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第9章 知ってしまったから

術師の攻防

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カイが前方にある何かを視界に入れてから、それがいつもの様子と全く違っていることに気付くまで、およそ1分程度の時間を要した。

(何だ、何かがおかしい)

前方に漂う「気」が、得体の知れないものを纏っている。その違和感に気付いた時には、大量の赤い火がこちらに向かって降って来るのが見えた。

(くそ、撤退は間に合わない)

カイは単騎で前進を決める。火の術に対応するのにカイの操る気功の風は相性が悪い。後ろに控える兵士たちを留まらせ、自分ひとりでどこまで防げるのかに懸けるしかなかった。

(やれるか・・?)

その時、カイの頭上を新たな炎が通り過ぎるように飛んで行った。方向からして、カイの後方から発せられたようだ。
炎は敵兵の火をすべて絡めとるようにして、大きなひとつの炎を作って行く。あれはレナが出した術なのだろうか。

「レナ! 無茶はするなよ!」

何処にいるかも分からない後方に向かって、カイは叫んだ。彼女が、戦っている。その事実がカイはどうしようもなくつらかった。術を使わせることも、戦いに参加させることも、本来は望んでいなかったからだ。

手綱を引き、クロノスの前進を止める。たまらず、カイは方向を変えて後方に向かってクロノスを走らせた。何が起きているのか、彼女は何をしているのか。カイはいつになく冷静さを失っている。

炎が大きなものとなってリブニケ兵の上空を飛んでいた。その姿は、まるで戦場に現れた神々しい鳥のようで、前線に立っていたブリステ兵たちは言葉を失ってその様子をただ眺めることしかできない。


「レナ!」

カイがレナの姿を見つけて駆け付けると、レナは驚いた顔をしていた。

「カイ、どうしたの? あなた、前線にいたんじゃないの?」
「術らしきものが見えて・・あれは、レナがやったんじゃないのか?」
「そうよ。それが、どうしたの?」
「どういう術だ。何が起きているか教えてくれ」

カイの顔には、はっきりと焦りが見えている。

「私も、クロノスに乗ってあなたの側に行ってはいけない?」

レナの言葉に、カイは絶句した。そんなことをすれば、レナはすぐに負傷するに違いない。カイもレナを庇いながらでは不自由になってしまう。

「それは、やめたほうがいい」
「どうも、あちらには術師が沢山いるの。カイが危ないわ。占いで言われたこともあるし、あなたの側にいたい」

レナの心配そうな顔を見て、カイは胸が締め付けられた。

「ありがとう、大丈夫だ。あの火の術は、どういったものか教えてくれ」
「大量の火の術式が視えたから、それを吸収する炎を生んだの。雨を降らせて全てを消火させようかと思ったけど、それだとこちら側も雨に濡れてしまいそうだから」

レナはあっさりと説明したが、カイは「大量の術式」にひとりで対抗しているレナにただただ驚く。

「なぜ、そんなことができる・・?」
「昔、母様に教わった術の本質をね・・実は数か月前に思い出していたの。それで私、術式の構造が分かって来ていたから」
「封印されていた記憶か?」
「そう」

寂しそうに微笑んだレナを見て、カイは今すぐその身体を抱きしめてやらなければならないような気がした。荷台に乗ったレナを見下ろしながら、それが叶わない状況にもどかしさを覚える。

「やっぱり、あなたと一緒に行ってはダメ?」

懇願するような目を向けられ、カイは揺らぐ。

「団長。必ずしも、団長が常に先頭にいなきゃいけないってこともないかと」
「ハウザー様、ここまで救ってもらっておいて、話を聞かないのもおかしな話では?」

レナと同乗していた兵士二人に応戦されて、カイはとうとう決断した。

「ここまで来たら、後ろにいれば安全というわけでもないな・・来い」

カイが伸ばした手を、兵士二人に支えられたレナがなんとか掴むと、そのまま引き上げられてクロノスの背に乗った。

「ありがとう、カイ」
嬉しそうな顔を隠すことなく、レナはカイに包まれるようにして身体を預ける。

「やっぱり、ここが落ち着くわね」
「奇遇だな、同じようなことを思った」

カイは前に乗ったレナを両腕で抱きしめ、レナの髪に唇を当てた。レナはそのカイの腕に手を添えて、恥ずかしそうにしながら口元を緩める。カイはレナを包んだ腕を名残惜し気に離すと、手綱を握り直してクロノスを前に走らせた。

残された兵士二人は、目の前で見た光景に放心状態だ。

「い、今の・・団長でしたよね・・?」
「あ、ああ・・確かに・・そうだった気がする」

この世には、カイ・ハウザーにあんな穏やかな優しい顔をさせる女性が存在したらしい。間違いなく只者ではないことは明らかで、兵士二人はレナに畏怖し始めていた。


「大丈夫なのか、母親のことを思い出して・・」

カイは目の前のレナに尋ねた。レナは目の前で母親を殺された日からまだ1年も経過していない。

「大丈夫とはっきり断言はできないけど、母様の記憶が不意に蘇る時は、辛くないわよ」
レナはそう言って、自分を抱えるカイの片手に両手を添えた。

「そうか」
「心配してくれたの?」
「心配に決まってる。ミリーナが殺された時、側にいたからな」
「ありがとう」

レナは短くお礼だけ言ったが、胸の奥が疼く。心が通じ合っている感覚を、行動で感じてみたくなった。

「あの、カイ・・」
「前を見ろ、そろそろ危ない」

レナの感情とは別に、今いる環境は気を抜ける場所ではない。浮かれていた自分を恥じながら、レナは前を向いて目を凝らした。
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