アメイジング・ナイト ―王女と騎士の35日―

碧井夢夏

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昔話 ブリステのとある子爵令嬢と東洋から来た傭兵のはなし

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 ブリステ公国のハウザー家には、それは器量の良い1人娘がいた。ブリステ人に多い栗色の毛を肩まで伸ばし、快活で頭も良く、気立ても良い自慢の娘である。
 領地に住む子どもたちに勉強を教えたり、慈悲深い性格もあって人徳もあった。
 ハウザー家は跡取りこそいなかったが、その娘には絶えず縁談の話が舞い込み、いくらでも自由に相手を選ぶ選択肢があった。
 ――彼女が、17歳で大病を患うまでは。

 娘のホーリーは、これから成人という歳に血液の病魔に侵された。
 婚約者候補は次々と離れていき、明るかったホーリーの姿がすっかり変わって行くと、彼女の多かった友人達も、訪ねてくることは徐々になくなっていった。

 1日のうちの2時間でも起きていられれば体調は良い方で、青白く隈の濃くなった顔を日光に当てることだけが彼女の日課になっている。
 医者には、一生完治をすることはない病気で、いつ病状が悪化するのかも分からないと非情な今後を告げられた。
 両親はいたく落ち込み、かと言って養子を取る気にもなれず、ただただ時間だけが過ぎていった。
 季節が2週目を迎え、ホーリーが19歳になった年に、その男は現れる。

 蒼劉淵(ソウリュウエン)は、侯商会(ほうしょうかい)の用心棒として雇われ、自身が隊長を務める傭兵隊を従えてブリステに入国した。
 東洋人の蒼と商会の関係者たちは、ブリステでは珍しい黒髪と黄色のかかった肌、そして難解な異国語を話す。
 ブリステ人たちは、東洋から来た異国人に近づくことを大層怖がっていた。

 蒼はブリステ内で商会の拠点を探したが、言葉も不自由な上に不審がられて交渉は難航してしまう。
 そんな時、ハウザー家の領地に住んでいた平民が、いたく落ち込んで経営の傾いた領主を気遣い、領地に土地を貸すくらいの話であれば是非紹介したいと申し出てきた。

 蒼はすがる気持ちでハウザー家を訪れ、意気消沈した当主に拙い言葉で話をしてみた。
 なかなか伝わらない言葉に両者がぎくしゃくしていた時、
「私で良ければ、力になります」
 とその場に現れたのが娘のホーリーだった。

 青白い顔をした寝巻き姿のホーリーを見て、蒼はひと目で大病を患っていることに気が付いた。
「東洋の言葉は、独学ですが。筆記していただければ通訳いたします」
 ホーリーは辛そうな身体を引きずるようにしながら、紙とペンを持ち、通訳を買って出た。

 蒼は喜び、ホーリーに通訳を依頼する。
 商会の希望や条件を伝えると、ハウザー家にとっても好ましい条件だったことが幸いし、とんとん拍子に話が進んだ。
 蒼はホーリーにいたく感謝をし、度々彼女の様子を見に来るようになった。
 蒼が少しずつ言葉を覚えていくと、故郷の話や部下の話、今まで訪れた国の話をして病床の彼女を喜ばせた。

 蒼がホーリーの元を訪れるようになって半年も経つと、徐々に様々な変化が起きていった。
 ホーリーの1日2時間しか起きていられなかった身体は半日程度活動できるようになり、顔色も随分と良くなっていた。
 ホーリーは蒼を訪ねて商会を訪れることもあれば、蒼の非番の日には近くの公園へ連れ立ってピクニックをしたりと、健康な同い年の女性と同じような活動をするようになる。

 そうしてハウザー家にとって平和で幸せな日々が戻った頃、蒼がブリステを訪れて3年が経過していた。
 すっかり大きくなった侯商会はブリステから周辺の国にも取引を広げるべく、拠点を移動する日がやってきてしまう。

「ホーリーお嬢様、今までお世話になりました」
 最後の挨拶に屋敷を訪れた蒼は、ホーリーとの別れを惜しみながら、精一杯の感謝を伝えて去るつもりでいた。
 非番の日には当たり前に一緒に過ごし、蒼の話に瞳を輝かせて喜んだ聡明な令嬢は、その日の蒼の訪問にひどく落ち込み、泣きはらした目を隠そうともせずにやつれた姿で病床に伏せっていた。

「嫌よ、あなたが遠くに行くなんて」
 ホーリーは一向に泣き止まない。蒼は自分に言葉を教えてくれた優しい令嬢の姿に、心が締め付けられた。
「私などのために、そんなに涙を流さないで下さい。あなたには家族がいて、領地があり、民がある。外国人の私など、取るに足らない存在です」
 蒼が何度言って聞かせてもホーリーは聞く耳を持たず、自分も一緒について行くと言って泣いた。

「蒼がいない人生なら、明日、病が悪化して終わってしまえばいい。あなたは、私が嫌いになった?ついて行っては迷惑なの?」
 22歳のホーリーは、東洋から来た大きな身体の熊のような男に命懸けの恋をしていた。相手は31歳で傭兵、決して美男とは言えない、責任感の強い不器用な男。
 そして、気のせいでなければ相手も自分に特別な感情を持っているはずだと、確信があった。
 自分を見つめる彼の目が、他の誰かに向けるものとは違うこと。共に出掛ける日に見せる彼の表情が時折熱を帯びた時は、ホーリーの気持ちを高揚させた。

 それなのに、いともあっさりと別れを告げようとする。仲の良かった友人ですら超えられなかった病気の壁を簡単に超えた男のくせに、身分の壁には弱かった。
 事実、2人は手を触れ合う程度の関係でしかなく、抱き合うことは愚か口付けも交わしたことはない。

「あなたには、家がある。私は、あなたを幸せにすることなど恐れ多くて出来ません」
 蒼は、大人の男だった。分別があり、理性がある。
 ホーリーは目の前にいる愛する男性を、言葉で説得するのは無理だと悟った。

「それならば、今ここで命を断ちます」
 ホーリーはそう言うと枕の下に隠しておいた小刀を取り出し、自分の首に当てようとした。
 その瞬間……大きな身体が目にも止まらぬ速さで動き、ホーリーは何かに小刀を飛ばされた。
 小刀は宙を舞って床に転がり、乾いた音が部屋に響く。

「おやめください!!私の愛した貴方ならば、自分を粗末にすることはしない!」
 蒼は今にも泣きそうな顔でホーリーの両手を握り締めている。
「分かって下さい。私は、あなたには足りない男です」
 ホーリーは、煮えきらない年上の男に握られた手の熱と、普段見せない苦しそうな蒼の顔を見て、やはり自分はこの目の前の男を諦めることは出来ないのだと、はっきり自覚した。

「屈強な傭兵隊長が、なんて顔をするのよ。あなたに出会う前に一度は亡くした人生です。その大きな腕に攫われたいの。私をもう1人にしないで」

 やがてホーリーの手を掴んだ蒼の手は、彼女の首を通り頭に回され、2人は躊躇いがちに唇を重ねた。
 抑えていた想いが一気に溢れ、蒼はホーリーを強く抱擁すると、ホーリーはねだるように蒼に口付けを求める。

「知っているでしょう?私、あなたが、好きなの」
 蒼は嬉しそうに、そして困ったように微笑んだ。

 それから暫くして、ホーリーはベッドに隠しておいた両親への手紙を机に残し、蒼に抱き抱えられて家を抜け出して行った。
 ハウザー夫妻がホーリーの駆け落ちを知るのは、それから半日が経過した後だった。
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