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1章
ディエス 2
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ユリシーズが出かけていくのを見送り、私は広い屋敷に残されてしまう。
答えの出ないことをずっと考えて悩むのは性に合わなくて、ユリシーズの部屋に無断で入った。
入ってはいけないとは言われていなかったし、今、この屋敷を守るのは主人の妻である私の役目だ。
ユリシーズの部屋には、大きなベッドと机、応接セット、そして巨大な書棚があった。
そういえば、日頃から本を読んでいると言っていたのを思い出し、どんな本があるのかと眺める。
一般小説、歴史の本、領地経営に関する専門書、そして……黒魔術の本。
私は驚いて、『黒魔術』というタイトルの真っ黒な背表紙の本を書棚から取り出した。
パラパラとめくってみる。絵はほとんどない文字だらけの書物には、角に折り目がついているページがある。
『変身に関する魔術とその傾向』と書かれていた。
変身、という文字を見て夜に出会ったノクスのユリシーズについていた不思議な耳と尻尾を思い出す。
まさか、あれは黒魔術か何かで……?
私がそのページを読み進めようとすると、突然すぐ後ろに人が立っている気配がした。
「ひっ……!」
あまりに驚いて心臓が止まるかと思ったわ。
「奥様、ご主人様に入室許可は取られておりますでしょうか?」
この家の執事だった。
「……取っていなかったかもしれませんわ」
「そうですか、では、見逃すわけにはいきませんね」
白髪で初老の執事は、いったいどこから現れたのだろうか。
ドアが開いたことにも気づけなかった。
「その本が気になるのですか?」
「……見たこともない本でしたので」
「奥様は随分と好奇心が旺盛な方なのですね。漏れ聞こえてきた話とは印象が異なり、大変興味深いです」
「あら、人にはいろいろな顔があるのではなくて?」
「……顔ですか」
執事は私の持っていた『黒魔術』の本をそっと持ち上げ、パタンと閉じると棚に戻した。
「知るということには、危険が伴います。ご主人様は、奥様にその様な負担を掛けたくないとお考えです」
「だからって、隠し事をされているというのは……」
「奥様は、何も隠し事はされていないと?」
執事の目が、キラリと光って私を捕らえていた。
隠し事をしていないかと尋ねてきた執事は、まるで私がクリスティーナ姫ではないと知っているかのような口振りだ。
「何のことでしょう? あなたにだって責任と危険が伴うのではなくて?」
にこりと微笑んだ。
こんなところでボロを出すわけにはいかない。
クリスティーナ姫には皇族に嫁ぐ使命がある。
ユリシーズには悪いけれど、同じ顔をした私で我慢してもらいたい。
こちらにも事情がある。親に売られて、もう帰る家もない。あの家には帰りたくない。
「クリスティーナ様、わたくしめには、怖いものなどございません」
「……」
「この家を守るために申し上げます。ご主人様を弄び、傷つけるおつもりでしょうか?」
「弄ぶなんて、まるで悪女扱いだわ」
「この期に及んで、悪女ではないと?」
手に着けている白い手袋を、キュッと引っ張りながらこちらを見ていた。
昨日はちょっと高いドレスを二着ほどユリシーズに買わせたけれど、そもそも服をあまり持っていないのだからあれを悪女と責められる筋合いはない。
……まあ、嫁入り道具が少なすぎるからなのだけれど……。
「わたくしはユリシーズと夫婦になるためにこちらに参りました。彼を理解したい気持ちがあります」
たとえ、嘘から始まった関係だとしても。
私はもう、この運命からは逃れられないのだから。
どうせここで骨を埋めるのなら、足掻いたっていいじゃない。
「今のままでは、ユリシーズが分からないわ」
「……それで、コソコソと部屋を漁るのですか?」
「直接聞いてもはぐらかされたのだから、部屋くらい入るわよ」
手を組んで開き直った私を見て、執事は眉間に皺を寄せながらため息をついた。
「ご主人様は奥様の何がそんなに良かったのか……」
「さあ? 顔は良く褒められる方なのですが」
私、昔から顔だけは相当誉められてきたのよ。
そのせいで、嫌な目にも散々あってきたけれど。
「顔など、何の役にも立ちません。顔でパンが焼けるとでも?」
「言ってくれるわね……」
「何がご主人様を夢中にさせたのか……甚だ疑問です」
「夢中?」
ユリシーズのクリスティーナ姫への気持ちは、夢中という感じとは違う。
夢中っていうのはもっと、周りが見えなくなって暴走しちゃうような……。
そこで、昨日の夜のことが突然頭に飛び込んできた。
夜の……ノクスのユリシーズの態度は……。
「何を浸っておられるのですか? そんなにあの方を狂わせられて満足ですか?」
「あなたが言っているユリシーズって……もしかして、ノクスの方なの?」
「どうして、それを……」
「昨日、本人から聞いたわ。ディエスは知らない」
執事の顔が更に険しくなってしまった。
答えの出ないことをずっと考えて悩むのは性に合わなくて、ユリシーズの部屋に無断で入った。
入ってはいけないとは言われていなかったし、今、この屋敷を守るのは主人の妻である私の役目だ。
ユリシーズの部屋には、大きなベッドと机、応接セット、そして巨大な書棚があった。
そういえば、日頃から本を読んでいると言っていたのを思い出し、どんな本があるのかと眺める。
一般小説、歴史の本、領地経営に関する専門書、そして……黒魔術の本。
私は驚いて、『黒魔術』というタイトルの真っ黒な背表紙の本を書棚から取り出した。
パラパラとめくってみる。絵はほとんどない文字だらけの書物には、角に折り目がついているページがある。
『変身に関する魔術とその傾向』と書かれていた。
変身、という文字を見て夜に出会ったノクスのユリシーズについていた不思議な耳と尻尾を思い出す。
まさか、あれは黒魔術か何かで……?
私がそのページを読み進めようとすると、突然すぐ後ろに人が立っている気配がした。
「ひっ……!」
あまりに驚いて心臓が止まるかと思ったわ。
「奥様、ご主人様に入室許可は取られておりますでしょうか?」
この家の執事だった。
「……取っていなかったかもしれませんわ」
「そうですか、では、見逃すわけにはいきませんね」
白髪で初老の執事は、いったいどこから現れたのだろうか。
ドアが開いたことにも気づけなかった。
「その本が気になるのですか?」
「……見たこともない本でしたので」
「奥様は随分と好奇心が旺盛な方なのですね。漏れ聞こえてきた話とは印象が異なり、大変興味深いです」
「あら、人にはいろいろな顔があるのではなくて?」
「……顔ですか」
執事は私の持っていた『黒魔術』の本をそっと持ち上げ、パタンと閉じると棚に戻した。
「知るということには、危険が伴います。ご主人様は、奥様にその様な負担を掛けたくないとお考えです」
「だからって、隠し事をされているというのは……」
「奥様は、何も隠し事はされていないと?」
執事の目が、キラリと光って私を捕らえていた。
隠し事をしていないかと尋ねてきた執事は、まるで私がクリスティーナ姫ではないと知っているかのような口振りだ。
「何のことでしょう? あなたにだって責任と危険が伴うのではなくて?」
にこりと微笑んだ。
こんなところでボロを出すわけにはいかない。
クリスティーナ姫には皇族に嫁ぐ使命がある。
ユリシーズには悪いけれど、同じ顔をした私で我慢してもらいたい。
こちらにも事情がある。親に売られて、もう帰る家もない。あの家には帰りたくない。
「クリスティーナ様、わたくしめには、怖いものなどございません」
「……」
「この家を守るために申し上げます。ご主人様を弄び、傷つけるおつもりでしょうか?」
「弄ぶなんて、まるで悪女扱いだわ」
「この期に及んで、悪女ではないと?」
手に着けている白い手袋を、キュッと引っ張りながらこちらを見ていた。
昨日はちょっと高いドレスを二着ほどユリシーズに買わせたけれど、そもそも服をあまり持っていないのだからあれを悪女と責められる筋合いはない。
……まあ、嫁入り道具が少なすぎるからなのだけれど……。
「わたくしはユリシーズと夫婦になるためにこちらに参りました。彼を理解したい気持ちがあります」
たとえ、嘘から始まった関係だとしても。
私はもう、この運命からは逃れられないのだから。
どうせここで骨を埋めるのなら、足掻いたっていいじゃない。
「今のままでは、ユリシーズが分からないわ」
「……それで、コソコソと部屋を漁るのですか?」
「直接聞いてもはぐらかされたのだから、部屋くらい入るわよ」
手を組んで開き直った私を見て、執事は眉間に皺を寄せながらため息をついた。
「ご主人様は奥様の何がそんなに良かったのか……」
「さあ? 顔は良く褒められる方なのですが」
私、昔から顔だけは相当誉められてきたのよ。
そのせいで、嫌な目にも散々あってきたけれど。
「顔など、何の役にも立ちません。顔でパンが焼けるとでも?」
「言ってくれるわね……」
「何がご主人様を夢中にさせたのか……甚だ疑問です」
「夢中?」
ユリシーズのクリスティーナ姫への気持ちは、夢中という感じとは違う。
夢中っていうのはもっと、周りが見えなくなって暴走しちゃうような……。
そこで、昨日の夜のことが突然頭に飛び込んできた。
夜の……ノクスのユリシーズの態度は……。
「何を浸っておられるのですか? そんなにあの方を狂わせられて満足ですか?」
「あなたが言っているユリシーズって……もしかして、ノクスの方なの?」
「どうして、それを……」
「昨日、本人から聞いたわ。ディエスは知らない」
執事の顔が更に険しくなってしまった。
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