売られて嫁いだ伯爵様には、犬と狼の時間がある

碧井夢夏

文字の大きさ
53 / 134
2章

情愛

しおりを挟む
 上の階まで繋がっている階段。この続きにユリシーズがいる。

「帰ってきたのですか……?」

 力のない声がした。今まで聞いたことがない弱弱しい声。

「帰ってきました。あなたは大丈夫なの?」
「いいえ。全く大丈夫ではありません」

 きっぱりと言われて違和感を覚える。なにかしら、この感じ。

「昨日……公爵家の庭に来たのは……」
「ノクスです」
「撃たれたって聞いたの。私も遠くから見ていたけれど……」

 恐る恐る階段を上っていくと、降りてきたユリシーズが私を目に入れて……そして大粒の涙を目からこぼした。

「どうして泣いているの?」
「もう、二度と会えないかと……私がどれだけ泣き暮らしていたか……」
「ワンって鳴いたの?」
「……いえ。その『鳴く』ではなく」

 ユリシーズは素早く階段を降りてきた。無言でひょいと軽く抱き上げられて濡れた目で私を運んでいく。銃に撃たれたところはどうなっているのかしら。

「あの、ユリシーズ」
「絶対に公爵家になんか帰らせません」
「……私が油断したの。ごめんなさい」

 ユリシーズの横顔が見える。はっきりと隈ができていて、目も充血していて……。

「私がいなくなって、眠れなかった?」
「当り前じゃないですか」

 怒った顔をしている。何に怒っているかは、まだ分からない。

「私も、昨日は眠れなかった」
「昨日だけですか?」

 冷たい声でそう言うと、ユリシーズは私を片手で抱えたまま部屋の扉を開ける。
 器用ね、と思っているとそのまま私を運び……ベッドの上に放り投げた。

「お互い寝不足のようですね。いまから寝ます」
「は??」
「私はアイリーンがいないと眠れない身体になってしまいました。これからアイリーンを抱きしめて寝ます」
「……別に、いいわよ」

 なんなら、撫でて寝かしつけてあげてもいいけれど、と言いそうになってやめた。
 久しぶりのベッドに転がされた私に、ユリシーズの身体が被さってきたから。

「この家の至る所に貴女の匂いが残っているのに、姿がないのは辛かったです。人狼が伴侶を追って衰弱死してしまう理由が分かりました。愛する伴侶を身近に感じてその姿を探してしまう。生きるのが辛すぎます」

 ぎゅうっと上から彼の重みがかかる。身体の奥がビリビリと痺れて、自分が溶けてしまいそう。
 好きな人に抱きしめられる感覚を、久しぶりに思い出した。

「それで眠れなかったのね。今日はゆっくり寝られそう?」
「眠るのが惜しいですが、辛くて眠れない日々とは決別できそうです」
「そう」

 これから一緒に眠るのであれば、このドレスを着たままでは無理だ。

「後ろの紐を解いてくれる? このままじゃ苦しいの」

 ユリシーズは体重をかけたまま私の背に手を回して、そっと私の唇に唇を重ねた。背中の紐を探りながら、確かめるように何度も口づけを繰り返す。
 解く紐を探り当てると、私のドレスは簡単に緩んだ。

 まずい。ドレスで寝るのは無理だと思ってお願いしたものの、それがユリシーズに服を脱がせてとお願いしたのだといまさら気付く。

「ちょっ……んんっ」

 待って、と言ったのに、口を塞がれて伝わらない。ユリシーズの熱にあてられて何も考えられなくなりそうだけど、このまま流されたら大変な姿をさらす羽目になってしまう。

 ドレスを抱えるようにして胸元を抑えると、荒い息が耳をくすぐった。

「抱きしめて眠るだけのつもりだったのに、どうして貴女は……」
「わ、私だってそのつもりで……」

 さらに、ドレスの下に着ているコルセットのことを忘れていた。
 これを脱がずに眠るのは無理だ。でも、コルセットを外したらほぼ裸になってしまう。それはまずい。非常にまずい。

 だけど、目の下に隈があるユリシーズを見て一刻も早く寝なくちゃとも思う。
 どうしよう。どうしたらいいの。

「私のバスローブを貸しますから、中に着ている硬い下着を脱いで着替えてください。下着の紐を解くところまでは手伝います」
「ありがとう」
「狙ったわけではないのですよね? 私が暴走してしまったらどうするつもりだったのですか……」

 私を起き上がらせて、ユリシーズはコルセットの紐を解く。
 ベッドから立ち上がって、項垂れながらベッド脇にあった紺色のバスローブを差し出してきた。

「これを」

 片手で胸元を抑えたまま、バスローブを受け取る。

 この人が暴走したらどうなるのか見てみたい、と思った。
 本当は何をしたかったのかを知りたくて、だから、私の本能はユリシーズを欲しているのかもしれない。
 公爵家に狙われていると分かった今、そんなこと考えていたらいけないのに。

 ユリシーズもガウンに着替えるらしく、私に背を向けて服を脱ぎ始めた。
 その隙にドレスとコルセットも下着も全て脱ぎ捨ててバスローブだけを羽織る。柔らかい綿の肌触りが良くて素肌に気持ちがいい。

「もう大丈夫よ」

 シャツを脱ぎかけていたユリシーズが振り返って、私を見た途端ぶわっと赤くなる。

「?」
「貴女という人は……」

 そう言ってまた背を向けてしまった。
 ディエスは純情というか、すぐ照れてしまうらしい。

「どうしてそんなに恥ずかしがっているの?」
「私の気持ちを知りながら、そんな恰好をするなんて……」

 あなたに渡されたバスローブを羽織っただけじゃないの。
 確かに胸が際どいところまで見えているかもしれないけれど、私の育った地域ではこのくらいなら下品でも性的でもなかった。足だけは絶対に出すなと言われていたけれど。

「ちゃんと隠しています」
「もしかして、今までそんな姿を他人に晒してきたのですか?」
「いいえ? 人前で下着を外したのは初めてよ」
「……今の状態を想像してしまったじゃないですか」

 後ろ姿のユリシーズは、耳が真っ赤になっている。
 ああ、帰ってきた、と思った。

「あなた」

 そっと後ろから抱き着くと、ユリシーズは身体をこわばらせる。
 ごくりと生唾を飲み込んだ音がした。

「ずっと会いたかった。胸にあなたの手紙を隠して帰ってきたのよ」

 その手紙は、脱いだ服の上に置いている。

「アイリーンがいることがどれだけ幸せか。もうどこにも行かないでください」
「私だって、どこにも行きたくなかった」

 思わず口を尖らせる。自分の意思で公爵家に行ったわけではないし、そもそもユリシーズと離れなければペトラに捕まることもなかった。
 そういえば、ペトラに事情を聞いたりしたのかしら。

 ユリシーズはこちらに向き直って私の頬に触れる。ボタンを外したシャツから素肌が覗いていた。
 そういえば、昨日撃たれたはずでは……?

「撃たれたところは?」
「ええ。怪我には至りませんでした」
「?」

 怪我に至らなかった……?
 それってどういうこと……?

「どうやら撃たれたのはこの辺だったようですが、内出血痕すら残りませんでしたね」

 そう言ってユリシーズがはだけた腹部をさする。
 怪我を見ようとして彫刻のような身体をハッキリ見てしまった。顔が熱い。

「満月と新月の夜、人狼は銀製の武器を使わないと怪我をさせるのも難しいのです」
「……そうなの?」
「だから、あなたの元に向かいました。狼化したノクスには銃弾も剣も効きません」
「最初から教えていてくれたらよかったのに。無駄に心配しちゃったじゃないの」
「いや、まさかこんな事態になるとは思わなかったので」
「満月の前に生き血を飲むのは、狼化しないために?」
「不便ですからね。1日だけだとはいえ」
「かわいいのに」
「……」
「なによ?」
「妬けます」

 潤ませた目が真剣に訴えてくるから、なんて言葉をかければいいのか迷ってしまう。

「貴女には私を見ていて欲しいのです」
「……見ているけれど、ディエスに対しては男の人を意識してしまうもの」

 狼が相手だとかわいいだけなのに、ディエスの見た目は完全に男性だから……。

「意識、ですか……?」
「そうよ。恥ずかしくてまともに見られないし、抱きしめられただけで私は全身が心臓になったみたいになるし、どうしたらいいのか……」

 正直に白状をした。素直になったつもりで。
 ユリシーズは切なげな顔を浮かべると、私を抱きしめる。
 そして私はまた抱き上げられ、ベッドの上に身体が沈んだ。

「もう、我慢をするのは止めてもいいですか?」

 シャツを脱いだユリシーズに抱きしめられ、耳元の言葉に怖気づいてしまいそう。
 素肌が触れ合うと、服を着たまま抱きしめられるよりもずっと心地いい感覚に息が漏れる。きっと、私の全身は彼に触れたがっているのだと思う。

「ユリシーズ……」

 相手は夫で、私は彼が好きで、彼は私を愛している。
 どうなっても、後悔はしないーー。

 本当は、その愛を受け止めてみたいと思っていた。
 離れてみて、思い知ったの。
 あなたの妻として、もう少し踏み込んだ関係になりたい。

 私はそっとうなずいて、ユリシーズの耳に口づけをした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ヤンデレ王子を闇落ちから救ったら愛執まみれの独占欲に囚われました

大江戸ウメコ
恋愛
幼い頃に精霊の祝福である未来視の力が開花し、「夫である第二王子ナハルドに殺される」という己の運命を知った伯爵令嬢ツィーラ。この悲惨な未来を変えるべく、ツィーラは彼を避けようとしたが、ひょんなことから婚約者に選ばれてしまった! ならば、ナハルドが将来闇落ちしないよう、側で彼を支えることを決意する。そんな努力の甲斐あって、ツィーラへの好意を隠さず伝えてくるほど、ナハルドとの関係は良好になった。だけど、彼の並々ならぬ執着心のすべてを、ツィーラはまだ知らなくて――

幼い頃に、大きくなったら結婚しようと約束した人は、英雄になりました。きっと彼はもう、わたしとの約束なんて覚えていない

ラム猫
恋愛
 幼い頃に、セレフィアはシルヴァードと出会った。お互いがまだ世間を知らない中、二人は王城のパーティーで時折顔を合わせ、交流を深める。そしてある日、シルヴァードから「大きくなったら結婚しよう」と言われ、セレフィアはそれを喜んで受け入れた。  その後、十年以上彼と再会することはなかった。  三年間続いていた戦争が終わり、シルヴァードが王国を勝利に導いた英雄として帰ってきた。彼の隣には、聖女の姿が。彼は自分との約束をとっくに忘れているだろうと、セレフィアはその場を離れた。  しかし治療師として働いているセレフィアは、彼の後遺症治療のために彼と対面することになる。余計なことは言わず、ただ彼の治療をすることだけを考えていた。が、やけに彼との距離が近い。  それどころか、シルヴァードはセレフィアに甘く迫ってくる。これは治療者に対する依存に違いないのだが……。 「シルフィード様。全てをおひとりで抱え込もうとなさらないでください。わたしが、傍にいます」 「お願い、セレフィア。……君が傍にいてくれたら、僕はまともでいられる」 ※糖度高め、勘違いが激しめ、主人公は鈍感です。ヒーローがとにかく拗れています。苦手な方はご注意ください。 ※『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。

天然だと思ったギルド仲間が、実は策士で独占欲強めでした

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー本編8話+後日談7話⭐︎ ギルドで働くおっとり回復役リィナは、 自分と似た雰囲気の“天然仲間”カイと出会い、ほっとする。 ……が、彼は実は 天然を演じる策士だった!? 「転ばないで」 「可愛いって言うのは僕の役目」 「固定回復役だから。僕の」 優しいのに過保護。 仲間のはずなのに距離が近い。 しかも噂はいつの間にか——「軍師(彼)が恋してる説」に。 鈍感で頑張り屋なリィナと、 策を捨てるほど恋に負けていくカイの、 コメディ強めの甘々ギルド恋愛、開幕! 「遅いままでいい――置いていかないから。」

皇帝陛下の寵愛は、身に余りすぎて重すぎる

若松だんご
恋愛
――喜べ、エナ! お前にも縁談が来たぞ! 数年前の戦で父を、病で母を亡くしたエナ。 跡継ぎである幼い弟と二人、後見人(と言う名の乗っ取り)の叔父によりずっと塔に幽閉されていたエナ。 両親の不在、後見人の暴虐。弟を守らねばと、一生懸命だったあまりに、婚期を逃していたエナに、叔父が(お金目当ての)縁談を持ちかけてくるけれど。 ――すまないが、その縁談は無効にさせてもらう! エナを救ってくれたのは、幼馴染のリアハルト皇子……ではなく、今は皇帝となったリアハルト陛下。 彼は先帝の第一皇子だったけれど、父帝とその愛妾により、都から放逐され、エナの父のもとに身を寄せ、エナとともに育った人物。 ――結婚の約束、しただろう? 昔と違って、堂々と王者らしい風格を備えたリアハルト。驚くエナに妻になってくれと結婚を申し込むけれど。 (わたし、いつの間に、結婚の約束なんてしてたのっ!?) 記憶がない。記憶にない。 姉弟のように育ったけど。彼との別れに彼の無事を願ってハンカチを渡したけれど! それだけしかしてない! 都会の洗練された娘でもない。ずっと幽閉されてきた身。 若くもない、リアハルトより三つも年上。婚期を逃した身。 後ろ盾となる両親もいない。幼い弟を守らなきゃいけない身。 (そんなわたしが? リアハルト陛下の妻? 皇后?) ずっとエナを慕っていたというリアハルト。弟の後見人にもなってくれるというリアハルト。 エナの父は、彼が即位するため起こした戦争で亡くなっている。 だから。 この求婚は、その罪滅ぼし? 昔世話になった者への恩返し? 弟の後見になってくれるのはうれしいけれど。なんの取り柄もないわたしに求婚する理由はなに? ずっと好きだった彼女を手に入れたかったリアハルトと、彼の熱愛に、ありがたいけれど戸惑いしかないエナの物語。

お飾りの妃をやめたら、文官様の溺愛が始まりました 【完結】

日下奈緒
恋愛
後宮に入り、妃となって二年。 それなのに一度も皇帝に抱かれぬまま、沈翠蘭は“お飾りの妃”としてひっそりと日々を過ごしていた。 ある日、文部大臣の周景文が現れ、こう告げる。 「このままでは、あなたは後宮から追い出される」 実家に帰れば、出世を望む幼い弟たちに顔向けできない――。 迷いの中で手を差し伸べた彼にすがるように身を預けた翠蘭。 けれど、彼には誰も知らない秘密があった。 冷たい後宮から始まる、甘くて熱い溺愛の物語。

ギルド回収人は勇者をも背負う ~ボロ雑巾のようになった冒険者をおんぶしたら惚れられた~

水無月礼人
恋愛
 私は冒険者ギルド職員ロックウィーナ。25歳の女で担当は回収役。冒険者の落し物、遺品、時には冒険者自体をも背負います!  素敵な恋愛に憧れているのに培われるのは筋肉だけ。  しかし無駄に顔が良い先輩と出動した先で、行き倒れた美形剣士を背負ってから私の人生は一変。初のモテ期が到来です!!  ……とか思ってウハウハしていたら何やら不穏な空気。ええ!?  私の選択次第で世界がループして崩壊の危機!? そんな結末は認めない!!!! ※【エブリスタ】でも公開しています。  【エブリスタ小説大賞2023 講談社 女性コミック9誌合同マンガ原作賞】で優秀作品に選ばれました。

記憶喪失の私はギルマス(強面)に拾われました【バレンタインSS投下】

かのこkanoko
恋愛
記憶喪失の私が強面のギルドマスターに拾われました。 名前も年齢も住んでた町も覚えてません。 ただ、ギルマスは何だか私のストライクゾーンな気がするんですが。 プロット無しで始める異世界ゆるゆるラブコメになる予定の話です。 小説家になろう様にも公開してます。

中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています

浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】 ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!? 激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。 目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。 もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。 セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。 戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。 けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。 「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの? これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、 ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。 ※小説家になろうにも掲載中です。

処理中です...