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1章
子爵令嬢アイリーン 2
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馬車が到着したのは、大きなお城だった。
皇帝の住む宮廷ではない。私が知らないところだ。
ぞろぞろと人がやってきて、豪華な部屋に入れられドレスを着せられ、髪をすっきりとまとめられ、化粧を施される。
鏡の中の自分を見て、本物のお姫様みたいだと感嘆した。
こんなに生地のいい服を着たのも、本格的で上品な化粧を施されたのも初めてだった。
「それでは、こちらへお越し下さい」
お城の使用人らしき方に連れられて歩き、厳かな彫刻が印象的な扉の前に着く。
何が待っているのかわけが分からずにいると、私を部屋に連れてきた使用人の人が「姫様、アイリーン嬢を連れてまいりました」と声を上げる。
姫様……。
この扉の向こうにいるのは……。
「ありがとう、入って頂戴」
扉が開いて、中に案内される。
煌びやかな部屋。そこにいたのは、燃えるような赤い髪に白い肌、水色の目、真っ赤な紅を唇に引いた美人だった。
「あなたが、アイリーン。わたくしの身代わり姫ね。よくぞこの大役を引き受けてくださいました」
「身代わり姫……」
「今日からあなたは、クリスティーナ・フリートウッド。わたくしになりすましていただきます」
「なりすます……?」
「あなたは、クリスティーナ・フリートウッドとしてユリシーズ・オルブライト伯爵の伴侶になるのよ」
つまり、私がこのクリスティーナ姫のふりをして、オルブライト伯爵と結婚しろということよね……。
オルブライト伯爵ってなんかどこかで聞いたことがあるような……。
ええと、なんだったかしら。
「相手は死神伯と呼ばれる血に飢えた男。あなたはその覚悟ができていらっしゃるの?」
そうだ、死神伯――。
長年の戦争でこの帝国の勝利に大きく関わったとされる、戦場の英雄。
目の前のクリスティーナ姫は、私が事情を知りながらここに来たと思っている。
何も知らされず、有無を言わさない態度で引きずられてきたなんてこと、想像もつかないんだわ。
「覚悟などできておりません」
「……?」
「私は、何も知らされずこちらに連れられてきました。恐らく、両親に売られたのでしょう」
あの家に生まれた私は、どこかに売られる運命だった。
当初は下品な中年の男に、その男が戦死すると死神伯に。
今度は、アイリーンという名前まで捨て、一生クリスティーナ姫として生きていけという……。
「これは、クリスティーナ姫が望んで起きたことなのでしょうか?」
「いいえ。もともとわたくしは皇族に嫁ぐことになっていました。そのための教育を施されており、帝国のために働く……。ユリシーズ・オルブライト伯爵がわたくしを望んだため、身代わりが必要になったのです」
「そうですか……」
「まあ、その理由とは別に、怖いのは確かですけれど」
死神伯に睨まれると、金縛りにあうと言われている。
それだけ怖い目をした方だという噂だった。
人を殺すことに躊躇がない、残虐な方だというのは間違いない。
「怖いだけですか?」
「?」
「死神伯というのは、怖いだけなのでしょうか? 年齢は? 中年ですか? 顔は醜い? 女性の扱い方に問題が?」
「……年齢は24歳、見た目は冷たい顔をしているけれど、醜い顔ではないわ。戦場以外で人を傷つけた経験もないそうよ。女性との接触があまりなかったようだから、その辺に慣れている方ではないらしいわ」
「でしたら……以前の婚約者よりはマシです」
「そう」
クリスティーナ姫は、深い事情を尋ねてはこなかった。
事情を伝えずに娘を差し出すような両親だと分かり、過去になにがあったかを悟ってくださったのだろう。
「やります、私。クリスティーナ姫になります」
「そう言っていただけると思ったわ。いいこと? 伯爵のところに行くのは1週間後よ」
「髪は、赤く染めないとなりませんね? 口調や好きなもの、姫様のことを色々教えてください」
クリスティーナ姫はうなずいて、私をそっと抱きしめてくださった。
「ありがとう、アイリーン。あなたの勇気に感謝します」
「これは帝国のためですから……」
「いいのよ、ここでは本音を言っても」
クリスティーナ姫は、まっすぐに私を見てうなずく。
その透き通った水色の目の中に、私が映っているのが分かった。
「もともと、誰かに売られるために生かされていました。オルブライト伯爵でなくても、望まない方と結婚する運命にあったことは間違いありません」
「そう。アイリーン、覚えておいて。女の戦いはこれからよ」
「これから、ですか?」
「わたくしもあなたも、婚姻は自由に選べない身。ここまでの人生に希望がなかったとしても、妻になり、母になることができるわ」
私は、クリスティーナ姫が何を言いたいのか分からなかった。
女の戦いだなんて言葉も、初めて聞いた。
「わたくしは皇室に入り、帝国を変えるために。あなたは、戦場の英雄をなだめ、帝国を安定させるために」
「帝国を安定させる……?」
「強すぎる力は脅威になる。あなたは死神伯を変えて」
「私に過度な期待をされても困ります」
男性を変えるなんて、何をしたらいいのか分からない。
そもそも死神伯と呼ばれるユリシーズ・オルブライト伯爵がどんな方なのか想像すらついていないのに。
「期待ではないの。これは命令よ、アイリーン」
「そんなことをおっしゃられましても。荷が重すぎます」
「今はそう思うかもしれないわね。でも、死神伯は人の心があるのよ」
「人の心、ですか……?」
「そう、死神伯は長年わたくしに焦がれていたそうなの」
「……それでは、身代わりだと見破られてしまうのではないでしょうか?」
「いいえ、あの方がわたくしを見たのは三年前、戦地に赴く皆様の前に姿を現したほんの一瞬のこと」
つまり、死神伯はクリスティーナ姫に一目惚れをして……全く会えないまま三年間も想い続けていたということ??
「アイリーン、あなたの美貌があればユリシーズは疑わないでしょう。髪の色は定期的に染めなければいけないけれど、わたくしよりもよっぽど美人」
クリスティーナ姫は、私を大きな鏡の前に立たせて言った。
私たちは、本当によく似ていた。
髪の色が赤と金、目の色が水色と青色という違いこそあったけれど、顔の作りだけを見れば本物の姉妹に見える。
「これからは、わたくしがアイリーン。あなたがクリスティーナ」
「私が、クリスティーナ姫……」
「公爵家に生まれ、あまり外にも出されずに育ってきた。まだ恋は知らないの」
「アイリーンは子爵家に生まれ、両親が私を見せびらかしたいときにだけ連れまわされて育ちました。舐めるような目を向けられて……。恋は知りません」
父親に連れられ、賭博場に立たされ続けた日を思い出す。
父は、いざとなったら私を売るつもりでお金を借りていた。周りの男性に厭らしい目で見続けられた地獄のような場所には、もう行かなくていい。
「あなたがユリシーズ・オルブライト伯爵に会うのは一か月後。いいわね?」
「はい」
「じゃあ、さっそく始めましょう」
こうして、私が公爵令嬢になるための一夜漬けならぬ一ヶ月漬けの特訓が始まった。
この時の私は、まだ、結婚相手である死神伯のことをほとんど何も知らなかったのだけれど――。
皇帝の住む宮廷ではない。私が知らないところだ。
ぞろぞろと人がやってきて、豪華な部屋に入れられドレスを着せられ、髪をすっきりとまとめられ、化粧を施される。
鏡の中の自分を見て、本物のお姫様みたいだと感嘆した。
こんなに生地のいい服を着たのも、本格的で上品な化粧を施されたのも初めてだった。
「それでは、こちらへお越し下さい」
お城の使用人らしき方に連れられて歩き、厳かな彫刻が印象的な扉の前に着く。
何が待っているのかわけが分からずにいると、私を部屋に連れてきた使用人の人が「姫様、アイリーン嬢を連れてまいりました」と声を上げる。
姫様……。
この扉の向こうにいるのは……。
「ありがとう、入って頂戴」
扉が開いて、中に案内される。
煌びやかな部屋。そこにいたのは、燃えるような赤い髪に白い肌、水色の目、真っ赤な紅を唇に引いた美人だった。
「あなたが、アイリーン。わたくしの身代わり姫ね。よくぞこの大役を引き受けてくださいました」
「身代わり姫……」
「今日からあなたは、クリスティーナ・フリートウッド。わたくしになりすましていただきます」
「なりすます……?」
「あなたは、クリスティーナ・フリートウッドとしてユリシーズ・オルブライト伯爵の伴侶になるのよ」
つまり、私がこのクリスティーナ姫のふりをして、オルブライト伯爵と結婚しろということよね……。
オルブライト伯爵ってなんかどこかで聞いたことがあるような……。
ええと、なんだったかしら。
「相手は死神伯と呼ばれる血に飢えた男。あなたはその覚悟ができていらっしゃるの?」
そうだ、死神伯――。
長年の戦争でこの帝国の勝利に大きく関わったとされる、戦場の英雄。
目の前のクリスティーナ姫は、私が事情を知りながらここに来たと思っている。
何も知らされず、有無を言わさない態度で引きずられてきたなんてこと、想像もつかないんだわ。
「覚悟などできておりません」
「……?」
「私は、何も知らされずこちらに連れられてきました。恐らく、両親に売られたのでしょう」
あの家に生まれた私は、どこかに売られる運命だった。
当初は下品な中年の男に、その男が戦死すると死神伯に。
今度は、アイリーンという名前まで捨て、一生クリスティーナ姫として生きていけという……。
「これは、クリスティーナ姫が望んで起きたことなのでしょうか?」
「いいえ。もともとわたくしは皇族に嫁ぐことになっていました。そのための教育を施されており、帝国のために働く……。ユリシーズ・オルブライト伯爵がわたくしを望んだため、身代わりが必要になったのです」
「そうですか……」
「まあ、その理由とは別に、怖いのは確かですけれど」
死神伯に睨まれると、金縛りにあうと言われている。
それだけ怖い目をした方だという噂だった。
人を殺すことに躊躇がない、残虐な方だというのは間違いない。
「怖いだけですか?」
「?」
「死神伯というのは、怖いだけなのでしょうか? 年齢は? 中年ですか? 顔は醜い? 女性の扱い方に問題が?」
「……年齢は24歳、見た目は冷たい顔をしているけれど、醜い顔ではないわ。戦場以外で人を傷つけた経験もないそうよ。女性との接触があまりなかったようだから、その辺に慣れている方ではないらしいわ」
「でしたら……以前の婚約者よりはマシです」
「そう」
クリスティーナ姫は、深い事情を尋ねてはこなかった。
事情を伝えずに娘を差し出すような両親だと分かり、過去になにがあったかを悟ってくださったのだろう。
「やります、私。クリスティーナ姫になります」
「そう言っていただけると思ったわ。いいこと? 伯爵のところに行くのは1週間後よ」
「髪は、赤く染めないとなりませんね? 口調や好きなもの、姫様のことを色々教えてください」
クリスティーナ姫はうなずいて、私をそっと抱きしめてくださった。
「ありがとう、アイリーン。あなたの勇気に感謝します」
「これは帝国のためですから……」
「いいのよ、ここでは本音を言っても」
クリスティーナ姫は、まっすぐに私を見てうなずく。
その透き通った水色の目の中に、私が映っているのが分かった。
「もともと、誰かに売られるために生かされていました。オルブライト伯爵でなくても、望まない方と結婚する運命にあったことは間違いありません」
「そう。アイリーン、覚えておいて。女の戦いはこれからよ」
「これから、ですか?」
「わたくしもあなたも、婚姻は自由に選べない身。ここまでの人生に希望がなかったとしても、妻になり、母になることができるわ」
私は、クリスティーナ姫が何を言いたいのか分からなかった。
女の戦いだなんて言葉も、初めて聞いた。
「わたくしは皇室に入り、帝国を変えるために。あなたは、戦場の英雄をなだめ、帝国を安定させるために」
「帝国を安定させる……?」
「強すぎる力は脅威になる。あなたは死神伯を変えて」
「私に過度な期待をされても困ります」
男性を変えるなんて、何をしたらいいのか分からない。
そもそも死神伯と呼ばれるユリシーズ・オルブライト伯爵がどんな方なのか想像すらついていないのに。
「期待ではないの。これは命令よ、アイリーン」
「そんなことをおっしゃられましても。荷が重すぎます」
「今はそう思うかもしれないわね。でも、死神伯は人の心があるのよ」
「人の心、ですか……?」
「そう、死神伯は長年わたくしに焦がれていたそうなの」
「……それでは、身代わりだと見破られてしまうのではないでしょうか?」
「いいえ、あの方がわたくしを見たのは三年前、戦地に赴く皆様の前に姿を現したほんの一瞬のこと」
つまり、死神伯はクリスティーナ姫に一目惚れをして……全く会えないまま三年間も想い続けていたということ??
「アイリーン、あなたの美貌があればユリシーズは疑わないでしょう。髪の色は定期的に染めなければいけないけれど、わたくしよりもよっぽど美人」
クリスティーナ姫は、私を大きな鏡の前に立たせて言った。
私たちは、本当によく似ていた。
髪の色が赤と金、目の色が水色と青色という違いこそあったけれど、顔の作りだけを見れば本物の姉妹に見える。
「これからは、わたくしがアイリーン。あなたがクリスティーナ」
「私が、クリスティーナ姫……」
「公爵家に生まれ、あまり外にも出されずに育ってきた。まだ恋は知らないの」
「アイリーンは子爵家に生まれ、両親が私を見せびらかしたいときにだけ連れまわされて育ちました。舐めるような目を向けられて……。恋は知りません」
父親に連れられ、賭博場に立たされ続けた日を思い出す。
父は、いざとなったら私を売るつもりでお金を借りていた。周りの男性に厭らしい目で見続けられた地獄のような場所には、もう行かなくていい。
「あなたがユリシーズ・オルブライト伯爵に会うのは一か月後。いいわね?」
「はい」
「じゃあ、さっそく始めましょう」
こうして、私が公爵令嬢になるための一夜漬けならぬ一ヶ月漬けの特訓が始まった。
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