボールが中庭の方へ飛んで行き、それを追いかけた先に……

 あの、美人で有名な彩岐蝶梨先輩がいた。

 刈磨先輩と一緒に花の手入れをしているだけだと言ったが、わたしにはすぐにわかった。
 刈磨先輩が、彩岐先輩に特別な感情を抱いていることを。
 彼女を見つめる視線は……わたしに向けるものとは、明らかに違ったから。


 その時わたしは、頭をハンマーで殴られたみたいな感覚に陥った。
 端的に言えば、ひどく傷付いた。
 そして、ようやく気付いたのだ。


 わたし、本気で……刈磨先輩のことが、好きだったんだ。


 誰かに取られるかもしれない状況になって、やっとわかった。
 ありのままのわたしを受け入れてくれる先輩に、本気で恋をしていたのだと。


 気付いた時にはもう遅かった。
 刈磨先輩と彩岐先輩の距離はどんどん縮まっていて……
 わたしが入り込む余地なんて、なくなっていた。




 * * * *




 ──学校を飛び出し、自転車を漕ぎながら、わたしは先ほどの出来事を思い出す。


『裏坂さんが、刈磨くんのことを好きって言ったら…………私、ちょっと困るかも』


 凛とした、彩岐先輩の声。
 けど……


『……刈磨くんと一緒にいるのは、からかっているからじゃない。……側にいたいからだよ』


 その黒い瞳が、震えていた。

 それは、本気だから。
 彩岐先輩も、震えるほど本気で、刈磨先輩のことが好きだから。

 クールだと思っていた彼女のその表情は、どこからどう見ても"恋する女の子"の顔で……
 戦意を喪失するくらいに、可愛かった。


 こんなの、勝てるはずがない。
 きっと刈磨先輩は、彼女の内に秘めた可愛さに気付いて、好きになったんだ。

 あぁ、もう。どうして。
 "可愛い"と思われるのが、あんなに嫌だったはずなのに……



 今は、誰よりも可愛くなりたくて、堪らない。






「身を引きます」なんて言い捨てて、逃げるように帰って来たわたしは、「ただいま」も言わずに家に入る。
 すると、母親がリビングから駆けてきて、こう言った。


「おかえり、未亜ちゃん。こないだ言ってた浴衣、クリーニングに出しておいたわよ。ほら」


 と、紺色の生地に花の柄があしらわれた可愛らしい浴衣を掲げる。
 祖母から母へ、そして母からわたしへと、三代に渡って引き継がれることになった浴衣だ。


「この浴衣見ていると、お母さんも若い頃を思い出すわぁ。お祭り、お友だちと行くの? それともデートだったりして。いいわねぇ、青春真っ盛りで」


 楽しげな母の声に、胸の中が真っ黒な感情に塗り潰されていく。



 これが、青春?
 こんな、優越感と劣等感と、自己肯定感と自己嫌悪に振り回される最悪な状況を、青春と呼ぶの?

 当事者の気も知らないで……勝手に美化しないで。



「……っ」


 わたしは、母の手から浴衣を奪い取ると、そのまま自室へと駆け込む。
 ドアを強く閉め、浴衣を丸めて、床に叩きつけてやろうと腕を振り上げる。が…………やめた。


 そんなことしたら、それこそ可愛くない。
 これ以上……自分を嫌いになりたくはなかった。


 どうしようもなくなって、その場に座り込み、浴衣をぎゅっと抱きしめる。
 抑えていた涙が、ぽろぽろと溢れ始めた。




 この気持ちは、絶対に言わない。
 口にしなければ、なかったのと同じだから。
 告白しなければ、失恋したことにはならないから。

 だから……大丈夫。
 ゆっくり、忘れていこう。




 そう、言い聞かせるけど……
 全然消えてくれない悲しみが、大粒の涙になって溢れて。

 先輩に見せるはずだった浴衣に落ち、生地の色を黒く変えながら、じわりと染み込んでいった。
 
 
 
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